国会記者、コロナにかかる
1か月たっても嗅覚が…

「陽性です」
近所のクリニックで言い渡されたこの一言をきっかけに、私は日常生活から切り離されました。
知っているようで知らなかった、コロナ感染後の生活。検査は?ホテル療養は?症状は?
この記事が皆さんの参考になる日が訪れないことを祈りつつ、感染者への対応の改善につながればと思い、私の体験を記録し、公開することにしました。
(奥住憲史)

はじまりは悪寒

私、奥住は、ふだん政治記者として国会周辺を拠点に取材をしてます。現在32歳。渋谷のNHK放送センターに、ほとんど立ち寄ることはなく、基本的には自宅と永田町を往復する毎日です。

12月11日(金)夜。
仕事を終えて帰宅後、深夜になって悪寒がしてきました。
一瞬、新型コロナウイルスが頭をよぎりました。ただこの2週間、仕事が忙しかった上、2日前にはコートを忘れ、寒空のもとで2時間以上「張り番」をしていたこともあって、風邪を疑いました。

早く寝よう。寝室には妻と子どももいましたが、そのまま寝入りました。

つながらない、見つからない検査機関

12月12日(土)朝。
悪寒とともに目が覚めました。熱を測ると37度3分。ただ、せきや鼻水はありません。

ふだん風邪をひくと必ず複数の症状が出るので、熱だけというのが気にかかりました。

念のため検査を受けられないかと、スマホで検索してみました。
「コロナ かかったかも」「コロナ 検査 受けたい」などと調べて、ようやく自分が住む世田谷区の相談先の番号を見つけましたが、受付時間は平日のみ。

検索を続け、なんとか24時間毎日対応の「東京都発熱相談センター」にたどりつきました。
<相談窓口はこちら(NHKのサイトを離れます)>

ところが、いざ電話をかけると、なかなかつながりません。
「この通話はサービス向上のため録音させていただきます」というアナウンスが流れた後、「電話が大変混み合っているためお掛け直しください」と強制的に終了してしまいます。
イライラしながら10回ほどかけ続けたところで、ようやく担当者につながりました。

検査を受けられる医療機関は、一部の区を除いてほとんどは公表されていません。
担当者に状況を説明して紹介してもらうことになりましたが、住所を伝えても最寄りの検査機関の検索はできないようです。「世田谷区だと…松原は近いですか?」とか、「桜新町はないですけど、桜上水なら?」などと、やりとりが続きます。

どうやら地名ごとに医療機関が一覧になっているようですが、土地勘がないとどこが近いのかわからないのです。私もとっさに言われた地名だとわかりません。地名を示されるたびに地図アプリで検索し、「歩いて30分かかるので厳しいです」などと返事を。家の近くの地名を次々と挙げていき、ようやく自宅から徒歩15分のクリニックが見つかりました。

私はこの時点で37度台の発熱だけでしたが、体調がかなり悪化した人がこの作業をするのは難儀でしょう。

陽性判定、その後は?

クリニックに電話して行くと、すぐに「抗原検査」を受ける運びとなりました。

PCR検査ではありませんが、20分ほどですぐ結果がわかるといいます。
綿棒を鼻の奥まで突っ込まれる検査。
その後、待合室で時間をつぶしていると、ものの10分ほどで再び診察室に呼ばれました。

「プラスでした」
「えっ、プラスって、どっちでしょう」
「陽性です」
「そうですか…」
あまりにあっさり言われ、言葉が出てきません。

クリニックから保健所に連絡。
今後の過ごし方は保健所からの指示を待つよう言い渡され、慌ただしくクリニックを出ました。かかった費用は2430円、意外に安いなあと。

帰り道、妻や上司、取材先に次々と連絡を入れました。
感染判明初日、大変だったのは、ここからだったのです。

記憶をたどって行動を洗い出す

上司に連絡すると、「最近話した人は」「感染対策はどうしていたか」と、過去2週間分の行動を洗い出すよう指示を受けました。取材先である国会や記者クラブにも報告が必要になります。

主立った予定はスマホのスケジュール表に入れていましたが、取材先とたまたますれ違っての雑談や、同僚との立ち話まで含めると、すべては記録していません。

パソコンを立ち上げて、記憶の範囲で一覧を作っていきました。
時間、場所、相手との距離、マスクの有無…。
上司と電話でやりとりしながら、細かい確認を求められますが、正直、覚えていないことも多く、やりとりは深夜まで及びました。

このやりとりと並行して、保健所からも電話が来ました。
直近3日間で会話した人の数や状況など、30分近くにわたってヒアリングを受けます。

困ったのは、保健所から会食した相手の氏名や連絡先を求められたことでした。
相手の中には、取材先も含まれていたからです。「取材源の秘匿」は記者にとって最高の倫理の一つとされています。日頃から上司にすら、全てを報告してはいません。

保健所には「相手の了解がないので即答できない」と伝え、私から直接、取材先に連絡し、自前のルートで検査を受けてもらうことにしました。

保健所からは「また電話します」と言われていましたが、翌日、こちらから対応をとったことを連絡しようと電話しました。ただ土日のためつながらず、その後、保健所からも電話がかかってくることはありませんでした。

体調が悪い中で、同じ話を何度も繰り返すのはしんどい。
東京都発熱相談センター、診察を受けたクリニック、上司、保健所とやりとりしましたが、聞かれるのは大体同じことです。せめて行政と医療機関が情報共有をしてもらう仕組みがあると、聞く方も聞かれる方も負担が少なくて済むのにな、と思いました。

自宅でどうやって隔離

保健所からは、ヒアリングに加え、今後の生活に関する連絡もありました。

都内のホテルで発症日から10日目まで隔離されることになりますが、感染者の増加に伴い、空きがないのでしばらく自宅療養になるということでした。

また、抗原検査をもって確定診断とし、PCR検査は受け直さないこと。妻と子どもにはPCR検査を受けてもらうが、混んでいるため最短で4日後になる、とも伝えられました。

自宅では、食事を一緒にしない、ゴミ袋を分ける、洗い物や洗濯物は一緒にしないなど、できる限り家族と隔離した生活を送るよう、アドバイスを受けました。

これだけ感染者数が爆発的に増える状況では、ホテルに空きがないのはやむをえないのかも知れません。ただ、ホテルに移るまでの間に家族に感染させてしまったら、という不安は拭えません。「家庭内での感染が急増している」と言われている中、この状態では感染者は減らないだろうなと思ってしまいました。

自主隔離にあたり、まずは厚生労働省のHPを確認しました。そこには「洗濯や食器の別洗いは必要無い」と書かれています。

あれ、保健所の説明と違う…
できるだけ対策するに越したことはないのでしょうが、何を信じれば良いのかよくわからない。早々にさじを投げたくなりました。

妻と子と私は部屋を分け、リビングには極力、行かずにやり過ごすことにしました。

<夫がコロナに…家庭内での対処は こちらの記事も参考に>

ホテルへ移動

12月14日(月)朝。
感染判明から3日目、保健所から携帯に電話が入りました。
「ホテルが空きましたので、急ですがきょうの12時半から15時半の間に迎えが行きます。あとでドライバーから連絡します」

言い渡されたのは江東区内のビジネスホテルです。
聞くと、滞在中は3食弁当がついて、ホテル代も含めて利用者の負担は一切無いといいます。ただ通常のホテルと異なり、バスタオルはなく、洗濯もできないので、タオル類を多めに持ってくるよう言われました。多めにと言われても家のストックは限られているので、4枚を使い回すことにしました。

直後にドライバーからも電話が。
「13時半にお迎えに上がります。10分ほど離れた場所でもう1人拾ってから向かいます」

感染者が多いからか、相乗りだそうです。家の近くの大通りを指定して、慌てて荷造りをし、家を出ました。

大通りには止まっていたのは、白いミニバン。「わナンバー」なのでレンタカーのようですが、ドライバー席と後部座席はビニールで遮断され、完全に目張りしてあります。

車に乗り込むと、20代くらいの女性が先に座っていました。
会話もなく30分ほど揺られると、ホテルの入り口に横付けされました。

相変わらず37度台の微熱は続いています。
神奈川県の宿泊施設で療養していた50代の軽症患者が死亡したというニュースが頭から離れません。祈る思いで、車を降りました。

ホテル療養始まる

ホテルの入り口には保健所の職員とみられる男性が立っていて、2メートルほどの距離から声をかけられました。
「このまま中に進んでいただいて、机から名前の書かれた封筒とルームキーをとって部屋に行ってください」

部屋はきれいでした。よかった。
広くはありませんが、部屋の隅にシングルベッドが一つ、窓際には狭い机があり、テレビや内線電話、スマホ、体温計などが置いてあります。ただ、イスはありません。

荷物を広げ、ベッドに腰を下ろすと、すぐに固定電話が鳴りました。
ベッドから固定電話まで、手を伸ばしても届かないのが煩わしい。立ち上がって電話に出ると、看護師でした。
「まずは体温と酸素飽和度を測って、備え付けの端末でデータを送ってください。また机の上のスマホからログインして、問診票にも回答ください」
なるほど、これは便利。封筒の中の説明書を読みながら、作業を進めます。

はじめは戸惑いますが、慣れの問題でした。
入力すると、すぐに電話が来ます。
「これからは毎朝7時と16時にこの作業をしてもらいます。毎日午前中に1回、看護師から電話して体調を伺います。それ以外に急に体調が悪くなったり、何かあれば内線7で事務局にお電話ください」

ひととおり説明書に目を通してから、ようやく横になりました。

窓は曇りガラスで、天気はよくわかりません。換気しようにも、開けられない仕様になっています。
外の様子もわからないまま、これから1週間以上を過ごすと思うと、なんだか気持ちが沈みました。

嗅覚がない、体に激痛が

感染後、体調はどう変化したか。

私の場合、熱は最高で38度2分、ほとんどが37度台で推移し、12日(土)から14日(月)の夜まで続きました。

全身のけん怠感、頭痛、体の痛みも。加えて13日(日)からは、嗅覚がほとんどなくなりました。

食事をすると味覚はあるものの鼻がきかないので、なんだか薄く感じます。
昼食で出たカレーを鼻の先まで近づけて、ようやくうっすらと匂う程度です。

体調が最も悪化したのはホテルに移った14日(月)の夜~15日(火)の日中にかけてでした。
熱が平熱まで下がり、頭痛がなくなった代わりに、体が猛烈に痛くなってきたのです。

特に背中の筋肉痛のような痛みがあまりにひどく、ベッドに寝たきりのまま動けなくなってしまいました。
それに加えて、不定期に結構な頻度で胸が痛むようになりました。心臓なのか肺なのかわかりませんが、針で刺されたように「ズキッ」と強烈に痛みます。ただ痛みは一瞬で、すぐになんともなくなるのですが。

猛烈にのども渇きました。深夜、のどの渇きと胸を突き刺すような痛みで何度も目が覚めた時には、「死ぬかもしれない」と本気で思いました。

ただ、痛みはその翌日には一気に引いていき、16日(水)の夜には嗅覚を除いて体調は元通りになりました。

ホテルでの生活は

朝8時~9時、昼12時~13時、夜18時~19時は食事の時間です。
時間になると、1階ロビーまで弁当を取りに来るよう館内放送が流れます。部屋を出られるのはこの時間だけで、廊下を歩くことも許されないので、極度の運動不足になります。

エレベーターで4人ほどが鉢合わせます。みんな感染者だからか、誰も口は開かず、表情も暗く見えます。
滞在中に見かけた入所者は、男女比は半々、10代後半~60代くらいまでで、若い人が多い印象です。お年寄りは見かけませんでした。

机に並べられた弁当を数えると、ざっと100近くはありそうです。
夜食用のカップ焼きそばや、水、お茶のペットボトルのほか、リンスインシャンプーや石けんなどのアメニティも置いてあります。差し入れが届いている人もいました。

東京都の備品と書かれた電子レンジも2つあり、無言で列にならんで弁当を温めます。ふと左に目をやると、出入り口にはバリケードがされていて、気が滅入りました。

部屋に戻ってベッドの上に弁当を広げ、5分ほどで完食。
弁当は毎日同じ業者です。贅沢がいえる状況ではありませんが、生野菜がたくさん出てくるのは朝のサラダだけなので、しっかり食べておこうと思いました。

メニューは毎日違うのですが、なんとなく味は似通っています。最初は食事を楽しみにしていましたが、だんだん関心がなくなっていきました。

ホテルではひたすら携帯電話でネットサーフィンするか、持ち込んだ本を読むくらいです。風呂を除いて、1日のうち23時間以上はベッドの上で過ごします。

滞在中、心の支えになったのが家族とのテレビ電話です。看護師の定時連絡以外、全く人と話す機会がないので、家族がいなかったらと思うとちょっと怖い…。

17日(木)には、妻と子がPCR検査の結果、陰性だったとの連絡が入り、少しほっとしました。

家の消毒は? 再検査は?

体調が良くなってくると、ホテルを出た後の生活のことを考える余裕が出てきました。

まずは家の消毒です。

妻に複数の業者に問い合わせてもらうと、5万円、15万円、25万円とピンキリでした。安いところでは、散布機を使って一斉に消毒薬を噴射するのに対し、高いところでは、散布機は使わずに手で拭き上げていくようです。ただ、インターネットを見ると悪質な業者もいるようなので、悩んだ末にわが家では自力でアルコール消毒をすることにしました。

もう1つの悩みが再検査です。

退所にあたって、陰性を確認するための検査はしないと言われました。ならば、自費で検査を受けようかなと思い立ち、ニュースで話題になっていた「東京駅前・1980円」の施設にも登録しましたが、人気すぎて1月14日まで空きがありません。

近所で自費でPCR検査を受けられるクリニックを見つけ、電話してみました。
「発症10日程度だと、陽性になるケースが半々なので、あんまり意味ないですよ」と担当医師。
1週間たてば、他人に感染させることはないのに、体内に残った死んだウイルスに反応して陽性となるケースが結構あるのだそうです。そう言われると受けるのを躊躇してしまいました。

結局、保健所がよいと言っているのだから、と自分に言い聞かせ、受けるのはやめました。

9日ぶりの太陽

ホテルで隔離されてから9日目の12月22日(火)。待ちに待った退所の日が来ました。

枕カバー、シーツを抱えて1階ロビーに向かいます。

出入り口のバリケードはなくなっていました。事務局の女性職員から、退所後の生活に関する用紙を受け取り、ホテルから出ました。

9日ぶりの太陽だ!一気に心が晴れやかになりました。

上司に連絡をとりながら、電車で帰路に。保健所としてはもう就業制限もありません。
ただ年の瀬も迫り、国会取材の日程も一段落していたことから、一足早い仕事納めとなりました。

今も悩まされる後遺症

1月5日(火)。ほぼ3週間ぶりに職場復帰です。

感染源に思い当たる節もなく、自分でもどうしようもないと思いつつも、取材先には真っ先にこの間のお詫びに回りました。皆一様に「大事に至らなくてよかった、誰がなってもおかしくないので謝ることではない」と声をかけてくれたのが救いでした。

自民党は、感染者や家族、治療にあたっている医療従事者や濃厚接触者に対する差別をなくすための規定を、特別措置法に盛り込むよう政府に求めています。感染者が完治した後、罪悪感にさいまれなくてもすむような手立てが必要だと、ひと事ではなく、身をもって痛感します。

年末年始も感染拡大の勢いは止まらず、ついには2度目の緊急事態宣言が出るまでになりました。
「単なる風邪」と軽視する人もいますが、私の場合は風邪どころではない苦痛と不安にさいなまれました。嗅覚は1か月近くたった今も、元に戻っていません。コロナの根の深さを思い知らされています。

医療従事者をはじめ、この未曾有の危機と戦っているすべての関係者の努力に感謝と敬意を表したい。そして、収束に向け政治は何ができるのか。国民ひとりひとりはどう対応すればいいのか。記者として、感染した1人として考えていきたいと強く思っています。

政治部記者
奥住 憲史
2011年入局。金沢局、秋田局を経て政治部。外務省や立憲民主党などを担当後、2020年夏から自民党担当。