核廃絶決議
問われた戦争被爆国

「核廃絶に向けた決意が水のように薄められた」

日本が国連に提出した核廃絶を呼びかける決議案に寄せられた厳しい批判です。決議案は、日本が世界で唯一の戦争被爆国として24年にわたって毎年国連に提出。これまでは、ほぼ「無風」での採択が続いてきましたが、ことしは一転して批判にさらされる事態に。結局、決議案は10月下旬に採択されましたが、賛成国は去年に比べて20か国以上減る結果となりました。なぜ、被爆国・日本が進める平和外交に厳しいまなざしが向けられることになったのか。核廃絶を目指す国際社会の動き、そして、それに対応する日本の外務省で、何が起きていたのかを追いました。
(政治部・外務省担当記者 辻浩平)

日本に向けられた批判

「ロケットマン」

アメリカのトランプ大統領が、国連総会での初めての演説で、核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長をこう呼んで強く非難したのは、記憶に新しいところです。

ニューヨークの国連本部では、毎年秋から、首脳級や閣僚級、それに実務者などさまざまなレベルでたくさんの会議が開かれます。

その国連本部で開かれた軍縮問題をテーマにした第1委員会で、日本政府が提出した核兵器の廃絶を訴える決議案が議論された時のことです。

「核廃絶に向けた決意が水のように薄められた」
「核兵器廃絶から後退している」

日本が、唯一の戦争被爆国として核廃絶を目指す決意を示した決議案に対し、各国から厳しい批判や日本の姿勢を疑問視する声が相次いだのです。

24年にわたって毎年提出されてきた決議案は、去年まで、圧倒的多数の国が賛成し、ほぼ「無風」とも言える状況で採択されてきました。
しかしことしは、決議案を強く支持し、ともに行動しようという共同提案国は去年の108か国から77か国に減少し、いつもとは事情が違っていました。

結局、10月下旬に行われた採決では、144の国が賛成して採択され、外務省幹部も胸をなで下ろす結果となりましたが、賛成国は去年より23減り、棄権した国の数はこれまでで最も多い27にのぼりました。

「逆風」の背景 深まる対立

なぜ、決議案に賛成する国が減ったのでしょうか。

日本にとって「逆風」とも言える状況になった最大の要因は、ことし7月に国連で採択された「核兵器禁止条約」への日本の対応でした。

「核兵器禁止条約」ーーー名前は、日本が提出した核兵器廃絶の決議案に似ていますが、内容は全く異なります。拘束力がない日本の決議案とは異なり、核兵器そのものが国際法に違反しているとして、核兵器の開発や保有、それに使用などを法的に禁止しています。

核廃絶に向けた今の取り組みは不十分だとして、オーストリアやメキシコなど核兵器を保有しない国々が主導。条約は、核抑止の概念も否定していて、核廃絶に向けて、核兵器を一律に禁止する非常に厳格な内容となっています。

これに対し、核兵器を保有するアメリカ、ロシア、中国などが反対したほか、日本も、アメリカの核の傘に守られる安全保障政策などを理由に反対し、条約には参加しないことを決めています。

同じくアメリカの傘の下にある韓国、伝統的にロシアの脅威にさらされてきたヨーロッパの多くの国々も安全保障上の理由から参加していません。

「核兵器の保有国+核の傘にいる非保有国」VS「条約を推進する非保有国」

「核兵器禁止条約」によって、一層鮮明になったのは対立の構図でした。

「核兵器禁止条約は、核の脅威にさらされていない国々によるものだ」

私が、その対立が根深いものだと強く感じたのは、ふだんは穏やかな外務省幹部から、初めて聞く、いらだった言葉でした。条約は、あくまで直接、核の脅威にさらされていない国々だけで採択されたもので、核保有国や核の傘の下にいる国々が参加しない限り、核なき世界を実現させることはできないと皮肉ったのです。

しかし、条約を推進する国々から見れば、日本は、唯一の戦争被爆国として核廃絶を強く訴えてきたのに、なぜ、条約に参加しないのだと不満の声があがるのも、ある意味当然と言えるかもしれません。

ノーベル平和賞 追い込まれる外務省

こうした中、飛び込んできたのが、ノーベル平和賞の受賞決定のニュースでした。
選ばれたのは、日本の被爆者とも連携して核兵器禁止条約の採択に貢献した国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン。

(国連で演説するICANのティム・ライト氏)

権威あるノーベル平和賞が核兵器禁止条約を事実上後押しした形となり、決議案の採択に向けて、策を練っていた外務省幹部は、「さらに強い逆風になった」と思わず漏らしました。日本が核廃絶に向けた決議案を提出する直前のことでした。

遅れた外務省談話

「アプローチが違うとは言え、核廃絶というゴールは共有している」

核廃絶を目指す団体がノーベル平和賞に選ばれたことに対し、河野外務大臣は、みずからのフェイスブックにこのように記しました。一方、核開発を進める北朝鮮への脅威には現実的な対応が必要だとも指摘し、核兵器の保有国を巻き込んで核廃絶に向けた取り組みを進めていく考えを示しました。

国際社会で核軍縮・不拡散に向けた認識が広がることにつながると受賞決定を歓迎しつつ、核保有国と非保有国との「橋渡し役」になろうとする日本政府の立場とは違うことも明確にした形です。

その後、外務省として、正式に談話を出したのはノーベル賞の発表から2日後のことでした。談話は、河野大臣が記したものと同じような内容でしたが、真意について、外務省幹部は、「敵に塩を送ることも必要だ」と語ったのが印象的でした。

異例の説得工作

例年とは異なる全くの「逆風」の中、外務省は、賛成国の数が減少するのは確実と見て、多数派工作に乗り出します。

(河野外相のビデオメッセージ)

ニューヨークの国連代表部の職員に加えて、ヨーロッパなどにある日本大使館からも職員を呼び寄せて各国の代表に接触したほか、「キャピタルベース」と呼ばれる、それぞれの国の大使館を通じた各政府への働きかけを全世界で展開。河野外務大臣も直接、電話会談を通じて働きかけたほか、採択の前の週には、得意の英語で「最後の一押し」とも言えるビデオメッセージを出して、各国に、日本が提出した決議案への理解と賛成を呼びかけました。担当者は、「外務大臣みずから、賛成を呼びかけるのは記憶がない」と話すなど、いつにない危機感がうかがえました。唯一の被爆国として、核廃絶に向けた動きを主導するため、日本政府としては、圧倒的な賛成を得ることがどうしても譲れなかったのです。

いくつの国が賛成してくれるのか。外務省幹部は、採択前日の取材にも、「まだまだ説得活動を続けている」と話し、「票読み」は明かしませんでした。

あちらを立てればこちらが立たず

説得工作と合わせて最後まで続けられたのが、決議案の文言調整です。
ことしの決議案と去年の決議の文言を比べてみました。

去年:「あらゆる核兵器の使用は人道上の被害をもたらす」
ことし:「核兵器の使用は人道上の被害をもたらす」

「あらゆる」という部分が削除され、一定の配慮がうかがえます。
核兵器保有国へのメッセージも次のように変わりました。

去年:「核軍縮につながる核兵器廃絶の達成」
ことし:「NPT=核拡散防止条約の完全な履行」

そして、最大の焦点だったのは「核兵器禁止条約」をめぐる言及があるかどうかでした。
最終的な文言は「核兵器のない世界の実現に向けての様々なアプローチに留意する」。直接の言及を避けた形となりました。

核兵器の保有国からは、「ひと言でも『核兵器禁止条約』に言及すれば、決議に反対する」と厳しい注文がついたと言います。

こうした調整が、核兵器禁止条約を推進する一部の国からは、「核軍縮合意を達成したという歴史的事実を反映していない」とか、「核兵器を非難する表現が弱められた」と映り、厳しい批判につながっていったのです。

外務省の担当者の1人は、「あっちを立てればこっちが立たない。板挟みの中で細い塀の上を歩くような調整だった」と振り返ります。

「核の脅威」との両立の難しさ

決議案に、緊迫する北朝鮮情勢をどのように盛り込むかも焦点の1つでした。

北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させ、核兵器による脅威が現実味を帯びる中、日本政府は、核抑止力はいつにも増して重要になっていると強調しました。核兵器の保有国、とりわけ、日本に核の傘を提供するアメリカとの関係を重視するがゆえの文言調整は、採決の2日前まで続きました。

「北朝鮮情勢がこれだけ緊迫している中で、日米同盟に一分の隙も作るわけにはいかない」

ある外務省幹部は、日本が置かれた立場をこのように表現しています。ことしの決議案では、核の傘に守られる一方で、核廃絶を進める、安全保障と核軍縮の両立という難しいかじ取りが例年以上に求められたのです。

「橋渡し役」になれるのか

日本の決議案に賛成した144か国。この中には、政府が意図したとおり、アメリカやイギリス、そしてフランスといった核兵器の保有国が名を連ね、核兵器禁止条約に賛成した122か国のうち、およそ7割の国も賛成に回る結果となりました。

河野外務大臣は、「賛成国を増やすことが目的ではない。1つでも多くの核保有国に関与してもらうことが目的だった。掲げていた目標に沿った結果だ」と胸を張りました。核兵器をめぐる異なる立場の国々の『橋渡し役』になるという目標は、一定程度達成されたと受け止めているようです。

しかし、去年は賛成したオーストリアやブラジル、アイルランドなどの国は棄権したほか、被爆地からは、厳しい声が投げかけられました。

(長崎市 田上市長)

長崎市の田上市長が、「まるで核保有国が出した決議のような印象だ。被爆地として残念な思いを禁じえない」というコメントを出したほか、被爆者団体からも反発の声があがっていて、理解が得られている状況とは言えません。

24年前、日本が、国連に初めて決議案を提出した際の外務大臣は、衆議院議長も務めた河野洋平さん、いみじくも、河野外務大臣の父親です。当時は、あらゆる核実験を禁止するCTBT=包括的核実験禁止条約の交渉が本格的に始まった時期でもありました。「核廃絶に向けた一歩」と機運が高まる中で、初めての決議案は提出されたのです。

しかし時はすぎ、北朝鮮が、核実験や日本上空を越える弾道ミサイルの発射を繰り返すなど、世界各地でさまざまな緊張関係が生じる中、核廃絶をめぐる環境は複雑さを増していると言えます。こうした国際情勢のもとでどうすれば現実的に核廃絶を実現できるのか。核兵器保有国と非保有国の「橋渡し役」として、「核兵器なき世界」に向けた国際社会の歩みを少しでも前に進めていくことができるのか。日本の平和外交が試されるのではないかと感じました。

政治部記者
辻 浩平
平成14年入局。鳥取局、エルサレム特派員、盛岡局などを経て政治部。現在、外務省担当。