国民栄誉賞と内閣支持率
その関係を調べてみた

東京オリンピックでは多くの日本人選手が活躍。開会式では国民栄誉賞を受賞した長嶋茂雄さん、王貞治さん、松井秀喜さんが聖火ランナーを務めました。
国民栄誉賞をめぐっては、偉大な功績を残していても受賞していない人たちも数多くいることから、授与の判断をめぐってさまざまな意見があります。
時の内閣が人気取りのために授与するという指摘もありますが、支持率との関係は?
これまでの国民栄誉賞の歴史とともに調べました。
(内田幸作、山田康博)

国民栄誉賞の表彰

国民栄誉賞は、総理大臣が検討を指示したあと、内閣府が、民間の有識者から意見を聞いた上で、最終的に授与されることが決定します。

幅広く有識者から意見を聞くとされていますが、授与の検討が公表された後、取り消されたことはありません。また、どのような人に意見を聞いたのかも、きたんのない意見を聞くためだとして明らかにされません。

国民栄誉賞の授与が決定されると、規程にもとづいて、総理大臣から受賞者に表彰状と盾が授与されます。
サイズも決まっていて、表彰状は縦が36.5センチ、横が51.5センチ、盾は縦が45.5センチ、横が36センチとなっています。

また規程では、「記念品または金一封を添えることができる」としていて、将棋で前人未到の「永世七冠」を達成した羽生善治さんと、囲碁で2度の七冠独占を果たした井山裕太さんには、7つのタイトルを獲得したことにちなんで、七宝焼のすずり箱などが贈られました。

内閣府によりますと、これまでに金一封は例がないということです。理由について、担当者は「政府内での検討の結果だ」としていますが、記念品のほうが形や記憶として残るということが主な理由のようです。

これまでの受賞者

国民栄誉賞は、昭和52年に当時の福田赳夫内閣のもとで始まり、第1号の受賞者はプロ野球でホームランの世界記録を達成したソフトバンクの球団会長・王貞治さんでした。

これまでに26人と1つの団体が受賞しています。23歳で受賞した羽生選手は、27歳だった柔道の山下泰裕さんを抜いて、歴代、最年少となりました。これに対して過去最高齢は、89歳のときに受賞した俳優の森光子さんです。

一方、歌手の美空ひばりさん、大相撲の元横綱・大鵬ら、亡くなった後に授与された人も11人います。団体で唯一、受賞したのは、平成23年にサッカーの女子ワールドカップで優勝した日本代表チーム「なでしこジャパン」です。

分野別にみてみますと、スポーツ関係が11人で最も多く。ほかの分野では、俳優と作曲家がそれぞれ4人ずつ、歌手が2人、映画監督、漫画家、冒険家、将棋、囲碁が1人となっています。

基準は曖昧 辞退者も

一方で、「なぜ、この人が受賞していないの?」という疑問がわくのもよく分かります。

その理由は、国民栄誉賞の規程にあると言えます。規程では、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」を目的とし、対象は総理大臣が「目的に照らして表彰することを適当と認めるものに対して行う」と書かれているのみです。

表彰の時期も「随時行う」とされていて、いつ、誰が選ばれるかは、時の総理大臣の判断によるところが大きいとされています。

オリンピックのメダリストであっても、柔道男子で3連覇の野村忠宏さん、体操の男子個人総合で2連覇の内村航平選手などは受賞していません。漫画の分野でも「鉄腕アトム」の手塚治虫さんなどが、俳優では高倉健さんも受賞していません。

また、これまでに3人が辞退したことも明らかになっています。このうち、大リーグのシーズン最多安打記録を塗り替えたイチロー選手は、当時の小泉政権下で平成13年、平成16年、平成31年の3回、政府側から授与を打診されましたが、「プレーを続けている間はもらう立場にはない」などとして辞退しています。

「栄冠は君に輝く」などの名曲や昭和39年の東京オリンピック開会式の入場行進曲「オリンピック・マーチ」を作曲した古関裕而さんや(海部政権当時)、プロ野球の阪急で盗塁記録を打ち立てた福本豊さんも(中曽根政権当時)辞退しています。

授与後 支持率下落?

国民栄誉賞は、時の総理大臣の判断によるところが大きいため、「政権浮揚を狙っているのでは」などの指摘が、授与の度に浮上します。

実際にそのような効果があるのか、NHK世論調査のデータをさかのぼって調べてみました。比較できる小渕内閣以降で、国民栄誉賞の表彰式が行われた月と、その前の月の内閣支持率をみたところ、平成23年8月に菅直人総理大臣が「なでしこジャパン」に授与した際に、支持率は2ポイント上がっていました。

一方、平成25年2月に安倍総理大臣が大鵬に授与した際と、先月、棋士の羽生さんらに授与した際は横ばいでした。

それ以外の9例は、いずれも下がっていて、国民栄誉賞の授与に内閣支持率を上げる効果はあまりないようです。

菅直人 元総理大臣に、当時の狙いを聞いてみました。
「日本国民として、みんなが喜べ、みんなで喜びを表せる、国民栄誉賞という形を取るのはいいんじゃないかなということで案が上がってきて、『じゃあそうしましょう』と進めた。あのときの女子サッカーはまさにチームとしてみんなが本当に頑張って勝ったということで、賞を出すのならチーム全体に出すことがいちばんよかったと今でも思っている」

また、国民栄誉賞と政権浮揚効果の関係について、次のように述べました。
「政治家あるいは政権というのは支持率を気にしないと言えばうそになるけれども、皆が自然に喜べ、みんないっしょに楽しませてもらって、かつ、勇気を与えてもらったわけだから、私自身はそんなことは全く考えなかった」

曖昧さはどこで

では国民栄誉賞は、どのような背景から創設されたのか。ほかの制度と比べながら、その過程を見てみました。

顕著な業績があってその栄誉をたたえる制度としては叙勲や褒章があります。叙勲は原則として70歳以上の者などといった条件があるほか、内閣府の審査、各府省庁の長から総理大臣への推薦を経て閣議決定され、その後、天皇陛下への上奏、裁可を経て発令されるなど、手続きが詳細に決まっています。

国民栄誉賞と似た制度としては昭和41年に始まった総理大臣顕彰があります。総理大臣顕彰は、「国の重要施策の遂行に貢献したもの」や「災害の防止及び災害救助に貢献したもの」など、対象となる6つの功績が定められています。対象は「全国民の模範と認められるもの、その他、総理大臣が表彰することを適当と認めるもの」としていて、国民栄誉賞のベースになったとも言われています。

(若田宇宙飛行士に総理大臣顕彰 平成21年11月)

第1号となった王さんは、昭和52年にホームランの世界記録を達成し受賞しました。多くの人が王さんの記録達成に盛り上がり、国民的な表彰を求める機運が高まっていましたが、当時、叙勲や褒章と同様に、総理大臣顕彰をプロ野球選手が受賞した実績はなく、「国家や社会に貢献した」という目的にも、なじまないという声もあったと言われています。

そこで編み出されたのが国民栄誉賞とされていて、当時の機運を踏まえ、国民から親しまれ希望を与えるものに授与する賞になりました。柔軟な対応が可能なように、細かな基準は定められず、総理大臣が適当と認めるものという形になり、授与の基準に曖昧さも残す結果となりました。

国民栄誉賞 その判断は難しい

歴代の受賞者を見てもわかるとおり、時代の移り変わりとともに、「国民に親しまれる人」、「希望を与える人」は絶えず変わっていきます。

その中で、誰に人気や親しみやすさがあるかを探りあてるのは非常に難しいことです。時の総理大臣も、国民の空気感、期待感を推し量り、他の方々とのバランスにも気を配りながら、国民栄誉賞授与の判断をしてきたものと見られます。

ただ基準が不明確なだけに、さまざまな臆測が出るのも、また事実です。だからこそ政権の浮揚効果を狙っていた総理大臣が仮にいたとしても、期待通りの結果にはつながっていないのではないのでしょうか。
(※2018年3月に公開した記事を加筆修正しました)

政治部記者
内田 幸作
2002年入局。北九州局を経て政治部で官邸を担当。現在、広島局デスク。 
政治部記者
山田 康博
2012年入局。京都局から政治部。法務省や厚労省を担当し、現在は公明党を担当。