流できず! 何が起きた?

「正直、迫力が無いな」ある議員がつぶやいた――

通常国会で論戦の幕が開き、立憲民主党の枝野幸男と国民民主党の玉木雄一郎が、それぞれ代表質問に立った。
「合流が実現していたら、もっと違う雰囲気だっただろうな」

ともに民主党を源流とする二つの党。なぜ合流できなかったのか。
(宮里拓也、奥住憲史、佐久間慶介、米津絵美)

枝野文書

ここに1つの文書がある。
立憲民主・枝野が、国民民主・玉木に党首会談で示したものだ。

枝野みずから作成したこの文書には、「保守、リベラルという既存の枠を超え、多くの国民を包摂することを目指す」などと理念を掲げ、10項目が列記されている。

肝は2点だろう。

まず最初の項目。
「合併後に速やかに参議院の議員会長選挙を実施」

合流に慎重論が根強い国民民主党の参議院側に配慮した形だ。

その一方で、最後の項目。
「存続政党を立憲民主党とする」と明記した。

枝野の硬軟両様の苦心がうかがえる。

玉木の思いは

この文書を示された玉木。

存続政党は立憲民主党と明記され、政策や党名については一切、触れていない。
事実上の吸収合併だと受け止めた。

それでも、枝野に要求を出した。
▽党名は立憲民主党以外
▽綱領に「改革中道」という文言を明記
▽対等な党役員人事

しかし、枝野が受け入れることはなかった。

結局、合意に至らなかった党首会談。双方の言い分が異なる点もある。

玉木は、立憲民主党などが国会に提出している「原発ゼロ基本法案」を撤回するように求めたとしている。
一方の枝野は「そんな提案は受けていない」と周辺に説明している。

いかに議論がかみ合わなかったかが、うかがい知れる。
2人の思いが交わることは最後までなかった――

枝野、動く

時計の針を戻そう。この合流協議が水面に浮上したのは去年12月。臨時国会が最終盤を迎えていた時だ。

「政権を奪取するために、立憲民主党とともに行動してほしい」

枝野が国民民主党や社民党などに、党の合流を呼びかけた。

玉木は、「大きなかたまりを作る方向性は一致している」と応じた。
一方で、合流後の政策や党名などは、対等な立場で協議したいと主張した。

かくして、およそ1か月半にわたる合流協議が幕を開けた。

枝野の「警戒感」が

国会では、「党」ではなく「会派」が重要だ。

委員会のポストや質問時間などは会派の規模に応じて配分される。両党は、去年の臨時国会から会派をともにしている。このままでも論戦には直接の影響はない。

なのに、なぜ党の合流を目指すのか。

狙いは、ずばり、選挙だろう。

「野党が一丸となって与党と対じできる」という雰囲気の問題だけではない。別々の党のまま衆議院選挙に臨めば、比例代表で票が競合し、与党を利するおそれがある。
小選挙区の候補者調整も、全選挙区で両党がうまくすみ分けられるとは限らない。選挙基盤の弱い議員には、所属する党の勢力は、まさに死活問題となる。

前回、2017年の衆議院選挙では、当時の民進党が、立憲民主党と希望の党に分裂。
「一強多弱」とも言われる政治情勢を決定的にしたことが、今も苦い経験となっている。

狙いはわかるが、なぜこの時期なのか。

枝野は、通常国会冒頭の衆議院解散を本気で警戒していた。

「桜を見る会」の問題や、臨時国会で相次いだ閣僚の辞任という逆風の中、安倍総理大臣が、局面打開のため、衆議院の解散に打って出るのではないかというのだ。

「国会冒頭の1月20日に解散か、補正予算案を成立させ31日に解散か」

党の会合でこう述べた枝野。この後、強気の姿勢で玉木に合流の決断を迫っていくことになる。

最初から“すれ違い”

しかし、合流協議は、序盤から“すれ違い”が浮き彫りとなる。

幹事長どうしが、実質的な話し合いを始めた12月19日。国民民主党内に、さざ波が立った。

「政治的にどういう形で連携を強めるか、年内に結論を出さなければならない」
民放の番組収録での枝野の発言だ。

玉木は、心中穏やかではなかった。

政策や党名などを、対等に、期限を区切らず協議したいと求めていた。
協議が始まったばかりなのに、なぜ、年内に決めなければならないのか。

すぐに防御線を張った。
「みなが納得できる結論に至ることが大事だ」
記者団の取材に、年内にこだわらず丁寧に議論して判断したいという考えを示した。

けん制しあうように見える2人。
両党が速やかに、円満に合意できる状況にない。そう見立てざるをえなかった。

与党側からは、両党の合流協議に冷ややかな声が上がっていた。
「政策を一致させないままに合流しても、選挙目当ての野合だ」
「候補者の一本化は脅威だが、国民が魅力を感じるかには影響しないのではないか」

政策や理念で一致できるのか。
与党側からの批判や指摘に反論するためには、合流する場合に党が目指す姿を明示できるかも問われる。

事件が状況を変える

こうした中、永田町を揺るがす事件が起きた。
IR・統合型リゾート施設などを担当する内閣府副大臣を務めた秋元司衆議院議員が逮捕されたのだ。

自民党に所属していた現職議員の逮捕。
「これで年明けの衆議院解散はなくなった」
解散を警戒する野党内の空気は、一変した。

「短兵急に結論を急げば、かえって党内に亀裂が入るだけではないか」

玉木の心は「今決める必要はない」という方向にどんどん傾いていった。

幹事長は「合意」!?

一方、両党の幹事長は、連日、合流に向けた協議を続けていた。
12月27日、一般企業や官公庁の仕事納めの日。
立憲民主・福山と、国民民主・平野は、会談後、そろって記者団の取材に応じた。

「1つの政党になることを目指す必要性を共有した」

幹事長レベルでの事実上の合意を意味するともとれる発言だ。
年明けの党首会談にも言及、正式な合意が視野に入っていることを示唆したのか。政治の世界では、党首会談は、事前に調整済みの内容を発表する「セレモニー」となることが多い。ひとまず方向性は出たのだろうか。

ただ、取材を進めると、どうやらそうではないことが分かってきた。

政策や党名などは幹事長間では折り合っていない。年明けの党首会談で、最後の調整をするというのだ。

いったいどうなるのだろうか。何はともあれ、年末年始をはさみ、協議は小休止となった。

年明け早々の“不協和音”

年が明けた1月4日。

枝野、玉木とも、伊勢神宮を参拝した。別々に参拝し、記者会見もそれぞれが行った。

「そう遠くない時期に結論を出さなければならない」(枝野)

「皆が納得できる合意をすることが大事だ。吸収合併はありえない。協議し、新党を作っていく」(玉木)

早期の決断を迫る枝野に、時間をかけて協議し対等な形で合流したいとこだわる玉木。
依然としてかみ合っていないように見える。

翌5日、枝野は、玉木に対し不快感をあらわにした。
「新党を作るつもりは100%ない。何か勘違いしているのではないか」

年明け早々の“不協和音”。
私たちは、両代表が同じ方向を向いていないことを確信した。

重鎮の発言で…

さらに、事態をより複雑にすることが起きた。

1月5日の夜。
衆議院副議長の赤松広隆が、名古屋市での会合で発言した内容が報じられた。(画像は資料)

「立憲民主党という名前だけは絶対に変えちゃいかん。脱原発をはじめいろいろな基本政策がある。基本の政策は絶対に変えちゃダメだ」

さらに、合流後の人事ついても言及していた。
「向こう(国民民主党)も何もないとかわいそうだから、玉木も代表代行ぐらいで、ちょっと横に置くぐらいの形で最後は決着をつけたらどうかと、枝野にきつく言っておいた」

赤松は、旧社会党出身で立憲民主党に所属したリベラル系の重鎮だ。副議長になった今も、党内への影響力は絶大なものがある。

公正中立な立場の副議長が、政党間の協議に言及するのは異例だ。

国民民主党からは、一斉に反発が出た。
立憲民主党内からも「よけいなことを…」という声があがった。

異例の連続党首会談

こうした中、枝野と玉木の党首会談がセットされたという情報を入手した。

日時は1月7日夜。幹事長どうしが「年明けに行う」と決めていた会談だ。

赤松の発言などを受けて、開催自体を疑問視する見方も出る中での情報だった。マスコミには公表しないということだったが、会場となるホテルを特定して取材態勢を組んだ。

枝野は、1度の会談で合意できなければ、破談もありえるとほのめかしていた。合意できる見通しがたたず、秘密裏に会談しようというのか。私たちの緊張感は高まった。

ホテルで待ち構えた私たち。

午後7時、枝野と玉木、それぞれを乗せた車が駐車場に滑り込んだ。

福山、平野の両幹事長も入った。

どこからか情報を得たのか、ひとり、またひとりと、他社の記者も集まってきた。

待つこと3時間半。数台の車が、駐車場から走り去っていった。
この日、出席者が報道陣のカメラの前に姿を表すことはなかった。

「ただの食事会だ」
「みんなで肉を食べただけだ」

終了後、個別に取材しても、みな、歯切れが悪い。調整が不調に終わったことは明らかだった。

この日から、枝野と玉木は、4日間連続で会談を重ねることになる。

費やした時間は、あわせて約12時間。ホテルや議員宿舎、国会内と場所を変えながら相対したが、物別れに終わった。缶チューハイを手に、2人だけで向き合ったこともあれば、党職員が同席した時もあった。取材によれば、「怒号が飛んだ」こともある一方で、1時間、沈黙が続いたこともあったという。

結局は…

最後の党首会談は国会内で行われた。

終了後、2人は並んで記者団の取材に応じた。それぞれ党で議論し直すことになったとだけ、手短に結論を説明すると、記者の質問には一切応じず、足早に立ち去った。

早急に衆議院選挙に備える態勢を整えたい枝野と、「まだ先だ」として党内の結束を重視したい玉木。
“すれ違い”は“不協和音”となり、もはや隠しようのない“溝”として露見していた。

どこへ向かうのか

合意に至らなかった理由には、さまざまな見方や分析がある。

「枝野の見通しが甘く強硬すぎた」
政党支持率が1%程度の国民民主党に「合流しないという選択肢はないだろう」と読み違えた。
大きい政党としての包容力を示せなかった。

「玉木が決断できなかった」
安倍政権に強力に対じするという大局観に立ち、決めきることができなかった。
国民民主党を支持する労働組合の中に慎重論が根強くあった。

取材の中では、他にも「罵詈雑言(ばりぞうごん)」としか思えないような話も多く耳にした。
感情面のもつれは、思いのほか深刻なようだ。
結束を強めるために進めた合流協議は、かえって両党の溝を際立たせる形となった。

健全な議会制民主主義には、健全な野党の存在が欠かせない。
党の合流が唯一の答えではないと思う。
ただ、通常国会が始まった今こそ、政権をチェックする野党の大事な役割を改めて自覚し、国の将来のビジョンを示す気概を見せて欲しいと思ってしまうのは、われわれ野党担当記者だけだろうか。

(文中敬称略)

政治部記者
宮里 拓也
2006年入局。さいたま局から政治部。民主党などを取材し、現在は国民民主党の平野幹事長の番記者。
政治部記者
奥住 憲史
2011年入局。金沢局初任。政治部では外務省担当などを経て、現在、立憲民主党の福山幹事長の番記者。
政治部記者
佐久間 慶介
2012年入局。福島局から政治部。現在、立憲民主党の枝野代表の番記者。
政治部記者
米津 絵美
2013年入局。長野局から政治部。現在、国民民主党の玉木代表の番記者。