が“故郷” 択捉へ飛ぶ

ロシアとの平和条約交渉が難航する中、9月5日、通算27回目となる安倍総理大臣とプーチン大統領の首脳会談が行われる。
これに先立つ、8月のお盆の頃、ロシアの航空会社のチャーター機が、プロペラの音を高く響かせて北海道の空港を離陸した。向かったのは国後島と択捉島。高齢化した元島民の負担を減らそうと、両首脳が合意して進められている「空路墓参」に同行した。
(渡辺信、夏目高平)

「空路」の理由

北方領土への墓参は、1964年に開始され、東西冷戦の影響などで中断された時期もあったが、続けられた。交通手段は、もっぱら船だった。

しかし、船での行き来には時間がかかる。荒れた海では、揺れる船から上陸用の「はしけ」に飛び移るのも、高齢者にはとても難しい。

航空機を利用した空路墓参は、おととし4月の日ロ首脳会談で合意され、今回が3回目となった。高齢化した元島民の負担を減らすためだ。

北海道根室市から、最も遠い択捉島に行く場合、空路だと、船に比べ移動時間は5分の1程度に短縮された。

択捉島の元島民、松本侑三さん(78)も、今回初めて「空路墓参」に参加した。

「船だったら国後島で『入域手続き』をしたあと、択捉島到着まで1泊。次の日の朝にならないと上陸できない。飛行機は本当に楽だ。国後島から択捉島まで1時間もかからなかった。島がこんなに近かったのかと再認識したよ」

NHKは各社の映像取材の代表枠で、今回の墓参を記録した――

まずは国後島へ

空路墓参に参加したのは元島民や家族38人、それに加えて政府関係者など、合わせて67人だ。「1世」はすでに平均年齢が81.1歳、最年少は「4世」になる11歳だった。

現在、中標津空港の定期便は全日空だけだが、この日の出発案内板には、「オーロラ航空9323便・国後島行き」の表示があった。

空路墓参は、ロシア極東のサハリン州の航空会社、オーロラ航空のチャーター機を利用するのだ。

8月10日、午前8時半。チャーター機が離陸。

およそ1時間後、国後島の空港に着陸した。3回目の空路墓参は順調なスタートを切った。ただ、これまでの空路墓参では、国後島の濃霧などの悪天候のため、フライトが急きょ中止になったり、パスポートを持たないまま、サハリンに行き先が変更になったりというトラブルが相次いでいた。

過去何度も北方領土を訪れている、返還運動の団体の幹部は、「天候に左右されず、予定通り始まっただけでも、過去2回に比べれば運がいい」と安堵していた。

「入国」ではなく「入域」

午前10時ごろ。国後島の空港で、墓参団の一行は「入域手続き」に臨んだ。北方四島が日本に帰属するという立場から、あくまでも「入国」ではなく「入域」としている。

手続きが終わると、墓参団一行はここで「国後班」と「択捉班」に分かれ、NHKの取材班は択捉班に同行した。昼過ぎに空港を離陸し、35分間のフライトだ。

択捉島出身の松本さんは、初めて空から島を見たということで、「故郷の天寧(てんねい)が上空から見えて感動した。自然もすばらしかった」と話した。

択捉島に到着。天候は晴れで、ここでも天気に恵まれた。

今回の空路墓参団にとって、焦点の1つは、ロシア側が最近、立ち入りを拒んできた、一部の墓地に入れるかどうかだった。国後島の泊、択捉島の留別、ポンヤリの3つの墓地だ。日本側の関係者によると、いずれも近くにロシア軍の基地があるためだと見られる。外務省幹部は、「6月の日ロ首脳会談後、事務レベルで折衝を重ね、ロシア側がOKを出したので、今回は大丈夫だろう」と見通しを述べた。

この言葉を裏付けるように、墓参団の出発の前日、記者の渡辺の知人で、択捉島在住のロシア人、オレグ・シュミーヒン氏のフェイスブックに、「ポンヤリ墓地の草刈りをほぼ終えた」という投稿が載った。

シュミーヒン氏は、択捉島で日本の訪問団の受け入れを担当している。シュミーヒン氏自身、ビザなし交流で東京を訪れたことがある。

大柄な体格で、いつも笑顔を絶やさないシュミーヒン氏が、草刈りに精を出している様子が目に浮かんだ。ロシア側の準備状況がわかったことで、今回は、予定通りの日程で墓参ができるのだという確信を抱いた。

さて、墓参団は、島のカフェで昼食だ。

そのあと、9台の車に分乗し、オホーツク海側にある留別に向かった。

特別な場所

墓参団はロシア側に阻まれることなく、午後3時半ごろ、留別墓地に到着。小高い丘の上にある墓地では、シュミーヒン氏が草刈りをし、いすや簡易トイレを設置して準備していた。

慰霊式では、元島民の松本さんが「このたびの墓参で、懐かしい古里の大地を踏みしめ、潮風と磯の香りを満喫したことで、北方領土返還への思いをさらに強くした」と挨拶した。

留別は、日本人にとって特別な場所だ。
1945年8月15日に日本が終戦を迎えたあとの8月28日、ソビエト軍が、最初に上陸した場所だからだ。

ソビエト軍は、その後、9月5日までに、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島を次々と占領した。

父親が留別出身だという函館市在住の元島民2世の一戸眞幸さん(55)は、当時の状況を父親から聞いていた。

それによると、「ソビエト軍の兵士たちは、まず、留別の郵便局を占領し、その後、家に入ってきた」ということだった。父親は、今回の墓参について「ロシアの飛行機には乗りたくない」と言って、参加しなかったということだ。

一戸さんの胸には、亡くなった祖父母の写真があった。一緒に故郷を訪れようという気持ちで、訪問した。

この墓地には、曽祖父が眠っている。

「祖父母は島から出たあと、一度も訪れることができないまま、亡くなってしまった。感無量です」と話した。

札幌市在住の元島民、佐々木正子さん(83)は、去年の墓参にも参加したが、直前で留別への訪問が中止された経験を持つ。それだけに、喜びもひとしおだった。

「去年はダメだったが、やっと訪問を実現できた。母方の祖父がこの墓地に眠っているが、何年間も誰も会いに来ることができなかったので、喜んでいると思う」と、涙で声を詰まらせながら話してくれた。

一方で、佐々木さんは、ロシア側の対応について、「いろいろ複雑な思いはあるが、こんなにきれいに草刈りをして、イスも用意してくれて、それだけでも感謝したい」とロシア人の気配りに謝意を示した。

「同じ島民」

ポンヤリ墓地への訪問も実現した。ここでもシュミーヒン氏が草刈りをし、準備をしていて、慰霊式が行われた。この日、2つの墓地での慰霊式を終えた一行は、2つのホテルに分かれて宿泊した。

記者の渡辺の知人に、この墓参にチャーター機を出しているオーロラ航空のパイロットがいる。

まだ若く、副操縦士を務めている。実は、北方四島が生まれ故郷で、子どもの頃、ビザなし交流で東京を訪問した経験があった。日本人の家庭にホームステイしたときの心温まる交流が忘れられず、日本が好きになったという。彼の話では、空路墓参のチャーター便を操縦できるのは、ベテランパイロットだけだという。

彼は、「将来、自分が日本人の元島民の皆さんを乗せる便を操縦するチャンスを得たら、『同じ島民』の1人として、ぜひ、日本語で機内アナウンスをして皆さんを迎えたい」と熱く語った。

双方の法的立場

ことしの空路墓参は、終始、天候に恵まれ、慰霊式のあと現地で1泊した墓参団は、8月11日、中標津空港に戻った。

これまでの経緯から、あまりにも順調すぎたので、取材していた私たちも、拍子抜けするような感覚を覚えた。ところが、何もトラブルが起きなかったわけではなかったのだ。

あとでわかったことだが、実は11日、国後島で代表取材にあたっていた民放テレビ局と通信社の記者が、「違法な取材活動をした」として、ロシア人の警察官らから罰金を要求されたというのだ。しかし、そうした違法な取材活動をしたという事実はなく、外務省職員も、「受け入れられない」と拒否し、警察官らは引き下がったということだった。

外務省幹部は、「ロシアの警察官の主張を認めると、北方四島でのロシアの管轄権を認めることになり、日本の法的立場と相いれない。絶対に応じてはいけないものだった。彼らが主張する事実もなかった」と明かした。すべてが順調のように見えた3回目の空路墓参だったが、根底には、常に「法的立場の違い」が横たわっているという現実を見せつけられる出来事だった。

今回の空路墓参で、一行は、団体行動に徹した。それは、何かトラブルに巻き込まれて、ロシア側の対応を受けると、ロシアの管轄権を認めることになるからだ。墓参に限らず、北方領土へのビザなし訪問は、トラブルが起きないようにして、日本とロシアの双方の法的立場を害さないよう細心の注意を払って行われているのが現状である。

政府は、北方四島での日本とロシアによる共同経済活動の具体化を急いでいるが、より多くの人やモノが北方四島に入るとなると、それだけ、現地との接点も多くなる。10月に行う試験的な観光ツアーは、まずは、従来のビザなし交流の枠組みを活用することになる。ただ、共同経済活動の具体化にあたっては、新しい「法的枠組み」によって一定のルールを決めることが不可欠だ。今回の墓参取材を通じて、改めて、両国の「法的立場の違い」がある中で、そうしたルールを作り上げることの難しさを感じた。

ふるさとは近くなったのか

ことし6月、安倍総理大臣とプーチン大統領の首脳会談では、難航する北方領土問題を含む平和条約交渉について、「平和条約を締結したあと歯舞群島と色丹島を引き渡す」とした1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速するなどとした、両首脳間のこれまでの合意を改めて確認し、引き続き交渉を推進することで一致した。

ただ、日ロの間では、何度も交渉加速を確認しているにもかかわらず、具体論に入ると、進展しない状況が続いている。日本側としては、墓参など、両国関係者の交流を盛んにすることで、北方領土返還に向けた機運を醸成しつつ、粘り強く外交交渉も行いながら、事態打開を目指す方針だ。

ふるさとは、空路で「近く」なった。しかし、帰る日はまだ遠い。

政治部記者
渡辺 信
2004年入局。サハリン赴任など経験し、現在は政治部で外務省担当。小学生の時にモスクワ生活。大学時代も旧ソビエトのウズベキスタンに留学。
政経・国際番組部チーフプロデューサー
夏目 高平
2000年入局。モスクワ支局を3年経験。現在、BS1で平日夜10時から放送の「国際報道2019」担当。今回、択捉島に同行。