賀の農業は「票田」も耕す

「知事の再選、決まりですね」
投票の3か月も前に、こんなつぶやきが聞こえた。
いま、一強と言われる自民党を向こうに回し、むしろ圧力をかける組織がある。
「票田」を耕し、育て続けるその存在。力の源泉は何なのか、「乱」の地から伝える。
(佐賀放送局 坂本眞理)

3か月前に「勝負あった」!?

今年9月中旬。
県庁3階の記者会見室には、大勢の報道陣が集まっていた。隣県・福岡からのマスコミの姿もある。3か月後に投票を控えた佐賀県知事選挙。
農協の政治団体である佐賀県農政協議会=「農政協」が、現職の山口祥義に推薦状を渡したのだ。

建設業、医師会、商工会…選挙では、様々な団体が候補者を支援する。
でも、特定の団体が推薦状を渡す場面に、テレビカメラがずらりと並ぶのを、私は初めて体験した。

「山口さんの再選、決まりですね」
どこかの記者がつぶやいた。

まだ投票日まで時間はある。
先入観は禁物だが、「票田は農協が握っている」。それがここ、佐賀県では“常識”なのだ。

“佐賀の乱”

組織の強さは、接戦を制したときほど、際立つ。

前回4年前の県知事選挙。自民党と公明党は、前の武雄市長・樋渡啓祐を擁立した。

樋渡は、市長時代、市立図書館の運営を大手レンタルビデオ店「TSUTAYA」に委託したことで話題を集めた人物だった。

ところが、農政協は樋渡の政治手法に反感を抱いていたことに加え、安倍政権が進める農政改革や、TPP交渉に対する不満もあり、最終的に元総務省官僚の山口を擁立した。

「自民党」対「有力支持団体」。異例の保守分裂選挙に突入した。

山口が立候補を表明したのは、告示のわずか9日前。当初は、樋渡圧勝とみられた選挙戦。

山口自身もこう振り返る。
「立候補を心の中で決めた日、佐賀で特急列車に乗っていたら、周囲から地元の人の声が聞こえた。『もう次の知事選は結果は決まっとろうもん(決まってるよね)』。誰から見ても無謀、そんな選挙だった」

しかし、終盤の追い上げで、山口が差し切った。
山口18万2795票、樋渡14万3720票。

出口調査によれば、自民党を支持すると答えた人の投票先は、「山口45% 対 樋渡50%」。自民推薦候補に反旗を翻した山口が、自民党支持者の半数近くから、得票したことになる。

佐賀放送局に保管されている当時の取材メモには、農協関係者のこんなつぶやきが記されている。
「もし負ければ、佐賀の農業はつぶされる」
死にものぐるいだった。

明治政府に、佐賀の士族が反乱を起こした歴史になぞらえて、翌日の新聞には「佐賀の乱」の活字が踊った。

自民に圧力

あれから4年。山口再選がかかる今回の知事選挙。

推薦状を渡した農政協の会長、金原は、まだ推薦を決めていなかった自民党を公然と批判、こう迫った。

「私は山口知事の後援会の会合で、今回の選挙では自・公の推薦をもらってくれと言った。そうしないと、新幹線の整備やオスプレイ配備などの国政課題が山積する中で、2期目の仕事がやりにくいだろう、と。保守系が割れてもいない今回の知事選は、前回と様相が違う。なのに現時点で、なぜ自民党が推薦を躊躇するのか、理解しがたい。明確に理由を聞きたい」

自民党、公明党は、その後、山口の推薦を決めた。

“続・佐賀の乱”

去年の衆院選でも“異変”が起きた。

県内2つの小選挙区で、農政協は、それまで自民党候補を支援してきた慣例とは異なり、自主投票とした。結局、2人の自民党候補は、小選挙区で野党系候補に敗れた。

自民党が小選挙区で“全敗”したのは、全国で佐賀県だけだった。

底力の秘密

平地が多く、冬も気候が温暖な佐賀県。
一つの田畑で二毛作ならぬ米・麦・大豆の三毛作ができてしまう。
耕地利用率、つまり畑をどれだけ活用しているかを示す数字は、100%以下の地域が多い中、佐賀県は130%越え。全国1位だ。

決して広い県ではないのに、ハウスみかんの生産量は全国1位、たまねぎの出荷量は全国2位。元気のいい数字が並ぶ。

元気な農業がどうして選挙につながるのか、少し説明が必要だ。

JAの正組合員、准組合員は合わせて12万人以上。県人口80万人の15%に当たる。
それだけではない。取引業者もある。運輸業や段ボールメーカー、機械メーカー。県の基幹産業は、大勢の暮らしと雇用を支え、いざ選挙となれば、動き出す。

「強さの本当の理由は、数の力だけではない」
関係者は誇らしげに、県の農業カレンダーを見せてくれた。

一年中、ぎっしり予定が詰まっている
「佐賀の農家の特徴は、農閑期がほとんどないこと。例えば、三毛作に加えて、たまねぎや葉物野菜もやっているという農家も少なくない。常に何かを作っている」

なぜ、農閑期がないと選挙に強くなるのか。
「いつも農家どうし、横のつながりがある。少なくとも月に1回は何らかの寄り合いがあるし、収穫期には順番を決めて、チームで『今日はあの人の畑の手伝い』などと決めて、みんなで作業をしたり。『互評会』と言って、お互いの畑を見回って出来を確認するなんてことも。タテ、ヨコの連絡体制は今もフル稼働しているので、ひとたび指示が出れば、あっという間に一般農家まですみずみに伝わる」

農村部は、都市部に比べれば、どこも結び付きが強いのだろうが、佐賀はひときわそうした文化が残っているということか。

“票田”の深い意味

長く選挙に携わったJA幹部は、「選挙も農業も大事なことは同じだ」と解説した。
「出会いの種をまいたら、苦しいときも、調子のいいときも、手入れを決して絶やさない。そうすれば、人脈や信用となって、必ず豊作という喜びがやってくる」

ベテランの言葉は重い。選挙で「票田」、とはよく言ったものだ。

票が読める人

JA佐賀中央会と、その政治団体・農政協の会長を兼ねる金原壽秀(かなはら・としひで)、68歳。

いまの県農業大学校を卒業後、家業を継ぎ、きゅうりやスイートピーなどの花、米、麦、大豆やたまねぎなどの栽培を続けてきた。

周囲は、彼をこう評す。
「票が読める人」

去年からは全国組織の全中=全国農協中央会の副会長も務め、永田町界隈を回る。
官邸や自民党の農政改革に「急進的で、現場を見ていない」と猛然と反対。党内で発言力のある有力議員のもとに足しげく通い、意見を交わす。自民党農林部会の発言録を取り寄せ、地元選出の国会議員などの発言に目を光らせる。

私は尋ねた。高齢化、担い手不足。どうやって農業は生き残るのか。
「改革は必要だ。でも、市場原理主義、利潤追求型では、日本の農業は守れない。現場を見ない改革は必ず失敗する」

そして、こう力を込めた。
「世の中を変えられるのは政治。政治を変えられるのは選挙。だから、選挙は全力で戦う」

再選、そして彼が向かう先は…

12月16日の投開票日。農政協の全面支援を受けた山口は再選を決めた。

翌日。山口は、妻や後援会関係者を伴って、JAを訪問した。

「農政の振興なくして、県政の浮揚なしということは、常に肝に銘じております。農業者の立場にしっかり寄り添い、皆さんとよく意見交換をしながら、佐賀県の時代を作っていくために、ともに頑張っていきたい」

金原ら、農政協の役員は、その言葉に拍手で応じた。

時代を超えて

私が佐賀に赴任して1年余り。

その賑わいに驚いたイベントがある。
「農業まつり」

県内各地から大型バスが次々と乗り付け、1週間ほどの期間中、8万人が訪れる。人口80万人の佐賀では、なかなか見られない規模だ。

最新農業機械の見本市なんてコーナーもある。これは、通称“フェラーリのトラクタ-“。フェラーリ車のデザイナーが手がけた、子どもたちに人気のモデルだ。(※注)

その時の賑わいを思い返しながら考える。農業まつりは、40年以上続く恒例行事。あの子どもたちを連れてきた親の多くも、子どものころ、まつりを存分に楽しんでいたのではないだろうか。

そう。佐賀の農協は、時代を超えて“票田”を耕しているのだ。

農協の動きから決して目を離してはいけない、と心に刻んだ。

(文中敬称略)
※注:トラクターは別のイベントで展示された同じもの。

佐賀局記者
坂本 眞理
新聞記者、WEBニュース編集者など経て平成20年入局。長崎局、政治部で勤務の後、29年7月から佐賀局で県政キャップ。3歳の娘の育児にまい進中。