本モデル 実際どうなの?

5月25日、「緊急事態宣言」は全国で解除され、安倍総理大臣は「『日本モデル』の力を示せた」と誇らしげに述べた。
一方で政府内からは、「未知のウイルスとの闘いは誤算続きだった」という声も聞かれる。
関係者による証言を交えて、「次なる波」への教訓を探る。
(松本卓)

「日本モデル」って?

安倍の言う「日本モデル」。
人口当たりの感染者数や死亡者数は、欧米に比べて桁違いに少なく、世界でも注目を集めている。オーバーシュート(爆発的な感染拡大)に至らず、医療崩壊も回避できたというのが関係者によるおおむねの評価だ。
ただ一方で、アジアやオセアニアの主要国と比較すると、飛び抜けた数字ではない。それぞれ独自の対策を掲げ、同じように「感染を押さえ込んだ」と発信している国々がある。

「日本モデル」は、社会・経済機能への影響を最小限にしながら、感染拡大防止の効果を最大限にするという戦略がベースだ。
大規模なウイルス検査で陽性者の把握に力を注ぐのではなく、感染者集団のつながりを早期に発見し、コントロールするクラスター対策によって、封じ込めを図る。
そして、重症患者を優先して適切な医療を提供し、死亡率を低下させる。

未知のウイルスへの有効な治療法が確立されていない現在、感染のピークをできるだけ後ろに遅らせて、治療薬やワクチンが開発されるまでの時間を稼ぐ狙いがある。

さらに、宣言を出しても、法律で罰則を伴う強制的な外出規制などは行えない中、国民に対し、人との接触機会を削減するなど「お願いベース」の要請を重ね、行動の変化を促していく。これが「日本モデル」だ。

日本政府の対応が手ぬるいと批判してきた海外メディアも、日本の成果を世界に伝えたが、首をかしげながらという印象だ。このウイルスは変異を繰り返しており、流行したウイルスの種類が違ったためなのか、体質や従来のワクチン接種など何らかのファクターが作用したのか、やはり各国の対策がそれぞれ功を奏したのか、まだ分かっていないのが実情だ。

政府内でも、「結果的にうまく抑えられたが、誤算続きだった」という声も聞かれる。

最初は「風邪に毛が生えた程度」

2月1日、政府は、新型コロナウイルスによる感染症を、感染症法に基づく「指定感染症」に指定した。
風邪のウイルスで知られるコロナウイルスの「新型」とされた。

内閣官房の幹部は、「最初は、単なる風邪のウイルスに毛が生えた程度の認識だった」と明かす。

しかし次第に、ウイルスの正体が明らかになっていく。
インフルエンザとは違い、感染者の多くはほかの人にうつす可能性が低く、3つの「密」が重なる場所などでは複数の人への感染リスクが高くなるとされる。

このため、クラスター対策が基本方針となった。
ただ、それは医療提供体制で対応できる範囲内の感染者数に抑えることが大前提だった。

中国にばかり目を奪われ…

1月終わりから、2月下旬にかけて、中国・武漢からのチャーター機対応、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応と続き、政府も、こうした対応にかかりきりだった。

一方、国内の感染者は2月下旬までは1日に多くても20人を超える程度、まだ散発的と言える水準にとどまっていた。

2月13日、政府は、入国を拒否する措置を中国・湖北省に加えて、浙江省にも拡大。
この時点で抑え込もうとしていたのは、中国からの感染の波だ。水際対策に加えて、クラスター対策の徹底、2月末には「大規模イベントの自粛要請」、「全国一斉休校」と相次いで過去例を見ない措置に踏み切ったこともあり、3月の連休前には若干収まってきたという観測も出ていた。

ところが、国内の感染者数は、3月下旬から、上昇カーブを描いていく。政府が描いたシナリオとはまるで違っていた。

このときを振り返り、関係者が口をそろえるのが、「中国にばかり、目を奪われてしまった」という点だ。

「中国にばかり目を奪われて、入国制限を行ったが、その間に欧州からの往来があり、欧州由来の第2波が起きてしまった。ただ予測するのは難しかった」(政府関係者)

「クルーズ船を四苦八苦してなんとか抑え込んだが、今度は欧州からのウイルスがきた。しかし、中国からの第1波が収まったという判断ができたのも、欧州のウイルスがきたあとだった」(内閣官房幹部)

「2月に入り、ヨーロッパで感染が広がっていた時に有効な水際対策が打てなかった。もちろん、あの時にイタリアやスペインであれほどひどい状況になるとは、世界中、誰も予測できなかったが、潜在的な患者が日本にたくさん来ていたんだろう」(官邸幹部)

感染の主体は、中国由来から、ヨーロッパを経由したものに変わっていたのだった。
例年なら、卒業旅行などで多くの人がヨーロッパから帰国するシーズン、空港の検疫所でも相次いで感染が確認された。

政府は、3月11日にイタリアの一部からの入国を拒否するなど段階的に引き上げたが、対象をイタリアやスペインの全土を含むヨーロッパの大半に広げたのは、3月27日になってからだった。

「結果論」になるが、「あと1~2週間早ければ、結果は違っていた」と惜しむ関係者もいる。

「1か月後には感染者8万人に」

4月7日、東京や大阪など7都府県に緊急事態宣言が出される。
記者会見で、安倍は危機感をあらわにした。

「このペースで感染拡大が続けば、1か月後には8万人を超えることになる。政府や自治体だけの取り組みでは、この緊急事態を乗り越えることはできない」

欧州からの感染の波を防げなかったことに加えて、3月の3連休での緩み、さらに歓送迎会の時期で、接客を伴う飲食店などで感染が広がる「夜の街クラスター」も重なり、感染経路は次第に追えなくなっていた。

一部の地域では医療崩壊が起きていたという指摘もあるほど、医療提供体制はひっ迫。まさに、オーバーシュート前夜という状況だ。

16日には、緊急事態宣言は7都府県から全国に拡大され、5月4日には、5月末まで延長することとなった。

その後、宣言は段階的に解除され、収束に至ったという結果を考えれば、宣言による効果はあったと言っていいのではないか。

関係者からは、高い医療水準などの医療的な要因に加えて、宣言によって、日本人の国民性や身についた習慣が喚起された結果、感染拡大を抑制する効果が強く働いたという指摘が相次いだ。

「日頃から風邪を引いたときにはマスクをするし、咳エチケットも当たり前のように徹底できたことで大きな拡大につながらなかった」(医師会幹部)

「国民性、身についた公衆衛生習慣が大きい」(厚生労働省幹部)

「日本人は同調圧力が強いから、それが今回良い方に作用した」(官邸幹部)

ただ、罰則などがない中、ここまで徹底されたのは「うれしい誤算だった」という声も聞かれた。

「施設の使用制限があれだけ徹底されるとは思わなかった。東京から出るなということだったし、ほとんどロックダウン状態。2か月近くもよく我慢できたと思う」(内閣官房幹部)

宣言を出すタイミングは、もう少し早い方がよかったという意見がある一方、あの志村けんさんの訃報のあとだったからこそ、国民の協力が得られた側面もあるという分析もある。

「3月27日に都知事による外出自粛要請があり、その効果はあった。国の宣言も、もう少し早ければ、少なくとも3月末の『歓送迎会クラスター』は防ぐことができたかもしれない」(厚生労働省幹部)

「『たられば』の話になるが、2週間早くても、国民の協力はここまで得られなかったのではないか。3月29日に志村けんさんが亡くなり、死んでしまう病気なんだということが国民に伝わったのでは」(内閣官房関係者)

課題として、休業要請に応じても補償がない点を指摘する意見もあるが、罰則を含め強制力を強化することには否定的な見解が示された。

「罰則はなくても、休業要請は強かったが、補償を伴わないことは課題として残る」(専門家会議メンバー)

「リスクを嫌う国民性だから、ここまで行動変容ができたんだと思う。日本ではこういうやり方しかない。法律で罰則をつけたり、強制したりするのはおそらく受け入れられないと思う」(内閣官房幹部)

「次なる波」を防ぐため、政府は、人と人との距離の確保やマスクの着用をはじめとした「新しい生活様式」の定着を求めている。
5月のNHK世論調査では「すでに取り組んでいる」が70%に達している。

どう評価されているか

政府対応への国民の評価はどうか。内閣支持率は低下した。

NHKの世論調査では5月、2年ほど前の2018年6月以来、「支持しない」が「支持する」を上回った。

支持率の低下傾向は検察庁法改正案をめぐる問題の影響もあるとみられるが、要因の1つに、新型ウイルス対応が影響していることは、複数の政権幹部も認めている。

当初、政府対応への評価は必ずしも低くはなかった。
2月の調査では、政府対応への評価は、「大いに評価する」が10%、「ある程度評価する」が54%に対し、「あまり評価しない」が26%、「まったく評価しない」が5%。「評価する」が「評価しない」の2倍以上だった。

3月に入っても、個別の施策では、政府の水際対策への評価を見ると「大いに評価する」が36%、「ある程度評価する」が41%、「あまり評価しない」が13%、「まったく評価しない」が5%だった。

臨時休校要請への評価でも、「やむを得ない」が69%、「過剰な対応だ」は24%だった。

しかし政府対応への評価は、3月の調査できっ抗し、4月、5月と「評価しない」が上回っている状態だ。

「つまずき」はPCR検査か

背景にはなにがあるのだろうか。
政府内には、PCR検査での「つまずき」を指摘する意見がある。

PCR検査について、政府は、医師が必要と判断すれば、すべての患者が受けることができるようにするとしていた。
全国で1日当たりの検査可能能力は、2月末で4000件超、3月中旬には6000件、3月中には8000件、4月末で1万5000件以上、5月中旬には2万件まで達したとしている。

ところが政府が発表する検査可能能力の数字は増える一方、実施件数はそれほど伸びず、東京などの大都市部を中心に、検査待ちや、「希望したのに検査を受けられない」という声が相次いだ。

この点、安倍も「能力を上げる努力をしてきたが、目詰まりがあった」と認めている。原因は、保健所の業務過多や検体採取の体制などにあったとされている。

再編や機能の見直しなどで保健所の数も人員の削減が進んでいたところに、受診相談窓口や検査の実施など非常に多くの業務が集中することになったという指摘だ。

「保健所の業務が一気にオーバーフロー、電話がつながらない、検査を受けさせてもらえないという状況で、国民の間で不安感が高まってしまった」(官邸幹部)

「保健所の機能をどうするか議論のしどころだ。保健所の仕事の範囲や仕事のしやすさを考えないと大量に対応するのは無理だ」(内閣官房幹部)

ただ、目詰まりがある程度解消しても、検査で確認された多くの感染者を受け入れることができる医療体制をとることは難しかっただろう。「指定感染症」では、感染者は原則入院させる措置が必要となるからだ。関係者はこう証言する。

「PCR検査をバンバンして、大量の軽症者を入院させていたら、早期に医療崩壊を起こしていたことは間違いない」(内閣府幹部)

「検体を採取する人材の確保、採取のしかたも改善して備えていくべきだ。こうしたノウハウがなかったのは、SARS、MARSを経験しなかったこともある。ICUも意外と少ないし、備えがもろかった」(内閣官房幹部)

「陽性者は原則入院のため、入院体制のベッド数などを十分把握できていなかったという問題もあった」(医師会関係者)

一方、医療崩壊を回避するためとは言え、「37度5分以上が4日間」を相談や受診の目安の1つとしたことで、結果的に自宅待機中に亡くなる人が出てしまった。「周知が足りなかった」と見直しが行われたが、あらかじめ、どうにかできなかったかと悔やむ政府関係者もいる。

今後は「次なる波」に備えて、PCR検査に加え、抗原検査や抗体検査も活用しながら、疫学的に感染状況を把握していくことになるが、もう目詰まりは許されない。

「アベノマスク」と給付金の混乱

マスクをめぐる“騒動”でも、似たようなことが起きた。

1月下旬には各地で品薄状態となり、政府は、業界団体に再三、増産を要請。
2月12日には、菅官房長官が、毎週1億枚以上を供給できる見通しを示し、3月中旬には、月産6億枚を超える規模での供給を確保。4月には1億枚を上積みできる見通しとなったという。
しかし、近くのドラッグストアの店頭にはマスクがない状態が続いた。

「供給が追いつかずに国民の皆様に大変なご不便をおかけしているのは事実だ」
安倍はこう述べた4日後、政府の対策本部で、全世帯を対象に布マスクを2枚ずつ配布する方針を明らかにした。

「アベノマスク」とやゆされている、あれだ。
不良品が見つかり検品を強化したことによって配布が遅れ、菅は5月29日の時点で、配布予定の1億2600万枚の4割弱にあたる4800万枚の配布にとどまっていることを明らかにした。

経済対策をめぐっても、給付額や給付対象を見直した10万円の一律給付や、中小・小規模事業者への最大200万円の持続化給付金、それに雇用調整助成金など、給付がなかなか思うように進まない状況が報告されている。

安倍は、こうした状況への認識を問われ、こう述べている。

「いままでの審査のやり方で時間がかかっているのは事実だ。こういうときは思い切って発想を変えることがとても大切だ。政府全体、窓口に至るまで発想を変えていくことについて私たちはどうだったか、真剣に反省しなければならない」(5月26日会見)

未曽有の事態でも「説明」を

未曾有の事態、先例のない対応に、手探りで当たるしかないのは、日本に限ったことではない。
時間がかかったり、混乱が生じたりするのも、ある意味、仕方のない面もある。

ただ、その際にも必要なのは説明だ。

「たられば」の話、「結果論」の指摘もあろうが、「うまくいかないこと」の説明が疎かになっていた面はなかったか。その積み重ねもあって、誠実さを欠いていると受け止められたことはないだろうか。

政府関係者は、政府内の雰囲気を次のように解説した。
「何をしても後手後手といわれる。今回、日本は『持久戦』を選択した。限られた条件の中、時間をかけて対応していけば、成果が出るのに時間がかかるのは当然だ。評価されるとしても、まだ先。そんな感じだ」

安倍は2月29日の記者会見でこう述べている。
「常に正しい判断だったか、教訓を学びながら、みずから省みることも必要だ。私自身、結果責任から逃れるつもりは毛頭ない」
この発言通りに「教訓を学び」「みずから省みる」それが実現できるかどうかこそが、まさに未曽有の事態を乗り越えるために必要なことなのだろう。
(文中敬称略)

政治部記者
松本 卓
1997年入局。岡山局を経て政治部。自民党、公明党、外務省などを取材。沖縄局でデスクも。現在は官邸キャップ。