波の黒豆 あやかりたい

「丹波の黒豆」は、皆さんご存じだろう。
では、生産している「篠山市」は?「しのやま」と読んだあなた、「ささやま」が正解だ。

ーーそんな知名度に、このままじゃあダメだ、と思った人たちがいる。彼らは「市の名前を、丹波篠山市に変えてしまおう!」と決断した。それだけで52億円の経済効果があるという。

どうしてその決断に至ったのか、そして名前を変えただけで本当に効果があるのか。今回、地方の住民が行った選択に、迫ってみた。
(神戸放送局 加藤拓巳)

「ささやま」だよっ

「しのやま」ではなく「ささやま」市は、兵庫県東部、京都府との境にある。人口は4万1000人余り。多い、とは言えない。

江戸時代には「篠山藩」の城下町として栄え、城の天守閣こそないが、城跡を囲む堀とあわせて公園が整備され、昔ながらの屋敷の町並みも保っている。

最近は、古民家を改装したホテルやレストランが増え、若い女性の注目度がアップしている…という。大阪の都心部からJRで約1時間というアクセスの良さもあり、年間240万人ほどの観光客が訪れている。今の時期なら、地元産のイノシシ肉とたっぷりの野菜をみそで煮込んだ「ぼたん鍋」が人気だ。

で、「丹波」とは

「丹波」とは、古代の律令制での行政区分「丹波国」に由来する。いまの行政区分でいえば、兵庫県から京都府にかけての6市1町に相当する。広い。

京の都の文化の影響を受けるとともに、山あいの自然をいかした農業が盛んで、「豊かな自然と文化に彩られた美しい地域」というのが地元の共通認識だ。だから、どの自治体も、特産品に「丹波」を冠して売り出している。

篠山市でいえば「丹波黒大豆」や「丹波栗」などの農産物。それに、約800年の伝統を誇る焼き物「丹波焼」を強くアピールしている。

篠山市が「全国的な知名度」だとする「丹波」という名称。そのブランドの効果はどれほどのものか。

「JA丹波ささやま」が東京・代々木で開いた物産展に、取材に行ってみた。ちなみにJAの名前にはすでに「丹波」がついているのだ。

会場には、秋の一時期しか収穫できない「丹波黒枝豆」のほか、栗やコメなど、丹波産をうたう農作物が勢ぞろい。

訪れていた人たちに聞いて見ると、確かに「丹波」は知名度が高いようだ。
「『篠山』だけだと、日本のどこにあるのか、正直わからない」
「『丹波』の黒豆といえば、正月のおせち料理。『丹波篠山』のほうがイメージがいい」

地域のさまざまな経済効果を研究している関西大学の宮本勝浩名誉教授も、「『丹波』は間違いなくブランド力はある」と話す。

「市名を変えることに一定の効果はあるだろう。ただ、長く効果が続くのかどうかは、努力次第だ」

「地域の共有財産」と遠慮したのが…

古い伝統のある町だが、「篠山市」そのものは誕生してからまだ20年も経っていない。

平成11年4月に、篠山町・西紀町・丹南町・今田町の旧多紀郡の4町が合併して篠山市ができた。

翌年の平成12年にいわゆる「合併特例法」が成立し、国が市町村合併をした自治体を財政的に支援することになり、合併の動きが全国的に高まったが、篠山市はその先駆けだったのだ。

歴史的には地域の中心で、知名度も高いという判断から、当時は市名を「篠山市」とすることに、さほどの異論はなかったという。

実は議論の過程では、地元でこの地を「丹波篠山」と呼んでいることもあり、「丹波篠山市」も候補に挙がっていた。

ただ、「『丹波』は地域の共有財産なので、使うべきではない」という意見が多数を占めたため、「丹波」の2文字はつけず、「篠山市」として船出をすることになったのだ。

ところが隣の市が!

「あのとき、遠慮をせずに『丹波』をつけておけばよかった…」
当時の議論を知る人たちは、少し悔いるように振り返る。

篠山市が誕生して5年後の平成16年11月、西隣に「丹波市」が誕生したからだ。柏原町・氷上町・青垣町・春日町・山南町・市島町の旧氷上郡の6町が合併してできた。

当初、郡の名前を使い、「氷上市」とする案が最有力だったというが、議論が進むにつれて「『丹波』のブランドは、全国的な地名度が群を抜いている」という意見が盛り上がり、「丹波市」とする案が浮上した。

篠山市は「『丹波』は旧氷上郡だけのものではない」と反発したが、6町は「新しい市の地域戦略として必要だ」と押し切り、結局、「丹波市」を名乗ることを決めたのだ。

篠山市「本気」で動く

こうして隣り合うようになった篠山市と丹波市。

篠山市では年を追うごとに、特に商工業や農業の関係者の間で不満は高まっていった。
「『丹波』とつけた特産品はすべて、丹波市だけのものだと誤解されるようになった」
「ブランドを独り占めされ、売り上げが伸びない」

そして、1つの考えにたどりつく。
「事態を打開するためには、市名を『丹波篠山市』に変えるしかない」

去年2月には、地元の経済団体が市名の変更を求める「要望書」を市に提出した。これを受けて、篠山市は、市名の変更について、特命のプロジェクトチームを設置。シンクタンクにも依頼して独自の調査を始め、「本気」で動きだしたのだ。

効果52億円の根拠は

ことし4月に発表された調査結果は、以下のようなものだった。

このまま市名を変更しなかった場合、篠山市産の農作物などのブランド力が低下し、10年間で23億3000万円のマイナスの影響がある。

これに対し、市名を変更した場合、ブランド力の向上で売り上げが増え、観光客も増加、28億7000万円以上のプラスの影響があり、マイナスの影響を食い止めることと合わせて、経済波及効果は推計で52億円余りとされたのだ。

市名変更には、約7000万円の経費がかかると見込まれたが、酒井隆明市長(64)は「変更のメリットは大きい」と判断。懇談会などで市民から意見を聞いた上で、「賛成の声が多い」として、ことし8月、市名を変更する方針を正式に打ち出したのだ。

「民意を問う」ダブル選挙

市は当初、議会に諮ることで、市名を変更しようとしていた。

一方で、取材を進めると、市民から「市名変更に貴重な予算を使うより、福祉や教育などに使うべき」「商売をしている人はともかく、それ以外の人にとっては、どちらでもよい」といった声も聞こえてきた。

果たして市名変更は、本当に市民が望んでいることなのか。そう考えていたやさき、「待った」がかかった。

市民団体が8月になって「市名は生活に関わる大きな問題で、変更の賛否は直接、市民に問うべきだ」として、住民投票を求める署名活動を始めたのだ。約1か月で、有権者の3割にあたる1万人以上の署名が集まり、住民投票が行われることになった。

ここで、酒井市長が思い切った行動に出た。「サプライズ」だった。

10月、「市民の意見をまとめきれなかった責任を感じる。信を問いたい」と語り、辞職して出直し選挙に立候補する意向を表明。酒井氏は「住民投票と市長選挙を同時に実施することで、市名変更問題への関心をいっそう高め、きっちり決着させたい」とも話した。

こうして、市名変更をめぐる「民意」は、住民投票と市長選挙で確認されることになったのだ。

「過去に例がない」

迎えた11月18日の投開票日。

市名の変更についての住民投票では、
「賛成」1万3646票
「反対」1万518票
賛成が3000票余り上回った。

そして市長選挙では、酒井氏が新人の元市議会議員を破って当選。

再選を決めたあと、酒井氏はこう話した。「賛成、反対の議論はこれで終わりにして、『丹波篠山市』の発展に向けて一致団結して取り組む」

選挙の結果を受け、市は変更に必要な条例案を市議会に提出。11月27日の本会議で賛成多数で可決され、変更が決まった。

住民投票の結果で、自治体の名称が変わったというケースは、総務省も把握しておらず、地方自治に詳しい専門家も「過去に例がないのではないか」と話す。

1億円の寄付

市名変更に伴う必要経費などを盛り込んだ、総額9000万円余りの補正予算案も編成。
内訳は、市の施設の看板の掛け替えなどの経費として6550万円、住所表記の変更やシステム修正などについて、企業を支援するための費用として2000万円などだ。

財源には、なんと匿名の個人からよせられた寄付をあてるという。去年12月に「市名変更に使ってほしい」と、1億円が寄付されていたのだ。

国や県への手続きが順調に進めば、「平成」から元号が改まる2019年5月1日から「丹波篠山市」がスタートすることになった。

隣の丹波市は

ようやく決着した市名の変更問題。一因になったとも言える隣の丹波市はどう見るのか。

谷口進一市長は、14年前の市名決定には関わっていないが、「何の遠慮もなく、ズバリと『丹波』という名前を使ったことは、いい選択だったと思う一方で、篠山市に対しては、個人的に申し訳ない気持ちもあった」と話す。

その上で、「篠山市と丹波市は常に共存共栄。丹波市民の大半は、民意で決めた『丹波篠山市』に共感していると思う」と語る。

自治体の名前を変える動き 他にも

地域を売り出すために、思い切って自治体の名前を変える。そんな動きが他にも出てくるのだろうか。

PRのための展開では、よく見かけるようになった。

さぬきうどんで知られる香川県は「うどん県」に改名するという架空の設定をつくり、地元出身の俳優・要潤さんを「副知事」に起用。おもしろおかしくPR活動を進める。

また鳥取県は、カニ漁が盛んな冬場だけ「蟹取県」を名乗って、観光キャンペーンを展開している。

その一方で、今回の篠山市のように、「本気」で検討する自治体もある。

その1つが長野県にある中野市だ。

市名を「信州中野市」に変えたらどうかという意見が地元経済界などにあり、池田茂市長がことし6月の市議会で「2020年までの任期のうちに、市民と熟議する中で方針を出したい」との考えを示した。

池田市長に聞いてみた。
「『中野』と付く地名が全国に多くあって、外部の人には場所をすぐにわかってもらえない。一方、『信州』ということばは、全国に通じるブランドだと思う」
ただ、市民へのアンケートでは2割ほどしか賛成が得られず、機運が高まっているとまでは言えないという。

このほか、平成27年には滋賀県が「近江県」に名称を変えることについて「県政世論調査」を実施。

平成18年には、富士山のふもとにある富士吉田市(山梨県)の商工会議所が、「富士山市」に変えることを市長に提言した。

いずれのケースも、名称の変更には至っていないが、こうした動きの背景について、地域のプロモーションに詳しい立正大学の浅岡隆裕准教授は、次のように指摘する。

「地域間の競争が激しくなる中で、なんとかして売り出したいという地域の焦りがあるのではないか。少しでも認識されやすい名称に変えることで、地域や特産品の『ブランドイメージ』を高め、販売増につなげたいという思惑があるのだろう」

選択の結末は

住民投票で「丹波篠山市」に変更することになったものの、「賛成」と「反対」の差は3000票余り。投票率は69.79%で、ここ数年、地元で行われた国政選挙や地方選挙と比べれば高くなったが、10人に3人は投票をしていないということだ。

市の名前の変更が、本当に市民にとって利益になるのか。市は責任をもって、「反対」を投じた人も含めて納得がいくよう、まちづくりを進める必要がある。

「丹波篠山市」への名前の変更は、元号が改まる2019年5月1日に合わせた。新しい時代が始まるその日に、新しい市名でのスタートが切られるわけだ。

その選択の結末を、今後もウオッチしていきたい。

神戸局記者
加藤 拓巳
平成23年入局。高松局・長野局を経て、神戸局では主に経済取材。「丹波」のほか、今の阪神地域にあたる「摂津」を担当。趣味は日本酒の飲み比べ。