COCOA 沈黙の4か月
不具合はなぜ見過ごされたか

新型コロナウイルス対策のスマートフォン向けの接触確認アプリ「COCOA」。
感染症対策の切り札として導入されながら、利用者の一部に4か月余りもの間、感染者との接触が通知がされていなかった。
なぜ不具合が見過ごされたのか。
(山枡慧、木村有李、坂井一照)

厚生労働大臣も当事者に

「俺も3割のうちの1人だったのか」

不具合の事実を知った厚生労働大臣の田村憲久の頭をよぎった。
新型コロナの感染が確認された国会議員と面会するなど通知が来てもおかしくない状況もあったが「COCOA」から通知が来たことはなかった。

2月3日の午後5時半、田村は急きょ記者を集め、深々と頭を下げた。

「大変な迷惑をおかけし信頼を損ねる状況であり、本当に申し訳なく心からおわび申し上げる」


「COCOA」をめぐり、グーグルの基本ソフト「Android」の利用者に、感染者と濃厚接触した可能性が通知されていなかったのだ。

驚くことに、この不具合は去年9月末からだった。実に4か月余りもの間「COCOA」は機能せず、放置されていたのだ。田村が利用していたのは、その「Android」版の「COCOA」だった。

影響は利用者の3割に

そもそも「COCOA」はどのようなアプリなのか。

スマホに搭載された「ブルートゥース」という通信技術を活用し、利用者どうしが1メートル以内に15分以上いた場合、お互いのスマホの端末に記録を残す。

そして、陽性が確認された人が保健所から発行される処理番号を登録すると、相手方に「感染者と濃厚接触の可能性がある」とプッシュ通知する仕組みだ。

「COCOA」の利用者は、「Android」版と「iPhone」版を合わせて2507万人に上る(今月9日時点)
このうち3割にあたる772万人が「Android」版の利用者で、陽性者と濃厚接触した場合でも「接触なし」と表示されていた。

感染拡大の大事な時期に・・・

しかも不具合は感染の「第3波」のさなかに起きていた。
これは「COCOA」のダウンロード数のグラフだ。

厚労省がアプリの提供を始めたのは去年6月で、それからダウンロード数は順調に伸びた。
この間に、感染の「第3波」が押し寄せた。

「COCOA」が機能しなかった4か月は、くしくも政府が「勝負の3週間」と位置づけた時期や、年末年始に感染者が急増して11都府県に緊急事態宣言が出された時期と重なる。

これについて田村はこう陳謝した。
「『近くに感染した人が長時間いたのにアプリが反応しなかった』という話がSNSなどを通じてあったが、そういう人たちの不信感を十分にキャッチできていなかったことは猛省する」

折しも、与党幹部らが緊急事態宣言のさなかに深夜まで飲食店に出入りしていたことが明るみに出た直後で、国民の厳しい目が注がれていた。平身低頭を貫く田村の対応には、政府・与党への風当たりに対する危機感が表れていた。

不具合はなぜ起きたのか?

4か月もの間見過ごされた不具合は、なぜ起きたのか。大臣が陳謝したあと、厚労省の事務方が記者団に説明した。以下はそのやりとりだ。

Q)発覚の経緯は?
A)アプリの開発は業者に委託しているが、報告によると、障害は去年9月28日のバージョンアップに伴って生じた。ことしに入って「通知が来なかった」というSNSの発信や報道を受けて、業者がスマホを用いて動作検証をしたところ、接触の値が想定と異なる形で出力され、正しく通知されていないことが判明した。それまでは、模擬的な検証にとどまっていた。

Q)原因は?
A)端末どうしが近くにあれば、リスクが高いという値を相手の端末に返す。離れていたり、接触機会が短ければリスクが低い値を返すが、一律に接触の程度に関わらず、リスクが低いと判定されてしまった。

Q)4か月間、なぜ気がつかなかったか?
A)感染拡大に備えて、速やかに多くの人に利用してもらうことを重視して、アプリを作っていた。そのため、十分なテスト環境を構築するのが遅れたのは事実。その後、テスト環境を整えて実物のスマホでテストをすべきところをしておらず、問題点の気づきの遅れにつながった。

Q)利用者からの指摘はなかったのか?
A)「陽性者と接触しているはずだが、通知がこなかった」という問い合わせは、確かにあった。ただ指摘全体の中の数として決して多いものではなく、その時点では「問題ない」と業者から回答があった。

浮き彫りになったのは、アプリを改修したあとに実際の機種で動作確認をしていなかったというずさんな運用の実態だった。

背景には政府の「人材不足」

「歴史に残る失態。痛恨の極みだ」

こう話すのは、接触確認アプリの開発に当たって、当時IT担当の副大臣として陣頭指揮を執った自民党の平将明だ。
致命的な不具合を防げなかったことについて、政府内に専門の知識や技術を備えた人材が不足している現状に課題があると言う。

「厚労省は、コロナ対応で多忙を極めている上、IT関係にはあまり強くない役所だ。業者任せにならないようにするには発注者側にもかなりIT技術がわかる人が必要だが、定員や予算の縛りがあり、十分ではなかった。政府は今まさにデジタル庁をつくるべく進めているが、その問題意識の1つが顕在化してしまった」

「COCOA」もこれまでに7回の改修を重ねている。しかし、実際に使って「バグ」と呼ばれる不具合を洗い出していくという開発過程を考えると、実はこの回数は少ないという指摘もある。

アプリ開発には改修がつきものだが、委託された業者側がアプリの保守管理体制を確立できたのは、去年6月のアプリの運用開始から1か月半後だった。その理由について、業者側は「ほかのアプリ開発の仕事もあるなかで、人繰りの調整が必要だった」と取材に答えた。

平は厚労省の問題をこう指摘する。
「アプリはバグが出て当たり前で、しっかりと国民とコミュニケーションをとりながら改修をしないと信頼を得にくい。不具合を訴える国民の声もあったと思うので、厚労省みずからが疑問を解けなければ、専門家のアドバイスをもらうなどの体制が必要だった」

生かせなかった警告

ただ、不具合に気づく機会がなかったかと言えば、そうでもない。
取材を進めると、「COCOA」の不具合は、去年11月時点でインターネット上で指摘されていた。
アプリなどのプログラムに関する情報について技術者らがやりとりしている「GitHub」という専門のサイトだ。

「現在のAndroid版では接触が検知されることはないと思われます」という投稿があったのだ。機能の根幹に関わる具体的な指摘もあった。
厚労省も「COCOA」の品質を向上させるため、このサイトに技術情報を公開していた。それにも関わらず、問題を指摘する投稿が顧みられることはなかった。

SNS上でも指摘が・・・

また、ことしに入るとSNS上でも、「COCOA」が機能していないという投稿が相次ぐようになっていた。


「陽性登録したのに、過去14日間どころか、私が濃厚接触者にしてしまった家族にさえ、誰にも通知が来ていません」

PR会社社長の次原悦子もそうした1人だ。みずからが感染した経験を踏まえて「COCOA」が機能していないことをツイッターで発信していた。

次原は、1月2日に陽性と判明し、保健所から届いた処理番号などを登録した。しかし、家族や会社関係者に通知が届くことはなかった。

国会での指摘にも・・・

次原は、国民民主党代表の玉木雄一郎に不具合を伝え、玉木は、1月13日の衆議院内閣委員会で「COCOAは機能しているのか」と単刀直入に厚労省にただした。

これに対し、厚労省の担当者は「1メートル以内で15分以上実際には接近していなかったり、ブルートゥース機能をオフにしてしまったりなど、適切に作動できていないケースも考えられる」と答弁した。不具合の原因が利用者側にあるかのような姿勢だった。

陽性と判明していた次原は、アプリやスマホのアップデートを最新にしてブルートゥースの設定を確認したが、息子のスマホを隣に並べても、通知が届かなかったという。

しかも、次原がスマホに入れている「COCOA」は、厚労省が「問題ない」としている「iPhone」版だ。次原は、今も不安を隠せないと言う。
「『Android』だけの問題とうのみにするのは、あまりにも危険だ。『COCOA』から濃厚接触者としての通知が来ていないからと、意識せずに飲み会をしたり、行動したりしている若い人もいる。厚労省は『iPhoneは大丈夫だ』と断言するが、実際に周りにも通知が来なかった人がいるので、原因を究明し1日も早く改善してほしい」

品質管理に甘さ

ITエンジニアの関治之は「COCOA」の品質管理の複雑性が事前に十分認識されていなかったと指摘する。
関は、IT技術を社会に役立てるため設立された一般社団法人の「コード・フォー・ジャパン」の代表理事を務めアプリの立ち上げに向けた検討にも関わった。

「(アップルやグーグルから提供される)要件が頻繁に変わる状況だった。開発のノウハウもない中で、対応しなければいけないのは結構大変なことだ。結果をみると、そこは十分な対応ができていなかった。ほかの国の接触確認アプリと比べてもアップデート数が少なく、あまりタイムリーな対応もできていなかったところをみると、アプリの運用に対してしっかりとした体制がとれていなかった」

さらに取材を進めると、厚労省から直接委託を受けた業者は、そもそもアプリの開発や運用を担うことを想定していなかったことも明らかになった。

「COCOA」は「HER-SYS(ハーシス)」と呼ばれる感染者の情報を一元的に管理するシステムの一部として追加で契約された経緯があった。「COCOA」で接触通知のあった人を「HER-SYS」に登録し、感染対策に役立てようという狙いだった。
しかし、政府の検討会で感染者の特定につながるとして慎重論が相次ぎ「COCOA」と「HER-SYS」は切り離して運用されることになった。
厚労省の関係者は「システム上、完全に切り離されているので、同じ業者が受託しなければならない理屈はなかった。ただ、接触確認アプリは、絶対に失敗できない事業だったので、過去に実績のある業者を選んだ可能性がある」と述べた。迅速に事業を進めるためとして、業者との随意契約が結ばれている。

「COCOA」の立て直しに何が必要か。最後に関に聞いた。

「不具合の背景には、経験不足と人手不足があるとは思う。ただ難易度の高いことをやっているのだから、間違えることはある。だからこそ、建設的な指摘に応えようとする意志が必要だ。間違えたら、早く修正すればいい。そして、修正をしながら改善していくことを、国民に許容してもらう雰囲気をつくるためにも情報公開をしっかりしてほしい」

感染対策の切り札になれるか

デジタル化を看板政策に掲げる菅総理大臣は、4か月余りにわたる「COCOA」の不具合について「お粗末なことだった」と陳謝した。
厚労省は、調査チームを設けて検証を進めるとともに、2月中旬までに不具合の解消を目指すことにしている。

「COCOA」は、国内の感染対策はもとより、東京オリンピック・パラリンピックで日本を訪れる外国人にも役立ててもらうことを想定している。
「COCOA」が再び「切り札」として国民に受け入れられるかどうかは、今回の失態から何を学び、生かせるかにかかっている。
(文中敬称略)

政治部記者
山枡慧
2009年入局。青森局を経て政治部に。文部科学省や野党、防衛省の取材を経て、9月から厚生労働省を担当。
政治部記者
木村 有李
2010年入局。青森局・水戸局を経て政治部。去年9月から厚労省を担当。いま一番懐かしいのは、円陣を組んでのカラオケ。
政治部記者
坂井 一照
2010年入局。新潟・名古屋・沖縄局を経て政治部。去年から厚労省を担当。田村大臣の番記者。