あるべき天皇像」とは

天皇陛下の退位に向けた特例法が、6月9日に成立し、およそ200年ぶりに天皇の退位が実現することになりました。これまでの議論で退位の是非とともに大きな論点となったのが「あるべき天皇像」です。天皇とはどのような存在なのか、これまでの歴史を振り返りながら検証するとともに、皇族の数が減る中、天皇制をどのように維持していくのかなど今後の課題について専門家の見解を整理しました。(政治部・長谷川実記者)

天皇の役割とは

そもそも天皇は、どのような役割を担っているのでしょうか。憲法には、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行う」とありますが、それ以外については専門家の中にもさまざまな意見があります。

天皇陛下の退位を検討した政府の有識者会議では、検討項目の最初に置いて専門家からのヒアリングを行いましたが、立場は2つに分かれました。

一方は、被災地のお見舞いや各種の行事のご出席など、象徴としての地位に基づくお務めを積極的に果たすことを重視する立場です。

有識者会議のヒアリングで、所功・京都産業大学名誉教授は、「象徴天皇の役割は、憲法でその地位を基礎づけている日本国民の総意に応えられるよう、国家と国民統合のため、みずから可能な限り積極的に『お務め』を果たされることだ」と述べました。

もう一方は、天皇は存在するだけで尊く、最も重要なのは祭しを行うことであり、それ以外は積極的に行わなくてもよいとする立場です。
有識者会議のヒアリングで、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、「皇室の役割は、国家の安寧と国民の幸福を守る、そのために祈るという形で定着してきた。天皇様は、何をなさらずともいてくれるだけで有り難い存在であるということを強調したい」と述べました。

結局、有識者会議は、天皇の役割について議論は行ったものの意見集約はせず、最終報告にも盛り込みませんでした。

変遷した位置づけ

では、これまでの歴史の中で、天皇はみずからの存在をどう位置づけ、どのような役割を果たしてきたのでしょうか。

天皇制を含む日本近世史に詳しい藤田覚・東京大学名誉教授は、取材に対し、天皇は、みずからの姿、役割を絶えず変えながら存続してきたと指摘しました。

「天皇制は、ただ続いてきたわけではなく、その時その時で姿を変えることで続いてきた。『生きのびてきた』と言ってもいい。その時の政治権力の在り方によって、天皇の在り方も変えられた」

藤田さんによりますと、歴史を振り返れば、古代の「ヤマト王権」から奈良・平安時代の律令制国家にかけて中央集権化が進み、天皇は、権力と権威を併せ持つ存在として国内を統治しましたが、武家が権力を握った平安時代の後期から鎌倉・室町時代と進むにつれて弱体化したということです。
そして、藤田さんは、「天皇の長い歴史の中で、江戸時代ほど浮沈の激しかった時代はなかった」と言います。

江戸幕府に翻弄された天皇

江戸時代初期、第108代の後水尾天皇は、徳川幕府から繰り返し圧迫を受けました。2代将軍・秀忠から、最高位の僧侶に紫の衣、「紫衣(しえ)」の着用を許したことを無効にされたり、関係の深い公家が「行儀に反する」などとして流罪にあったりしました。
そのうえ、退位の意向を示したものの幕府の反対で実現せず、最終的に、幕府に相談するというルールを破って、当時7才の娘に突然皇位を譲ります。後年、後水尾天皇は、息子で2代あとの天皇の後光明天皇に、天皇として学んだ教訓を記した「御訓誡書」を残しました。

藤田さんは、御訓誡書について、「徳川幕府に腹を立てて退位した後水尾天皇は、自分の子どもに教訓を残すわけだ。その中で言っているのは、『いまは武家の世だから天皇の言うことを聞かないのは仕方ない。公家すら言うことを聞かない。何かして問題にされるとまわりの人も大変な迷惑を被ることになる。だからじっと耐えて、そうやって生きていくのがこの時代の天皇だ』と言うんだ」と説明しました。

藤田さんは、「御訓誡書」は、圧倒的な幕府の力の前にひれ伏さざるを得ない中で、天皇としてどう生きていかなければならないかを諭した文書であり、江戸初期の天皇は、日本の歴史上、もっとも政治的地位が低く、底に沈んだ存在だったと指摘します。

異なる役割

藤田さんの研究によると、江戸時代の天皇の役割として、官位の授与や元号の制定などがありましたが、幕府が実質的な決定権を持っていました。
このため当時の天皇は、失った権威を取り戻すため、幕府の協力も取り付けながら、戦国時代に廃絶された「朝儀」、つまり国家的な儀式や神事の再興に力を傾けたということです。

江戸中期、113代の東山天皇や115代の桜町天皇は、天皇の即位に伴う儀式の「大嘗祭」や秋の収穫に感謝する「新嘗祭」などの儀式を復活させました。
また、天明8年(1788年)、大火で京都の御所などが焼失した際、当時の119代、光格天皇は、「紫宸殿」と「清涼殿」という2つの施設を平安時代に匹敵する規模で再建するよう、粘り強く幕府に掛け合い、最終的に認めさせます。
こうした努力に加え、幕府の力の衰えもあり、江戸時代後期にかけて天皇の権威は徐々に浮上していきました。

そして幕末、121代の孝明天皇は、日米の通商条約の締結許可を求める幕府に対し、反対の姿勢を取り続けたことなどをきっかけに、尊王攘夷派や幕府に抵抗する勢力から強い支持を受けることになり、その結果、天皇の政治的地位が急速に高まり、明治時代につながっていきました。

明治天皇は、大日本帝国憲法で「元首にして統治権を総攬する」と規定され、最高権力者としての地位を確立しましたが、昭和天皇は、第2次世界大戦の敗戦後、いわゆる「人間宣言」を発して天皇の神格性を否定し、初の「象徴天皇」として、全国各地の巡幸などを行いました。

こうして歴史を見ていくと、歴代の天皇の中には、その時々の政治権力と折り合いをつけながら、天皇としてのあるべき姿を模索し、つくりあげていった姿が見られます。

天皇陛下は“歴史的天皇”

「象徴天皇」とはどうあるべきか、憲法や法律には定められていません。
即位した時から「象徴天皇」だった天皇陛下は、平成11年、即位10年に際しての記者会見で、「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、私どもの大切な務めである」と述べられました。

そして、各地の行事への出席や被災地のお見舞いなど多くの公務に臨まれてきました。

藤田さんは、「私などが思うのは、何が象徴にふさわしいありようなのか、天皇陛下がいちばん困られたのではないかと思う。『歴史的にこういうものが象徴天皇だ』と誰も説明できないしわからない。陛下ご自身が、自分で象徴天皇の中身を作り、誰も示してくれない天皇像を示してくれた。その意味では非常に歴史的な天皇だと思う」と話していました。

男系の皇統

時代時代で、さまざまな役割を果たしてきた天皇ですが、その地位は、過去一貫して「男系」で継承されてきました。歴史上、女性天皇が誕生したことはありますが、「女系」天皇が誕生した例はありません。

宮内庁によりますと、「男系」というのは父方が天皇の血筋であることで、「女系」はそれ以外の場合を指します。

話しは少しそれますが、「女系」の理解が難しいので少し具体的に説明しますと、女性天皇の子どもが天皇になれば男女にかかわらず女系天皇になります。この女系天皇の子どもが即位する場合、親である女系天皇が男性であったとしても、男系の血筋は引き継いでいないため、女系天皇となります。

歴代の天皇は、必ずしも親から子に皇位を継承してきたわけではなく、父方に天皇の血をひく男性皇族が皇位につくケースもありました。天皇制の研究者によると、125代続いてきた天皇制の中では、男系を維持するために著しく遠縁の皇族に皇位を継承した例もあり、例えば、25代の武烈天皇は、10親等離れた継体天皇に皇位を継承し、お互いの血筋がつながるにはおよそ200年さかのぼる必要があるということです。
また、118代の後桃園天皇と119代の光格天皇は7親等離れ、血筋がつながるまでおよそ70年さかのぼるということです。

迫る皇室の危機

多大な努力を払いながら皇位を継承してきた天皇家ですが、戦後、11の宮家が皇籍を離脱したことなどもあって、皇族の数が非常に少なくなっており、皇室としての活動の維持や、皇位の安定的な継承の確保が課題となっています。

皇室は、現在、天皇皇后両陛下をはじめ19人で構成されていますが、女性皇族が14人と全体の3分の2を超えていて、このうち未婚の女性皇族が7人います。
皇室典範は、第12条で、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定めていて、女性の皇族が結婚した場合は、皇族ではなくなり、皇室を離れることになります。

秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが婚約されることが明らかになりましたが、今の状況が続けば、皇族の数が大幅に減ることになります。 また、今のところ天皇陛下の孫の世代で皇位の継承資格を持つ皇族は秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまだけで、こうした状況から、皇位の継承が不安定になったり、皇室の活動が維持できなくなったりする可能性があると指摘する声があります。
特例法の成立に伴って、衆参両院の委員会で可決された付帯決議では、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設などは、先延ばしできない重要な課題だ」として、政府に対し、「特例法の施行後速やかに検討を行い、その結果を速やかに国会に報告すること」を求めています。

政府の有識者会議がまとめた最終報告も、「おわりに」で、「国民が期待する象徴天皇の役割が十全に果たされ、皇室のご活動が維持されていくためには、皇族数の減少に対する対策について速やかに検討を行うことが必要だ」などと指摘しています。

有識者会議の危機感

有識者会議の御厨貴・座長代理は、取材に対し、最終報告で皇族数の減少への対策に言及した理由について次のように説明しました。

「もともと有識者会議では、『天皇陛下の退位のことだけやってください』と言われてスタートした。しかし退位のことを検討していると、おのずと結局、『このあとの安定的な皇位継承はどうなるの』と。『これ以上減ったらどうなるの。まずいんじゃないか』という危機感が生まれてきた」

御厨さんは、皇族数の減少や皇位の安定的な継承の在り方について、安倍内閣で道筋をつけるよう求めました。
「今回の退位の件がうまくいったのも、安倍政権という5年も続く安定政権の下だからであって、1年ごとに総理大臣がころころ変わっていたらとてもできなかった。『おわりに』で、『皇族数の減少に対する対策について速やかに検討を行うことが必要だ』と書いたのは、『現内閣でやってください』という意味だ」と述べました。

女性宮家をめぐる議論

皇族数の減少への対策や皇位継承の安定化策としてこれまで議論されてきたのが、「女性宮家」の創設です。
「宮家」とは、独立して一家をなす皇族に対する呼称です。女性宮家の創設は、女性皇族が結婚しても民間人とはせず、新たな宮家を創設して皇室にとどまれるようにするということです。

小泉内閣が設置した有識者会議は、平成17年11月、女性とその子どもの女系にも皇位の継承を認めることや、皇族の範囲も拡大して、女性の皇族が、皇族以外の人と結婚した場合でも、そのまま皇族にとどまり、配偶者や子孫も皇族になることとする最終報告を取りまとめました。

また野田内閣は、女性・女系天皇の導入など、皇位継承問題とは切り離して、皇族数の減少の問題について検討を行い、平成24年10月、「女性宮家」の創設の検討を進めるべきだとしたうえで、皇室を離れても国家公務員として皇室の活動に参加できる案も併記した論点整理を公表しました。

女性宮家 専門家は

ただ、女性宮家の創設をめぐっては賛否両論あります。女性宮家の創設の是非について専門家に話を聞きました。

女性宮家の創設に反対の立場の百地章・国士舘大学特任教授は、「皇統の危機に備えるのが宮家であり、男性の宮家でなければ役割を果たせない。また、皇室に知らない男性がどんどん入ってきてしまう可能性があり、非常に危険だ。皇族数の減少に対しては、結婚して民間人になられた女性皇族に何らかの称号をお渡しして、公務をお手伝いしてもらえばいいのではないか」と指摘しました。

憲法学が専門の木村草太・首都大学東京教授は、「女性宮家の創設は憲法上禁じられておらず、理論的な議論も尽くされていると思う。このままでは皇室を維持できないのだから、何らかの手だてを考えなければならないというのは分かりきっている話だ。女性宮家に反対する強硬派の皆さんがいつ、この現実を受け入れられるかということだと思う」と話しました。

皇位継承 専門家は

そして「男系」を維持すべきか、「女性・女系天皇」を容認すべきかも大きな論点です。

「男系」を維持すべきだという立場の百地特任教授は、「男系継承は2000年にわたる皇室の伝統であり、その重みを受け継ぐよう努力するのが1番正しい態度だ。女系天皇が誕生するということは、正統性がそこで切断され、新たな王朝が誕生するのと同じことだ。戦後、皇籍を離脱した旧宮家の男系男子の子孫の中から、ふさわしい方を何人か皇族として迎えるのが合理的ではないか」と述べました。

憲法学が専門の木村教授は、「伝統というのは、変えていくべきものと維持していくべきもののバランスを考えるべきで、男系男子だけが世襲してきたというのはあまり説得力のある魅力的な伝統には見えない。男だけでほかは排除するというのは、『偏狭な感じの伝統になっていませんか』と思う。母から皇位を継承しても憲法上の問題はない」と述べました。

政府は

菅官房長官は特例法の国会審議で、「女性宮家の創設」など、皇族数の減少への対応について、「いろいろな考え方、意見がある中、国民のコンセンサスを得るため十分な分析や検討、慎重な手続きも必要であり適切に検討していきたい」と述べ、慎重に検討を進める考えを示しました。

また菅官房長官は、皇位の継承について、男系の継承が古来例外なく維持されてきた重みを踏まえ、男系男子を維持していきたいという考えを示しました。

安定的な皇位継承を確保するための課題や「女性宮家の創設」などについて、政府内では、与野党双方に幅広い意見があることも踏まえ、「国民的な理解を得ながら進めていかなければならず、1年、2年でどうこうするという話ではない」などと、拙速に結論を出すべきではないという意見が強まっています。

政府は今後、検討を進めるものと見られますが、皇族数の減少への対策として、まずは皇室を離れた女性皇族に公務の一部を担ってもらう案を推す意見が強まっています。

終わりに

取材を通じて改めて実感したのは、「象徴天皇」がどのような役割を果たすべきか、どのような形で続いていくのか望ましいのか、国民の中には多様な意見があるということです。
天皇陛下は、去年8月の「おことば」で、「即位以来、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」と語られました。
みずからの役割を模索してこられた天皇陛下のおことばをかみしめながら、引き続き私たちは、象徴天皇制の在り方について、議論を重ねていく必要があると感じました。

政治部記者
長谷川 実