なたも議員になれます!

「消えるかもしれない」
そんな声まで出た、日本一小さな村の議会。
しかしことし5月、20代と30代を含めた3人の新人議員が誕生した。
全国から注目を集めた平均年齢70代の「高齢議会」は、どう乗り越えたのか。
2年間にわたる、苦闘の軌跡を追った。
(高知放送局 野中悠平)

人口400の村

四国山地の中央に位置する高知県大川村。

県都・高知市から、急峻(きゅうしゅん)な山道を越えながら車で約1時間半。かつては鉱山の街として栄え、4000人が暮らしていた。

しかし、昭和47年に鉱山が閉鎖。時期を同じくして、「四国の水がめ」と呼ばれる早明浦(さめうら)ダムの建設で、村の中心が水没した。急激に人口は減っていった。
ことし4月時点で408人。離島を除けば全国最少だ。

わずか6議席が埋まるか…

人口減少は、村の自治の根幹を担う村議会に影響を及ぼした。平成15年に10だった議員定数は、段階的に6まで縮小。それでも前回(平成27年)の選挙では、新人の立候補はなく、6議席が埋まるかどうかさえ危ぶまれた。

その時点で、現職の平均年齢はおよそ68歳。75歳を超える議員が半数を占め、引退を希望する者もいる中、「議会をなくす訳にはいかない」と全員が立候補。無投票で再選する道を選ばざるを得なかった。

議会をなくしてしまう?

そんな小さな村で、おととし6月の村長の発言が、全国から注目を集めることになった。

「あと2年に迫った村議会議員選挙で、立候補者が定足数に足らない事態と仮になった場合に備え、『村民総会』の調査、研究、勉強を始めることを指示した」

「村民総会」、それは議会に代わる議決機関だ。地方自治法で規定されている。
和田知士村長。要するに村議選の候補が定員に満たない事態に備え、議会に代わって村民が直接、議案などを話し合って決めることができるよう、検討すると明言したのだ。

「行政や議会に対し、住民の関心が薄れているのではないか。村を守るために、村民が一丸となる必要がある」
住民に村政への関心を高めて欲しいという苦肉の策だった。

壁、そして断念

ただ、「村民総会」の実施方法は、地方自治法には明確に書かれていない。

現行法上での前例は一つだけ。戦後まもない昭和26年から4年間、東京の八丈小島にあった村で行われただけだった。事実上、どこにもお手本はないのだ。

「数百人をどこに集める?連絡は?交通手段は?」
「採決はどうやってやるのか?」

実施に向けて課題を洗い出してみたところ、40項目を超えた。障壁が次々と現れたのだ。

結局、和田村長は、発言から3か月後の議会で「村民総会」の検討を中断するとした。

なぜ議員になれないのか

「村民総会」が難しいのであれば、議会を維持するほかない。2年後の選挙に向けて、新たな世代の議員のなり手を、どう確保するのか。

なぜ「議員にならない」のだろう。いや、「議員になれない」と思っているのかも知れない。

だとしたら、その原因は…

注目したのが、「兼業」だった。
全国の小さな町や村では、議員の報酬は決して高くない。だから多くの議員が別の仕事を持ち、「二足のわらじ」をはいている。

ただ、地方自治法では、自治体から仕事を請け負う関係にある団体や企業の役員などが、議員と兼業することは禁じられている。

小さな大川村では働き口は限られ、農家などの自営業や公務員を除けば、ほとんどの村民が、村と何らかの関係を持つ職場で働いている。

「もしかしたら、この規定が“立候補できない”足かせになっているのではないか」

「村民総会」の検討中断から1年余りが過ぎた去年12月。次の村議会議員選挙が4か月後に迫る中、和田村長は動いた。

「あなたは議員になれる」

目指したのは、別の仕事と兼務しながらでも、議員になれるということを、住民に理解してもらうことだ。
どんな方法があるか、議員たちと議論を繰り返した。

その過程で、一つの解決策が浮かんだ。

地方自治法で兼業を禁じられているのは、自治体から仕事を請け負っている企業や団体の役員だが、明確な基準はない。それが、「どうせなれない」につながっているのではないか。それを解消すればいいのだ。

2月27日。6人の議員全員が出席した話し合いの場で、村長はひとつの解決策を提示した。

「毎年、村長が議員とほかの仕事との兼業が認められる企業や団体を公表する」

つまり「あなたは議員に立候補できますよ」と個別具体的に伝えるということだ。

村長の提案に、議会側も同意。3月4日の村議会に条例案が提出され、全会一致で可決・成立した。

「なり手不足の解消に向け、一歩進んだと思っている」
議会のあと和田村長は、期待を口にしたが、その表情は決して安心しているようには見えない。むしろ、これからが本番だと、決意を新たにしているようにさえ感じられた。

新たな「なり手」が!

新しい条例は、立候補を考える住民の気持ちを後押しした。
岩崎一仁さん(71)。自衛官を退官し、村に戻ると、森林組合の理事や集落長など、さまざまな役職を任された。その数、実に17にも上る。

「責任を持って引き受けた役職は、簡単には辞められない」

そう思う中、知人から選挙への立候補を打診された。
ただ森林組合は、村と請負関係にあり、兼業規制に該当するおそれがある。
組合を辞めて立候補することならできるだろう。でもそれがいいことなのか。岩崎さんは悩みを募らせていた。

こうした中で成立した新たな条例で、森林組合の役員は議員との兼業が認められた。

線引きが明確になったことで、岩崎さんは、森林組合の理事を辞める必要がなくなり、村議会議員選挙に立候補する決意を固めた。

「あれもだめ、これもだめといっていたら、議員になってくれる人もなってくれないだろうなと思います。条例は多少なりともプラスになりました」

移住した若者も

村の自治の危機。全国から注目される中で、それはもちろん、若い世代にも伝わっていた。

和田将之さん(28)。5年前に地域貢献を行う団体から村に派遣され、群馬県から移住した。

その後、村の臨時職員になり、地域おこし協力隊として地元の農家を1軒ずつ訪問。村で作られた野菜を使った給食事業に取り組んでいる。

3年前に大川村の女性と結婚。

同じ世代の住民たちとともに、居酒屋もない村で料理と酒を楽しめるイベントを企画したり、知人を巻き込んで米作りに挑戦したりと、住民が集まる場所作りに奔走してきた。

住民どうしで村の未来を話し合う機会は増えたと思う。でも、誰かが「立ち上がる」雰囲気は感じられなかったと言う。

「このまま村が変わらなかったら、どうなってしまうのか」

この春には初めての子どもも生まれようとしていた。
将来の大川村は、子どもたちに胸を張って引き継いでいける場所であるのだろうか。不安を感じた。自分にはまだ早いのではないかという葛藤もあった。

ただ、「挑戦せずに後悔したくない」

悩んだ末、家族や友人の理解を得て、立候補の決意を固めた。

8年ぶりの選挙戦に

迎えた4月16日の告示日。
村役場に隣接する届け出会場には、早朝から数多くの報道陣が押し寄せていた。

午前8時半。立候補の受け付けが始まると、定員6に対し、現職4人と、岩崎さんや和田さんを含む新人3人が、事前に準備していた書類を提出し立候補を届け出た。

日本一小さな村は、8年ぶりの選挙戦に突入した。

岩崎さんは届け出を済ませると、役場の前で第一声をあげ、福祉や林業の振興を訴えた。

選挙カーは山あいの村内のどこでも回ることができるように、悪路も走行できる軽自動車に。道路の舗装もままならない地域を駆け回った。

71歳にして、初めて経験する選挙活動。勝手が分からないながらも、同世代の支援者に協力してもらいながら、「住みよい暮らしができる村にしたい」と訴え続けた。住民を見かければ車を止め、応援の言葉をもらうたびに期待の大きさを肌で感じた。

一方、28歳の和田将之さんは、立候補者の中で最年少だった。
届け出会場から、車で30分ほどかかる自宅のある集落に戻って、第一声をあげた。

こちらも初めての選挙活動。支えたのは、この村でできた家族の存在だった。
選挙ポスターのデザインは、身重の妻が担当。

選挙カーには、村内で顔が利く義理の父が乗り込み、集落をくまなく訪問した。

集落に到着すると、車を降りて街頭演説を繰り返した。
家から出てきた住民から、議会に期待することを聞いて回り、地域の声を村政に反映させたいという思いを強くした。

さらに、今回の選挙で最年少の立候補者となったことで、初日は20人を超える報道陣が密着取材。

大きな注目が集まる状況に、元気な村の姿を発信したいと決意を新たにした。

新人たちの意欲的な活動に、現職も焦りを感じていた。
当選3回の和田延男さん(70)。大川村の元職員だ。

村の施策をよくわかっているという自負もある。
ただ今回は、新たな候補者が3人も立候補、「世代交代をすべき」という声も耳にする機会も多くなった。
「住民からどんな評価を受けるのか。これまでの選挙とは違って安心できない」
立候補の届け出を済ませ、向かったのは役場前。これまでの選挙ではやっていなかった街頭演説に挑戦した。

「和田延男を何とぞよろしくお願いいたします」
この2年間、かつてないほど大川村が注目された。議員には何が求められているのか、何度も考えさせられたという。
「新人だけではない。村に貢献したいのは自分も同じだ」
70歳にして初めての街頭演説。スピーカー越しの訴えに、強い気持ちが込められていた。

さらに、これまでは最年少だった和田民夫さん(62)。
当選5回は立候補者の中では最多。若い立候補者の活動に刺激を受けた。

「若い者には負けてられん。現職もしっかり活動していることを知ってもらいたい」
ほかの候補に負けじと、自らの名前を掲げた選挙カーで村内を駆け巡った。
村外で働く村民も少なくない中、早朝と夕方の通勤時間帯を狙って、村の中心部を走る車に向け、手を振り続けた。こんなに選挙運動をやったことは、過去5回にはなかったと言う。

ふだんは静かな山あいの村に、5日間にわたって候補者の訴えが響き渡った。

開票結果はホワイトボードに

そして投票日の4月21日。
村の有権者は353人。投票したのは305人で、投票率は86.40%に。8年前、前々回の選挙より1ポイントほど高くなった。

午後8時から、村役場に隣接する施設で開票が始まった。
開票の速報は、会場に置かれたホワイトボードに書き込まれて行く。なんとも素朴な感じである。

開票開始から20分ほど。すべての候補者の名前の横に「10」と書かれた数字が記入された。

全員が10票を獲得したことを示している。
その数分後、さらに「10」と記入された。

その後、得票数に差が出始める。

1人だけが落選する選挙。
森林組合の理事・岩崎さんも、28歳の和田将之さんも、30票を獲得、当選圏内にいる。
会場に集まった住民たちが、票の行方を固唾をのんで見守った。

ちょうど同じ頃、岩崎さんは、自宅で妻や支援者、あわせて4人で当選の知らせを待っていた。
「開票状況はどうなっているのか」
気持ちが落ち着かず、机の上に置いた電話に何度も目をやった。

そして、午後8時55分。支援者の携帯電話に当選の知らせが飛び込んできた。
得票数は32票。落選した候補者と、わずか5票差の5位での当選だった。
仲間たちとともに、1票の重さをかみしめながら当選を喜んだ。

「これまでの経験を生かし、住みやすい村づくりに努めていきたい。今回、村で認められた兼業ができることを明確にする条例をモデルケースに、なり手不足に悩む別の地域でも、自分のように立候補する人たちが増えればと感じています」

一方、28歳の和田将之さんの自宅には、選挙初日と同じように大勢の報道関係者が詰めかけた。

妻や親戚とともに、開票状況を見に行っていた義理の父からの連絡を待った。
談笑する表情は穏やかに見えたものの、部屋の中には緊張した雰囲気が漂っていた。

午後8時40分。

42票を獲得。4位での当選という知らせが入った。
将之さんに、ようやく安堵の表情が浮かんだ。

「はじめての選挙でわからないことばかりでしたが、たくさんの方々のご支援のおかげで、無事当選することができました。大川村が明るく発展するように、自分自身も1から勉強しながら皆さんと共に歩んでいきたい」

開票の結果、立候補した新人は、3人全員が当選した。

一方で、トップと2位は、現職だった。現職に議会を引っ張っていってほしいという村民の思いも垣間見えた。

一夜明けて

当選から一夜が明けた22日。
和田将之さんは、午前中から選挙ポスターを片付ける作業に追われていた。
販売所がなく、新聞の配達が昼前になることもある大川村。昼食を取るため自宅に戻ると、地元紙の朝刊が届いていた。

めくってみると、紙面には、自身の当選を報じる大きな写真と記事。
思わず感嘆の声をあげながら、責任の重さを感じていた。

この日の午後、当選した6人への当選証書の付与が行われた。
和田将之さんもスーツに着替えて、会場へ。

当選した6人が、初めて一堂に会した。一人ひとりの名前が読み上げられると、それぞれ緊張した表情や、ほっとした表情を浮かべながら証書を受け取った。

こうして6人は、新たな村づくりのスタートラインに立った。

結局は「いかに住民が関心を持つか」

村の議会の消滅をも覚悟してから2年、和田知士村長の思いはいかばかりか。
私は選挙翌日に会いに行った。

「若い立候補者が当選してくれたことは、これから先の世代に向けてひとつの道筋を作ってくれたと思う。また、兼業を明確にする条例の後押しを受けて立候補した人が当選したことで、条例を、さらによいものにしていかなければならないと感じた。400人の村を守るという目標に向け、ともに村作りをしていきたい」

そして、住民に対しても、期待を込めて、こう話した。
「なり手不足の解決には、いかに住民が関心を持つかが重要だ。大川村の場合は村民が関心を持ってくれたからこそ選挙になり、高い投票率になった。村の政治を他人事と捉えず、村を守るためにはどうしたらいいのか考える。このことが、村の活気に繋がると思っている」

小さな自治体、これからどうする

選挙戦を終えた今、大川村で何度も聞き、印象に残っている言葉がある。
「数百万人の大都会と、400人の村の自治のあり方が同じでいいのか」

村が提起した「村民総会」と、「兼業を明確にする条例」は、ともに地方自治法に基づいている。
「自治」という言葉には「自分たちのことを自らの責任で行っていく」という意味がある。
一方で、その法律というルールに反しないよう苦心する村の人たちの姿に、この言葉の本質とは何なのかを考えさせられた。

今回の統一地方選挙では、全国の8つの町村で定員割れとなるなど、地方議員のなり手の確保はまだまだ大きな問題だ。

これで終わりではない。地方の実態に即した自治のあり方とは何なのか。今回の結果をスタートラインに、再び4年後へ向けた議論を始めなければならない。

“日本一小さな村の挑戦”は、まだ続く。

高知局記者
野中 悠平
平成26年入局。初任地・高知局で選挙や行政取材などを担当。ビールを愛し、高知の食に魅了されて5年。日々、体重増加と戦う。