選挙戦をファクトチェック
記者たちの挑戦

「ねえ知ってる?○○候補が勝ったら、中国の会社が沖縄の高級リゾートを全部買収することになるんだってよ!」
9月上旬、たまたま訪れたかつての勤務地、沖縄の飲み屋で、こんな会話が交わされていた。議論にもならない明らかなデマだと聞き流していると、居合わせた他の客たちからも似たような話が次々に出て、狭い店内はあっという間に「中国買収」の話題で持ちきりになった。
この体験が、出発点だった。そう本当に、

沖縄では普通にデマが飛び交っていたのだ

宿に戻りながら「沖縄県知事選」と検索してみると、「デマっぽい」情報が驚くほどたくさん拡散されていた。


「フェイクニュースと対じするのはメディアの使命だ」。確かそんなことを、かっこいいフランス人記者が言ってたっけ。フランス大統領選のさなかでフェイクニュースを巡る複数の新聞社の戦いを追ったNHKのドキュメンタリーだったな…自分は一体何ができるだろう。

そう考えていた私(内山)は、ふだんは「クローズアップ現代プラス」などの報道番組を制作する部署にいる。沖縄知事選は、辺野古への新基地建設の是非を巡って全国的にも注目されており、知事選に関するフェイクニュースを調べ、信ぴょう性を判断して伝える「ファクトチェック」を、選挙期間中(公示日から投開票日まで)にやりたい、と提案した。

有権者が正しい情報をもとに投票できるようにするには「選挙期間中にしなければ意味がない」と考えた。世界の報道機関が行っているファクトチェックでは“常識”だが、提案に対する周囲の反応はこうだった。

NHKで選挙期間中に「ファクトチェック」できるか?

懸念のひとつは、公平の原則だ。番組の編集では政治的に公平であること、多くの角度から論点を明らかにすることなどは放送法でも定めているが、多くの意見が対立する選挙期間中は、特にそれが必要になる。

できるだけ公平に、それぞれの候補者に関する記事や映像の分量などに偏りがないようにするのが、NHKが長年続けてきた選挙報道の基本だ。選挙期間中にファクトチェックをしたことで、特定の候補に関するデマや言説が多く取り上げられると結果的に不公平になるのではないか、という懸念が出された。

また「人手や働き方の課題」もあった。選挙期間中は多くの、というよりほとんどの記者が、各候補者への支持がどこまで広がっているのかなどの「情勢取材」に追われる。今回も県知事選の取材に記者たちがあたっているなかで、ファクトチェックをする人手がないという現実を突きつけられた。

海外の報道機関にできてることができていない

モヤモヤしていたなかで、地元の新聞社の沖縄タイムス社が、選挙期間中にファクトチェックのチームを立ちあげたことを知った。選挙期間中は難しいといわれたファクトチェックをどう実施するんだろう、舞台裏を取材させてもらいたいと那覇に飛び、沖縄タイムス社を訪れた。9月20日、投開票日まであと10日だった。


ファクトチェックプロジェクトを率いる、総合メディア企画局の與那覇里子記者と面会。沖縄タイムス社のファクトチェックの態勢や基準、課題など、こちらが次々に投げる質問に、忙しいにもかかわらず丁寧に答えていただいた。

與那覇さんは、選挙戦が本格化し始めた9月初旬から、ネット上で真偽不明の情報が急激に増えて拡散されている状況に、危機感を募らせてきた。「誤った情報が投票行動に結びつけば、民主主義の根幹を揺るがしかねない」と今回のプロジェクトを発案したという。
特に印象に残ったことばがある。

どう恣意(しい)性を排除できるか

「タイムスは“ある種の論調のある新聞社”と、ネットなどではみなされています。それだけにファクトチェック自体が、我々の論調を補強するためのものだと思われてしまったら意味がありません。真偽不明の言説を、どちらかの陣営にくみするのではなくフェアに取り上げている。そう感じていただくためにどう公平性を担保し、どう恣意性を排除できるのか、そこが悩ましい」(與那覇里子記者)

與那覇さんたちのチャレンジを記録して、過程で見える苦悩を伝えることで、社会全体でフェイクニュースとどう立ち向かえばいいかを問いかけられるのではないか。その取り組みは、これからNHKが選挙期間中にファクトチェックをすることになったときに、大いに参考になるのではないか。

人の褌(ふんどし)で相撲をとるような忸怩(じくじ)たる思いもあったが、沖縄タイムス社の取り組みを密着取材させていただきたいという思いを伝えて、後日、了承をいただいた。


しかし逆の立場だったら、私たちは取材に応じていただろうか。沖縄タイムス社の「度量」と、フェイクニュースに立ち向かうにはメディア間の連携が必要だという意識の高さに、頭の下がる思いがした。

「新聞社にはどんな日常があるんだろう?」

普段、ライバルでもある他社を密着取材できる機会は滅多にない。加えてネットにフェイクニュースが出回り、ファクトチェックが注目されていた選挙の最中だ。沖縄タイムスの取材を担当した私(宮島)には「もしかすると選挙報道の転換点になるかも」という予感もあった。

投開票日の5日前、9月25日の午後6時に那覇市の本社を訪れると、記者たちが議論の真っ最中だった。玉城デニー氏と佐喜真淳氏との激しい争いになった選挙戦では、多くの真偽不明の情報が飛び交っていた。


「デニー氏が勝てば沖縄はさらなる中国の侵略を許す」
「佐喜真氏、安室奈美恵の政治利用の実態」
記者たちがネットからピックアップしてきた情報だ。フェイクのにおいが強い、これらの情報の中からどれを「ファクトチェック」するか、といった議論が続いていた。メンバーは社会部や政経部など12人の記者たちだ。


実はこのとき沖縄では、大型で非常に強い「台風24号」が接近していた。12人の記者たちは選挙取材をしながら、台風取材にもあたっていた。
ファクトチェック専属の記者はひとりもいない。それでも、「ネット上での情報収集は、昼休みを少し削って15分間もあればできますので」(與那覇里子さん)

翌26日、ネットのパトロールをしていた社会部の比嘉桃乃記者が、気になる情報をキャッチした。

「政策の文字数」を巡るデマだった

キャッチしたツイートは、“佐喜真淳の政策の文字数は2.2万字を超えているのに、玉城デニー氏の政策の文字数は約800字”といった内容で、政策の内容の差が文字数となって表れている、と訴えていた。


このツイートはすでに1500リツイートされていて、書き込みに対するコメントの中には、玉城氏の政策を「準備不足」だと批判するものもあった。

與那覇さんたちは「候補者の政策は、選挙の根幹に関わる問題」で、有権者の投票に影響しかねない情報だと判断、ファクトチェックに取りかかることになった。

集めた情報のなかからファクトチェックする対象をどのように選ぶかは私たちの関心のひとつだったが、沖縄タイムスのチームでは、有権者への影響の大小を基準に考慮していることがうかがえた。

チームでは記者が両陣営の事務所に連絡をとって、情報の「裏取り」を行なった。裏取り自体は日頃から記事を書くときに必ず行っていることで、手際よく進む。
まもなく、ツイートにあった佐喜真氏の政策の「2.2万字」は政策集の「全文」の文字数だったのに対し、玉城氏についていわれた「約800字」とは、公式サイトに掲載された政策の「要旨」の文字数だったと分かった。

結果は翌日の朝刊とウェブサイトに掲載された

記事では、文字数の比較の根拠が違うとして、ツイートは「フェイクニュース」だと伝えた。それに加えてウェブサイトでは、両陣営の政策を詳細に掲載しサイトへのリンクも紹介した。
有権者が正しい情報で政策を比較できるように、「誤り」を指摘するだけでなく「正しい情報」を提示することも、フェイクニュースに向き合うメディアの重要な役割だと感じた。

もうひとつ、今回の取材で関心があったテーマは、SNSの情報が実際のところどの程度、投票行動に影響を及ぼすかということだ。沖縄タイムスの取材と並行して私たちは大学教員の協力を得て、沖縄国際大学と琉球大学の学生180人にアンケート調査を行った。

結果はなかなか驚きだった

まず「SNSの情報は投票に影響があるか?」という質問に対しての回答は、


「大いにある」と答えた学生は19%
「ある程度ある」は49%
「あまりない」は20%
「全くない」が7%
「わからない」が5%だった。
70%近い学生が、SNSの情報は投票に影響がある、と回答していた。


一方で「今回の選挙で、事実か疑わしい情報を見たか?」という質問には、
「はい」と回答した学生が33%、「いいえ」と回答した学生は57%だった。
10%の学生はネットの情報について、「疑わしいと思ったことがない」と回答した。

調査はあくまで参考だが、「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代への、ネットの影響力の強さをあらためて感じた。
アンケートに協力してくれた学生たちに話を聞くと、「ネガティブな情報ほど広がりやすい」「拡散すればするほど信じやすくなる」といった声が聞かれ、フェイクニュースの影響力もかいま見た思いだった。

フェイクに気づかなかった学生もいた

そのひとりが大学2年生の呉屋里緒菜さんだ。呉屋さんが気になったというネットの情報を見せてもらうと、なんと沖縄タイムスがファクトチェックを行った、「政策の文字数」を巡るあのツイートだった。


もともと玉城氏を支持していたという呉屋さんは、このツイートをみて「ちょっと残念な気持ちになった」という。投票日の3日前に読んだ沖縄タイムスの記事で、フェイクだったと気づくことができた。しかし同じツイートに関心を持っていた複数の友人は、フェイクだと気づかないまま投票日を迎えたという。ネガティブな情報はあっという間に拡散する一方で、それを打ち消していくことの難しさも感じた。

今回の選挙期間中、沖縄タイムスがピックアップした真偽不明の情報は計68件。そのうち実際にファクトチェックを行ったのは17件だった。集めた情報を絞り込んでいく過程には、記者たちがそれぞれ悩み、苦しむ姿があった。
難しいのはやはり、

「公平性」をどう担保するかだった

選挙中は、候補者の記事の行数や写真の大きさまで必ずそろえるのが、新聞の選挙報道の基本だという。ファクトチェックの記事が一方の候補者の情報に偏ると、中立性を保てなくなってしまう。情報を取捨選択する時点で恣意(しい)性が出てしまわないよう、難しさを感じながら記者たちはファクトチェックを進めていた。

具体的に判断に迷ったのは、候補者の「公約」に関する書き込みだ。例えば

「携帯電話料金の4割削減を求める」

これは佐喜真氏の公約だが、ネットでは「知事にそんな権限はない」という批判が相次いでいた。他の新聞社やネットメディアがこの話題を取り上げたことで、「他のメディアでは扱っているのに、なぜうちは書かないんだ」という声が、沖縄タイムスの社内でもあがったという。


扱うか、扱わないか。編集局内でも最後まで意見が割れていた。
與那覇さんが意見を求めた、ファクトチェックに詳しい法政大学の藤代裕之准教授は「公約の実現可能性は、有権者が判断すべきことではないか」と指摘した。社内での議論の結果、沖縄タイムスのファクトチェックでは、公約を対象にするべきではないとして、掲載を見送った。

「玉城氏についてのデマばかり取り上げると・・・」

10月、東京都内で開かれたファクトチェックの報告会でも、選挙期間中のファクトチェックにおける公平性を巡って議論が交わされた。イベントは、沖縄県知事選のファクトチェックを共同で行ったNPO「ファクトチェック・イニシアティブ・ジャパン(FIJ)」と、もう1つの沖縄の地元紙である琉球新報、それにオンラインメディアのバズフィードジャパンの記者らが登壇した。


琉球新報東京支社の滝本匠報道部長は、選挙の公平性を確保するために社内で検討した結果、ファクトチェックの記事では人物を匿名にしたと話した。しかし匿名報道にしたことで逆に何の記事なのかが分かりづらくなり、途中で実名にしようか迷ったという。

バズフィードジャパンの古田大輔編集長は、「選挙中は、玉城デニー氏に対するデマの方が圧倒的に多かった。もしそうした情報はデマですと毎日ファクトチェックを続ければ、玉城デニー氏を支持するメディアだとみなされて、信用度は落ちてしまうでしょう」と述べた。
公平性について、FIJの楊井人文事務局長は「国際的なファクトチェックの原則は、どちらの異なる立場に対しても同じ手法、同じ基準で公平にファクトチェックしようと言っているが、『量的な公平性』は意味していない。量的なことより、むしろ誤った情報を野放しにする方が選挙に悪影響を与える可能性がある」と、懸念も指摘した。

「掲載されなかった情報にも意味がある」

與那覇さんはそう語る。取材の最終日、今回のファクトチェックに取り組んだ記者たちに、どんな学びがあったかを聞いたところ、「読者がいまどんな情報を求めているのか、新聞社の使命とは何か、改めて考えるきっかけになった」という声が聞かれた。
ファクトチェックの難しさのひとつは、何をチェックの対象にするかの選択にあり、そのことが特に選挙期間中はあらためて問われることになったが、一社だけの取り組みでは、チェック作業や公平性への目配りなどにどうしても限界がある、という声も聞かれた。


一方で、オールドメディアとも呼ばれるマスメディアにとっても、こうした新たな取り組みにおいて何を守り、何を変えていくべきかという選択の難しさも感じた。
フェイクニュースに惑わされない社会を築くために、私たちにできることは何か。今後の選挙報道はどうあるべきか。今後も取材と考察を続けていきたい。

社会番組部ディレクター
内山 拓
平成13年入局。沖縄局、報道局、福島局で番組制作に携わる。酒の島で心も体も豊かに育つ!?
おはよう日本ディレクター
宮島 優
平成24年入局。山口局を経て現在の部署に。最近の癒しはサウナ。
ネットワーク報道部記者
鮎合 真介
平成20年入局。佐賀局、沖縄局、横浜局、国際部を経て現所属。趣味はランニング、琉球古典音楽(三線)。