野が歩む、いばらの道

「ここからが、いばらの道だ」
衆議院議員、細野豪志(47)。
かつて「民主党のホープ」と、もてはやされた男だ。
民主党政権では、総理大臣補佐官や環境大臣などを歴任し、一貫して「非自民」の立場で2大政党制を目指してきた。
その男が、突然、自民党の二階派に加わった。「転身」「変節」、さまざまな声があるなか、舞台裏を探った。
(政治部 喜久山顕悟、関口裕也、川田浩気)

実は去年の夏から…

「二階派に入って勉強したい」
細野氏が、二階幹事長に最初に伝えたのは、実は去年の夏にまでさかのぼる。

関係者によると、当時結成された国民民主党に加わらず、無所属となった細野氏は、ほどなくして二階派に接触していた。

「だったら、来たらいい」
二階氏は、すぐさま受け入れる考えを示したという。

「数は力」とされる永田町。
二階氏は、「来る者は拒まず」の方針で派閥を運営してきた。実際これまでも、民主党政権で閣僚などを務めた議員が二階派入りしたことがある。

前向きな二階氏の言葉を受けてか、次第に思いは具体的な形になっていく。

細野氏は、与野党が対決した「働き方改革関連法」や、「外国人材の受け入れ拡大に向けた改正出入国管理法」の採決で賛成票を投じ、自民党と足並みを揃えた。野党側が提出した、安倍内閣に対する不信任決議案にも反対した。

そして11月、「無所属となって半年」と題したブログには、こう書いていた。
「すべての採決を、みずからの責任で行う中で、政治家としての理念・政策を再確認することができた。今後は、どのような立場で、みずからの政治理念を実現していくか、熟慮の上で判断していきたい」

ただ、本人の思いとは別に、二階氏の周辺は当初、細野氏の派閥入りに慎重だった。ほかの派閥との軋轢(あつれき)を恐れたのだ。

細野氏の地元・衆議院静岡5区では、吉川赳・元議員が自民党の支部長を務める。

過去3回の選挙で細野氏と議席を争ってきた吉川氏は、岸田派の所属だ。仮に細野氏が自民党に入党することになれば、どちらが静岡5区から立候補するのか、公認争いに発展することも予想される。

細野氏とやりとりしていた二階派の幹部は、「まずは地元の静岡県連と調整をつけてもらいたい」と伝えたという。

しかし、細野氏と静岡県連との溝は埋まらないまま半年が経過。業を煮やした細野氏は去年の暮れ、この幹部にある決意を伝えたという。

「選挙で自民党に貢献したい」

ことしは、統一地方選挙と参議院選挙が重なる12年に1度の年。
選挙に貢献して実績をあげれば、自民党への忠誠をアピールできる。そして、折しもこのころ、とりわけ二階派にとって大事な選挙が控えていた。

それが、山梨県知事選挙だ。「選挙には抜群に強い」と言われる細野氏は、ここで動いたーー。

ホープと言われた男の蹉跌

ここで、そもそもの事の始まりを、振り返っておこう。

おととしの8月、細野氏はこの時も、大きな決断をしていた。
「(安倍)政権のおごりの最大の原因は、自民党を脅かし、政権を担いうる政党が存在しないことにある」
政権交代可能な2大政党制を実現するため、自民党に対抗できる新党を結成する。そんな決意をブログにつづっている。

民進党を離党し、東京都の小池知事らとともに希望の党を結成したのだ。

目前に迫った衆議院選挙に向けて、一時は、政権交代への期待も高まった。

ところが、その勢いは、急に失速することになる。

「三権の長を経験された方は、ご遠慮頂いた方がいい」

選挙の公認候補を調整するにあたって、細野氏は、菅・元総理大臣や野田・前総理大臣を念頭に、三権の長の経験者を受け入れるのは難しいという考えを示した。そこには、民主党政権の負のイメージから決別したいという思いがあったのかも知れない。しかし小池知事が「安全保障政策や憲法観が一致しない人は排除する」と明言したこととともに「排除の論理」と批判を浴びた。

結果、衆議院選挙で完敗。
「私は、すでにルビコン川を渡り、大きな一歩を踏み出した。後戻りすることはない。総選挙の結果は厳しいものだったが、改革保守政党を立ち上げた政治決断に後悔はない」

新党を結成し、自民党に挑んだ結果をこう総括したが、その後、希望の党は古巣の民進党と合流し、解散するという結末に至った。細野氏は、新たに結成された国民民主党には参加せず、無所属となる道を選んだ。

その選択からは、かつての「民主党のホープ」が居場所を失ったようにも映った。
「希望の党が誕生して1年に満たない時期に、解党に至ったことを国民の皆様に率直にお詫びしたい。『三権の長には遠慮してもらいたい』という私の発言が、党の運営を難しいものにする一因になった。あの時のことを率直にお詫びしたい。当時の私には、過信と慢心があったのだと思う」

無所属となった細野氏が選んだのが、なんと対抗する相手だったはずの、自民党入りを目指すという道だった。そして、冒頭の二階派への接触につながっていった。

派閥入りを決めた選挙

1月、山梨県知事選挙。

この選挙は、二階派にとってのみならず、岸田派との関係でも重要な意味を持つものだった。

新人で元衆議院議員の長崎幸太郎氏は、二階派に所属している。長年、衆議院山梨2区で、岸田派の堀内詔子氏と議席を争ってきた。おととしの衆議院選挙では、公認調整がつかず、両氏とも無所属で立候補して勝った方を追加公認するという裁定が下され、堀内氏が勝利したという経緯がある。(詳しくはこちらの特集を)

長崎氏が知事選挙で勝てば、岸田派との間で長くくすぶってきた火種に終止符を打つことができる。二階派にとっては、岸田派の協力が欠かせない選挙だった。

二階派幹部は、細野氏に対し山梨県知事選挙への協力を要請することにした。細野氏の本気度を探る意味合いもあったという。

細野氏は秘密裏に山梨入りし、関係先を回り、長崎氏への支持を訴えた。

そうした活動を続けるなか、1月23日。
細野氏は、永田町にほど近いホテルで、ある人物と面会している。地元、静岡の政財界などに大きな影響力を持つといわれ、長年、細野氏の政治活動を支えてきた企業の関係者だ。席上、細野氏は、無所属のまま、自民党の幹事長が率いる派閥、二階派に入会したいという思いを伝え、支援を求めた。

その翌日、二階派の幹部である、河村・元官房長官や自民党の林幹事長代理と面会。二階派が総力を挙げた山梨県知事選挙の背後で、細野氏が二階派に入るための詰めの調整が密かに着々と進められていた。

そして、投票日の27日。選挙は、長崎氏が勝利。
細野氏に、二階派幹部から派閥入会の正式な了承が伝えられたのは、翌28日だった。

ここからが、いばらの道

1月31日。自民党政治の数々の舞台となった「砂防会館」。

この日、志帥会=二階派の会合が開かれた。
次々と訪れる議員達を尻目に、派閥幹部の河村・元官房長官が、

そして、林幹事長代理が入っていく小部屋があった。

部屋の奥には、起立する細野氏の姿があった。

このあとの派閥の会合で、細野氏は、満場一致で特別会員として迎えられた。

「希望の党が消滅する中、私がやりたい政策をやるためには、2大政党というやり方ではなく、まずは志帥会=二階派に入って、実現していくべきではないかと判断をした」

厳しい批判を受けるのは、覚悟の上だった。
「方向性が明確に違う形になるのは、紛れもない事実だ。厳しい批判があれば、甘んじて受け止め、乗り越える努力をしなければならない。ここからが、いばらの道だ。国民のためにも、地元のためにも、この道しかない」

そして細野氏は、自民党の支部長がいる静岡5区で、引き続き活動する意向を明らかにした。
「今の選挙区を動く考えは全くない。選挙区を出る時は、政治家を辞める時だ」

民主党政権で副総理などを歴任し、細野氏の初めての選挙では、応援に駆けつけたという岡田克也氏は、次のような見方を示した。

「私や、私より1期若い人たちは、自分の決断で野党の道を選んだ。しかし、しばらくすると、自民党の道がないので、野党の道を選んだ人が出てきた。細野氏が、どうかは知らないが、そういう人にとっては、別に野党でいつまでもやる必要はない。確信犯である私や野田・前総理大臣、玄葉・元外務大臣、立憲民主党の枝野代表などと、たまたま、野党で出たという人たちとでは、違うのだと思う」

岸田派の「怒り」

細野氏の二階派入りを山梨県知事選挙の前に認めれば、せっかくの二階派と岸田派の「雪どけ」ムードに水を差すことになりかねない。そんな配慮もあった。

しかし、やはり「細野氏の二階派入り」のニュースは、岸田派では衝撃をもって受け止められた。

「岸田派を挙げて、二階派の知事を誕生させたのに、この仕打ちはひどすぎる」
「山梨の争いが決着したと思ったら、一難去ってまた一難だ」

過去の恨みを封印し、派閥をあげて支援した長崎氏の勝利によって、「ポスト安倍」に向け、二階派との関係強化につながるという期待もあっただけに、岸田派内からは反発の声が相次いだ。

自ら4度にわたって山梨入りした岸田政務調査会長は、「関係者から直接、何も聞いていない」と、不快感を隠さなかった。

表向きの発言は慎重だったものの、岸田氏の内面は「怒りに満ちていた」と側近は話す。

岸田氏は、翌週の派閥会合に吉川氏を地元から呼び寄せた。

次の衆議院選挙も静岡5区は、吉川氏を党の公認として擁立すべきだと強調した。

「久しぶりに我々の同志である、吉川さんが元気な顔を見せてくれた。衆議院静岡5区において、自民党は厳しい状況の中にあっても、歯を食いしばって頑張ってきた。その支部長が吉川さんだ」

「吉川さんには議席復活に向けて頑張ってもらわなければならないし、我々は同志としてしっかり力を合わせて応援していかなければならない」

「うろうろされると迷惑」

党内の反発は、岸田派だけにとどまらなかった。
特に、細野氏が入党を目指す意向を示したことに対しては、萩生田幹事長代行が、次のように指摘するなど、否定的な声が相次いだ。

「細野氏とは、おととしの衆議院選挙で戦っているわけで、不快感を持っている人もいる。野党幹部の立場で、自民党を批判してきたのだから、自分の政治スタイルを変えるのであれば、国民に伝える必要がある。説明なしに、うろうろされるのは迷惑だし、簡単に入れるほど自民党はやわではない」

地元・静岡県連からも懸念の声があがった。
今月9日に自民党本部で開かれた全国幹事長会議。
静岡県連の薮田宏行幹事長は「県選出の国会議員団も細野氏の入党は認められないと確認している。地元では『統一地方選挙にも影響が出るのではないか』と心配する声がある」と指摘し、執行部席に座る幹事長の二階氏に直接、見解をただした。

二階派幹部の林幹事長代理が「細野氏は、自民党に入党したわけではなく、国会の会派で連携することも現時点では考えていない」と説明した。しかし二階氏は何も発言しなかった。政務調査会長として隣に座っていた岸田氏も、無言だったという。

会議のあと、薮田氏は記者団に「納得できない。機会があれば、二階幹事長から直接、考えを聞きたい」と不満を漏らした。

意に介さぬ領袖

しかし、二階氏は意に介していない。
細野氏への期待を再三強調し、入党も歓迎する意向だ。
「立派な素質を持っている国会議員が我々とともに政策をやってくれる。自民党に新鮮な意見を積極的に注入してくれることを期待している。私は喜んで入党を歓迎する。入党にあたり、過去のことをいちいち説明したり審議したりするというのは聞いたことがない。自民党は謙虚に受け入れる雅量がなければダメだ」

「我々は、道を歩いている人でも『自民党へ入党してください』と呼びかけている。そんな中、国会議員が、しかも野党で活躍していた人が志を新たにして自民党へ入るということを言ってる。これはもっと謙虚に受け止めなきゃ。そんな威張っちゃダメだ」

細野氏の入党をめぐって、意見の違いが浮き彫りとなる自民党。
今後、調整は難航することも予想される。

「いばらの道」の先には…

いま細野氏は、個別のインタビュー取材には応じていない。
自民党は、細野氏の派閥入りで、新たな火種を抱えた。細野氏はさらなる「説明」を求められている。

この道の先に、どういう結果が待っているのか。答えはまだ、誰にも分からない。

政治部記者
喜久山 顕悟
平成16年入局。大阪放送局、福島放送局、政治部、大阪放送局を経て再び政治部。野党担当。
政治部記者
関口 裕也
平成22年入局。福島局、横浜局を経て政治部へ。現在、自民党二階幹事長番。
政治部記者
川田 浩気
平成18年入局。沖縄局、国際部を経て政治部。現在は、岸田派担当。