“消えた看護師”はどこに?

コロナ禍で危機的な状況に陥っている看護師不足。
人材確保に向けた頼みの綱は、全国に70万人いるとされる、資格を持つものの今は看護の仕事に就いていない“潜在看護師”だ。
しかし、その多くが所在すら分からず、復帰の働きかけが出来ていない現状が明らかになった。
(立町千明、坂井一照、馬場直子)

教授や学生までが医療現場に…

なりやまないナースコール。
横浜市の昭和大学横浜市北部病院では、看護師たちが慌ただしく業務に追われていた。

一般病棟で89歳の女性の入院患者の食事の介助をしていた田中晶子さんと三村洋美さん。
2人は現役の看護師ではない。本職は大学教授だ。

新型コロナウイルスの感染拡大で深刻さを増す看護師不足を少しでも解消しようと、厚生労働省は昨年末、全国の看護系の大学に対して、看護師の資格を持つ教員や大学院生を現場に派遣するよう依頼した。
2人は病院の系列の大学から派遣され、ことし1月から月に数回のペースで応援に入っているのだ。

この病院では、コロナ患者を受け入れるため、去年4月から救急病棟をコロナ専用病棟に切り替えている。

コロナ専用病棟では、重篤な患者などに対応するため、通常よりも多くの看護師の配置が必要なうえ、看護師にかかる負担も心身ともに重い。
病院は、必要に応じて一般病棟の看護師と勤務を交代させるなどの対応を行っているが、現場の人手不足感は慢性化している。

そこに、応援に入ることになった2人の大学教授。
田中さんは実に30年ぶりの病院勤務で、三村さんも15年ぶりの現場だ。
一般病棟で、患者の食事や歯磨きの介助などを担当している。

<昭和大学保健医療学部・田中晶子教授>
「知り合いの看護師から『気力だけでは乗り越えられない限界に来ている』と聞いていました。いまは入試の時期と重なるなど、大学の仕事もありますが、少しの時間でも支援を続けていきたいです」

 

<昭和大学保健医療学部・三村洋美教授>
「現場の看護師たちは、言葉には出しませんが、顔色などを見ると、すごく疲れているんだろうなと感じます。負担を軽減できるほどの働きができるのかというところはありますが、微々たることでも役立てるんじゃないかと」

病院は、中途採用で看護師の増員を目指しているが、思うように進んでいない。それだけに2人の応援を歓迎している。

<昭和大学横浜市北部病院・磯川悦子看護部長>
「一般のナースは、緊急性や重症度の高い患者さんのケアを優先的にやるため、2人にはどうしても見守りが必要な患者さんをお願いすることが多くなっています。応援でそうした患者さんにゆっくり対応していただけるメリットは大きいです」

一方で、こうした応援だけでは、現場の大幅な負担軽減につなげるのは難しいと言う。

「新型コロナウイルスの対応には、いくら看護師がいても足りるということはない」
磯川部長はため息交じりに語った。

“消えた看護師”

看護職の資格を持つ人たちでつくる団体、日本看護協会には、看護現場の窮状を訴える声が次々に届いている。
コロナ禍の過酷な勤務などによる看護師の離職で、病棟の一部を閉鎖する病院もあるという。

現場の負担を減らすため、1人でも多くの看護師を確保したい。
看護協会が頼みの綱としているのが、資格を持つものの今は看護の仕事に就いていない、いわゆる“潜在看護師”だ。
育児や介護など、さまざまな理由で職場を離れた人たちで、その数は全国で70万人余りと推計されている。

コロナ禍で看護協会は、国や都道府県からの指定を受けて全国に設けている「ナースセンター」を中心に、潜在看護師への復職の働きかけを続けている。

「神奈川県ナースセンター」では、メールなどで働きかけを行い、「働きたい気持ちはあるがブランクが心配だ」とか、「短時間だけなら働ける」などとの反応があった人たちに対して、研修を行ったり、希望する勤務条件にあった職場を紹介したりするなどの支援を行い、これまでに延べ50人の復職につなげたという。

しかし、各地のナースセンターでこうしたアプローチが出来る潜在看護師は、全体のごくわずかにとどまっている。
なぜか?

ナースセンターが持つ潜在看護師の情報は、看護師が離職する際などに本人が任意で登録したものがベースになっていて、登録制度の周知が進んでいないことなどから、件数がまだまだ少ないのだ。
その数、全国でおよそ13万人。
コロナ禍でのメールでの働きかけは、このうち復職の意思を示している人に限って行ったため、わずか5万人にとどまった。13万人の中には、連絡先が変わり、連絡が取れない人もいるという。

70万人余りと推計される潜在看護師のうち、実に8割以上が直接アプローチすることができない“消えた”状態になっているのだ。
このため、ナースセンターにとって、データベースへの登録者数をいかに増やすかは、喫緊の課題となっている。

<神奈川県ナースセンター・廣島博美課長>
「登録者には、私たちから必ず連絡をとり、丁寧に話しを聞くようにしています。求人はさまざまあるので、まずは登録して働ける人が増えてくれるのが願いです」

看護資格だけ “前時代の発想”!?

看護師は国家資格だが、資格所有者の情報の管理は、医療関係のほかの国家資格とは大きく異なっている。

医師・歯科医師・薬剤師の3つの資格は、仕事をしているかどうかにかかわらず、2年に1度、国に対し住所や連絡先などを届けることが義務づけられている。
違反した場合は、50万円以下の罰金という罰則規定がある。
これに対し看護師は、国への届け出は資格を取得した際に、氏名や生年月日、本籍地などを登録するだけで、住所や就業状況などは登録の対象になっていない。

それでも仕事をしている間は、都道府県に対して、2年に1度、住所や勤務先などを届け出ることが義務づけられているため、所在を把握する手だてがある。
しかし、離職したあとは、ナースセンターへの登録がなければ、所在確認は難しくなる。
ナースセンターへの登録制度は、潜在看護師の所在把握のために2015年に始まったが、登録は「努力義務」にとどまり、応じなくても罰則はない。

歴然とした違いに、看護協会からはこんな恨み節も出ている。
「看護職は『働いている人だけを都道府県が把握しておけばいい』ということになっている。『潜在化した人はもはや把握の要なし』という発想で、『結婚・出産したら女性は家庭に入り、必要数は新卒で補えばいい』という前時代の発想でできているのではないかと勘ぐってしまう」

「背中を一押しされたら…」

“消えた看護師”のなかには、積極的な働きかけやサポートがあれば、復職に踏み出せると考えている人もいる。

都内に住む佐野ちはるさん(43)は、国立病院の救急や小児病棟で7年間勤務するなどしたあと、3年前に結婚を機に離職。1歳7か月の男の子の母親だ。

(勤務していた頃の佐野さん)

息子が幼稚園に通い始めるタイミングでの復職を考えていたが、コロナ禍での医療現場の負担を見聞きし、復職時期の前倒しを意識するようになったという。
しかし、復職した際の息子の預け先をどうするかや、自分が希望する勤務条件に見合った職場があるかなどのハードルをクリアできるか自信が持てず、みずから積極的に求職活動するまでには至っていない。

佐野さんは、ナースセンターへの届け出制度の存在を知らなかったため、看護協会が行っている働きかけの対象にはなっていない。
信頼できる機関から働きかけがあり、気軽に相談に乗ってもらえれば、さらに前向きに復職を検討できると考えている。

<佐野ちはるさん>
「私みたいな潜在ナースって、全国にたくさんいると思うんですよね。もしかしたら子どももいなくて、すぐに動きたいけど、ちょっと現場離れすぎていて、怖いわという人もすごくたくさんいると思うんです。そこでちょっと研修とか、サポートしてくれるような人がいれば、戻りたいと言う人はたくさんいる。声をかけてくれたら、背中を一押しされたら、ちょっと頑張ってみようかなという看護師はたくさんいると思います」

対策の柱はマイナンバー制度の活用

潜在看護師の情報把握が不十分な現状は、いまの通常国会でも再三取り上げられている。

<田村厚生労働大臣>
「看護師の国家資格をマイナンバーを通じて管理していこうと、今、準備している最中だ。いろいろなときに、ご本人に情報が行く仕組みを現在検討しており、いい仕組みをつくっていきたい」

田村厚生労働大臣が、検討中の対策として紹介したこの仕組みは、
マイナンバー制度を活用することで、潜在看護師の情報を把握しやすくするのだという。

具体的には、看護師の資格を取得した際に行う国への登録を、マイナンバー制度の専用サイト「マイナポータル」を使って行うようにすることで、制度を活用して、資格に関する情報を管理する新たなシステムを2024年度までに整備する。

そして本人の同意を前提に、マイナンバーに紐付いている住所の情報と連携させることで、離職後に届け出ないまま引っ越した人などについても、最新の住所などを把握しやすくするということだ。
希望する潜在看護師に対しては、「マイナポータル」を通じてナースセンターから求人情報の提供を行うなど、再就職の働きかけに活用したい考えだ。

「すべての人の連絡先を入手したい」

ただ、この新たな仕組みに対しては「即効性は低い」という指摘もある。

というのも、これから看護師の資格を取得する人の情報の把握には有効性が期待できる一方で、現職の看護師やすでに潜在看護師となっている人については任意で、改めて「マイナポータル」で資格の登録を行ってもらう必要があり、応じてもらえるかどうか不透明だからだ。また、個人の事情で情報を提供したくない人もいるだろう。

看護協会は、新たな仕組みのスタートに期待を示したうえで、より多くの潜在看護師にアプローチできるよう、プライバシーへの配慮を大前提に、さらなる制度の強化を政府に求めている。

<日本看護協会・勝又浜子専務理事>
「私たちとしては、看護の資格を持つすべての人の住所と電話番号やメールアドレスなどの情報を入手したいと考えています。看護職の人たちは使命感がすごくあるので、働きかければ働きかけるほどご協力いただけると信じています。1時間や2時間の短時間でも協力していただける人を掘り起こし、できるだけ潜在看護師の数を減らしたいです」

連絡先の把握だけでは…

しかし潜在看護師の連絡先をすべて把握できれば、看護師不足は一気に解消に向かうのだろうか?
専門家は、もっと根底にある問題に目を向けないかぎり効果は限定的だと指摘する。

<静岡大学創造科学技術大学院・小林美亜特任教授>
「看護師は女性が多く、結婚、出産、育児、介護といったライフイベントがあると、離職せざるを得ない状況に置かれていることが、潜在看護師を生み出す一番大きな原因となっています。夜勤があったり、休みがとれなかったり、仕事もきつかったりするのも問題です。復職後の労働環境をいかに整えられるかが大きな課題で、夜勤の免除や短時間勤務制度などの工夫が必要だと思います」

看護師不足への対応は待ったなし

少子高齢化、人口減少が急速に進む中、コロナ以前から、「深刻な状態」と指摘されてきた看護師不足問題。

厚生労働省でも、看護師の夜間勤務などに対する手当てを加算したり、潜在看護師の復職のための研修費用を補助したりするなどの対策を矢継ぎ早に打っている。
さらにことし4月以降、介護施設や障害者施設などで働く場合に看護師の日雇い派遣を認める方向で検討している。より柔軟な働き方ができるようにすることで、復帰を促す狙いもある。

しかし、今回の取材を通じ、コロナ禍によって加速度的に増している関係者の間の危機感をひしひしと感じた。
看護師不足を解消するために何が必要か。
社会全体で考えなければならない段階に来ている。

政治部記者
立町 千明
2009年入局。富山局から政治部。2回の厚生労働省担当。現在は官邸で政府のコロナ対応などを取材。自称“厚労族”。
政治部記者
坂井 一照
2010年入局。新潟・名古屋・沖縄局を経て去年9月より政治部。厚生労働省担当。田村厚生労働大臣の“番記者”。
政治部記者
馬場 直子
2015年入局。長崎局から政治部。文部科学省担当。コロナ禍の教育行政を取材。“文教族”見習い。