民はどこだ、候補は誰だ

誰もいなくなった町――
覚えているだろうか。あの日、実際に起きた出来事を。
あれから8年半。人の姿が戻り始めた町では、トップを決める町長選挙が行われようとしていた。バラバラになってしまった町民は今、故郷に何を思うのか。その実態に迫った。
(桜田拓弥、山本勇輝)

原発事故で人が消えた町

福島市から南東に車でおよそ1時間半。遠くの海沿いを眺めると、何本もの大型クレーンがそびえ立つ姿が今もはっきりと確認できる。

東京電力福島第一原発の廃炉作業が進む福島県大熊町。
事故の影響で、一度は1万人もの住民の姿が消えてしまった町である。

今年4月に、ようやく町の一部の避難指示が解除され、住民が再び生活できるようになった。今は商業施設などの建設が進められ、徐々に生活の基盤整備が行われている。一方、面積のおよそ60%は放射線量が比較的高く、今も立ち入りが厳しく制限される「帰還困難区域」だ。

(※特定復興再生拠点区域と中間貯蔵施設も、帰還困難区域に当たる)

町で生活する人は、11月1日現在119人。人口のわずか1%に過ぎない。

人口1%の町で選挙戦

こうした中、原発事故以来、復興の先頭に立ってきた渡辺利綱町長が今期限りで引退するため、町の新しいリーダーを決める選挙が行われることになった。立候補したのは元副町長の吉田淳さん(63)と元町議会議長の鈴木光一さん(64)。

原発事故の後、2度行われた町長選。当時は、まだ町内全域に避難指示が出ていた。今回ようやく、町内でも選挙活動を行うことができるようになった。繰り返すようだが、町内に住んでいるのは人口のわずか1%だ。

選挙期間が2倍、その理由は…

一方、町民の99%近くは、今もなお町の外で生活している。

今回立候補した吉田さんもいわき市で暮らし、選挙戦中は大熊町内にある支援者の家に泊まり込んだ。また、郡山市で暮らしている鈴木さんは町から20キロほど離れた楢葉町のホテルに寝泊まりしながら選挙戦を戦った。

今回の選挙期間は、通常の町長選の2倍にあたる10日間。県内だけでなく、全国各地で避難生活を送る町民にも投票の機会を設けるための特別な措置である。

2人の候補は町外で暮らす人たちに訴えを届けようと走り出した。

吉田候補「町民はどこ?」

副町長の吉田さんは、町から1時間以上かかる地域に出かけ、町民に直接訴えようとした。

しかし、集まる住民はごくわずか。このため、街頭演説すらほとんど行えない。町民を求めて、ひたすら車で回り続けた。

「そもそも町民がどこにいるかわからない。自分の思いを伝えることができなくて本当に難しい」

吉田さんがもらした言葉に、その苦労がにじみ出ていた。

鈴木候補「選挙はがきが届かない!」

一方、元議長の鈴木さん。選挙カーが驚くべき仕様に。

なんと、拡声機が付いていない。

ほかの自治体の住民に迷惑をかけられないと拡声機で名前を連呼することをやめたのだ。
「震災直後に町民がたくさんいた仮設住宅を回ってみたが、2、3人しかいない。通常の選挙とは全く違う」

このため、鈴木さんが重視していたのがみずからの訴えを載せた選挙はがきだ。

しかし、あて先不明のため戻ってきてしまったはがきが多くあったという。

「避難先の住所をみんなが教えてくれるわけじゃない」と、鈴木さんの妻はため息交じりに語った。

半数が「町に戻るつもりはない」

声を聞きたくても候補者が有権者に会えないのが現状だ。だが、確実に有権者に会うことができる場所が1つだけある。そう、投票所だ。

私たちは、福島県内の4か所に設けられた投票所で意識調査を行い、572人から回答を得た。

まず聞いてみたのは「町に戻るつもりがあるかどうか」だ。

事故から8年以上が経ち、生活の場が町の外で確立している人も多いことがうかがえる結果となった。

「町にあった家は取り壊すことに決めた。この8年、何度いろんな場所を転々としたことか。現実的に町に戻るなんて無理だ」
町に戻らないことを決めた住民の声だ。

立ちはだかる「帰還困難区域」

住民の帰還に立ちはだかる要因の1つが「帰還困難区域」だ。この地域では放射線量が比較的高いため、入り口には立ち入りを封鎖する「バリケード」が置かれ、許可なく立ち入ることはできない。

ほとんどの地域では解除の見通しは全く立っていない。
町民は、この区域の避難指示解除を進めるべきだと考えているのだろうか。

「自分の住んでいた土地、ふるさとは絶対に返して欲しい」
ふるさとを奪われてしまった人たちにとって、生まれ育った場所を元に戻して欲しいと考えるのは当然だろう。

一方で、今回の調査で「将来町に戻るつもりがない」と答えた人の40%近くが「広げる必要はない」と回答した。
「いつになるか分からないのに待っていてもしょうがない」
こう話す住民がいるのもまた事実である。

除染廃棄物「県外で最終処分」本当に?

そしてもう1つ、町の今を語る上で切っても切り離せないのが、「中間貯蔵施設」の存在だ。先ほどの地図の右側、福島第一原発の下の敷地に広がる中間貯蔵施設は、福島県内の除染によって出た除染廃棄物を一時的に保管しておく施設だ。この敷地は震災前に人が住んでいた地域も含まれている。

国は、あくまで保管は「一時的」だとして、法律でも「2045年3月までに県外で最終処分する」と定めている。では、町の住民は最終処分の場所についてどう考えているのだろうか。

驚いたのは、中間貯蔵施設の敷地でと答えた人の割合だ。実に4割の人が、事実上の最終処分場になってもやむを得ないと考えているということだ。

国は「県外最終処分」というが、その「県外」がどこなのか、いまだにその輪郭すら見えない。今回の調査で実際に国の方針について、70%近くの人が「信用できない」と答えた。町民からは、自分の町で最終処分「すべき」だと望んでいるのではなく、国の言うことが信用できないが故に、「中間貯蔵施設が事実上の最終処分場になるのではないか」という半ばあきらめのような声も聞かれた。

復興に最優先で必要なものは…

こうした厳しい状況でも避難指示が解除された町には、ふるさとに戻ることを決めた住民の姿がある。町の再生には、人が住める町づくりが欠かせない。では、町民は、町に何を求めているのだろうか。

町に戻った町民は言う。
「郵便局もなければ銀行もない。買い物するには隣町まで行かなきゃいけない」
「子どもの走り回っている姿が見たいよ。ないんだよ、そういうことが」

町に戻った人。町に戻らない人。戻るかどうか悩んでいる人。町への思いは様々だが、2人が最も強く訴えたのは「町民の絆の大切さ」だった。

笑顔なき勝利

選挙戦の結果、当選したのは元副町長の吉田さんだった。
町長選の投票率は、過去最低の53%まで落ちた。

「遠くに住んでいる人と町とのつながりが薄れている。町に戻る人、戻りたくても戻れない人、新しく町に入ってくる人、みんなが融合し合わないと、再生はできない」

初当選にも、吉田さんの顔に笑顔はなかった。

原発被災地の未来は

今回、私たちが行った投票所での意識調査には実に500人以上の町民にご協力いただいた。正直、答えたくない質問、難しい質問もあったと思う。自宅の取り壊しに立ち合うため、避難先の千葉県から投票に訪れた女性が「町に来るのはこれが最後」と話しながらも真剣に答える姿が強く印象に残った。

来年の春には、JR常磐線の全線開通が予定され、町には9年ぶりに電車が往来する姿が戻ってくる。一歩一歩ではあるが、着実に町は前に進んでいる。

「町民を守る」
当選後、吉田さんが繰り返し語った決意だ。
町民と町との関係性をどう築き、町の再生につなげていくのか。大熊町の新たな歩みは、これから始まろうとしている。

選挙プロジェクト記者
桜田 拓弥
2012年入局。佐賀局、福島局を経て今夏から選挙プロジェクト。大熊町の避難指示解除当日、現地で取材。
いわき支局記者
山本 勇輝
2013年入局。松山局、松江局を経てこの夏からいわき支局に。原発事故の被災地を担当。