
三十六歌仙プロフィール
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柿本人麻呂(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 『万葉集』においてすでに模範とされていた歌人で、平安時代末期には人麻呂
影供 という儀式においてその肖像が掛けられた。佐竹本においては「柿下」と表記される。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/29(火)~11/10(日)
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大伴家持(七一八?~八五)
- プチプロフィール
旅人 の長男。『万葉集』収録歌最多の歌人として名高く、その主要な編者であったとも考えられている。激しい政争の中を不遇なまま過ごしただけでなく、没後に発生した藤原種継 暗殺への関与が疑われ、大同元年(八〇六)まで除名処分を受けた。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録- 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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在原業平(八二五~八〇)
- プチプロフィール
- 平城天皇の王子
阿保親王 を父、桓武天皇の皇女伊都内親王 を母として誕生。『三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」と評され、和歌を能くする美男として伝えられた。『伊勢物語』の主人公のモデルとしても有名で、六歌仙にも選ばれている。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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素性法師(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 遍照の子。『大和物語』一六八「苔の衣」には、父の在俗中に生まれ無理に出家させられたという兄・由性のことが語られるが、ともに素性も幼くして仏道に入ったと考えられている。仁明天皇の皇子である
常康親王 の雲林院に父とともに出入りし、宮廷人と交流した。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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藤原兼輔(八七七~九三三)
- プチプロフィール
- 三十六歌仙の一人である藤原清正の父で、紫式部の曽祖父にあたる人物。邸宅が賀茂川堤にあったため
堤中納言 と呼ばれた。藤原定方 とともに、紀貫之や凡河内躬恒 などの庇護者として宇多・醍醐朝の歌壇を支えた。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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藤原敦忠(九〇六~四三)
- プチプロフィール
- 時平の三男として生まれ、天慶五年(九四二)には権中納言従三位に昇る。諸芸に優れ、近江西坂本に別荘をもった。女流歌人との贈答歌も多い。三十八歳で死去した。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 11/6(水)~11/24(日)
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源公忠(八八九~九四八)
- プチプロフィール
- 光孝天皇の孫で、
信明 の父。醍醐・朱雀朝の蔵人 であった。滋野井弁とも号す。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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源宗于(?~九三九)
- プチプロフィール
- 光孝天皇の孫で、寛平六年(八九四)に源姓を賜わって巨籍に下り、従四位下に叙された。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/4(月)
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藤原敏行(?~九〇一)
- プチプロフィール
- 宇多朝歌壇で活躍した歌人。『伊勢物語』第一〇七段「身をしる雨」などから、在原業平と親交があったと考えられる。能書家としても知られ、京都・神護寺にある貞観十七年(八七五)銘の梵鐘の序詞は敏行が揮毫した。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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藤原興風(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 我が国最初の歌学書『
歌経標式 』を著した浜成の曽孫。管弦に秀でたという。院藤太と号した。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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坂上是則(?~九三〇)
- プチプロフィール
- 『後撰和歌集』撰者で「
梨壺 の五人」のひとりとなった望城 の父。田村麻呂の子孫と伝えられる。宇多朝末期から醍醐朝の歌壇で活躍した。蹴鞠 の名手としても知られる。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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小大君(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 三条天皇(九七六~一〇一七)が皇太子であったころに女蔵人として仕えた女流歌人。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 11/6(水)~11/24(日)
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大中臣能宣(九二一~九一)
- プチプロフィール
- 頼基の子で、伊勢神宮祭主などを務めた。村上天皇の勅命により『後撰和歌集』の編纂と『万葉集』の
付訓 にあたった「梨壺 の五人」と呼ばれる寄人の一人。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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平兼盛(?~九九〇)
- プチプロフィール
- 篤行の子で、存命時に成立していたとされる『大和物語』にも優れた歌人として複数回登場する。「天徳内裏歌合」において、「忍ぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで」を詠み、壬生忠視(72)の秀歌と競い勝った話が有名。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/20(日)~11/10(日)
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紀貫之(八六八頃~九四五)
- プチプロフィール
- 醍醐天皇の勅命により『古今和歌集』の撰進にあたり、あまりにも有名な「
仮名序 」を著した当代歌人に第一人者。『土佐日記』の作者としても知られる。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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山辺赤人(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 奈良時代の歌人で、詠歌年がわかるものによれば、活動は少なくとも神亀元年(七二四)から天平八年(七三六)に及ぶという。『万葉集』巻第十七で大伴家持が称揚した「山柿の門」は、山辺赤人と柿本人麻呂のことを指す(異説あり)。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 11/10(日)~11/24(日)
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僧正遍照(八一六~九〇)
- プチプロフィール
- 素性の父で、六歌仙にも選ばれている。仁明天皇崩御により出家し、陽成天皇誕生のとき京都山科の
元慶寺 を開く。花山 僧正とも。説話にも数多く登場する。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/29(火)~11/10(日)
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紀友則(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 貫之の従兄で、同じく『古今和歌集』の撰者に任ぜられており、その中で官位年齢ともに最も上である。ただし同集には貫之による友則への追悼歌が収められることから、成立前か直後に亡くなったと考えられる。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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小野小町(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 六歌仙にも選ばれ、平安前期の歌人と交流したことも確かめられるが、血縁や身分は明らかでない。後世に美女の代名詞となって人々の想像力を刺激し、能、浄瑠璃、お
伽草紙 などにおいて、好色であったことや醜く老いて不幸な晩年を過ごしたことなど、さまざまな伝説が付され語り継がれた。『古今和歌集』「仮名序」では、後に和歌三神に教えられる衣通姫 の流れに位置づけられている。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/4(月)
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藤原朝忠(九一〇~六六)
- プチプロフィール
- 定方の五男で、土御門中納言と号した。天慶九年(九四六)、村上天皇即位の大嘗会で悠紀方の和歌を詠むなど重んじられ、
笙 にも優れたという。『大和物語』六「はかなき空」には、愛し合った人妻との別れに歌を寄せた話が載せられている。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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藤原高光(?~九九四)
- プチプロフィール
- 存命中に成立した『
多武峯少将物語 』で知られる。同物語は『高光日記』とも呼ばれ、応和元年(九六一)に出家して多武峰に籠った高光の経緯を、残され悲嘆にくれる妻子らとの贈答歌を中心に記したもの。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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壬生忠峯(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 『古今和歌集』撰者の一人で、忠視の父。『和歌体十種』の作者と伝えられる。身分が低いことを嘆く(『古今和歌集』一〇〇三)が、歌人としての評価は極めて高かった。詞に藤原定国の随身というのは『大和物語』一二五「かささぎの橋」などに基づく。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/24(日)
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大中臣頼基(?~九五八)
- プチプロフィール
- 能宣の父で、優れた歌人が六代続いた大中臣家歌人の祖。伊勢神宮祭主などを務める。
屏風歌 ・賀歌 ・行幸供奉歌 といった公的な詠進歌が多い。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/29(火)~11/24(日)
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源重之(?~一〇〇〇)
- プチプロフィール
- 清和天皇の皇子
貞元親王 の孫で、冷泉天皇の東宮時代に帯刀先生 として仕える。その際奉った『重之百首 』は最古の百首歌である。陸奥守となった藤原実方 の随行し、同国で没した。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(火)~11/24(日)
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源信明(九一〇~七〇)
- プチプロフィール
公忠 の子。地方の国司を歴任し、村上天皇の代には屏風歌 を奉っている。中務 との贈答歌が多く、親密であったらしい。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録- 特別展公開期間
- 10/12(火)~11/24(日)
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源順(九一一~八三)
- プチプロフィール
- 嵯峨天皇の血統に連なる
拳 を父とし、村上天皇の勅命により『後撰和歌集』撰歌と『万葉集』の付訓 をおこなった「梨壺の五人」の一人。『和歌類聚抄』の撰進もよく知られる業績である。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(火)~11/24(日)
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清原元輔(九〇八~九〇)
- プチプロフィール
深養父 の孫で、清少納言の父。村上天皇の勅命によって『後撰和歌集』撰進 と『万葉集』付訓 をおこなった和歌所寄人 「梨壺 の五人」の一人。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録- 特別展公開期間
- 10/12(土)~11/4(月)
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藤原元真(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 天徳五年(九六一)には従五位下に昇った歌人。本図の詞では清原元輔の弟として紹介されており、「清原元真」と記す写本も存在する。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/12(火)~11/24(日)
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藤原仲文(九二二~九二)
- プチプロフィール
- 冷泉天皇の東宮時代の
蔵人 などを経て、貞元二年(九七七)正五位下に昇った人物で、藤原公任とも交流をもった。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録 - 特別展公開期間
- 10/12(火)~11/24(日)
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壬生忠視(忠見)(生没年不詳)
- プチプロフィール
- 忠峯の子。「天徳内裏歌合」で「恋すてふ我名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」を詠み、平兼盛の秀歌と競い合った末敗北した話が有名で、一部の説話では悶死に至ったとさえ伝えられる。出典:『特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美』図録
- 特別展公開期間
- 10/12(火)~11/24(日)
特集番組「響きあう美 佐竹本三十六歌仙絵」
100年前に「切断」された秘宝「佐竹本三十六歌仙絵」が過去最大規模で京都国立博物館に集結します。「佐竹本」は旧秋田藩主佐竹家に伝来した鎌倉時代の絵巻。しかし大正8年、日本美術界を揺るがす大事件「絵巻切断」で一歌仙ずつに分割され流転します。番組では、和歌と歌仙絵と表具が絶妙に響き合う究極の美を、高精細8K映像で堪能します。さらに最新の科学分析も行い、超絶技巧で描かれた幻の王朝美の神髄に迫ります。
(10/12~11/24京都国立博物館で開催 NHK・NPN近畿主催)

[特別展]
流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美
(NHKサイトを離れます)