Who is 大島?

政界で、”大島さん”といえば、大島・衆議院議長を思い浮かべる人も少なくないかも知れませんが、民進党にも、”大島さん”がいます。前原代表は当初、幹事長に若手の山尾志桜里・衆議院議員の起用を検討しましたが、断念。人事案の差し替えという異例の事態を経て、幹事長に就任したのが大島敦さんでした。山尾氏は、週刊誌報道を受けて、離党。大島さんにとって、山尾氏から直接、離党の意向を聴取し、記者団に説明することが最初の大仕事となりました。就任直後に、「Who is 大島?」と記者団にみずから述べて、笑いも誘った大島さん。知名度は決して高くはないものの、当選6回で、同僚議員からは、「安定感があり、誰からも好かれる」という人物評が聞かれます。”大島さん”の人物像を解き明かしながら、党勢の低迷が続く民進党の現状にどう向き合おうとしているのか、課題と合わせて探ります。(政治部記者 野党担当「大島番」鈴木壮一郎)

幹事長のイメージではない?

幹事長就任から5日目の9月9日。大島さんの姿は山口市内のホテルにありました。連合山口が主催した会合に出席した大島さんは、就任後、初めての記者会見に臨みました。

懸念される党内の「離党ドミノ」、10月の衆議院補欠選挙など、質問は多岐にわたりましたが、記者会見を終えて、名刺を交換した報道各社の記者に対し「緊張しましたよ」、「質問、ありがとう」などと笑顔で話す大島さんは、私がイメージしていた「党運営の要の幹事長」とは少々異なるものでした。

ドイツ語で大学受験

大島さんは、昭和31年に埼玉県北本市で生まれました。祖父は自動車学校、父は幼稚園を経営するという環境で育った大島さんは、「幼いころから、経営者になるのが夢だった」と話しています。
地元の小中学校、東京の高校を卒業し、2年浪人して、早稲田大学法学部に進学。「AからZまでアルファベットが書けなかった」と苦笑いするほど、英語が苦手で、高校卒業後にゼロから勉強を始めたドイツ語で大学を受験しました。

サラリーマン時代にドイツ駐在

大学の卒業後は、大手鉄鋼メーカーに就職。この時、ゼロから学んだドイツ語が大島さんの人生に大きな影響を与えることになります。20代後半だった大島さんは、人事の調査票に「ドイツ語が使える」と申告します。それが人事担当者の目に留まり、大島さんは、ドイツ駐在を命じられ、3年半にわたってドイツ勤務を経験することになります。

時は1980年代。ドイツが東西に分断されていた冷戦のまっただ中です。「ベルリンの壁」や閉鎖された高速道路「アウトバーン」で繰り広げられる軍事訓練など、冷戦を肌で感じた大島さんは、「現場をじかに見て、1次情報に触れることで、次の時代が見えてくる。あの時の経験が今の価値観の根底にある」と話しています。

転職 そして政界へ

大手鉄鋼メーカーに14年間、勤務した大島さんは、いずれ起業するために営業力を磨きたいとして、生命保険会社の営業マンに転職します。それから5年程がたった頃、いつものように通勤の途中で新聞を開くと、目にとまったのは、当時の民主党の候補者公募の案内でした。
大島さんは当時、42歳。「自分にどのくらいの実力があるのか試してみたかった」と振り返ります。周囲からは、「温厚で激高する姿など見たことはなく、怒ることすらめったにない」という声も聞かれますが、大島さんは「唯一、選挙は別だ」と話しています。

「趣味は選挙」と公言している大島さんですが、私がきっかけを尋ねると、原体験を語ってくれました。それは、大島さんが6歳の時にさかのぼります。県議会議員を目指していた祖父の選挙活動を間近で見る機会があったほか、大島さんの父も市議会議員を務め、「私にとっては、あの臨場感が、政治や選挙の原体験だった。同時に、非常に恐ろしいものだということも知った」と話してくれました。

公募で国政に挑戦した大島さんも現在は当選6回を数えます。当時の民主党が政権を失った平成24年の衆議院選挙では選挙区で敗れ、比例代表での復活当選となりましたが、それ以外は、すべて、選挙区での当選を重ねています。

Perfumeがお気に入り

黄色のネクタイは、大島さんのトレードマークです。生命保険会社に転職したあと、なかなか、営業成績が伸びなかった時期に、同僚から「黄色のネクタイを着ければ売れる」と助言され、その後、成績が伸びた験担ぎを今でも続けています。好きな音楽は、若い頃は松任谷由実さんや山下達郎さんの曲をよく聴いたそうですが、最近のお気に入りは「Perfume」。音楽は疲れた時に家でよく聴いているそうですが、カラオケは苦手なようです。
大好物として挙げたのは、ゴーヤーチャンプルー。家族旅行で沖縄を訪れてから、「沖縄のすべてが好き」というほどの入れ込みようで、ゴーヤーチャンプルーは「毎日食べても飽きない」と話しています。

当面の”大島戦略”は?

前原代表のもと、9月5日に新執行部が発足した民進党ですが、週刊誌報道で山尾氏が離党したほか、さらに、一部の議員が離党届の提出を検討していて、いわゆる「離党ドミノ」が起き、党の求心力が一層低下するのではないかという危機感が強まっています。これについて大島さんは、離党が懸念されている議員は、党の貴重な人材であり、丁寧に対応していきたいとしており、今は党内の結束が最も重要だと話しています。厳しい船出となっていますが、大島さんに当面の「戦略」を聞きました。

「今、世界は大転換期を迎えている。冷戦期にドイツに駐在し、ヨーロッパを見てきた経験からは、戦後の秩序が、次の秩序に移行していく時代だと実感している。『世界のリーダーが何を考えているのか、党の議員が実際に会って、話を聞く機会を作る』ということも考えている。そのうえで、民進党を時代の変化に対応できる政治勢力に変えることが出来れば、国民の皆さんから『すてきな政党だ』と思ってもらえるはずだ」と話しています。

問われる手腕

「『駕篭(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた、草鞋(わらじ)を作る人』でいえば、自分は『草鞋を作る人』」。大島さんは、田中角栄・元総理大臣が好んで口にしたことわざを引用して、みずからが描く幹事長像を語っています。各党の幹事長にとって最大の仕事は、なんと言っても選挙です。早速、10月には衆議院の3つの選挙区で補欠選挙が控えており、とりわけ野党の幹事長としては、政府・与党に対じしていく足がかりをつかむためにも、選挙の結果は党勢の行方を左右しかねません。

「趣味は選挙」の大島さんが、野党第1党の幹事長として、手腕を発揮できるのか。そして次期衆議院選挙に向けて、大島さんが実績を積み重ね、知名度を高めて「Who is 大島?」を過去のものにすることができるのかどうかが、民進党の党勢を推し量る、1つの指標になるのではないかと思います。

政治部記者
鈴木 壮一郎
平成20年入局。津局、神戸局を経て政治部。現在、野党クラブ担当。神奈川県平塚市出身、湘南ベルマーレのファン。