エル跳ぶか 壊し屋の勝算

この男を抜きに、平成の政治史は語れない。
そんな政治家の1人、自由党代表・小沢一郎(76)。
自民党を離党して、2度の政権交代に中心的な役割を果たし、その剛腕と経歴から「壊し屋」の異名を持つ。平成最後のことし、統一地方選挙と参議院選挙が重なる12年に1度の政治決戦の年。再び動きだした彼が白羽の矢を立てたのは、若きリーダーだった。
(政治部野党クラブ 森田あゆ美/岡崎靖典)

3匹目のカエル

去年、結成された国民民主党は、野党の第2党にとどまり、支持率は低迷。
リーダーとして舵取りを任された、玉木雄一郎(49)。年明け以降、イソップ童話のある一説を、繰り返し引用するようになった。

「ミルク壺に3匹のカエルが落ちた。1匹目は悲観的な性格で『何をしてもダメだろう』と早々に諦め、沈んでいった。2匹目は楽観的な性格で『そのうち助かるだろう』と何もせずにいたら、やっぱり沈んでいった」

「3匹目は『今、出来ることは、とにかく、もがくことだけだ』と考え、諦めることなく、手足をバタつかせていたら、いつの間にか、ミルクがバターになって、足場が出来て、外へ飛び出すことができた」

玉木氏は、去年9月に代表に就任した当初から、「野党の大きな塊をつくる」と訴え、野党の党首らに連携の強化を呼びかけてきた。
「全国をまわると『野党がバラバラなので、まとまって欲しい』と言われる。自民党に代わる、もう1つの選択肢を作るのが、野党の責任で、国民民主党を結党した目的の1つでもある」

一方、小沢氏も、同様に、野党勢力の結集を訴えていた。しかし、小沢氏の視線の先には、野党第1党の立憲民主党があった。第2党である国民民主党と先行して連携することには、消極的だった。

事態が動いたのは、1月24日の朝。小沢氏は朝食も取らずに国会に駆けつけ、玉木氏と向き合った。そして、わずか10分間の会談後、国会での「統一会派」を結成すると発表した。

だが、関係者への取材によれば、本来、2人が目指したのは、国民民主党と自由党の「合流」だった。
小沢氏は前夜、「合流しなければ、野党勢力の結集にはつながらず、統一会派では意味がない」と周囲に漏らしていた。しかし、党内の根強い慎重意見を払拭できなかった玉木氏が、「将来的な合流も視野に協議に入る」という折衷案で小沢氏を説得し、ひとまず「統一会派」の結成で落ち着いた形だ。

「次善の策」

立憲民主党を核に野党勢力の結集を目指していた小沢氏。おととしの国会での総理大臣指名選挙でも、枝野代表に投票していた。なぜここで国民民主党との連携に舵を切ったのか。

「何回か、枝野さんと話し合いをしたんだけども、最終的に枝野さんは『自分たちは、自分たちだけでやる』という結論だったので、これじゃあ、当面、だめだということになった。次善の策として、国民民主党と連携を取りながらやっていこうと。国民民主党に少しでも力を貸して、もうちょっと支持率が上がってくれば、枝野さんも考えを変えてくれるんじゃないかと」

枝野氏の説得は困難だと判断したのは、去年の夏頃だったという。

「枝野さんの気持ちが変わって欲しいんだ。枝野さんは『野党が一緒になっても、役に立たない』と言っているようだが、そんなことはない。国民は、野党が一緒になることを期待しているんだから。(野党が一緒になると、選挙で)票が減るなんて、とんでもない話で、そこはちょっと勘違いしているのではないかという気がする」

「小沢政局」の平成政治史

玉木氏に呼応し、「次善の策」として、国民民主党との連携に動いた小沢氏。

しかし、2人の思惑通りに合流にたどり着けなかった背景には、やはり、国民民主党の中にある小沢氏への強い警戒感があった。平成の政治史で、小沢氏は、常に政局の中心にいたと言っても過言ではない。「親小沢」か「反小沢」かを軸に、日本の政治は、大きく揺れた。

平成 元年 47歳で自民党幹事長に就任。歴代最年少だった。

平成 5年 野党が提出した宮沢内閣不信任決議案に賛成に回り、衆議院解散に追い込む。自民党を離党し、新生党を結成。

      直後の衆議院選挙で、自民党は過半数割れ。非自民8党派による細川連立政権を樹立。

平成 6年 新生党を解散。自民党に代わる二大政党制の実現を目指して、新進党を結成。

平成 9年 新進党を解散。
平成10年 自由党(旧)を結成。

平成11年 自民党との連立で政権に参画。
平成12年 政権を離脱。
平成15年 当時の民主党と合併。
平成19年 参議院選挙で代表として陣頭指揮にあたり、民主党を参議院第1党に。衆参で多数派が異なる、ねじれ国会となった。

平成21年 民主党政権誕生。
平成23年 政治資金をめぐる問題で、党員資格停止の処分を受ける。
平成24年 集団離党し、民主党は分裂。

旧民主党の流れをくむ国民民主党の中には、民主党が政権を失う要因をつくった「戦犯」の1人と見る向きもあり、小沢氏との合流には、根強い拒否反応がくすぶる。

統一会派を結成し、両党の議員が初めて一堂に会した先月28日の会派総会。

小沢氏と同じ岩手県選出の階猛・憲法調査会長が発言を求めた。

「大義が見えない。野党が大きな塊になるどころか、むしろ、立憲民主党との溝は深まって、大きな塊から遠ざかっていくような気がする。党がこれまで守ってきた、中道改革政党という理念にも、必ずしも、そぐわないのではないか」

階氏は、小沢氏が民主党時代に党を割ったことを引き合いに出し、「過去の総括が必要だ」と主張し、統一会派の結成は拙速だと訴えた。小沢氏は、階氏に目を向けることもなく、ひな壇に座り続けた。

党内からは、こんな声も聞かれる。
「都合が悪くなると逃げ出すのが小沢氏の本質で、逃げ出した人が、ノコノコと戻ってくるのは、おかしい」
「ちゃぶ台を簡単にひっくり返す人で、当時の民主党が制御できなかったのに、いまの国民民主党がコントロールできるはずがない」

玉木氏はなぜいま、小沢氏との連携に踏み切ったのか。

「私は若い世代なので、先輩たちのように『親小沢』『反小沢』という経験を全くしていない。その意味では、政権交代を目指し、実現してきた政治家として、小沢一郎を見ている。2大政党制的な仕組みが出来て、時々、政権が入れ替わり、緊張感のある議会制民主主義が機能することが、小沢さんが求めてきた姿で、非常に賛同するところがある」

「あの頃、小沢さんは、雲の上の人で、近づくこともできなかった」
玉木氏が初当選したのは、民主党が政権交代を果たした平成21年。

当時、小沢氏は、党の幹事長としてらつ腕を振るっていたが、その後、離党。玉木氏は、民主党が分裂していく姿を目の当たりにした経験からも『野党は再結集するべきだ』という信念を持つに至ったという。

「小沢さんが、民主党から出て行った時は、非常に残念でしたね。小沢さんの経験や知見をいかしていくことが大事だと思う一方、党を割って、バラバラになってしまったことの総括は必要だと思う。そうしないと、みんなが納得して力を合わせる体制は作れない」

亥年選挙へ

統一会派の結成により、衆議院本会議場で、玉木氏と小沢氏の議席は隣合わせになった。

激しい権力闘争の荒波を乗り越え、17回の当選を重ねたベテラン党首と、当選4回の若き党首が並ぶ姿は、”新たな師弟関係”の誕生を象徴しているようにも映る。

「小沢さんの選挙に対する熱意は、政治家全員が学ばなければいけない。実際、自分の選挙も、小沢さんのやり方をいろいろ勉強して、強くなってきた。私にはないものをたくさん持っていて、経験もある。違いを見るのではなく、お互い、足りないところを補完し合って、うまく連携できれば、大きな力を発揮する」

2人がともに見据えるのは、夏の参議院選挙だ。国民民主党と連携する小沢氏が梃子(てこ)入れを図ることで、勝敗の鍵を握るといわれる「1人区」で、野党側の候補者一本化に弾みがつくのではないかという期待感もある。

しかし、小沢氏が目指しているのは、そこではない。

3年前の参議院選挙で、当時の民進党、共産党、社民党、生活の党は、すべての「1人区」で候補者を一本化したが、1人区の結果は、11勝21敗だった。

小沢氏が目指すのは、あくまで、野党勢力での全体の過半数の獲得だ。

「1人区で1本化したって、自民党には勝てない。前回の参議院選挙が、よい例だ。野党が1本化したが、与党に3分の2をとられてしまった。そんなこと、いくら言ったって、だめだよ。国民が『自民党に代わる、それなりの規模の器が野党にできたな』と感じない限り、勝てない。国民の思いに忠実になるなら、すべての野党が一緒になるべきだ」

小沢氏は、政党での結集が難しければ、野党側が1つの政治団体を作って、選挙に臨み、選挙区の候補者を一本化し、比例代表で統一名簿を作ることが不可欠だと主張している。玉木氏も、小沢氏の主張に同調するが、2人の戦略を結実させるには、野党第1党の立憲民主党の協力は不可欠だ。

しかし、枝野代表は「永田町の内側を向いた数合わせ」とは一線を画すとして、政党の合従連衡を拒絶する姿勢を貫いている。

「トータルの票は間違いなく減ると確信している。夏の参議院選挙で、立憲民主党が統一名簿に加わることはありえない。やりたい方は、わが党以外で進めてください。これ以上、わが党に持ちかけられるのは迷惑だ」

これに対し、小沢氏は「数合わせ」の批判を一蹴する。

「『数合わせ』は全然、否定していない。民主主義というのは多数決で、所詮、『数合わせ』なんだよ。多数を取るため、賛同する同志を集めるのは、何も悪いことではない。国民が『まとまれ』と言っているのに、『まとまっちゃいけない』というのは、どういう理由だ。へんちくりんな議論だ」

この握手に、勝算は

国民民主党と自由党が統一会派を結成してから、初めてとなるNHKの世論調査が、12日に公表された。

国民民主党 支持率 0.6%(-0.4%)
自由党 支持率 0.2%(±0%)

現時点で、目立った効果は見られない。

平成の政局で、時に世間が驚く一手を繰り出してきた小沢氏に「秘策」はあるのか。

「『秘策』なんて何もない。要するに、全野党が一緒になることだ。枝野さんが、いくら『そんなの嫌だ』と言っても、支持している国民みんなが『やれ』と言ったら、やらざるを得なくなるよ。自分だけ『嫌だ』なんて言ったら、国民から『おかしいじゃないか』って、言われちゃうよ」

玉木氏が引き合いに出したのは、やはりあの寓話だった。

「自由党との連携は、あくまで第一歩で、ここから先にどうつなげていくかだ。ミルク壺の中で、手足をばたばたさせている一環かなと思っている」

野党勢力の結集に向けて、「壊し屋」と呼ばれた政治家はかつての溝を乗り越えられるのか。そして、もがき続ける「3匹目のカエル」は、ミルク壺から飛び出せるのか。

結果が示される夏の参議院選挙まで、残された時間は、そう多くはない。

政治部記者
森田 あゆ美
平成16年入局。佐賀局、神戸局を経て政治部へ。現在、野党クラブで国民民主党担当。
政治部記者
岡﨑 靖典
平成14年入局。盛岡局を経て政治部へ。現在、野党クラブで自由党など担当。