それはロナのせい?
野党候補、惨敗

新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、初めての国政選挙となった衆議院静岡4区の補欠選挙。立憲民主党など野党4党は、候補者を一本化し、自民党候補に挑んだ。
選挙戦を追い、野党共闘の課題を探る。
(宮里拓也、奥住憲史、佐久間慶介、三浦佑一)

与野党激突!のはずだったが…

与野党対決の構図となった今回の選挙。
勝利したのは、与党側だった。

投票率は34.10%。前回3年前の衆議院選挙を19.62ポイントも下回る低投票率だった。

勝利した深澤は勝因について、亡くなった元環境大臣・望月義夫の強固な地盤と、自民・公明両党の組織力だったことをにじませた。
「集会を開かず、人を集めず活動したので、まったく実感のわかない選挙だった。望月元大臣の後継として応援してくれる人が大勢いたからであり、ありがたく思う」

一方、野党統一候補として戦い、敗れた田中。
得票で28000あまり、率にして、25ポイント以上の差を付けられる惨敗だった。

「今の政府の経済対策はおかしいという声を非常に強く感じたが、投票率が低かったことが残念だ」と述べ、思うように支持を広げられなかったと悔しさをあらわにした。

“野党共闘”で臨む

時をさかのぼること、1か月余り。

3月17日、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党の幹事長・書記局長らが、国会内でそろって記者会見し、田中健の支援を決めたと発表した。

記者団に対し、立憲民主党の幹事長、福山哲郎は胸を張った。

「次の総選挙に向けて野党が一本化して戦うモデルケースが、静岡で実現できたことは非常に大きな一歩だ」
野党統一候補が誕生した瞬間だった。

しかし、この時、すでに告示まで1か月を切っていた。
なぜ、直前まで一本化できなかったのか。
背景には、野党第一党の立憲民主党と第2党の国民民主党の間の確執があった。

“因縁の地”静岡

立憲民主党と国民民主党にとって、静岡は“因縁の地”だ。
静岡では、これまで、参議院選挙のたびに、改選となる2議席を、自民党と旧民主党系の議員が分け合ってきた。その不文律を乱す動きが、去年の参議院選挙で起きた。
国民民主党の参議院幹事長・榛葉賀津也に対し、立憲民主党が新人を擁立。

各地で野党候補が一本化される中、旧民主党系の2つの党が争う事態となった。
結果は、榛葉が14万票以上の大差を付けて議席を維持。何のために敵どうしとなって戦ったのか。その答えを見つけらないまま、両党の間には、大きなしこりだけが残った。

「グダグダの対応だった」

こうした事情もあってか、今回の補欠選挙の候補者調整も円滑に進んだとは言えない。

「混乱の始まりは、自分たちが田中健を候補者として立てようとしたことにある」
立憲民主党の幹部の1人は、こう振り返る。

次の衆議院選挙につなげたいと、立憲民主党は、当初、“勝負できる”野党統一候補の擁立を模索した。

そこで白羽の矢を立てたのが、衆議院議員の秘書を経て都議会議員も務めた田中だった。
しかし、支援団体である連合が難色を示す。
田中には、前回の衆議院選挙で旧民進党を離党して希望の党から立候補し、連合に推薦を取り消された過去があった。故に、立憲民主党は、田中の支援を決めきれないでいた。

立候補を目指していた当の田中。
静岡県の“野党第一党”の国民民主党の県連に相談したところ、こう言われたという。
「本当に出たいなら、政党の決定なんて待たず、先に手を挙げてみろ」

1月14日、田中は、1人で記者会見を開き、立候補を表明した。

ところがその10日後、共産党が独自に候補者を擁立すると発表。
国民民主党は、田中を応援する姿勢を示しつつも、推薦の決定は立憲民主党と足並みをそろえたいとした。

一方の立憲民主党、「まず国民民主党と共産党で候補者を一本化してほしい」として、主体的には動かなかった。

共闘とはほど遠い、ちぐはぐな動きをしていた。
立憲民主党の関係者のひとりは、当時をこう振り返る。
「対応はグダグダだった」

ようやく一本化

このままでは、野党の票が割れて選挙にならない…。

3月上旬。
国会近くのホテルに立憲民主、国民民主、共産の3党の幹事長、書記局長の姿があった。
告示まで残り1か月。3人は、静岡の個別事情が、今後の“野党共闘”にも影響する事態は避けたいという思いを共有していた。候補者の一本化に向けた協議が本格化した。

各党で立場の違う原発政策については、『原発ゼロ実現を目指す』など、去年の参議院選挙の時の確認文書を踏襲することで決着。合意にこぎ着けた。

そして、3月17日の共同記者会見へ。

“野党共闘”の形がようやく整った。

東京からの応援はご遠慮を

ようやく陣立てを整えることができ、さあこれからという時。
新型コロナウイルスの感染拡大が、活動に影を落とす。

全国で患者数が増え続け、政府は、4月7日、東京など7都府県に「緊急事態宣言」を発出し、外出の自粛を要請。東京や大阪などの感染者が多い地域から、ほかの地域への移動も控えるよう求めた。

告示の3日前。

立憲民主党幹事長代理の大串博志と共産党書記局長の小池晃が、田中の応援のため静岡を訪れ、街頭でマイクを握った。

小池は“アベノマスク”とも言われる布マスクの配布などを引き合いに、政府の対応を舌ぽう鋭く批判した。

しかし、支持者から返ってきたのは、厳しい反応だった。
「この状況で東京から国会議員が来るのはおかしい」

当時、東京都内の感染者数は1900人超。
静岡県の50倍近い人数で、“ウイルスの移動”を懸念する声が高まっていた。

そして、4月14日の告示日。

国民民主党の静岡県連会長を務める榛葉は、記者会見で次のように述べた。
「東京から、ぞろぞろ議員が応援に入るのは遠慮してほしいというのが地元の声だ」

そして、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「握手もできず、戦い方は極めて限られる。『外に出るな』という中で、どうやって選挙に行ってもらうのか」

各党も、国会議員が静岡県に入って応援することは自粛することを申し合わせた。
かくして、選挙戦が幕を開けた。

10万円給付訴えたものの

田中と野党4党はどう戦ったのか。

告示日には出陣式を取りやめ、『出発前のあいさつ』に変えた。

集会は控え、握手もせず、選挙カーで走っては、街頭演説を繰り返した。
演説の内容は大半を、新型コロナウイルスの感染拡大をめぐる対応にあてた。

「政府はあしたの生活がどうなるかわからない人たちを本当に救おうとしているのか。30万円の給付金をもらえるのは一部で、一律で10万円の給付をまず行うべきだ」
田中は、当初、感染拡大を受けた経済対策として、野党各党が求めていた「1人当たり一律で10万円の給付」を強く訴えた。

しかし、政府・与党が、収入が減少した世帯に30万円を給付する案から、1人当たり10万円を給付する案に政策を変更。田中は素直に「野党が訴えてきた結果だ」と評価したが、陣営の1人は、「世間には『公明党が頑張ったから』と受け止められているだけだ」と漏らした。

中小企業への賃料の支払い猶予など、野党の主張を取り入れながら演説も工夫したが、成果をアピールする与党候補の前に、強い印象を植え付けることは容易ではなかった。

さらなる追い打ち

選挙戦序盤の4月16日、緊急事態宣言の対象地域が、全国に拡大されたことも追い打ちをかけた。
道行く人も車もどんどん少なくなっていく。
政策を訴える機会は限られた。

田中の推薦を決めた連合静岡も、工場の操業停止や在宅勤務などで、十分に活動できないのが実情だった。

労働組合の支援を受ける地方議員からも「ただでさえ候補者決定から選挙まで1か月しかないのに、組織に浸透させるなんて無理だ」という声も聞かれた。

募るもどかしさ

「政府の新型コロナウイルス対策の遅れやちぐはぐさを改めるチャンスを、全国でここの皆さんだけが持っている」

立憲民主党の代表・枝野幸男はこう訴えた。
ただし、これは、街頭演説ではない。

動画の中で田中と対談した中での一コマだ。

現地入りを見送った各党の幹部らは、動画で田中と対談したり、応援メッセージを送ったりして支持を呼びかけた。

動画に出演した党幹部の1人に手応えを聞いてみた。
「街頭演説は、候補者に興味を持っていない人にも聞いてもらえるが、動画はもともと関心のある人にしか見てもらえない。厳しい」

実際、動画は1回の再生回数が多くても数百回程度だった。
このうち、静岡4区の有権者が、どれくらいいたのかも分からない。

顔の見えない相手に政策を訴え、広く支持を呼びかけるのは容易ではないようだ。

「相手候補のみならず、ウイルスとも戦いながらの選挙戦だ。もどかしい」
選挙期間中、党幹部らの表情が晴れることはなかった。

与党も条件は同じ

感染拡大の影響を受けたのは、与党側も同じだ。
自民党も、幹部の現地入りは自粛した。

しかし、政務調査会長の岸田文雄は、岸田派の事務総長も務めた望月の「弔い選挙」を、どうしても落とすわけにはいかない。

ポスト安倍を目指す岸田の求心力にもかかわりかねない。
経済対策の検討などに追われる中、岸田は、現地の選挙対策本部をビデオ通話で激励した。

「新型コロナウイルス対策については、いろいろな声が寄せられていると思います。そうしたことをしっかり受け止めて選挙戦を戦ってもらいたい」

与党にとっても、手探りの選挙戦。

岸田は、その後も選挙対策本部と連絡をとって、選挙戦の方針について、感染拡大の防止と選挙の勝利の両立を図る考えを伝えた。

岸田はこう話した。
「感染拡大を防ぎ、地元の皆さんの健康と命を守ることが最優先の課題だ。その中で民主主義の基盤である選挙をどのようにしっかり進めていくのかは大変難しいが、最大限地元を応援しなければならない」

コロナだけのせいか

異例の戦いとなった、今回の補欠選挙。野党側は、なぜ大敗したのか。

『新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、運動が制約された』という事情もあった。
選挙戦でカギをにぎるとされる無党派層の取り込みを図ろうにも、街に人がいない。街頭演説を繰り返し、選挙カーを走らせても、支持が浸透しない。100%の力を出し切れなかったことは間違いないだろう。

ただ、思うように運動ができなかったのは与党側も同じだ。
「コロナ」だけのせいだろうか。

オールスター戦にならず

こんな指摘もある。

『野党共闘の形は整えたものの、勝利に向けて一枚岩になりきれなかった』

野党各党の幹部は、選挙後に出した談話で、敗北したものの、野党が共闘できたことは大きな成果だと強調した。だが、実際には、現地・静岡では、各党合同の選挙対策本部の設置も見送られ、遊説日程の調整などは、国民民主党が主導した。

関係者の1人は、告示後の様子を見て、「オールスター戦ってことで始まったのに、いざスタメンの発表を聞くと、1番から9番まで全員、国民民主党だった」と苦笑していた。
静岡4区には地方議員のいない立憲民主党側からは、「『国民民主さん、どうぞどうぞ』っていうことだ」という自虐的な声も聞かれた。

選挙戦中盤には、各党本部から、「4党で回すように」と念を押す指示が入った。
国民民主党以外も田中の遊説に同行するようになったり、合同演説会が開かれたりするようになった。
ただ地元の議員からは、「人がいない党だってあるのに、静岡の事情も知らないで…」と愚痴もこぼれた。

取材中、ある関係者が、こううそぶくのを耳にした。
「二人三脚って、絶対1人で走るより遅くなるじゃない。夫婦関係も選挙も、距離を置くほうがうまくいくこともある」

しかし、結果には結びつかなかった。

伸びぬ支持

なにより、野党が置かれている現状が、課題だという見方も。

野党各党は、いまの国会で、当初は「桜を見る会」や東京高等検察庁の検事長の定年延長などをめぐって、安倍政権を追及してきた。
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、こうした問題の批判を封印。経済対策などの提言を行うものの、政党支持率には思うように反映されていない。

4月のNHKの世論調査で、自民党の支持率は、33.3%。
一方の野党側は、立憲民主党4.0%、国民民主党0.5%、共産党2.9%、社民党0.6%。
4党を足し合わせても8.0%と、自民党の4分の1にも満たない。

まずは、安倍政権の受け皿として、存在感を高めるのが急務といえる。

今後は

新型コロナウイルスの感染拡大、そして東京オリンピック・パラリンピックの延期。
かつて経験のない事態に直面し、今後の政治や経済の行く末は、誰にも見通せない。この状況に、与野党をあげて対峙しなければならないのは言うまでもない。

こうした中、衆議院議員の任期は、2021年の10月までで、残り1年半となった。

次の総選挙で、「一強多弱」とも言われる政治情勢の打開を目指す野党側。これまで以上に存在感を発揮し、連携強化できるのか。野党の模索は続く。
(文中、敬称略)

政治部記者
宮里 拓也
2006年入局。さいたま局から政治部。民主党などを取材し、国民民主党を担当。
政治部記者
奥住 憲史
2011年入局。金沢局初任。政治部では外務省担当などを経て、立憲民主党、共産党を担当。
政治部記者
佐久間 慶介
2012年入局。福島局から政治部に異動し、立憲民主党を担当。
静岡局記者
三浦 佑一
2003年入局。福島局、名古屋局、報道局社会部などをへて、2019年から静岡局。主に社会保障分野を担当。