ルーズ船で何が起きた

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。
4000人近い乗客・乗員の間で、新型コロナウイルスの感染が急速に広がる未曽有の事態となった。3月1日現在、感染者は乗客・乗員の2割にのぼり、7人が死亡した。

政府の対応が「後手」に回ったと、国内外から厳しい批判にさらされている。
クルーズ船で何が起きていたのか。政府関係者や専門家に取材した。
(木下隆児、宮川友理子)

「そこまで広がらない」薄い危機感

当初、政府に危機感は薄かった。

ある政府関係者は取材に対し、「体調不良を訴えている人の検査が陰性であれば、船全体を陰性とみなせるようだ」と話していた。

こうした見立てを踏まえ、政府は当初、発熱やせきなどの症状がある人や、そうした人たちに濃厚接触した人に限り、ウイルス検査を行うこととした。ウイルス検査の1日の処理件数に限界があることも理由だった。

そして、体調が良好な乗客の下船は認める方向だった。

「クルーズ船内の感染は、そこまで広がらないだろう」

こうした期待を持っていた日本政府。しかし、それはもろくも崩れ去ることになる。

「まずい」広がる感染

厚生労働省は、クルーズ船が横浜に来た2月3日からウイルス検査や検疫を行った。

2日後の5日に出た最初のウイルス検査の結果に政府内に衝撃が走った。結果が判明した31人のうち、10人が陽性だったのだ。

政府高官はこう振り返った。
「香港で下りた1人だけが感染していると思っていた。10人の陽性で、最悪1000人感染しているんじゃないか。まずいと思った」

菅官房長官、加藤厚生労働大臣、赤羽国土交通大臣を中心に、20人ほどが急きょ集まり、翌日の午前2時ごろまで対応策が話し合われたという。

加藤厚生労働大臣は当初の方針を変更し、ウイルスの潜伏期間を踏まえ、乗客全員に対し、原則として起算日となる5日から14日間、船内の自室にとどまってもらう方針を表明。事実上、「隔離」に踏み切ることにした。そして、重症化しやすい高齢者や持病がある人らをウイルス検査の対象に加えることにした。

さらに、乗客に感染の疑いが確認された別の香港発のクルーズ船の入港も拒否することを決めた。

その後も連日、陽性結果が出続ける。そして、入港から1週間後の10日、加藤厚生労働大臣は記者会見で、船から下りる全員を対象に、ウイルス検査の実施を検討する考えを示した。

「これだけ船内でいろいろな感染もある。船を出るときにもう一度チェックすべきという声も受け止めながら、検査する場合の対応や、できるか、できないか、詳細な検討をしている」

いつ感染したのか

5日以降、乗客・乗員を船内に留め置いたことは、むしろ感染を拡大させたのではないか。こうした疑念が国内外に広がった。

きっかけは、クルーズ船内に入った神戸大学の岩田健太郎教授が2月18日、動画投稿サイト「YouTube」に投稿した動画だ。

船内では、感染の危険がある区域と安全な区域が明確に区別されておらず、感染の拡大を防げないずさんな対応になっているなどと、政府の対応を厳しく批判する内容だった。その後、動画は削除されたが、アメリカのCDC=疾病対策センターも、「乗客は感染するリスクが高い状態に置かれていた」などと指摘。国内外から批判が相次ぐこととなった。

これに対し菅官房長官は、「5日以降、感染を予防する行動を徹底し、乗客に自室で待機してもらうなど、感染リスクを下げた」などと述べ、政府として最大限、船内の感染リスクを下げていたと強調した。

政府が、船内の感染拡大防止が適切に行われていたとする根拠の1つは、国立感染症研究所が19日に公表した分析だ。

それによると、18日の段階で感染が確認されたのは、乗客と乗員あわせて531人。276人に発熱などの症状が出た一方、255人は無症状だった。その上で、発症した日がわかっている事例を以下のように示した。

こうしたデータに基づいて、国立感染症研究所は、クルーズ船内で検疫が開始される前に、ウイルスの実質的な感染拡大が起こっていたと指摘。感染者の数が減少傾向にあることから、5日以降、乗客を自室にとどめたことなどが、有効な対応だったと評価している。

しかし海外から批判が

しかし、懸念は払拭できず、乗客の間にも不安が拡大する。
アメリカは、自国民を帰国させるため、各国に先駆けてチャーター機を手配。

これに続くように、各国や地域も自国民らを帰国させることを決定した。国土交通省によると、3月1日の時点で、アメリカ、カナダ、韓国、イギリスなど13の国と地域が、チャーター機や大統領専用機で、乗客・乗員を帰国させている。

さらに日本の対応が批判されたのは、乗客の下船後の対応だった。

下船が始まる前日の18日、厚生労働省は次のように発表した。

「健康観察の開始から14日目となる2月19日までの間、発熱・呼吸器症状等の症状がなく経過し、ウイルス検査で『陰性』であることが確認された乗客については、(中略)新型コロナウイルスに感染しているおそれはないことが明らかであることから、(中略)日常の生活に戻ることができるものと考えています」(厚生労働省HP)

船内の自室にとどまってもらうことを決めた2月5日以降、感染拡大の防止対策はしっかりと行われていたとして、日本人の乗客は下船したあと、公共交通機関を使って帰宅することになったのだ。

この判断について加藤厚生労働大臣は、「国立感染症研究所からは、14日間しっかり管理され、検査が陰性で、最終的に健康確認されていれば公共交通機関を使ってもいいという示唆があり、最終的に判断した」とその理由を説明した。

海外からの「懸念」現実に

しかし、チャーター機などで国民を帰国させた各国の対応は違った。

アメリカ …2週間、軍の基地内で隔離
カナダ  …2週間、国内の施設で隔離
韓国   …2週間、国内の施設で隔離
イスラエル…2週間、国内の病院で隔離

帰国後14日間隔離する対応をとっていたのだ。

「日本がクルーズ船の乗客を自由にした。安全なのか?」

アメリカの有力紙ニューヨーク・タイムズの見出しだ。

船内での隔離期間に実効性がなかったと見なし、自国民を帰国させたあと、さらに2週間隔離していると伝えた。海外のメディアからは疑問や懸念の声が相次いだ。

そして、海外からの懸念は現実のものとなる。

船内での検査が陰性とされ、下船した日本人の乗客の感染が、栃木県や徳島県、それに千葉県などで相次いで判明したのだ。加えて、外国人の乗客も帰国後、感染が確認されるケースが相次いだ。このうち、オーストラリアでは1人が亡くなった。

船内「隔離不十分」認識も

船内はいったい、どのような状況だったのか?

政府は感染の拡大防止に向けて、ウイルス感染の危険性がある区域と安全な区域を分け、感染症防御チームの医師が船内を定期的にまわって区域管理したとしている。

一方で、クルーズ船での作業にあたった関係者の1人は実情を次のように明かした。

「今回のクルーズ船対応は、基本的に検疫だったが、求められる対応が広がったことで、関係者が増え、しっかりとした指揮命令系統のもとで、対策が徹底できてなかった面はある」

さらに、乗員は業務を続けなければならず、すべての人を隔離することは困難だったことも明らかになっている。実際、船内で業務を続けていた乗員の隔離は十分にできなかったという認識は政府内でも広がっていた。
乗員が相部屋で過ごしている状況がわかり、政府高官の1人はその懸念について次のように話していた。

「乗員の感染拡大防止が十分にできておらず、感染を広げてしまった可能性はある」

ウイルス検査でも、陽性者を正しく発見できる割合は100%ではないとされる。隠れた陽性者から次なる感染へとつながる可能性は否定できない。

ある感染症の専門家は、船内で感染拡大を完全に防ぐことは難しいと指摘している。

イギリス・アメリカに“恨み節”

クルーズ船への対応について、実は責任の所在はあいまいだ。

そこには、いわゆる「旗国主義」がある。
船には、人でいうところの国籍にあたる船籍があり、国旗を掲げることになっている。この船籍のルールは、「国連海洋法条約」で定められていて、船籍をもつ国は公海上でその船に対する独占的な主権「管轄権」があるとしている。これが「旗国主義」だ。

今回「ダイヤモンド・プリンセス」の船籍はイギリスで、管轄権はイギリスにあった。また、船内の管理責任者の船長は、アメリカの船会社に所属していた。

一方、日本の内水では日本の主権が及ぶとされている。「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜港に停泊したため、防疫上の必要性から日本が検疫などの対応にあたった。

ただ、船籍があるイギリスや船会社とどう連携するかなど、数千人の乗客が乗るクルーズ船に対する検疫のあり方は必ずしも整理されていない。このため、日本政府が、クルーズ船の感染防止策や陽性が判明した乗客の医療機関への搬送など、すべてを対応することになった。

またアメリカに対しては、早い段階でアメリカ人乗客の早期下船と帰国を提案していたが、「乗客を移動させれば、感染リスクが高まることが予想される」として、逆に、船内にとどめて欲しいと要請されていた。

政府関係者の中からは、イギリスやアメリカの対応を批判する声も出ていた。中には恨み節のように聞こえるものもある。

「最初からイギリスもアメリカも対応してほしかった」
「船籍のあるイギリスの責任は?」
「イギリスは何もしない。コメントすらしない。それでいてBBC(イギリスの公共放送)が批判的な報道するのはどうかと思う」

加藤厚生労働大臣は、ルール作りの必要性をにじませた。

「イギリス籍の船で、船主はアメリカだが、日本に寄港した際に問題が生じた。基本的には船長が現場を統括するが、誰が管轄権を強く持っているのか、必ずしも整理されていない」(20日記者会見)

専門家「政府の対応は問題」

今回の政府対応について専門家はどう見ているのか。

医療問題を研究している「医療ガバナンス研究所」で理事長を務める上昌広医師は、検疫の目的は、国内に感染症を持ち込ませないことであるとした上で、乗客に多数の感染者を出し、結果的に死者が出た政府の対応は問題だったと批判する。

「検疫は、国内にうつさないためにやる。そのために、日本に入国する国民や海外の人に協力を依頼している。その際には、その人たちの安全性が一番重視されなければならない。ところが死者も出してしまった。このことが世界中から批判されている理由だ」

「この規模のクルーズ船の検疫は世界でも行ったことがない。その上、過去の医学論文ではクルーズ船内で感染を防ぐのは難しく、多大な被害を被る可能性があるとされている」

上医師は、乗客は船内に留め置くのではなく、すぐに下船させるべきで、ウイルス検査もはじめから全員を対象に行うべきだったと指摘する。

船内で対応の医師「すぐの下船は難しい」

一方で、船内で検疫作業などにあたった国際医療福祉大学の和田耕治医師は、検疫法やウイルスの潜伏期間を踏まえて14日間、乗客に船内にとどまってもらった対応に一定の評価をした上で、乗客・乗員をすぐに下船させることは難しかったと指摘する。

「船にはアメリカやカナダ、それにオーストラリアなどさまざまな国の人がいた。彼らを下船させて、一律に施設に入れて、外国語対応もすることが、国内のどこでできたのか。日本が重症者も含めて面倒を見ており、世界的にもっと評価されていいと思っている」

ただ和田医師は、乗客が下船する直前まで感染が拡大し続けていたように受け止められるような発表の仕方に問題があったと漏らした。

「検査の試薬が世界的に不足した影響で検査体制がなかなか構築できず、厳選しながら進めざるを得なかったのが事実だ。2月19日に乗客を下船させるために全員のウイルス検査を始めた。検査をする母数が増えるので、陽性者も出てくる。ただ、それはそのとき感染したのではなく、すでに感染している人たちの陽性がそのときに初めてわかったということが、きちんと伝わってなかった。船内で感染拡大が続いていると思われたことが、多くの人を不安にさせてしまった」

クルーズ船を教訓に

和田医師は、今回のクルーズ船での経験を貴重な教訓とすべきだと指摘した。

「感染が拡大すれば、クルーズ船で起きたことと同じことが高齢者施設で起こる。今回わかったのは、クルーズ船に乗れる元気な70代、80代の高齢者でも、感染すると5割は症状が出ないが、3割は発熱し、2割が重症化し入院が必要になる。そして感染者のうち5%は人工呼吸器につながれるということだ」

「もし100人が入所する高齢者施設で感染が拡大すると、5人は病院の集中治療室に入ることになる。そうなると、例えば、がんの手術を受けた人は集中治療室に入れなくなる恐れがある。こういうことが起きるかもしれない。今まで救えた命をどうするのか。これが日本が得た教訓だ」

集中治療室の病床をはじめ、日本の医療資源は限られている。感染症の拡大で、ほかの治療にも影響を及ぼすことも予想される。こうした未知の感染症の拡大も想定した対応を事前に検討しておく必要がある。

まだ終わっていない

「やっと、終わった」
政府高官から正直な声が聞こえた。

クルーズ船から乗客に続いて、乗員すべてが下りたのは3月1日。合わせて56か国、数千人の乗員・乗客に対する船内での感染症対策という初めての対応はおよそ1か月に及んだ。

準備期間もないまま、事態の把握と対応策とを同時並行で進めざるを得なかったが、下船させたあとに感染が確認され、対応にあたった厚生労働省の職員や検疫官も感染したということも事実だ。

加藤厚生労働大臣は、全員が下船した日の夜、すべての関係者への謝意に加えて、こう述べた。
「この間、7人の方が亡くなったことは大変遺憾であり、いろんな方の意見を聞きながら検証していきたい」

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大は続いている。

終わっていない。終わりは、まだ見通せない。

安倍総理大臣は、「率直に言って、政府の力だけで、この戦いに勝利することはできない」と国民ひとりひとりの協力を呼びかけた。大規模なイベントの中止や延期などのほか、全国の小中学校や高校などの臨時休校を要請するなど、異例の対応を矢継ぎ早に打ち出したが、混乱や戸惑い、批判の声もあがっている。

戦いは依然続くが、感染を一刻も早く終息に導くことだけでなく、しっかりとした検証を行い、教訓を残すことも政府の責務だ。

政治部記者
木下 隆児
2006年入局。金沢、鹿児島局、政治部、ネットワーク報道部。19年に政治部に戻り、岡田官房副長官番。
政治部記者
宮川 友理子
2012年入局。宮崎局、名古屋局を経て、19年から政治部。総理番として多忙な日々を送る傍ら、杉田官房副長官番も。