19歳が見た“選挙の内側”

与野党がそれぞれ現職と新人を支援し、12年ぶりの選挙戦となった山形県知事選挙。
中立的な立場で投票率の向上に取り組もうとしていた19歳の学生は与党が支援する新人候補の応援に深く関わることになった。
そこで目の当たりにした若者と政治の距離、そして“選挙の内側”とは。
(藤井佑太、和田杏菜)

与党系候補の応援に19歳!

選挙戦がスタートした1月7日。
JR山形駅前で行われた自民党推薦候補の第一声。
地元の衆議院議員や山形市長の応援演説に続き、予定になかった若者が呼ばれた。

「それではここで急きょ、スペシャルスピーカーに登場して頂きます!」

現れたのは、慶応大学の19歳の学生、長澤パティ明寿だ。
「現職の知事、われわれ県民のほうに本当に向いていますか? 若い世代の意見を聞こうとしていますか?」


拍手が起きる。同時に会場から声が漏れる。
「いったい何者だ?」

長澤の現職批判は続いた。
「今回、公開討論会の開催が、現職の陣営に断られてしまいました。もちろん、新型コロナウイルス対策であったり、大雪の対策であったり日夜奮闘されている。そのことに関しては県民の1人として頭の下がる思いです。しかしながら、こうやって喫緊の課題が山積する中だからこそ、わたしはリーダーの真剣な議論、みずからの言葉で語る姿、そういう姿を見たいんです!」

「そうだあ!」と同調する声が相次ぎ、聴衆は沸いた。
現場にいた自民党の議員は言う。
「第一声に集まった人たちの心に最も響いたのは、国会議員よりも、候補者よりも、長澤くんの演説だった。若者の政治に対する率直な思いが伝わったんだと思う」

12年ぶりの知事選は女性どうしの「与野党対決」

山形県知事選は、過去2回、無投票で終わっている。
選挙戦となるのは実に12年ぶりだ。
現職で4期目を目指す吉村美栄子は、立憲民主党や共産党など野党各党の県組織が支援。


対する新人の元県議・大内理加は、自民党と公明党県本部が推薦。


コロナ禍で課題山積の中での与野党対決で、知事選としては全国初の女性2人の争いとあって、注目されていた。

若者の関心の高まり、そして活発な政策論争をのぞむ長澤は、告示前、地元紙に知事選への思いを投稿していた。
「私は若い世代の1人として知事選における『公開討論会の開催』を強く主張したい。若い世代へのアプローチとしても有効であると考える」


「今回は18歳選挙権施行後初の県知事選である。前回選挙戦が行われた12年前、われわれ世代は小学生低学年であった。私たちの記憶の中では、当たり前のように現知事による県政運営がなされてきただけだ。今回の知事選は私たちにとって、山形県のリーダーを選ぶだけでなく、今みずからが暮らす山形県の現状を直視し、自らが担う未来の山形像を思い描く貴重な契機でもある」

長澤の政治との接点は

長澤の父はネパール人、母は日本人だ。
山形市で生まれたあと、父の出身地であるネパールに引っ越す。


だが、国王夫妻などが殺害される事件が発生。政情不安が広がるなか、追われるように日本に戻り、幼稚園から高校まで山形市で育った。
物心のつかないうちから、政治の重みや怖さを実感した長澤。
国際政治の現場で働くことを志すようになり、中学・高校時代にはニューヨークの国連本部で研修を受けたり、シンポジウムに参加して政治家と議論を戦わせたりするようになっていた。

去年、高校3年生だった長澤に、若者と政治との距離が依然遠いことを強く意識させたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。
当事者であるはずの若者の意見を抜きに、卒業式のあり方や、大学への入学時期変更が議論されることに長澤は違和感を抱いた。9月入学についてどう考えるか、同世代の300人を対象にみずからアンケート調査を実施し、その内容は山形市議会でも取り上げられた。
「現場の声が届いていないなと思って。振り返ってみるとコロナの影響を受けた1年間は地元の山形でできることを積み重ねるいい機会になりました」

こうしたなか訪れたのが12年ぶりとなる知事選だった。
「若者と政治との距離を縮める絶好の機会となるはず」

長澤は、あくまで中立的な立場で、選挙に関わることを想定していた。

公開討論会の開催に期待するも…

知事選を間近に控えた12月、長澤のもとに、シンポジウムを通じて面識があった、自民推薦候補の大内から電話がかかった。
「選挙が始まる前に開く決起集会で壇上に上がってもらえないか?」
大内は、若い世代の支持拡大を見据えて学生の応援を求めていたが、長澤は依頼を断った。
「公開討論会に関わりたいので、中立的なスタンスでいたいと思います」

知事選における長澤の目標は、あくまで10代から20代前半の若い世代の投票率の向上だ。そこで注目したのが、青年会議所が企画していた公開討論会だった。
候補者どうしが政策や意見を交わし、SNSなども通じて広く伝えることが重要だと考えていたのだ。

ところが青年会議所に電話するとこんな答えが返ってきた。
「現職が難しいということだったので、できないです」
長澤は納得がいかなかった。
「わたしたちで企画したらできるでしょうか?」
「“公務多忙”という理由なので、難しいと思いますよ」

コロナ禍で“現職の存在感”高まる

現職の吉村は新型コロナウイルスへの対応に連日追われていた。

去年春には、高速道路や主な駅で県外から訪れた人たちを対象に検温を実施。PCR検査の拡充にも努めてきた。
冬場に入って全国的に感染がさらに拡大し、臨時の記者会見、対策会議が相次いだ。県独自の警戒レベルが上がると、幹部ともども一斉に防災服に着替えた。

現職の知事としての存在感は日増しに高まっていった。12月には大雪も重なり、メディアへの露出は多くなる一方だった。

吉村の「親しみやすい」キャラクターには定評があった。「もんぺ姿」で稲刈りをしたり、さくらんぼのかぶり物をかぶったりして地元の特産品をPR。


選挙戦の街頭演説でも「庶民に寄り添う姿勢」をアピールする戦略がみられた。

「みなさんの方が雪下ろしや雪はきで大変だと思うのに、逆に私を励ましてくれる」
「ありがとうございます。雪で大変ですけどみなさん足元に気をつけてくださいね」

街頭演説では、相手候補の批判は抑え、マイナスの言葉は使わない。「県民の皆さんとともに」「誰もが暮らしやすい山形」といったフレーズを繰り返し、現職の余裕を感じさせた。
一方で、吉村は、青年会議所による公開討論会はもちろん、報道各社が申し込む個別のインタビュー取材についても、一切応じることはなかった。
NHKが理由を尋ねると「すべてお断りしている」、「新型コロナや災害の対応で先が見通せないため」という回答が戻ってきた。

結局、候補者どうしの論戦の機会はなかった。

“中立では関心が高められない”

公開討論会の開催が見通せず、長澤は「中立的」であることに意味を見いだせなくなっていた。若い世代の関心を高めるには、候補の応援にまわったほうが有効ではないかと考え始めた。
吉村と大内の過去の発言などを調べ、若い女性の県外流出やそれに伴う人口減少を課題として、SNSなどを通じて若者にも広く政策を訴えようとする大内の応援を決めた。


大内は、なかなか知名度が上がらないことに悩んでいた。
立候補を表明してからの8か月間、1400回以上のミニ集会を重ねたものの、コロナ禍で大きな集会は開けず、“地上戦”は支持の広がりに欠けた。
長澤は、若い世代と大内をつなぐ“懸け橋”になれればと、手探りで支援に走り出した。
まず計画したのは、選挙権を得る18歳をターゲットにした街頭活動だ。
1月は高校生にとって受験シーズン。共通テストの日に、山形市のテスト会場となった大学の近くで、大内の支援を呼びかけることにした。
しかし「テストで集中しているときに支援を訴えかけるのは逆効果」という声が寄せられ、計画を断念した。

若者とのオンライン討論会を実現

選挙戦も残り1週間を切った1月17日夜、ようやく長澤の取り組みが形になった。
スケジュール調整をはかってきた大内と若者のオンライン討論会が実現したのだ。
大内陣営からゴーサインが出たのは前日の午後10時ごろ。
急きょ、討論に参加する高校生や大学生8人を集め、開始2時間前になんとか準備を終えた。
討論会では、県庁職員の働き方改革や人口減少など、県内の課題を幅広く議論した。
大内は若者の問いかけに、その都度、「うーん」などと考えながらアドリブで答える。個人演説会で何度も聞いたスピーチとは違う内容の発言が次々と飛び出した。
特に白熱したのが、若い女性の県外流出をめぐる議論だった。
山形県は、15歳から29歳の女性の県外転出超過率が全国で4番目に高く、選挙戦でも争点の1つとなっていた。


「若い女性が山形を選ばずに出て行ってしまう理由は何ですか?そして、山形が選ばれる県になるために行政以外にしてほしいことはありますか?」
「大きな理由は賃金の格差なので女性の賃金を上げることが必要ですが、行政が直接、賃金を上げるのは難しいので、賃金を上げる企業や施設に対し県が支援をするのも1つの方策です。学校には若者が地域と深く関わる教育をしてほしい。そうすれば大学や就職先を選んで外に出て行く前に、自分の地域を知るきっかけになる」

オンライン会議を仕掛けた長澤はこう締めくくった。
「20年、30年後にどうなるかを考えると私たちの未来を決める選挙だと思います。自分の未来を決める1票を投じられるような行動をぜひ、みなさんにも行って頂けるとうれしいなと思います」

実際に選挙を左右するのは

地元紙などの世論調査では吉村の優位が伝えられた。
長澤も大内を推薦する自民党への反発を肌で感じていた。
相次いで発覚した「政治とカネ」の問題、そして政府のコロナ対応への批判。
それ以前に、自民党山形県連内部の足並みの乱れが大内陣営には響いていた。
吉村が初当選した12年前の知事選で、自民党は、衆議院議員や県議会議員などのほとんどが当時の現職を支援する一方、一部の参議院議員らが吉村を支援した。

吉村はこの12年で、さらに深く自民支持層にも浸透していた。
今回、党員資格を持っている議員らが表だって吉村を支援した。
山形県政界で大きな影響力を持つ農政連も吉村の推薦を決めた。


大内を応援する長澤は地元で就職している友人などに繰り返し電話したが農協に勤める同級生はこう答えた。
「自分は農協なので吉村さんかな」

コロナ禍の選挙 現職の圧勝に終わる

開票の結果、吉村は40万票余りを獲得して4回目の当選を果たした。
県内の35市町村すべてで勝利し、大内のおよそ17万票に2倍以上の差をつけた。

投票率は62.94%で、12年前の知事選をやや下回ったものの、同じ全県選挙である参議院山形選挙区の前回や前々回とは同水準だった。

投票日にNHKが県内32か所で行った出口調査で、
▼吉村県政の評価を聞いたところ、90%が「評価する」と答えたほか、
▼県のコロナ対策の評価についても、「評価する」が89%にのぼった。

▼一方、「知事選で政策論争が活発だったと思うか」という設問では、
「思う」が49%、「思わない」が51%と意見が分かれた。

議論に物足りなさを感じつつも、民意が現職に圧倒的な得票を与えたという現実。
長澤は、選挙における政策論争の意義を改めて考えている。
「政策で選ぶのが選挙の大前提だと思います。それによって、自分たちが将来の方向性や政策を考えるきっかけになりますし。一方で、選挙は“勝つための戦い”でもあります。そして、その要素が強すぎると政策論争が建て前になってしまうという難しさを感じます」

若い世代の政治参加に向けて

知事選が終わり、長澤は、みずからの取り組みをこう振り返った。
「若い世代に政治への参加をどう訴えていくか、アプローチが難しかったですね。日本の“政治を遠ざける風土”みたいなものを感じています。学校にしても政治を持ち込まない雰囲気というのがあるんですが、実際は政治って自分たちの生活をどうしていきたいかという、自分に直接関わるものだと思うんです」
長澤は、今回の知事選で、人口減少や若者の県外流出に大きな関心を抱いていた。山形県の将来を担う若い世代にとって重要なテーマだが、論点は多岐にわたる。こうしたテーマについて候補者どうしが直接意見を交わし、SNSなども通じて広く伝えることができれば、若い世代の選挙への関心も高まり、投票率の向上にもつながると考えていた。
だから長澤は当面の目標を、選挙における公開討論会の制度化に定めた。


「全国の自治体を調べてみると、公開討論会の開催を義務づける条例をつくっているところもあるんです。本来、義務化が最善の答えではないと思いますが、今回は現職が参加を断ったという事実があります。それを繰り返さないため、若者の政治参加、選挙への関心を高めるため、制度化を働きかけていきたいと思っています」

さらに、こうも付け加えた。
「今回、公開討論に応じない現職を批判した自民党が、次の選挙でこの主張を取り下げれば、選挙で有利になるから今回に限って主張しただけだとなってしまう。制度化すればそんなことも言ってられませんからね」

19歳が見せたしたたかな一面。選挙を内側から見たことは決して無駄ではなかったのだと感じる。長澤の挑戦は始まったばかりだ。

(文中敬称略)

山形局記者
藤井 佑太
2009年入局。社会部・首都圏局を経て山形局。地方の課題をよそ者視点で掘り下げたい。県知事選挙で大内陣営を担当。
山形局記者
和田杏菜
2016年入局 甲府局を経て去年9月に山形局へ、県知事選挙で吉村陣営を担当。山形の観光地では山寺がお気に入り