投票に別が必要ですか?

投票所に行くのが怖い。
その理由は、私が想像さえしていなかったことでした。
全体から見ればわずかかも知れませんが、同じように投票所に行くことが「生きていく上での危機」と感じる人たちがいます。そのうちの1人が立ち上がり、いま、世の中を確実に動かし始めています。
(平山真希)

「ご本人ではないですよね?」

3年前のある選挙。
その人は、入場券を手に投票所に向かった。
自分たちのような立場の、少数の人々にも優しい社会になってほしい。そんな願いから、どうしても大事な1票を入れたかった。

受付で入場券を差し出す。
すると、担当者がこう尋ねた。

「ご本人では…ないですよね?」

入場券に記入されていた性別の表記は、「女」。
しかし、その人の見た目は「男」だ。

本人だと告げると、担当者は別の担当とひそひそと話し始めた。
「なりすましの投票ではないか」と疑われたのだ。

まただ。また、この苦痛がやってきた。

「あの人は女性なの?男性なの?」という声が聞こえてくる。
次第に議論する人が増えて同じような話を繰り返す。

「この投票所から逃げ出したい」
その気持ちを抑えるのに、必死だった――

その1文字が命を…

その人は、宮城県女川町に住む団体職員の堀みのりさん(29)だ。
心と体の性が一致しない、トランスジェンダー。

参議院選挙が行われた7月、私は堀さんが続けている活動を知り、取材を申し込んだ。
「トランスジェンダーの立場を理解してもらえるなら」と、取材に応じてくれた堀さんが見せてくれたのは、投票所の入場券だった。

封筒の透明な窓の部分には名前と、性別欄の「女」という文字が見える。

もちろん、私のもとに届いた宮城県石巻市の入場券にもこのような記載はあったが、正直、気にしたことはなかった。

「封筒の窓から性別が見えること自体、問題なんです。これが他人に見られるかと思うと、恐怖を感じます。トランスジェンダーの人の中には、生まれた時の性別をばらされたことがきっかけで、自ら命を落とす人もいました」

選挙のたびに「危機」が

堀さんは戸籍上は女性だ。
子どものころから学校の授業などで「女」として分けられることに違和感を感じ続けてきた。

大学1年の時、トランスジェンダーの本を読んだことがきっかけで自分の個性に気づき、男性としての生活をするようになった。

髪を短くし、服装も男物に変えた。ホルモン注射もするようになった。自分の感情に素直にふるまうにつれ、「生まれたころの性別は誰にも知られたくない」と思うようになった。

しかし選挙が行われる度に、“性別を隠す生活”が危機にさらされた。

冒頭に紹介した3年前の選挙、堀さんには忘れられない経験だ。
「何も悪いことをしていないのに、自分が悪いのかと責める気持ちも生まれてきました。これでは、投票したいと思っても、投票所に行くことができません」

自治体で扱いに違いが!

堀さんの話を聞いた私は、宮城県内の市町村の選挙管理委員会に取材し、入場券で「性別」を表記しているか尋ねた。

すると35市町村のうち、8割近くの27市町村で入場券に性別欄があることが分かった。

「性別は、投票所での本人確認やその後の男女別の集計に必要」と、ほとんどの選管は説明した。

県の選管によると、入場券の内容や本人確認の方法は各自治体に任されている。自治体では、慣習にならって性別の表記を続けていて、トランスジェンダーへの配慮は特に感じられなかった。というより、そもそもその人たちの声が自治体にまで伝わっていない、というのが現状だろう。

覚悟の上で

今回の参議院選挙の公示後、堀さんは行動に出た。
宮城県と女川町の選管に自ら足を運び、投票所入場券の性別表記をやめるように要望したのだ。

あえて「自分はトランスジェンダー」と名乗ることで、選挙に携わる人たちに実情を知ってほしいと考えた。マスコミなどの注目を浴びるのも覚悟の上だった。

7月16日、堀さんは女川町の選管に要望書を提出したあと、「投票所では性別がばれる不安から、自分がその場から消えたいと思うことがありました。よりよい選挙、よりよい町にしてほしい」と訴えた。

さらに堀さんは、投票所での性別確認の撤廃などを求めてインターネットを使った署名活動も始めた。

インターネットの署名サイトに「トランスジェンダーが安心して投票できる社会を目指して」と題した記事を投稿し、自分の体験を紹介して賛同を求めた。
署名サイトでは、1か月後の8月5日の時点で7700人を超える賛同が寄せられた。

批判も予想していたが、コメント欄には堀さんの勇気ある行動を支持する声が相次いだ。

選管が動いた!

要望書を提出してからおよそ3週間、堀さんの訴えは通じたのか。

宮城県内ではことし10月に県議会議員選挙が行われる。参議院選挙で投票所入場券に性別を記載していた27市町村に、県議選での対応を尋ねた。

すると、女川町を含む11の市と町が、性別の記載をやめる方向で準備を進めていると回答した。代わりに数字や、「アステリスク」と呼ばれる「*」の有無で男女の区別を付けることを検討しているという。

実は、堀さんの要望を受けた県選管が、市町村の担当者を集めた説明会で性別表記の見直しを検討するよう、うながしていたのだ。

残る16の市町村も、県議選には間に合わなくても、今後の課題として検討を続けると口をそろえた。

直接要望を受けた女川町の選管の担当者は、堀さんの行動に感謝しているという。
「恥ずかしながら要望を受けるまで、性別の表記が問題だとは考えていませんでした。性的マイノリティーの人の意見を大切にしたい」

「知らなかった」ではなく

堀さんは、全国のトランスジェンダーの人たちが安心して投票できる選挙になって欲しいと活動を続けるつもりだという。

私が取材を通じて感じたのは、選挙に限らず、男女の記入欄を加えることで知らず知らずのうちに誰かを傷つけているかもしれない、ということだ。

行政機関の各種届け出や、企業や団体への提出書類、アンケート用紙…。ふだんの生活で、性別欄が無くても問題なさそうな書類はあふれているのではないか。

身近な書類の「性別」、そういう視点でもう一度、見直してみてはどうだろうか。

仙台局記者
平山 真希
2015年入局。仙台局で事件・司法を担当した後、石巻支局で被災地を取材。2019年夏、再び仙台に。卓球はインターハイ出場の腕前。