党でもなく、党でもなく

「第3極」そう呼ばれる勢力がある。

与党、野党のどちらにもくみしない「みんなの党」「たちあがれ日本」「日本維新の会」などの政党だ。
勢力を拡大すれば、キャスティングボートを握る存在にもなり得るが、多くは、合流や分裂を繰り返す結果になった。

いま、第3極を掲げる政治家たちは、何を目指すのか。
苦戦の味も熟知した、彼らに迫った。
(政治部・野党クラブ 鈴木壮一郎、清水阿喜子、稲田清)

現存する唯一の「第3極政党」

衆議院選挙に「小選挙区制」が導入された平成の時代。
「政権交代可能な2大政党制」というフレーズとともに選挙戦が繰り広げられた。
一方、10年前に政権交代が実現したころから、多くの政党が誕生した。それが与野党どちらにもくみしない「第3極」の勢力だ。

第3極を掲げて結成された政党で、唯一、残っている「日本維新の会」
自民党の地方議員出身の馬場幹事長は、党の立ち位置を次のように語った。

「与党はひたすら、政府が提出した法案を通すために根回しをする。野党は、何でも反対で、重要法案では『審議妨害』や『採決阻止一辺倒』が現状だ。『ダメなものはダメ、いいものはいい』という真面目な野党を求めている国民はたくさんいると思う。『安倍政権を倒す、倒す』と言っても、国民の心に響いていない」

日本維新の会は、平成24年に発足し、ほかの政党との合流や分裂も経て、3年前の平成28年に現在の姿となった。

「思想、信念が違う人をいくら集めても長続きしないことを我々も体験した。野党である以上、権力を手にしていないから、党の中で人をまとめるのは難しい。自民党が、いろんな意見があっても、最後、まとまるのは、やっぱり権力があるからだ」

馬場氏は、日本維新の会の強みは、実は政策を実現する場があることだと強調する。
「これまでの第3極は、政策などの中身はよかったと思うが、具現化する場が無かった。日本維新の会は、大阪府知事、大阪市長、今度は、堺市長まで、お預かりすることになった。そこで具体的にやっていることが、日本全国に徐々に広がっていっていると思う」

「大阪でやっていることが、すべて正解で、どこに持っていっても通用するとは思わないが、国民が求めている『有言実行』をやっているのが、日本維新の会で、そこが今までの第3極とは違う。第2極、第1極を目指しているので、第3極と言われる、いまのポジションを変えていく」

一方で、党内には「全国的な支持の広がりが課題だ」といった声がくすぶる。
それについてはこう語る。
「『大阪の政党』というイメージを払拭できないところが、全国に広がらない理由なんでしょうね。過去の経験から、やたらめったら、他党から人をリクルートしてくることが、長期間の成功にはつながらないことは、はっきりしている」

「全国展開していく中で、より考え方の近いメンバーを集めていく。地方で頑張っている、ほかのグループと連携しながら、全国に輪を広げていきたい」

立民も国民も嫌、自民も…という人のために

第3極を標榜(ひょうぼう)する人たちは他にもいる。

現在「希望の党」で代表を務める中山成彬・衆議院議員。

当選8回で、文部科学大臣や国土交通大臣を務めた元自民党のベテラン議員だ。
「たちあがれ日本」「太陽の党」「旧日本維新の会」「次世代の党」「日本のこころを大切にする党」と、数々の「第3極」に所属してきた。

希望の党は、東京都の小池知事が「既存の政治の打破」を目指して結成した新党の名前を引き継いだが、党勢は低迷。
夏の参議院選挙を前に、前の代表と幹事長が離党し、政党要件を失った。

中山氏はそれでも、「第3極を作りたい」と語る。
「『立憲民主党や国民民主党には投票したくない。しかし、自民党にも飽き足らない』という国民がいると思う。そういう人たちに選択肢の幅を与えてあげたい。それが第3極ではないかと思う」

「政権も長くなると、国民のためではなく、政権維持のためにやっているんじゃないかと見られるようになる。『何をしているんだ』と自民党を叱咤激励するような勢力が外にいるというのは、今の政治状況の中で必要じゃないかと思う。76歳になったので、『そろそろ引退かな』と思わないでもないが、もうひと働きしなきゃいけない」

今も悔やむ「元祖 第3極」

自民党が下野し、民主党政権が誕生した平成21年。
自民党政権で閣僚も経験した渡辺喜美氏は、自民党や民主党に所属していた議員や無所属の議員とともに「みんなの党」を結成した。

「自民党は『官僚依存』、民主党は『労働組合依存』で、真の改革政党が必要だ」と訴え、「非自民・非民主」の第3極路線を明確に打ち出した。

政党要件をギリギリ満たす5人でスタートし、最大36人にまで、勢力を拡大させたが、党の運営などをめぐって、党内対立が激化し、わずか5年で解党した。

現在は無所属で活動している渡辺喜美氏は、今も解党を悔やむ。

「『てこの原理』で、あわよくばキャスティングボートを握って、政治を動かしていこうという発想で作ったんですね。『何をやるかが大事だ』という理念のもとに集まったんだが、『誰と組むか』を間違えると、うまくいかない。一石は投じたが、党が5年でなくなったという点では、失敗だった」

それでも、第3極は今でも、国民の支持を集める余地があると断言する。
「国民は、敏感に、『今の自民党や、なんちゃら民主党ではダメだな』ということを感じている。年金問題が騒ぎになっているが、国民の不安が、マグマのように噴出するから、騒ぎになるのであって、国民のマグマに今の与党と野党が対応しきれているのかと言えば、てんで、そうではない」

「国民の不安をくみ取れば、第3極は生きていける。もう一度、チャンスがあれば、第3極は、やってみたい。今のままでは、日本が、令和の時代に平成を乗り越える輝かしい経済成長を取り戻すことは、不可能だから」

「1強多弱」の時代に

「2大政党制の中で行き場のない民意をすくい上げる」
次々と誕生した第3極だが、この10年間で状況は激変した。

自民党の「1強多弱」とも言われ、「2大政党制の実現」を掲げた旧民主党出身の議員の「自民党入り」も相次いでいる。

「平成」に生まれた第3極は、「令和」の時代に支持を集めて、目指すあり方を実現できるのか。

夏の参議院選挙は目前に迫っている。

政治部記者
鈴木 壮一郎
2008年入局。津局、神戸局を経て政治部。野党で国民民主党などを担当。最近、こけの栽培と鑑賞を始めた。
政治部記者
清水 阿喜子
2011年入局。札幌局、北見局を経て政治部。北海道で渓流・湖釣りを始めました。最近は、奥日光の湯の湖に行きました。
政治部記者
稲田 清
2004年入局。与野党や外務省のほか、鹿児島・福島局も経験。気分転換は、週末の料理と靴磨き。