三反園は 
変わったのか

「2期目を目指す現職は強い」
そんな選挙の“常識”を覆す、衝撃的ともいえる交代劇だった。
今月12日に行われた鹿児島県知事選挙、民放のコメンテーターから転身し、鹿児島初の民間出身知事として脚光を浴びた三反園訓は、わずか1期4年でその座を譲り渡すことになった。前回の選挙で三反園が繰り返し訴えたのは「Change!」というフレーズ。何よりもこの4年間で変わったのは、三反園自身のスタンスだった。
県政トップの交代劇の裏に何があったのか。混迷を極めた知事選を追った。
(小田和正)

過去最多7人乱立

「コロナウイルスで厳しい状況だからこそ、民間の発想が大事なのであります」


鹿児島県知事選の告示日。三反園の第一声には、鹿児島初の民間出身知事としてのプライドがにじんでいた。
今回の知事選に立候補したのは歴代で最多となる7人。

三反園のほか、4年前に三反園に敗れた前知事の伊藤祐一郎、前九州経済産業局長の新人・塩田康一らだった。
一般に、選挙では、候補者が多くなるほど現職への批判票が分散し、現職が有利になるケースが多いとされる。ともに官僚出身の伊藤と塩田は告示前、一本化を模索したが、協議は不調に終わった。


さらに三反園が自民党と公明党の推薦を取りつける一方、野党は、立憲民主党県連が伊藤を推薦し、共産党も別の候補を推薦するなど、勢力を結集できなかった。
鹿児島県知事選では2期目を目指す現職が敗れたことがなく、加えて候補者の乱立。事前の情勢取材では、三反園が有利とみる人が多かったように思う。

野党支援で  ”反原発”も追い風に

三反園が初当選を果たした前回の知事選を振り返ってみたい。
4選を目指していた伊藤を自民党と公明党が支援。一方の三反園は、民進党(当時)や社民党の支援を受けるという、今回とは全く逆の構図だった。
当時、伊藤は厚い保守地盤に支えられ組織的には盤石と見えたものの、多選批判に加え、自らの女性蔑視ともとれる発言もあり、逆風にさらされていた。

三反園はテレビ朝日で政治記者や「ニュースステーション」(当時)のコメンテーターを務めた高い知名度と清新さを売りに、「現職からのChange!」というフレーズを繰り返した。そして伊藤との対立軸として打ち出したが「脱原発」だった。


鹿児島県北部の薩摩川内市には、九州電力の川内原子力発電所がある。当時は福島第一原子力発電所の事故から5年後で、全国の原発が運転を停止するなか、唯一、稼働を続ける施設だった。
知事選まで3か月と迫った4月、まさに原発を揺るがす事態が発生した。最大で震度7の揺れを観測した熊本地震だ。県民からは熊本との県境から40キロほどの川内原発に対し、安全性を不安視する声もあがった。

当初、反原発グループの実行委員が共産党の支援を受けて立候補する意向を明らかにしていたが、告示直前に三反園と政策合意し立候補を取りやめた。合意文書には「原発を廃炉にする方向」という文言も含まれていた。

前回知事選でのNHKの出口調査を見ると、川内原発の運転継続に「反対」が58%で、「賛成」の42%を上回っていた。

三反園は、野党系候補の一本化による効果と、反原発の世論も追い風に初当選を果たした。中央官庁など公務員出身の「官僚知事」が続いていた鹿児島県で、初の民間出身知事の誕生だった。

原発をめぐる”変節”

三反園の初登庁日。就任会見では原発関連の質問が相次いだ。


記者が「原発の“ない”社会」と表現したとき、三反園は記者の質問を制止して、表現の訂正を求めた。
「原発の“ない”社会ではなく、原発に“頼らない”社会です」

その後、原発をめぐる三反園のスタンスは次第に変わっていく。

熊本地震の影響など、川内原発の安全性を議論するために設置した専門家委員会は、当初、廃炉も含めて検討するとしていたが、結局、原発の是非そのものは議論しないことになった。最終的に、専門家委員会は「熊本地震の影響はなかった」とする意見書を提出。

これを受けて三反園は、就任から半年余りたった2017年2月、川内原発の運転継続を容認する考えを明らかにした。

三反園自身は「自分の考えは一貫している」と主張するが、NHKが2年前に行ったインタビューで、自民党県議団の団長(当時)は笑みを浮かべながらこう語った。
「もちろん知事は変わったと思っているよ。スタートの時点では我々と(姿勢が)異なっていたからね」

自民”推薦”の舞台裏

前回、野党の支援を受けて当選した三反園は、去年12月、一転して自民党に推薦願を提出した。当選後、原発政策での“変節”とも受け取られた行動もあり野党勢力とは疎遠になった三反園は、最大会派の自民党に接近していた。

推薦願の扱いを初めに議論したのは議員38人を擁する自民党県議団だったが、前回は敵対した三反園を推薦することに慎重な議員が少なくなかった。推薦願は伊藤や塩田らも提出していたが、いずれも決め手を欠き、意見集約は難航した。

しかし、2月28日の県議団の総会で、一部のベテラン県議が、この場で決めるべきだと提案。選挙まで残り4か月となり、自民党の支援団体の中から、早期の態度決定を促す声があがっていたことに配慮したとの見方もある。

提案に対し異論も出たが、急きょ執行部一任とすることが決まり、三反園推薦の方向が固まった。出席した複数が「突然だった」とか「強引だった」と証言する、急転直下の決定劇だった。

これを受けて、取り扱いは自民党県連に移ったが、県連会長で国対委員長も務める実力者・森山裕は「候補者が出そろった上で判断すべき」と判断を保留。

この背景には、鹿児島市長の森博幸の立候補が取り沙汰されていたことがあった。4期16年の豊富な行政経験を持ち「敵が少ない」とされる森ならば、党としてまとまって推せる。そんな思惑があったと周囲は振り返る。

しかし4月に入り、森は知事選には立候補しないことを表明。その2日後、自民党県連は三反園の推薦を決定した。
森山は推薦決定に際して「全会一致」を強調したが、県議の中には三反園の支援に難色を示す者や、公然と伊藤を支援する動きも見られ、当初から保守分裂を懸念する声があがっていた。

逆風強まる

自民党に続き、公明党の推薦も取り付けた三反園。再選に向け着々と準備を進めるかに見えたが、スタートからつまずきを見せた。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言のさなかの5月9日の事務所開き。都道府県をまたぐ不要不急の移動の自粛が呼びかけられるなか、東京から、森山と参議院議員の野村哲郎が参加した。

だが、三反園本人も記者会見やホームページを通じて「県境をまたいで鹿児島に来ることは控えて」と呼びかけていただけに、強い批判を浴びることになった。三反園は「案内はしておらず、国会議員自らの判断で来た」と説明した上で「配慮が足りなかった」と釈明した。

さらに別の言動も物議を醸すことになる。複数の自治体のトップが、告示前に、三反園から直接電話を受け、選挙への協力を依頼されたと証言したのだ。中には県の公共事業を引き合いに協力を求められたと証言する人もいた。

公職選挙法が禁止する事前運動や公務員の地位利用に抵触するという指摘もあり、後日、三反園は選挙協力の意図を否定した上で「誤解を持って受け止めたのであれば、心からおわびしたい」と陳謝した。

三反園は、新型コロナウイルス対策を優先するとして、地元民放や青年会議所が企画した立候補予定者の討論会をすべて欠席。こうした三反園の姿勢は「議論から逃げている」と与野党の県議からも批判を受けることにもなった。

選挙運動の制約と自民の焦り

7月に入り、鹿児島では新型コロナウイルスのクラスターの発生や大雨の被害が相次ぎ、三反園は選挙運動にほとんど取り組めなくなった。

投票前日、県内最大の繁華街・天文館で行われた最後の訴えでも、本人不在のまま、三反園の写真を拡大したパネルが選挙カーに掲げられ、録音した三反園の声が流されただけだった。三反園は、連日、メッセージ動画を配信するなど、露出の増加を狙ったが、動画の再生数は伸び悩み、その効果は限定的なものだった。

選挙期間中、鹿児島市で、多くの一般の有権者に三反園の印象を聞いたが、
「当選のために原発問題を利用した」(40代男性)
「自分は反原発ではないが約束を反故にするのは政治家としてダメ」(70代男性)
「都合のよくないことになると逃げてばかり」(70代女性)
など、政治姿勢を問題視する声が多く聞かれた。

選挙戦も中盤を過ぎ、報道各社の世論調査で「接戦」との情勢が相次いで伝えられると、自民党の危機感は次第に強まっていった。前回、伊藤を支援して敗れたのに続く「連敗」は絶対に許されないうえ、衆議院の解散・総選挙に向け組織の結束を高めるためにも負けられない戦いという思いが強かった。

7月3日、自民党県連の選挙対策会議で、森山は県議団の引き締めをはかった。「今回の知事選挙はなかなか予測しがたい戦いになっているのではないか。県議会の皆さんが全会一致で推薦したという重い事実がある以上、地元に戻って、自分たちの地域を確実なものにしてほしい」。
さらに念を押すように、こうも付け加えた。「選挙は結果が出るので、その結果に恥ずかしくない結論を出すということが大事なことだ」。
森山は、その4日後にも鹿児島市の県連事務所に県議を集め、さらなる支援の強化を訴えた。

党本部からも、下村選挙対策委員長や、


甘利税制調査会長らが応援に駆け付けた。


投票の3日前には、二階幹事長と武田防災担当大臣が大雨被害の視察を目的に鹿児島入りした。二階は、視察後、地元の建設業者など70人余りを集めて意見交換会を開催。意見交換会では選挙の話は出なかったというが、三反園の再選に向けたテコ入れではないかとの憶測が飛び交った。

”前でも今でもない鹿児島を”

三反園が伸び悩む中、急浮上したのが前九州経済産業局長の新人・塩田だった。

 

塩田は鹿児島市出身の54歳。今回の知事選で最年少の候補だ。東京大学を卒業後、経済産業省でキャリアの大半を過ごした。

告示日の第一声に印象的なフレーズがあった。
「前の古い鹿児島でもない、今のダメな鹿児島でもない、次の新しい鹿児島をつくる」

前知事の伊藤と現知事の三反園を念頭に置いた発言だったことは明らかだった。
「県政刷新」を掲げる塩田は、自らの若さと、経済産業省で地方の活性化や中小企業対策に取り組んできた実績をアピール。政党や組織の支援が得られないなか、草の根的に支持の拡大をはかっていった。


選挙戦終盤は、鹿児島市を中心とした都市部を重点的にまわり、無党派層の取り込みに力を入れた。

NHKが鹿児島市で期日前投票の出口調査を行った際、塩田に投票したと答えた人たちに理由を聞いたところ、

「若い知事で鹿児島が変わってほしい」(70代男性)
「新しい若い人がいい」(70代女性)
「新しい風が必要」(50代男性)
「未知数だが、かけるしかない」(50代男性)
など、塩田の「若さ」や「新しさ」に期待する声が多く聞かれた。

出口調査に見る敗因

開票の結果、塩田が22万票余りを獲得して初当選。三反園は2万7000票近くの差をつけられ次点に終わった。

三反園の敗因をNHKが投票当日に県内の32か所で行った出口調査をもとに分析してみる。

自民党支持層の投票先を見てみると、三反園が40%近く、塩田が30%余り、伊藤が約20%で投票先が大きく割れていることが分かる。三反園は推薦を受けた自民党の支持層をまとめきれず、保守分裂の懸念が現実のものになったと言える。


三反園県政に対する評価を見てみると、「評価する」が55%で「評価しない」が45%だった。去年から今年にかけて、NHKは現職が立候補した11の知事選挙で、県政もしくは都政運営への評価を聞いているが、「評価する」は、90%台が2人、80%台が4人、70%台が4人で、50%台となったのは三反園1人だけだった。

評価しない理由は、「公約を守っていないから」が30%と最も多く、「実行力がないから」は24%、「政策に期待が持てないから」は19%、「人柄が信頼できないから」が16%となった。「公約を守ってないから」がトップとなったのは、川内原発をめぐる三反園の対応も影響したとみられる。


また、前回、三反園に投票した人のうち、今回も三反園に投票したと答えた人は40%余りにとどまり、支持者がこの4年間で離れていったことが伺える結果となった。

一方、塩田の勝因を探ってみると、「鹿児島市」と、「無党派層」、それに「経済」がキーワードとして浮かび上がってくる。塩田が三反園を上回ったのは、43市町村のうち12市町村にとどまるが、鹿児島市や霧島市、姶良市、日置市など、鹿児島市とその周辺地域で三反園を圧倒した。

特に大票田の鹿児島市で三反園に約4万4000票の大差をつけたことが勝利の決め手になった。実は、前回、三反園の勝利を決定づけたのも、鹿児島市で伊藤に7万票近くの大差をつけたことだった。その時々の“風”で大きく振れる鹿児島市。その動向が知事選の結果を大きく左右する。今回の出口調査で、無党派層の投票先を見ると塩田が40%余りと、三反園の2倍近くに達していた。前回、三反園を勝利に導いた鹿児島市などの無党派層は、今回、多くが塩田に流れたと見られる。

また、「新しい知事に期待する政策」を聞いたところ、▼「医療・福祉の充実」の29%と▼「産業支援・雇用対策」の28%が他を引き離した。


このうち「産業支援・雇用対策」を挙げた人の半数近くが塩田に投票したと答えており、経済を重視する層の多くが、経済産業省出身の塩田に期待したと言えそうだ。

県民が突き付けた「Change!」

「すべての責任は私にあります。本当に申し訳ありませんでした。」


報道各社が塩田の当確を報じた午後11時すぎ、壇上の三反園は、淡々と敗戦の弁を述べた。目元以外は白いマスクで覆われ表情を読みとることはできなかった。

報道各社の代表取材を受けた後、記者団の質問には一切答えず、車に乗り込んだ。


選挙事務所を訪れた森山は「コロナ対策と豪雨対策に時間を費やさざるを得なかった」と、三反園が公務を優先して選挙運動に十分取り組めなかったことを敗因にあげる一方、「県議団としてしっかりやっていだだかなければならなかったと思うが、一部、おやりいただけなかったようで非常に残念だ」とも語った。

鹿児島県政は、新型コロナのクラスター対策や大雨被害からの復興、そして疲弊した経済の立て直しなど、多くの難題に直面している。また、川内原発の2基は、4年後と5年後に原則40年の運転期限を迎えるが、原子力規制委員会が認めれば最長20年の運転延長が可能で、県としての向き合い方が改めて問われることになる。

こうした多くの課題を積み残したまま、三反園県政は終わりを迎える。
4年前、官僚知事が続く県政の「Change!」を果たした三反園。

今回、自らに突きつけられた「Change!」の民意に何を思うのか。三反園は多くを語らないまま知事の座を降りようとしている。

(文中敬称略)

 

鹿児島局記者
小田和正
2014年入局 金沢局。小松支局、県政を担当。18年から鹿児島局。鹿児島空港支局担当後、現在は鹿児島県政キャップ。