いわ旋風が問うものは

3か月余り前、たった1人の議員が立ち上げた政治団体「れいわ新選組」。
その政党に、228万票が集まった。
参院選の比例代表全体の得票の4.6%、「政党」として認められることになる。
山本太郎とその仲間たちが巻き起こした旋風、それが問うものとは。
(小泉知世)

「日本初の国会議員」

7月21日午後8時。
都内ホテルの一室は、テレビで選挙の大勢が放送されると歓声が湧いた。

「みんな見た? 舩後さん当確ですって。世界で初めてじゃないですか。生産性で人間を測らせない世の中、その第一歩をみなさんがつくったんですよ!」
マイクを片手に壇上に飛び出た山本太郎が声を張り上げる。

山本とともに壇上に上がったのは、大型の車いすに横たわった男性。全身の筋肉が動かなくなる難病のALS=筋萎縮性側索硬化症患者の、舩後靖彦(61)だ。

「この瞬間が来たことに胸がいっぱいです。僕は変えたい。世の中の矛盾を変えたい。弱々しく見える僕ですが根性だけは人一倍。命がけです、よろしくお願いします」
舩後に代わって支援者が代読した。彼は日本で初めてのALS患者の国会議員となる。

新時代は当事者がつくる

「『れいわ新選組』、新しい時代に新しく選ばれるものたちという意味です」

国民民主党との合流話が進んでいた自由党から離れ、政治団体をつくると山本が発表したのは、4月10日。参院選公示まで100日を切っていた。

山本は「政治家は金のにおいか票のにおいにしか集まらないから」と他の議員の参加は否定し、公示日直前に次々と新たな候補者を打ち出した。

候補者一人一人は決して知名度が高いわけではない。

共通するのは「当事者」であること。現在の社会が抱える課題を体現できる人物、ということにこだわりが置かれていた。重度の障害者、コンビニエンスストアのオーナー経験者、シングルマザーの派遣労働経験者、東京電力の元社員、沖縄の創価学会員。

政治家が代弁する時代は終わったのだと、自らの経験を街頭で訴える。

「ホームレス、5年間やってました。生活保護をもらえず、おむすび1個が食べたいと書き置きを残して餓死をした人もいます。こんな日本に誰がした!黙ってられるか!」

「きのう、コンビニの仲間の死亡が私に伝えられた。多額の負債を抱えて、急に辞めろと言われて、店追い出された。いい加減、強い者が人間を部品のように扱うのはやめてくれ」

沖縄の創価学会員は、これまで支持してきたという政党を批判する。

「平和福祉と言っていながら、辺野古の基地建設の問題、全く無視してますよ。どうなってんですか、公明党。平和福祉の党なんでしょう。いますぐ止めてみろよ!」

「あなた」に問いかける

できたばかりの政治団体が、最初の選挙で多くの支持を集めるのは容易ではない。
しかし、選挙戦中盤、れいわ新選組が行った街頭集会はその常識を覆した。

JR品川駅前、足の踏み場もないほどの人で埋め尽くされた。

「れいわ祭」と題した集会では、まだ代表の山本が登場していないないにも関わらず、登壇者が演説するたび歓声が上がる。

聴衆の数は集会を行う度に増えていて、会場で、政策が書かれたピンクのうちわを振る様子は、音楽フェスにも似ていた。

なぜここまでの盛り上がりを見せるのか。演説会を何度か取材する中で、集まった人に聞いてみた。
「心の中で、みんなが思っていることを代弁していると思った。いまの世の中は幸せではない。世の中を諦める若い人こそ聞いて欲しい」(長野県の50代女性)
「政治家はきれいごとを言うが、彼らの演説は本音だと感じた」(神奈川県の男性)
「本人たちからしか聞けない、初めて知る話が多かった」(都内の30代の女性)

上の画像はれいわ新選組のホームページに掲げられている政策だ。
確かに「消費税廃止」や「奨学金チャラ」「公務員を増やす」など斬新なものもあるが、「政府補償での最低賃金1500円への引き上げ」など、似たような政策をほかの野党が主張しているものもある。必ずしも政策そのものが、ずば抜けて高く評価されて支持を集めている、という感じでもない。

だが話を聞いたどの人も、聴衆に問いかけるスタイルの山本の演説にひきつけられるという。

「あなたは生きてる価値があるのか?何かの役にたったんですか?会社の役に、世の中の役に、何かの役に立ってなくちゃ、生きてちゃいけない。そんな空気、蔓延してるじゃないですか。そんなのおかしいでしょ。消えてしまいたい、死にたい、そう思ってしまう世の中のほうが間違ってんですよ」

遠巻きに演説を聞いていた人にも話を聞いてみると、「政策が現実的ではない。理想と現実は違う。政治が安定しないと他の国にも負ける」(会社員の50代男性)と冷ややかな声も聞かれた。
しかしこの日、日が落ちても聴衆は増えるばかりだった。

”大手メディアは流さない”

街頭で話しを聞く中で、多くの人がツイッターやフェイスブックなどのSNSで、知り合いから「演説が送られてきた」と話していたのも特徴的だった。

街頭や集会がはじまると、聴衆がそれぞれ動画を撮影して、「#れいわ新選組」や「#山本太郎」といったハッシュタグをつけてツイッターに掲載する。それを、れいわ新選組の公式ツイッターがリツイートする。

盛り上がるほど大人数が一斉にツイートして、大きな動きが起こっているように感じるのだ。
従来の政党でも、SNSでの拡散を呼びかけていたところもあったが、ここまで同時多発的なツイートを、ユーザーが自発的にしていることが、れいわ新選組の特徴だ。

ただ、候補者たちはネット内の運動だけでは票につながらないと、電話やはがきという従来の選挙の手法も重視していた。

一方で大手メディアで、こうした動きが取り上げられることは少なかった。

選挙運動を報道する際は、政党かどうかが1つの基準となるため、あくまで政治団体でしかなかった「れいわ新選組」の動きは、対象になりにくいのだ。
このため、ネットでの盛り上がりと大手メディアでの報道に差があるように感じる人も少なくなかった。

それを逆手に、山本は「テレビは全然取り上げない」と街頭で呼びかけ、それが、さらにネットでの「拡散」を頑張らなければいけないと、支持者たちの動きを活発化させることにつながったとみられる。

寄付と「特定枠」

選挙運動に資金が必要なことは、どんな政党であっても変わりはない。
その資金を得るというハードルも「寄付」という方法で乗り越えた。

これはれいわ新選組のホームページの寄付コーナー。「10人の候補者を擁立するなら3億円」などと目標額を示し、寄付を募った。資金が集まらないリスクもあったが、勢いが増すごとに支持が広がり、資金が集まる様子が目に見える効果があった。

「3日分のおかず代1000円を削って託してくれる方、その積み重ねが2億8000万円までになりました。無理のない範囲で、力を貸していただきたい」

山本は街頭でこう語り、その度に、「寄付」は増えていった。

選挙戦では、今回から比例代表に導入された「特定枠」制度もフル活用した。

あらかじめ政党や政治団体が決めた順位の候補者が、個人の得票に関係なく優先的に当選するこの制度で、ALS患者の舩後と重度の障害のある木村英子(54)が優先的に当選できるようにした。

この制度は参院定数を6増する改正公職選挙法に盛り込まれた。法案を提出した自民党には、「合区」された「鳥取県と島根県」「徳島県と高知県」の選挙区で候補を擁立できない県からも、この特定枠を活用して確実に議員を出せるようにしたいという狙いがあった。
その制度を、もともと選挙運動を盛んに行うことが難しい人が候補になるために使うというのは、逆転の発想だ。

そして、現職議員で代表の山本が再選するためには、3議席以上の獲得がどうしても必要になる。
ハードルを上げることで、いっそうの支持を促した。

「まずこの2人に先に国会議員に上がってもらう。それ以外のメンバーはどうなる?山本太郎も含めて、当然、何百万票も積み重ねなきゃいけない。背水の陣?当然ですよ。それくらいの覚悟持ってやらなきゃどうすんだって。身を切る改革とはこういうこと言うんだよ」山本はこう訴えた。

衆議院で議席を取る

選挙の結果、れいわ新選組は比例で2議席を獲得。山本は全候補者で最多となる99万余りの個人名票を得たが、議席には届かなかった。

結果がすべて判明したあと、山本は笑顔で報道陣に答えた。
「山本太郎としての議席は失ったけれど、れいわ新選組としては大きく前進した」

国会議員でなくなっても、政党の党首になれば、これまで以上に発言が注目されるようになる。それをてこに山本はさらに上を目指していた。

「公党であることと諸派とは天と地ほどの差がある。そのインセンティブを得られたのは互角に戦うためのひとつの条件だと思うので、確実に衆議院で大きく議席を取りにいく準備をしていく」

彼を支持したのは

れいわ新選組を支持したのは、どういった層なのか。比例の投票傾向を21日に全国の投票所で行ったNHKの出口調査で見てみた。

投票先を男女別にみると、男女いずれも全体の5%がれいわ新選組に投票していた。

さらに年代別にみると、18歳・19歳から40代までの各年代では、6~9%が投票していたのに対し、50代は5%、60代は3%、70代以上は1%と高齢になるほど徐々に割合は減っていた。
比較的若い世代からの支持があったことをうかがわせる数字だ。

支持政党別にみると、自民党、立憲民主党や共産党など与野党の支持層は最大でも5%程度にとどまった一方、とくに支持する政党のない、いわゆる無党派層からは11%と一定の得票を得ていた。

初のALS患者国会へ

8月1日には臨時国会が召集される。当選した舩後と木村は国会議員としての第1歩を踏み出すことになる。ところで参議院は彼らをどう受け入れていくのか。

選挙期間中、舩後の自宅を訪問した。

商社マンとして活躍していた舩後。40代でALSと診断された。現在は話したり、思うように体を動かしたりすることはできないが、意識ははっきりしていて、看護・介護サービス事業の副社長も担っている。

街頭演説の文章は、歯をかんで操作するパソコンを使って、自ら打ち込む。一度かむとあ、か、さ、た、なと1つずつ行が進み、またかむことで、な、に、ぬ、ね、のと進めて、「の」という一文字を打つ。ひとつの文章を書くのには、時間がかかる。

それでも1回ごとに10分近い演説の内容を用意。
代読する支援者の力を借りて、週に2回程度、街頭に出て障害者に関する教育の改革などを訴えた。

外出の時は、看護師やヘルパーが付き添い、人工呼吸器付きの大型の車いすでの移動が欠かせない。

食事も、スパゲッティやご飯をミキサーにかけて、ペースト状にしたものを、食事を注入する専用の注射器で、胃に直接送る。健常者よりも、ひとつひとつの動作に時間がかかる。

国会では本会議や委員会などが重複し、分刻みで移動する議員も少なくない。議場では、演説や記名投票の際に、通常は階段を上ることになる。

どうする国会

参議院も過去には、支援が必要な議員を受け入れたことはある。

昭和52年から28年間、衆参の両院で国会議員を務め、郵政大臣も歴任した八代英太も車いすを利用していた。

まだ、起立による法案採決が参議院でも行われていた時代。八代は代わりに挙手で対応したという。

議場の段差にはスロープが設けられ、車いすのまま演説するための設備も用意された。

本会議場の入り口近くには障害者用のトイレも整備された。

参議院の事務局は「建物のバリアフリー化は進み、車いすへの対応は整備されてきている」と説明する。

しかし、舩後を支援をする人たちからは「トイレは大型の車いすが入っても扉が閉まる広さか」「食事をとるための、一室などは確保できるのか」など不安の声も聞こえる。
どう国会の設備を変えて行くのか、これから本格的に検討がはじまっていく。
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「4億円の悲鳴」

れいわ新選組が募った寄付は、投票日前日までに4億円が集まった。寄付者は3万3000人にのぼるという。

山本はこう述べた。
「3か月で4億円なんて集められないですよ、普通。これは、悲鳴ですよ。死にたくなる社会はやめてくれっていう。私たちが4億円集めるという行為じゃなくても十分聞こえてた声、見えていた状態だと思うんです。それに対症療法や微調整しか行えないような政治が続いてきている。この悲鳴に一体、何ができるかを考えるのが政治の役割だ」

新たな政党「れいわ新選組」によって問われたもの、そしてこれから彼らが問うもの。
予断なく、目をそらさず、見つめていかなければ、と思う。

(文中敬称略)

政治部記者
小泉 知世
2011年入局 。青森局、仙台局で震災、復興を取材。その後、政治部に異動し、外務省では「ヴ」の取材を担当。