再起なるか 岸田の変身

“ポスト安倍の有力候補”と言われながら、菅義偉に大差で敗れた岸田文雄。
誠実さと裏腹に、常に押しの弱さを指摘され続けてきた男は、今回の政局から何を得たのか。再起はあるのか。その胸の内を聞いた。
(清水大志)

なぜ負けた

自民党総裁選挙からちょうど1か月が経った日の午後、私は議員会館の事務所に岸田文雄を訪ねた。岸田の単独インタビューのためだ。

数週間前までは、パンフレットや政務調査会長室からの引っ越し荷物が所狭しと積まれていた事務所はすっかり片付けられ、リラックスした表情の岸田がワイシャツ姿で現れた。

私は単刀直入に聞いた。
総理・総裁になるというシナリオは、なぜ実現しなかったのかと。
岸田は、とたんにいつもの硬い表情に戻り語り始めた。

「当初は、来年の総裁選挙に向けて、今年の早い時期から取り組みを開始しようと考えていたが、新型コロナ対策の中で、思うように進められなかった。世の中、何が起こるか分からないので致し方がないが、準備という意味で、想定していたスケジュールが変わったことが影響したのは間違いない」

確かに新型コロナの感染拡大や安倍晋三の突然の辞意表明など、今年初めには予想もしていなかったことが次々と起きたのは事実だ。
しかし、それだけではないのではないか。どこで岸田のシナリオが狂ったのだろうか。

禅譲狙いだったのか?

2年前の総裁選挙でも立候補を模索した岸田。しかし、みずからを要職に起用し続けてきた安倍を支えることを決断し見送った。岸田の立候補に期待していた周辺からは、この時の岸田の態度を“弱腰”とみる向きもあった。

それだけに、当初、来年9月に想定されていた総裁選挙には、「ポスト安倍」と目された候補の中でも、いち早く意欲を示し、安倍本人にとどまらず、安倍の盟友、麻生太郎らとも良好な関係を保ってきた。
そうした姿勢に対し、永田町では、皮肉交じりに「禅譲狙い」とささやかれることもあった。これについて岸田は語気を強めて反論する。
「何か楽をして政権につくことを考えているように誤解されることは不本意だった。どんな形でも激しい戦いの結果、政権というものは動くのだと思っていた。『禅譲』というのは、実態とかい離したイメージだ」

激しい戦いを覚悟していたからこそ、政権構想を記した初めての著書の出版も予定し、各地の党員からの支持を得るための個人後援会づくりなども着々と進めていくはずだった。
では、安倍が任期満了まで務めていれば、結果は違っていたか。そう問いかけた私に、岸田は悔しそうな表情を見せた。
「それは分からない。分からないが、時期が変わり、状況が変われば、間違いなく結果も変わったと想像する」

一縷の望みも

それでも安倍と麻生からの支援に望みをかけていた岸田は、2人に直接会って支持を求めた。しかし、安倍との面会を終え、総理執務室に通じるエレベーターから降りてきた岸田が、マスク越しに力のない笑顔を見せた時、私は岸田の勝利への道は絶たれたと悟った。

安倍の辞任表明から、わずか3日。菅政権の誕生に向け、すでに強固な包囲網が築かれていたように感じたと岸田は振り返る。
「こちらも最善を尽くしたが、他の勢力も最善を尽くした。その結果だった。あちらの方々は着々と準備をしていて、振り返ってみれば、かなり早くから手を打っていた。こちらは足を引っ張られた。残念ながら、外堀が固まっていたということだ」

どこで狂いが生じたのか

安倍、麻生から支援を取り付けるという戦略は、どこで狂いが生じたのか。その原因の1つが、今春の現金給付をめぐる議論だとする見方がある。

新型コロナウイルスに伴う経済対策の一環と位置づけられた現金10万円の一律給付をめぐり、政府・与党は、対象を限定して30万円を給付するという当初の案を覆した。この“30万円案”は、安倍と岸田との会談で決まったもので、安倍と財務大臣の麻生が、岸田に花を持たせる向きもあったとされる。しかし、幹事長の二階俊博や公明党からの激しい突き上げにあい、ひっくり返された。岸田にとっては政治的な痛手となった。

派閥幹部は「安倍さんや麻生さんが、岸田さんを推そうという気持ちが薄れていったのは、この件が原因だ。後から振り返れば、決定がひっくり返った4月の時点で、今回の勝負はついていたのかもしれない」と話す。

実際、6月に安倍と面会した別の派閥幹部は、安倍が「岸田さんには総理大臣になりたいという情念が足りない」と愚痴をこぼしていたと証言している。

「私は殻を破った」

総裁選挙で岸田は89票を獲得し、2位にはなったものの、300票近い大差で菅に敗れた。だが、周辺からは「岸田が変わった」という指摘が相次いだ。

顔を紅潮させながら政治理念や政策を語り、討論でみずからへの質問が少ないと、怒りをあらわにして割り込むように発言した。いずれもこれまで目にしたことのない姿だった。秘書を務める岸田の長男は「総裁選挙って人を変えるんですね」と私につぶやいた。

ある国会議員も「投票の前日まで何度も電話があった。『今回は勝てないかもしれないが、最下位になるわけにはいかない』と。あの岸田さんがこんな電話をかけてくるなんて想像できなかった」と証言した。

岸田本人も、手応えを感じていた。選挙戦を通じて、みずからの「殻」を破ることができたと強調する。
「総裁選挙は、政策だけでなく人間が試される戦いだった。性格、家族、いままでの生き方、表情、すべてにおいて、今までと違うものを見せないといけない。自分の内面を出すということ自体、自分が変わったということだと思う」

岸田は、戦いを終えた直後、陣営の議員を前に、「大きな成果を感じた戦いだった。政策を磨き、政治家として力を蓄えたい。新たなスタートであり、きょうから総理・総裁を目指して次の歩みを進めたい」と語り、早くも「次」の総裁選挙に向けて意欲を示した。

そして、インタビューで岸田は、総裁選挙後、安倍と麻生に次への意欲を伝えたことを明らかにした。
「今回の総裁選挙では、それぞれの対応を取ったが、基本的な信頼関係は変わらないと思っている。2人とは電話や直接会って話をした。『次も頑張ります』と申し上げ、『私はやるぞ』という気持ちは伝えた」

なるか、脱「公家集団」

とはいえ、次に向けて準備できる時間はそう長くない。安倍の任期を引き継いだ菅の総裁としての任期は来年9月。遅くとも、それまでに再び総裁選挙が行われることになる。

10月5日、東京都内で開かれた派閥のパーティーで岸田は、「宏池会(=岸田派)を政局にあたってしっかりとした『戦闘能力』を持つ集団として進化させる」と宣言した。

岸田が率いる岸田派は、創設した池田勇人がそうだったように、伝統的に官僚出身者が多い。政策には精通するものの政局に弱く、ほかの派閥からは「公家集団」と揶揄されることもあった。今回の政局でも、情報収集などの点で後手に回ってしまったことは否めない。

岸田はまず、派閥改革に着手するつもりだ。
「政策だけではなく、政局や政治家同士の人間関係、さまざまな駆け引き、情報収集能力。それらを駆使して政治を動かす力が『戦闘能力』だ。今回は、ほかの政治勢力もしたたかに動いていた。このことを振り返って、今後の参考にしないといけない」

そして、ほかの派閥との連携にも強い意欲をにじませた。それが岸田の言う「宏池会の大きなかたまり」だ。岸田派と麻生派、谷垣グループは、もともと同じ源流を持つ。3つの集団が合流する「大宏池会構想」は、これまでもしばしば取り沙汰されてきたが、岸田は、まずは協力の輪を広げることを目指すと言う。
「必ずしも同じ派閥になる必要はなく、同じ目的のために協力することが、結果を出すために大変重要だ。これからの政治状況で何が起こるか分からない。その際の政治の受け皿として『大きなかたまり』が必要だ」

悩ましい“家庭事情”

岸田派は複雑な“家庭事情”を抱えている。それは岸田の先代の派閥会長、古賀誠との関係だ。古賀は、同じ福岡を地元とする麻生と、長年にわたってしのぎを削ってきた。今回の総裁選挙でも、岸田が古賀と接触したことが、麻生の“岸田不支持”の判断に影響を与えたという声も聞こえてくる。

こうした事情をうけてなのか、総裁選挙の後、古賀は岸田に派閥の名誉会長職を辞すると伝え、派閥のパーティーも欠席した。古賀は国会議員の引退後も、このパーティーには必ず姿をみせてきただけに、派内には波紋が広がった。

ある若手議員は「岸田さんが総理になるには安倍さん、麻生さんとの関係を生かして大きな派閥を味方につけるしかない。そのためには2人と折り合いの悪かった古賀さんと距離を置くのは当然の戦略だ」と冷静に指摘した。

一方で、ほかの議員からは「派内には古賀さんに恩を感じている議員は少なくない。岸田さんの古賀さんの扱い次第では、派を割るという声も出かねない」という懸念も聞かれる。

関係者によると古賀は、自身に歩調を合わせてパーティーを欠席すると伝えてきた議員に出席を促すなど、分裂は望まない意向を示しているという。しかし古賀に近い議員の中には、麻生派との連携に抵抗がある者もいて、古賀との距離感や、他派閥との連携のいかんによっては、足下が揺らぐ可能性もある。

問われる覚悟、いばらの道

「“核兵器のない世界を目指す”という目標は政治家としてのライフワークだ。そのためにも総理・総裁を目指したい。より多くの国民に共感を持ってもらえるよう、政策や政治の方向性をアピールしていきたい」
10月18日、岸田の姿は地元・広島市の平和記念公園にあった。

外務大臣の経験をもとに核軍縮や外交をテーマにした著書を出版したのにあわせ、改めて総理大臣への意欲を語った。広島を皮切りに今後、毎週のように全国各地に足を運び、関係者との意見交換や街頭演説に臨む。地元メディアにも積極的に出演し、露出を増やす狙いだ。

今回の総裁選挙で岸田が獲得した地方票はわずか10票。菅の89票、石破の42票に大きく水をあけられた。次の総裁選挙は、党員投票が実施される見込みのため、各地の党員からの支持を集めることが求められる。

派閥のベテラン議員は、岸田の知名度や次期総理大臣としての期待度は、まだまだ足りないと指摘した上で、「総裁選挙を経験して『変わった』とは思うが、これで満足してもらっては困る。もうひと皮、ふた皮むけないとダメだ」と注文を付けた。

若手議員の1人も「分かりやすい成果や訴えが必要だ。『岸田さんが総理大臣になれば、これが変わる』とイメージさせないといけない。ただ地方を回り、他派閥と会合を重ねるだけでは、来年も同じ構図で負ける」と危機感をあらわにする。

次なる戦いに向けて、いばらの道を歩み始めた岸田。最後に改めて覚悟を聞いた。

「総裁選挙に直接挑戦してみて、その重み、壁の高さを痛感した。だからこそ挑戦しがいがあるとも感じた。強い思いと勇気を持って努力し、説得力を増すために具体的な政策を肉付けしていくつもりだ。戦うべき時は戦う」

言葉を選びながら、丁寧に語る誠実な物腰は変わらない。しかし、足りないと指摘されてきた「情念」は、その言葉に宿りつつあるようにも感じた。

このところは総裁選挙の最中のように感情を表に出すことは少なく、以前の冷静な岸田に戻った印象が拭えない。このままでは、再び新しい「殻」に覆われてしまうのではないか。役職についていない今だからこそ、素の真価が問われているとも言える。来年の秋に向けて、岸田がどのような挑戦を続け、どのような結果を得るのか。引き続き、見つめていきたい。
(文中敬称略)

政治部記者
清水 大志
2011年入局。徳島局を経て政治部。現在は自民党・岸田派を担当。