2023年度 第44回
BKラジオドラマ脚本賞 選評

大森美香(おおもりみか)

脚本家。福岡県出身。
脚本家のほか、映画監督や小説家としても活躍。2005年「不機嫌なジーン」で第23回向田邦子賞を史上最年少で受賞。NHKでは、連続テレビ小説「風のハルカ」「あさが来た」大河ドラマ「青天を衝け」のほか、多数の脚本を手がける。2016年「あさが来た」で第24回橋田賞を受賞。2017年「眩(くらら)~北斎の娘~」は文化庁芸術祭大賞や東京ドラマアウォードグランプリなどを受賞。

ラジオドラマの審査は二度目です。私は脚本の基礎をきちんと学んだ経験がありませんので、構成やテクニックというよりは、いかに面白かったか、登場人物や書き手の思いに魅力を感じたかを重視して審査させて頂きました。

今回拝読した脚本は書き手の皆さんが書き慣れていらっしゃるのか、作品として整っているものが多い印象です。登場人物も常識的な性格のよい方が多く、読後感もよく、楽しく拝読しましたが、その反面、「え? うそ!」ですとか、「うわぁ、よくわからないけどすごいものを見てしまった」という勢いと申しますか、強く印象に残る作品がなかったことは少し寂しい気がいたしました。気づかぬうちに不寛容社会が反映され、なるべくいい話にしよう、誰もが共感しやすい主人公にせねば、というお気持ちがあるのかもしれません。わかります。実際、脚本家として仕事を始めますと、視聴者から苦情がでないようにですとか、コンプライアンスだとか、そういうことを求められてしまうことは多々あります。しかし公募作品にはそういったしがらみなく、皆さんの得意な分野を、誰が許そうが許すまいが自由に思い切り表現してよいところが魅力だと思います。映像というしばりのないラジオドラマの世界ならばなおさら表現の可能性は広がるかもしれません。私たち書き手の一番聞きたい言葉は、聞かせたい言葉はなんなのかということをとことん突き詰めた作品を作って頂きたい、いや、私自身もこれからもっと作らねば! と自戒もこめて感じた審査でした。

『もう一度母になる』

主人公のシングルマザー・湊さんが孤独な少年・蒼汰くんと出会い、成長してゆく、というスタンダードでありながら、とても気持ちのよいお話でした。

冒頭から聞こえてくるフェリーの汽笛やエンジン音、誘導笛、湊さんのトラック内の音楽など、音がいい効果になりそうだな、とワクワク。ただ肝心な湊さんや蒼汰くんのキャラクターがちょっとわかりづらかったのです。「高卒で家出をして旅先で恋に落ちて結婚し夫亡き後は大型トラックドライバーとして頑張る」湊さんと、「義母に言われて仕方なく子作りし、その子を引き渡せと言われ、私には育てる資格がないからと言い返すこともできずにうじうじ迷う」湊さんがどうもひとつの人格として見えてこない。「子供は苦手」というモノローグにドキリとしましたが、読み進めますと蒼汰くんへの接し方は優しく親切ですし、どちらかというとおしゃべり好きといった印象で、せっかくの設定が生きていない気もします。蒼汰くんも今どきっぽさがあるだけで、子供という以上の個性が見えてきません。凛ちゃんもです。一貫性を持ったリアルな人格像が見えてくるともっともっと魅力的なお話になると思います。

モノローグは少々過多かもしれません。流れや台詞だけで十分に伝わるところがたくさんありました。

『コールバック』

狭い所から広い世界に繋がっているコールセンター、ロマンチックですよね。私もコールセンターで働く声の美しいヒロインを書いたことがあるのです。まず《尾道のコールセンター》という設定に大きな魅力を感じました。

冒頭から雪音さんとお客さんのやりとりを興味深く読みましたが、「助けて」というまゆさんの声を聞いた以降は、お客さんとのやりとりも、同僚のエリカさんとのやりとりも冗長に感じました。あの「助けて」はどうなったのだろうと気になって気になって……。そして「助けて」という声を「忘れていた」という雪音さんのモノローグには「え、うそ!」と思わず呟いてしまいました。この「助けて」がドラマが動き出すフックだと思ったのですが、雪音さん、忘れていたなんて! 本当は気になって気になってすぐにコールバックしたいのに、他の電話が次々かかって、仕方なく翻弄されて……ならわかるんです。でもやっぱり「忘れてた」があってしまうと、そのあと雪音さんがいくら自分の娘を思い重ねて必死になっても、まゆさんを救出しようと奮闘しても、もうちょっと雪音さんには感情移入しにくくなってしまいました。雪音さんの心の傷にリアリティが感じられないと、江崎さんも康太さんもエリカさんも物語の世界感自体が主人公に甘すぎるように感じてしまいます。職場で使うきちんとした言葉使いと、家に帰ってから使うのびのびした尾道の方言の響きの違いは、とても面白い効果になりそうだと感じました。

『この世の果て』

まず設定がとても面白いです。殺伐とした現代から、北海道にあるこの世の果てへ。そこで主人公が海に入水自殺をはかったかと思えば、あの世の一つ手前にある遊郭へたどり着いてしまう。それらを音で見せてゆく流れにわくわくしました。そしてそこが野付半島にかつてあったといわれる幻の街《キラク》だったこと、遊女・そよさんの思い人である助三郎がオロシアの侵攻を見張る武士というのも、今なおロシアと日本の国境問題が解決していない点からみても興味深い設定ですし、この遊郭の支払いが《お金》ではなく《憎しみ》でというのも面白い。《憎しみ》を失うことは相手を許すことであり、それは果たしてめでたいことなのか否か、の問いかけも素晴らしいですね。36ページぐらいまでとても面白く読みました。それがコウモリが出るあたりからでしょうか、次第に何を楽しめばよいのかわからなくなってしまったのです。物語が進めば進むほど、そよさんの人物像が「娼婦」+「女神」という男性にとって都合の良い女性像であることがどんどん見えて来て、主人公を含めた男たちの身勝手さに辟易としてしまったのかもしれません。そしてさよさんは「自分自身を愛して」という素敵なメッセージを主人公に与えつつも、44ページ以降は一切登場せず、独りよがりな男たちの会話が延々続いたまま物語が終わってしまいました。寂しい。設定で盛り上がった分、人物像にもう少し魅力が……とつい思ってしまったのですが、ただ書きたい世界感を突き詰めていらっしゃることや、《憎しみ》という正解のない問いにとことん向かわれている姿勢は素晴らしいと思いました。

『海を滑る子』

読んでいて登場人物の位置関係や動き、物語の起こっている場所がよくわからないところがありました。

3ページの「よーい」という台詞のカイトくんは、美佐子さんから見たどの位置にいるのでしょう。数メートル先なのか、もっと20メートルぐらい向こうなのか、どんな場所に立っていて、どんな風貌の人なのか? そのあとの美沙子さんの「……」はラジオで聞くことを想像すると不思議な間になってしまいそう。またその5つあとの美沙子さんの台詞「ちょ、は、離して」を読んだ時には「『離して』ってことは、美沙子さんはカイトくんにどこか掴まれているってこと?」「いつの間にそんな距離に?」「急に掴んでくるとかどんな男なの?」などなどいろんな疑問が生まれてしまいました。12ページも学校のチャイムから始まったので教室なのかと思っていたら、プールに突き落とされてびっくり。クラスメイトではなく、水泳部の部活の描写だったんですね。あと選考会前の貴重な休養期間に美沙子さんが、伊豆大島のその神社に何をしに来たのかがよくわかりません。有名な神社でもなさそうですし、雑誌やSNSで神社の写真でも見かけて運命を感じたのでしょうか? 知り合いがいるわけでもなさそうだし、お参りだけしてすぐ帰る気だったのか、それとも数日泊って観光をするつもりだったのか、ディティールがわからないため出会いの設定のためだけに来ているように思えてしまいます。また6ページのカイトくんが泳いでいるのを初めて見た場面で特にインスピレーションを受けた様子もないので、指導したいという心境になる流れが唐突に思えました。カイトくんも見ず知らずの女性に血が出るほど海砂利を投げつけるなど15歳にしては言動が幼い気もします。しかし色々言いましたが読み終わり感はよかった! はじめが面白く尻つぼみになる作品は多々ありますが、この物語は最後に向かうにつれて青春感溢れる生き生きした空気に包まれ、登場人物を応援したくなりました。細やかな味付けがあればもっとダイレクトに作品の世界感が伝わりそうです。特に52ページのカイトくんの「……重」という台詞が好きでした。

『芸術において不道徳は存在しない』

冒頭の独白から面白いです。主人公の鴨下先生は大学で講義を頼まれるほど有名な彫刻家でありながら、46歳にしてはすでに終わってる感があり、大学生たちには「過去の人」と呼ばれ、愛人兼助手の律子さんに愚痴をこぼしつつ、公募展の審査などして過ごしています。それがある日、17歳の息子・哲太くんが亡くなったお母さん・美沙さんをモチーフにして作った彫刻作品を見て「息子は俺より才能があるのか」と嫉妬し、焦りはじめるのです。そして創作意欲に火がつき……。この作品の一番の魅力は鴨下先生その人です。息子の作品を素晴らしいと思いつつも芸術家として認めたくない心の狭さ、愛人に見せるプライドの高さと自分勝手さ、義父に不貞をとがめられても「それが芸術です」と言い切る開き直り加減などなど、欲望に忠実過ぎる言動の全てがかえって正直で清々しいのです。

その一方で何でも受け入れる美しい愛人や、朝から愛人の代わりにトーストを焼いてくれる哲太くんには、人間味が感じられません。後半に出てくる義父もわかりやすい悪役です。第二の主役であるはずの哲太くんにもっとお母さんのことが大好きな良い子であること以外の人格があれば、また他の人物にも膨らみがあれば展開や結末にもう少し感情移入できたかもしれません。

また鴨下先生の彫像は写実系で想像したのですが、哲太くんの彫像の描写が、マリノ・マリーニ、ボテロ、埴輪(土偶ではなく?)、太ったモナリザといろいろ出て来て、哲太くんの個性が見えないだけに一体どんな彫像なんだろうかと混乱しました。あとト書きでとても細かくクラシック音楽の指定があったのですが、これは何か理由があるのでしょうか? 場面に合わせて聞いてみたのですがちょっと理由がわかりませんでした。

『大和川——明日に向かう流れ——』

1~4ページまでの長右衛門さんとお亀さん、お房さんの会話は設定の説明ではありますが、方言が気持ちよく、長右衛門さんの人柄も見えて楽しく読みました。でもやはり4ページは長すぎるかもしれません。

12ページのSE「激しく川の流れる音」を読んだ時点で、きっとお糸さんは何かしらの目的(多分、復讐)のために長右衛門さんのところに行くことにしたんだなと推測しました。機織りの音と、すぐに長右衛門さんに嫁入りしていたことから「鶴の恩返し的復讐か?」とドキドキハラハラ読み進めましたが、別の事件が起きたり、妊娠したり、となかなか復讐の気配はない。「私の邪推でした。ごめんなさい」と思っていたら、48ページでやっぱり復讐であることがわかりました。しかしここまで時間経過があると一体どの時点でお糸さんが復讐を考え始めたのかがよくわからない。12ページの時点ではなく庄屋さんの懺悔を聞いてからでしょうか? だとするとそれまで長右衛門さんのことは普通に好きで夫婦になったのでしょうか。このあたりのお糸さんの気持ちの流れがよく見えず、混乱しました。

全体を通して台詞が心地よく、モズの声などの季節感もとても魅力的に感じました。終わり方も綺麗なのですが、ここまでハッピーエンドだとただ都合の良い話に思えてしまったのが残念です。長兵衛さんが最初から最後まで常識を崩さない優しい人だったからかもしれません。誰もが自分の幸せのことしか考えてない。だとしたら何が正解なのかという問いの答えが「縦糸と横糸」では亡くなった方たちは報われない気がして、他の結末も見たくなりました。

『あの子の風鈴』

最終審査で読ませて頂いた作品の中で、登場人物に一番リアリティを感じたのがこの作品です。

主人公のるいちゃんのお母さんや望ちゃんへの言葉遣いがものすごく自然で、引き込まれました。るいちゃんのモノローグの入りどころも、その言葉のセレクトも絶妙で、何も言うことがありません。るいちゃんの弱くてズルいところが特にリアルで、リアルすぎてちょっと痛いほどでした。ちょっと息苦しいようなリアリティの中で、海の中にいるふわりとした不思議な夢が面白い効果を出していると思いました。

風鈴、夏休み、台風、甲子園の中継、扇風機、水族館……夏の情景が良いですね。るいちゃんのひと夏の出来事が静かに流れていく様子にちょっと切ない気持ちになります。望ちゃんに、

「るいちゃんはともだち」「ともだちだよ」

と言われた時、つい泣いてしまいました。

貝殻の風鈴はどんな音なのでしょう。ラジオで聞けるのが今から楽しみです。

『週刊 田中一郎』

二十年ほど前に輪転機が回るのを見たことがあります。すごい音ですよね。インクの匂いがして、なんとなく新聞の聖地に足を踏み入れたような気になったのを覚えています。だから蒼太さんの地方新聞を馬鹿にしたような態度につい「なぜ君が最終試験まで残ったんだ。落ちてしまえ」という気持ちにもなりつつ(←作者さんの狙い通りだと思います)、田中一郎さんとの運命の出会いを楽しく拝読しました。

愚痴ばかりの蒼太さんも、へらへらの田中さんも、無駄にいつも一生懸命な玲奈さんも、途中から出てきた幸恵さんも、みんな欠点もある愛すべき魅力的なキャラクターばかりで、お仕事ものとしてもヒューマンドラマとしても楽しみました。しかしだからこそ「実は不治の病」という展開が残念でした。そうなってしまうと、「未熟だった蒼太さんが亡くなった田中さんのためにも頑張って、いい新聞記者を目指す」というラストがもう見えてきてしまいます。実際、お話もそこで終ってしまいました。そういった展開でなくても、蒼太さんを成長させる手段はもっとあるのではないかと思いますし、この4人のキャラクターならば死の影がなくとも天橋立のシーンの会話は実りのある楽しいシーンが作れるのではないかと思います。記者になってからの蒼太さんと田中さんの不思議な友情も見てみたかった。なんなら蒼太さんが落ちて、「来年もう一回頑張れ」と慰める田中一郎さんも見てみたかったです。

『ジョフウ』

女性たちが生き生きとしています。テニススクールに通う主婦・朱美さんと陶子さんの会話がユーモラスで、コーチの伊達先生も素敵。そこから急にジョフウ(女性用風俗)の話になったのでびっくり。このタイトルはそういう意味だったのかと。女性同士がこの手の話をさらりとするドラマはなかなか新鮮で、会話が明るくリアルなこともあり、この先をどう描くのか興味津々でした。

しかし女性陣のキャラクターに反比例するように夫の大輔さん、息子の翔くんら男性陣のキャラクターがとても薄い。朱美さんも陶子さんといる時の生き生きしている様子に比べ、家族といる時の憂鬱な感じ……ここに妙なリアリティがあって苦しくなります。そして一番残念だと思ったのはジョフウをモチーフにしているにも関わらず圧倒的に魅力不足な男性セラピストのマサキさん。彼があまりに普通です。行為の過程もおっぱいの褒め方も通俗的で何の面白みもない。別に美男子でなくてもいいし、性行為にも限らないので、夫や日常生活では得られなかった何か面白い気付きをひとつでも朱美さんに得させてくれる魅力ある人物だったほうがよかったのではないでしょうか。彼がとるに足らない人物だったためにジョフウに行ってからのお話がそのまま尻つぼみになってしまいましたし、それで満足する朱美さんの魅力も半減してしまった気がします。

陶子さんと「女風は悪いことじゃない」と肯定し合い、夫を見て「この人(夫)にも誰にも言えないことがあるのかも」と感じる自己満足的な終わり方も、少々寂しい気がしました。それならばいっそのこと夫と息子に「私、ジョフウ行った!」と爆弾懺悔をして終わったほうがよかったかもしれません。いや、よくないか?

『ひかりの続き』

病室で目覚めたら体が動かず……という設定ですが、先日放送されていた新人シナリオ大賞ドラマの主人公も昏睡状態となって入院した男性だったためか、ちょっと既視感がありました。人気のシチュエーションなのでしょうか。それでも主人公の宮田さんの発する言葉が面白く、まばたきでの意思表示や、元妻・香耶さんの嚙み合わない台詞のやりとりも微笑ましく拝見しました。

主人公たちだけでなく、香耶さんのお父さんも根はいい方ですし、荻野先生もいい人ですね。社会は厳しくとも優しい病室の世界感にしみじみします。ひとつ気になったのは、寝たきりで頭の中で話している宮田さんと、過去の体が動いていた頃の宮田さんの性格にギャップがあること。現在の寝たきりの宮田さんはツッコミ上手で楽しい人という印象ですが、過去の居酒屋の経営している時の宮田さんはぶっきらぼうで頑固な日本男児という印象。同じ人と思えないほどキャラクターが違って見えるのです。

二人の幸せそうな様子がとても素敵なラストシーンでしたが、会話補助器で今まで3文字やっとだったのが、最後の最後になって急にあれほど大量の文字を読めるようになってしまうと、ちょっと興ざめしてしまうかもしれません。もう少し厳選した少ない言葉で伝えられた方がストレートに胸に響く気がしました。

オカモト國ヒコ(おかもとくにひこ)

劇作家、演出家。大阪府出身。
演劇プロデュースユニットBALBOLABO主宰・作・演出。舞台脚本の他、NHK「FMシアター」「青春アドベンチャー」などラジオドラマの脚本、関西制作のTVドラマ脚本なども手がける。NHK連続テレビ小説「てっぱん」の脚本協力。FMシアター「薔薇のある家」で平成22年度(第65回)文化庁芸術祭優秀賞、(第48回)ギャラクシー賞優秀賞、特集オーディオドラマ「橋爪功ひとり芝居 おとこのはなし」で平成24年度(第50回)ギャラクシー賞優秀賞受賞。

今年から応募条件の「関西を舞台に」という制約がなくなったそうです。
そのためか例年に比べて応募作品数もぐんと増えたとのことですが、何が変わったといって、我々選考委員の手元に送られてきた最終候補作10作の読み易いこと読み易いこと。
明らかに書き慣れた手練れ達による作品が揃いました。
関西のことあんまり知らないしな・・・、と敬遠していた全国の猛者たちが一挙に襲い掛かってきたということでしょうか。
何はともあれ読み易いのは非常に助かります。読み手として。
助かりますが、例年数作はあった「なんでこんなこと思いついたんだろう」といった驚きのある作品は残念ながら減ってしまったように思います。完成度という基準で勝ち抜けなかったのか、もともとそういうのがなかったのかは分かりませんが。
今年の十作品全体の傾向として、リーダビリティの高さ、おとなしめのストーリー、善良すぎて都合よく感じられる脇役たち、が挙げられるかと思います。
議論の結果、受賞には最もエモーショナルな作品、最も大きなテーマの作品、最も筆力が感じられる作品が選ばれました。
応募いただいたすべての方々、お疲れ様でした。
受賞されたお三方、おめでとうございます。

『もう一度、母になる』

オーディオドラマとして、音が芝居できるロードムービーのような仕掛けはとてもよいと思います。
幼い娘を養女にやり、母であることを辞めようかと悩んでいる女トラックドライバーが主人公、そこに12歳の少年がヒッチハイクをしてきて・・・
こうなったら、もうストーリーは言わずもがな。まったく裏切られることなく、タイトル通りもう一度母になろうと決意するラストまで一本道という印象でした。
ストーリーに起伏がないのも問題ですが、まず主人公の心を変化させる少年のキャラクターが薄すぎると感じました。
最初に提示した幼い娘のことなんて、いったん忘れてしまうくらいの強烈な個性との出会いになっていれば、少なくとも「この話、これからどうなっちゃうんだろう」という興味は生じたはずです。
また、緊急避難的にいったん乗せるしかなかったとしても12歳の少年を東北から東京まで乗せて行くのはどう言い訳しても誘拐です。
いくら「乗せてもらいなさいとお母さんがLINEで言ってる」と嘘をつかれても、ドタバタコメディでもない限りその程度の嘘で納得してしまう主人公を信じられなくなります。
逆に、聴く私達が「それなら乗せるしかないじゃない、いいから乗せてあげてよ!」と身をよじってしまうようなうまい仕掛けが作れたなら、少年を乗せてあげる主人公の株はぐっとあがったのではないでしょうか。

『コールバック』

冒頭のクレーマー達のモンタージュは、リアリティーがあって好きです。セリフも端的でなおかつそれぞれの人物像も浮かび、作者の筆力を感じさせます。
が、モンタージュはあくまで映像の手法です。
映像であればクレーム電話を受けている主人公の表情や仕草を見せることで彼女の人となりを紹介していくことが出来ます。しかしオーディオドラマの場合はそれが出来ません。残念ながら聴取者には、本筋に関係のない脇役クレーマー達の声を延々と聴かされる冗長な出だしと受け取られるのではないでしょうか。
中盤の、少女の監禁事件を電話だけで解決するサスペンスは、緊張感もありとても面白く読みました。相手の事情を声と音だけで推測するしかない状況は、まさにオーディオドラマを聞いている聴取者と同じ状況ですから、共感を持って入り込める良いシチュエーションだと思います。
しかし、その興味深い監禁事件は驚くほどあっさりと解決してしまいました。
そして解決後、中年女性である自分の再婚、長年会っていない娘の結婚、という家族のドラマが十数ページにわたって描かれて物語は終わりました。
正直、蛇足だと感じました。構成のミスだと思います。
監禁事件の顛末より、主人公の人生の岐路を大事に書かれていたのは分かります。しかし、客観的に一番の山場がどこだと感じられるかもう少し考えるべきです。

『この世の果て』

奇妙な魅力を感じました。
人生に絶望した底辺の醜男が入水自殺を図り、水の中の声に導かれていつの間にか江戸時代風の港町にある遊郭「キラク」にたどり着く・・・という導入もオーディオドラマとして面白くなりそうな出だしだと思います。
主人公はキラクで声の主であった遊女そよと出会い、そよを抱く。そして聞かされます。遊郭キラクの代金は「憎しみ」で支払うのだと。
奇抜な、興味深い設定です。
憎しみを支払えばその憎しみは消える。つまり、憎い相手を許してしまうことになる。主人公は憎い相手を許したくないが、そよを抱くこともやめられない。仕方なく憎しみを払っていく主人公は、ついに絶対に許したくない「親からの虐待」や「学校でのいじめ」への憎しみの支払いを求められる。
憎しみをこんな風に扱うアイデアは素晴らしいと思います。が、正直その設定をもう少しこちらに分かりやすく提示して欲しかった。
この支払いを拒否した主人公は、楼主から「あの世に行って憎しみを忘れるか、この世で憎しみを抱えて生きるか」の選択を迫られます。
この二択がピンときません。主人公も混乱していますが、一般的に死んだら憎しみは消えると思われますし、「この世」という表現をこのモラトリアム的な煉獄であるキラクの楼主が使ってしまうとそれがこの港町のことなのか、一般で言うこの世=「現世」のことなのか即座に理解できません。
結局ラストは、混乱したままの主人公が事故的に現世に戻されます。とっさに生きる方を選んだというようなことをエピローグで書いてますが、追ってくる楼主がわざわざその扉を開けて生きろと主人公に言ってるわけですから、自分の意思で選んだようには感じられませんでした。
この主人公は物語の中で成長しません。おそらくこの結末のために作者が意図的に成長させないようにしていると思います。
成長しない主人公の物語があってもいいとは思います。ただ、その場合は主人公以外が、例えばヒロインそよが成長していく仕掛けが必要だと思います。

『海を滑る子』

冒頭、スポンサーまでついているアスリートの主人公が試合直前に割とあっさり逃げ出してします。この展開のリアリティーラインと情緒的なタイトルから、この作品はアニメや漫画を想定した世界観なのではないかと思い、読み進めました。
物語は、スランプに悩む気の弱い女子競泳選手(オリンピック出場経験あり)が偶然神社で出会った15歳の少年のコーチとなることを決めてわずか21歳で引退する、というものです。
審査会では「21歳で引退はリアリティーがない」「スランプの主人公が何故その神社に行ったのかの理由がない」「引退してまでこの少年を指導したいと思った動機がわからない」との声が出ました。
オーディオドラマ脚本としてのこれらの欠点に反論の余地はありません。ですが、僕は最後までこの作品を推しました。
というのも、最初に書いたようにアニメや漫画の世界で想像すれば(二人を貞本義行のキャラクターで想像し、二人が出会う神社を山本二三の描く背景で想像し、二人のちぐはぐな会話を有名声優の声で想像すれば)、これらリアリティー不足の部分はほとんど許せてしまうような気がしたからです。
ただ、他の審査員の皆さんに「アニメで想像してください」とは言えません。それはめでたく大賞となって全国放送となった時も同じです。聴取者に、この作品はアニメになったところを想像してお聞きくださいとは言えません。
とはいえ僕が勝手にそう推測しただけで、作者が本当にそういった世界観で書かれたかは分かりません。
この作品は一言で言えばリアリティー不足です。しかしストーリーがもっとファンタジー要素のあるものであったら、また違った結果が出たのではないかと思います。

『芸術において不道徳は存在しない』

題材で非常に損をしていると思います。
音の出るものでなければなかなか臨場感を持ってもらえないのはオーディオドラマの宿命です。彫刻や絵の素晴らしさをいかに言葉で描写しようと説明以上のものにはなりません。
物語は、父と息子の相克という普遍的なテーマを父の側から描いています。面白い試みですが、物語はおおむね弱者である主人公が強者に挑むことによって成立します。あえて強者の側である父を主人公にするなら、相応の工夫が必要だったかと思います。
また、さらにこの物語を描きづらくしていると感じたのは、息子のキャラクターを今の若者を代表するような平熱の男にしてしまったことです。平熱の彼が能動的に父親に挑むことは終始ありませんでした。
息子が果敢にぶつかってきてくれなければドラマが生まれません。
ドラマが生まれないので手持無沙汰にならざるを得ない主人公=父は仕方なく自分の芸術論をべらべらとしゃべるしかなくなっています。
作者もドラマの空転が気になったのだと思いますが、ト書きにクラシック音楽の指定が執拗に書かれています。しかし、どのような曲をどこにどのようにつけるかは演出の範疇であって、物語上に意味がある場合を除いて脚本家にそれは期待されていません。
脚本家はいかに登場人物同士をぶつけドラマを盛り上げるかに集中すべきです。

『大和川——明日に向かう流れ——』

大和川の埋め立てによる両村の被害と利益という、言わば領土問題がテーマの作品。
時代劇でありながら今のトピックを想起させるものであると評価されました。
しかしながら、現実に解決が困難な問題を扱うことは勇気がいることです。
物語の中で安易な答えを出すことは憚られるものの、何も解決しないのでは物語にする意味がない。非常にバランスが難しいです。実際、この作品の、終盤のどんでんがえしからラストにかけての展開に、僕は全くついていけませんでした。
もう一つ、この作品は江戸時代を舞台にした時代劇として描かれていますが、この台詞回しは、時代劇というよりは落語のそれだと感じました。
落語の登場人物は、それまでのいきさつを問わず語りに口に出し、今何を感じているかの心情をしっかりと自分で説明します。話芸として、聞かせ所を立て、人物像や筋立てを明確にするためでしょう。
落語では自然なことでも、オーディオドラマの登場人物がこのように話すと、何故この人はいちいち説明するんだろうと不思議に感じます。とはいえ、昭和の有名ホームドラマでも登場人物がすべてセリフで延々と説明する作風のものがありますから、聴取者に親切なのだと言われればそうかも知れません。
ただ、物語のクライマックス。ヒロインであるお糸が自分の正体と長年の企みを主人公・長右衛門に明かす場面はどうでしょうか。
ここは一工夫して、長右衛門が薄々感づいていて長右衛門から語る、という展開ではダメだったでしょうか。
言わぬが花という言葉もあります。
お糸が自らべらべらと感情たっぷりに説明することで、こちらの想像の余地がなくなります。我々観客が想像したかったお糸の秘めたる気持ち、表層には出さない引き裂かれた思いはなかったのかと感じられてしまうのです。
自分で自分のことを説明させるのは非常にリスキーです。少なくとも、人物の深みのようなものは損なわれてしまいます。
物語の解決にも人物像にも、こちらが想像で埋めることの出来る余地を残しておくべきではないでしょうか。

『あの子の風鈴』

最も小品で最も平凡とも言える本作が、満場一致で最優秀となりました。
この作品の好きなところは作者の実体験、少なくとも過去に実際に感じたことのある感情が、作品の中にしっかり込められていると感じられるところです。
嫉妬、不安、悪意、後悔、罪悪感。
思春期の息苦しさが、ひと夏の物語として、すっと入ってきました。
中でも主人公るいが見る悪夢の描写は秀逸です。愛憎半ばする相手が水に流されていく様子はうまく言えませんが他人事とは思えず「見たことあるよこの夢」とつぶやいてしまいました。オーディオドラマとしても風鈴と海という、二つの音でこの悪夢がどう表現されるかオンエアで聴いてみたいところです。
また、物語全体に主人公るいのエモーションが動いていない場面がなく、彼女の危なっかしい行動によって展開されるストーリーはスケールこそ大きくないものの、緊張感もあり目が離せません。
最後の最後までエモーションが動くラストシーンも見事です。なんとも言えぬ苦味のある読後感でした。
とはいえ、物足りなかったところも多いです。
例えば、母・佳苗と、母に気のある男・田辺のキャラクターにはもう一癖二癖、毒を持たせるべきではなかったでしょうか。
るいと望の思春期二人の関係性に集中すべきとの判断かも知れませんが、大人たちが善良なだけの書割じみた印象になってしまっています。
彼女ら子供の世界とは別に大人の世界も同時にダイナミックに動いており、子供たちはそれを薄々わかっていながら見ないようにしている、という構造になれば、るいの置かれた思春期という息苦しい世界がぐっと深みを持つのではと思いました。

『週刊 田中一郎』

滑り出しに非常に引き込まれました。
主人公が取材しろと向かわされる一般人・田中一郎がどんな人物なのか、一体どんな試練が待ち受けているのだろうかとわくわくします。
興味深い人物かと期待して会ってみれば一転、田中一郎はしょーもないパチンカスだったという裏切りもなかなか翻弄されました。
ただ、そのダメ人間っぷりが実は演じられていたものであり、その理由は実は彼が癌であり余命一年、それを素直に伝えられなかったからだという、その種明かしのシーンを読みながら何かとてもがっかりしたのを覚えています。
色々と想定されるであろう『田中一郎の謎』の中で、この答えは最も優等生的でありながら実は最も考慮不足なものではないでしょうか。
そこまでが面白く読めただけに真相のハードルがあがってしまったこともあります。が、ここからこの作品ならではの意外な真相と新鮮なドラマが現出していればと思わずにはいられません。
それ以外の要素は、主人公の蒼太が凡庸な青年という設定とはいえさすがにこれでは覇気がなさすぎるのではないか?とは思うものの、人物達もよく書けており作者の力量をうかがわせます。
同じ作者の別作品も読んでみたいと思わせる、力作だと思います。

『ジョフウ』

女性用風俗という難しいテーマに挑んだ作品。
中年女性二人の会話がにぎやかで楽しいです。が、後半、いい話に着地しようとして大きくバランスを崩していると思いました。
主人公が乳がんになり「切除する前に男の人に触ってもらえて嬉しかった」だなんて、そんな伝家の宝刀を抜かなければいけなかったでしょうか。にぎやかなムードのままでも色々と興味深いことが描けそうな題材だったのでは。
NHK用に優等生ぶったことを書いておかなければという思いがあったのかも知れませんが、女性が女性用風俗を利用するにはもっと様々な理由があるはずです。
そこにリアリティーがあればそれだけで興味深く聴けると思いますし、ただ興味本位で行ってみたらハマってしまって・・・・という一見、下世話に思えるような話でも全然大丈夫だったと思います。
得られる喜びも男性の場合とはまるで質が違うものでしょうし、家族にジョフウ通いがバレる場合も男性のそれより大変な事態になりそうです。息子にバレるのと夫にバレるの、どちらが恐ろしいのでしょうか。夫の立場でそれを知ったら夫はどれくらい凹むものでしょうか。
その辺りの考えうるマイナス面を全く描かない今のままのストーリーでは、まるで女性用風俗のコマーシャルのように感じます。
「ジョフウは悪い事じゃないと思う」と主人公に言わせていますが、それは聞いた聴取者が勝手に思えばいいことです。
題材を選ぶセンスは素晴らしいです。ただ、もっともっと暴れて欲しかったです。

『ひかりの続き』

フランス映画に実話をもとにした類似作がありますが、それが理由で評価を下げたということは一切ありません。
まず、全身麻痺という重いテーマを暗くならず飄々としたモノローグで面白く書けているのは得難いことです。動けない主人公の心の声がなかなか楽しく、すぐにこの主人公のことが好きになりました。
ところが、回想シーン。店の経営について別れた妻と言い合いになるシーンで、すぐにこの主人公が嫌いになりました。夫婦で営む居酒屋の、主人公が口にする経営方針があまりに理想主義的で幼稚なものだったからです。こいつ、経営する気ゼロじゃん・・・と思ってしまいました。
主人公が欠点のある人間だというのは全然かまわないんです。
本業はそれなりにうまくやってるがパチンコ狂いであるとか、腕はいいが愛想が悪いとか、逆に客扱いは抜群にうまいのに料理への向上心がないとか、女にだらしないとかでも構いません。
ただ、経営方針、経営哲学そのものが幼稚である、というのは・・・何故でしょうか、とても応援しづらく感じました。
そんなこちらを置き去りに、全身麻痺になった主人公に献身的に寄り添ってくれる元・妻、主人公のリハビリにあまりにも協力的な医者と、主人公を甘やかす人々が次々と出てきます。こういう人物がいないと話が進まないのも分かります。であれば、この二人と主人公との間に、そういった行動をとるだけの然るべきドラマを作るべきです。セリフで設定を説明するのではなく。
また、4文字5文字の壁を超えようとずっと頑張ってきた会話補助機のリハビリなのに、急にラストだけ驚くような長文を打てるのは都合が良すぎます。ここはそれまで通り数文字でなんとか伝えようとする方がより感動的だったと思います。

新井まさみ(あらいまさみ)

脚本家。京都府出身。
2015年第36回BKラジオドラマ脚本賞で最優秀賞を受賞し、同作は2016年に文化庁芸術祭ラジオ部門で優秀賞受賞。その後NHK「FMシアター」「青春アドベンチャー」などラジオドラマの脚本やTVドラマの脚本、ゲームシナリオなども手がける。FMシアター「エンディング・カット」では令和元年度文化庁芸術祭ラジオ部門大賞、第56回ギャラクシー賞ラジオ部門奨励賞受賞。FMシアター「琥珀のひと」では令和四年度文化庁芸術祭ラジオ部門優秀賞受賞。

今年から「関西を舞台とした」という条件がなくなったこともあり、応募数が増えたとのこと。最終審査に残った作品のほとんどが、何度かラジオドラマコンクールにチャレンジされている(または執筆経験あり)であろう書きっぷりで、シンプルかつ安定感のある力作揃いでした。中には「この応募者の方、50分サイズをよく理解されているなあ」と思わずにはいられない、素材やテーマがはみ出しも不足もせず、うまく放送時間内にまとめた手練れの印象を受ける作品もありました。おそらくFMシアター等を聞いて傾向と対策を練られたのでしょう、少々あざとさも感じましたが、結果的にそのような作品が受賞にいたりました。念のため申し上げておきますと、審査は作者の氏名、性別、年齢などは伏せて行います。もちろん、執筆歴等もです。後日、受賞者のご経歴をうかがって、なるほどと納得いたしました。

とはいえ完成度だけではなく、個々の作品にはそれぞれの持ち味がキラリと光り、独特の世界観や野心が顔をのぞかせていました。その魅力を最大限に引き出し、失速せず時間内に収める、その技術があれば、受賞にいたったかもしれない作品も多くありました。素材と構成と技術。このバランス感覚に優れていたのが『あの子の風鈴』と『週刊 田中一郎』、時代劇でありながら現代にも通じるテーマを恐れず打ち出してきた意欲作が『大和川——明日に向かう流れ——』でした。御三方、あらためて受賞おめでとうございます。

『もう一度、母になる』

北海道から東京までの長距離トラック。悩みを抱えたシングルマザードライバーの助手席に乗り込んできたのは孤独な少年。見知らぬ者同士、時には反発し合いながらもゴールを目指すロードムービー、と設定はわかりやすくリスナーの期待もふくらみます。が、問題は登場人物です。母でいることに自信も適性も感じないヒロインの横に座るのは、本当にこの少年だったのでしょうか。いろいろな可能性があったと思います。過去に子を捨てた母親、父親、または自身の母親、娘の友達、死んだ夫の元恋人、などなど…。

つまり、この設定で「母を求めている少年」と出会うと、タイトルにあるこの終着点しかあり得ないのです。先が読めている、かといって母をやめる結末に持っていっても共感は得られない(そもそも娘の描写が少なく母娘関係がつかみにくい)。そうなると50分のストーリーを運ぶのに困ってしまい、突然、動物の親子に遭遇するエピソードを挿入するしかなくなってくるのです。それならいっそ、少年なんかと関わりたくないといった態度で始めてもよかったのかもしれません。彼をすんなり助手席に乗せた時点でもう予定調和だったのです。そこからキャラクターの魅力で引っ張ることも可能ですが、今作の少年では、ややありきたりすぎました。

物流業界の2024年問題がニュースになっています。単独ドライバーがヒッチハイカーを拾って長時間運転することも難しくなるかもしれません。時代は変わります。新しい題材を見つけて次なる挑戦をしてください。

『コールバック』

コールセンターに勤める主人公の元に、偶然、監禁された少女からのSOS電話。事件の真相と解決までの緊迫したスリリングな展開を期待しました。が、あっさり上司が警察に連絡して事なきを得る。面白かったのは一瞬で、あとはどうでもいい話になってしまいました。事件と過去話だけでは50分持たなかったようで、ラストシーンは上司から主人公へのプロポーズ。失礼ですが、本当にどうでもよかったです。「幸せになってね、主人公」とは全く思えませんでした。そんな結末よりも、上司に頼らず自力で事件解決を導き出すヒロインの活躍・成長を見たかったです。そう期待させる前半のコールセンターでの人物描写がよかっただけに、後半の失速とナレーションで誤魔化してしまう手法が残念でなりません。

今は書きやすいところだけセリフで書いて、難しいところはナレーションに逃げている印象です。そこを我慢して会話で紡いでみてください。次回に期待します。

『この世の果て』

何をやっても上手くいかず、恨みを抱いて死んだ男が目を覚ますと、そこは時代錯誤な遊郭だった。不思議な扉が二つ、この世の恨みを代金にして遊女を抱くと“あの世”へ行ける扉が開き、恨みを捨て切れない者には“この世”に戻る扉が開くという。どちらか迷う男、簡単に恨みを捨て去ることが出来ないまま、薄幸な遊女に情が移り…。世にも奇妙なブラッシュアップ愛憎劇として最後までスラスラ読めました。

ですが、実は“恨み”というワンエピソードで同じことを繰り返しているだけ。こなれた筆致は魅力的ではあるものの、主人公に成長や変化はありません。遊女もステレオタイプな悲劇的アイテムとして描かれています。中盤、「自分を愛そう」との言葉は出てくるものの、その解決は曖昧で、恨みを抱いたまま自分を愛せたのか愛せなかったのか、わかりません。ラストで主人公は「わからない、ただ悔しくて…」と言ってこの世に戻ってきますが、これはどう受け止めればいいのでしょう。結末は読者(リスナー)の想像に任せます、といったスタイルなのかもしれませんが、これではドラマになりません。独特の世界観が素晴らしかっただけに、あと一歩踏み込んで、主人公に能動的な裁きなり許しなりを与えてほしかったです。

『海を滑る子』

若くしてオリンピックを期待された競泳選手の挫折。オープニングから引き込まれました。が、突然、島に場面が変わります。ナレーションでの説明はありますが、やや背景や事情がわかりません。だいたいは理解できるのですが、描写不足というか、もう少し丁寧に伝えていただきたかったです。たとえば、必勝祈願の島にやってきた主人公は服の下に水着を着ているというシチュエーションですが、それは競泳選手だから常に水着を着ているのか、それともどこかで着替えたのか、水着の上はどんな服装なのか、何泊予定の荷物を持ってどこに宿泊しているのか、そういったディテールが残念ながら想像できませんでした。同じように、なぜ吃音設定なのか、そんな彼女がどうやって見知らぬ土地の学校の水泳部と交渉したのかなど、いくつか疑問が残ったまま、だんだんと期待が萎んでいきました。

ラジオドラマは映像がない分、「この子はきっとメガネをかけているんだろうな」などとリスナーが自由に想像できる余白があり、それが魅力でもあります。その想像の補助となる情報をさりげなく仕込み、リスナーに疑問を抱かせることなく物語に巻き込むことを意識してください。

『芸術において不道徳は存在しない』

仰々しいセリフと音楽の指定、「芸術とは?」という崇高そうなテーマをぶち上げ、劇画チックテンションを保ったままの世界観には恐れ入ります。芸術家父子の確執がテーマなのでしょうが、息子の才能に嫉妬する父親と無垢な息子の対比、亡き妻を理想とし偶像化する男たち、金の亡者のパトロンが息子に仕組む画策、等々、令和とは思えない時代がかった作風でした。

中でも、女性の描写があまりに都合よすぎます。たとえば、弟子でもある愛人の女性。彼女にも芸術家としての野心はないのでしょうか?身も心も父親に尽くすだけの女性だとすれば、それはもう妄想上の生物です。彼女が裏切って成功してもいいのです。意地悪を言うと、ラスト前、彼女はどうやって息子の潜伏先の情報を得たのでしょう。これこそまったくのご都合です。また、息子も息子で天使のようにピュアですが、これが今時の17歳なのでしょうか。マスコミや世間の描き方も前時代的です。時代に迎合する必要はありませんが、ある程度のリアリティーは必要かと思いました。ぜひ、新たな挑戦をしてください。

『大和川——明日に向かう流れ——』

時代劇ながら現代にも通じる難しいテーマに挑戦しているところ、推しました。セリフはもう少し練らないと耳だけでは伝わりにくいかもしれません。それでも、「実は…!」という構成(これも最適解ではないのですが)に、他作品より企みを感じました。

村を悩ます川の氾濫。主人公は村人のため、川の付け替え工事を願い出て村を救った。その一方で、川の流れが変わったため困窮する村もある。庄屋の息子というそこそこ恵まれた主人公が、お人好しに見えて実は「己の利を取れば他が泣く」という事実を無自覚に肯定しているのが刺さりました。無自覚な強者。現代でも時々見かけます。解決は難しいでしょうが、強者の側から描こうとする姿勢に希望を感じました。ただ、そのことを気づかせてくれる弱者側の女性、お糸にはそこまで共感できません。彼女の哀しい企みも含め、もう少し入念にエピソードを配置して欲しかったです。

『あの子の風鈴』

第一印象が「いかにもFMシアターでやってそうな…」でした。それくらい完成度が高く、物語の舞台も人物配置も申し分ない、ひと夏の出来事としてうまく50分におさまっていました。もっと言うと、ラジオだからと風鈴という音アイテムも効果的に使われています。ただし、新規性はなく既視感多め。かわいそうな子猫を拾うのも、溺れる夢を見てハッと目覚めるのも、漫画、映画、テレビ、CMで幾度となく繰り返されています。腕のある方が、なぜ今、こんな手垢のついたエピソードで勝負しようと思われたのか不思議でした。主人公の少女も14歳にしては幼く、令和の中学生とは思えません。もっとリアルな14歳の「今」を感じとることが出来れば、もっともっと推せていたかもしれません。といっても、これも全て作品の水準が高いために厳しい言葉になっただけ。堂々の最優秀賞受賞おめでとうございます。

『週刊 田中一郎』

第一印象、書き慣れた方だな、と感じました。こちらも『あの子の風鈴』同様「いかにもFMシアターでやってそうな…」との意見が審査会で漏れましたが、その理由の一つとして、エピソードが尺に合わせて正確に計算されていることがあげられます。導入、主人公のピンチ、さらに悩ます展開、転機となる秘密の暴露、クライマックスとなるイベント、50分の間にとても上手く配置されていると感じました。

物語の前半、入社試験として「素人の田中さんを題材にして週刊誌を作る」という強引な設定も、なんとか乗り越えています。主人公と田中さんのキャラクターも無理なく入ってきました。しかし、残念なのが後半に明かされる田中さんの「余命いくばく」設定。もちろん悪くはないのですが、ベタでも感動できる作品は、もっともっと細かい心配りを散りばめて構成されています。「末期がんだからそうなるよね」設定に甘えず、「その手があったか!」と思わせるような仕掛けがあれば、もっと上の賞が狙えていたかもしれません。

『ジョフウ』

 “女風”と書いてジョフウ、女性用風俗の略とのこと。主婦のリアルが伝わってくる面白さがありました。乳がんと診断され乳房切除することになった主人公。手術の前に、セックスレスの夫ではない誰かに胸を触ってほしくて女風に足を踏み入れた…。しかし、やんわり誤魔化されています。本当に胸を触るだけで終わったのでしょうか。“性”を扱うなら、もっと劣情に訴えてほしかったですし、風俗の相手がたまたまいい人だっただけで、もっと危険な目に遭っていたかもしれません。もしくは止められなくなり、夫も異変を感じたかもしれません。主人公、夫、風俗の男、さまざまな可能性があり、男性たちのキャラクターによっては違う結末を迎えていたでしょう。できれば女ともだちとの会話に枚数を割くより、もっと男性側を描いてほしかったです。今のままでは安全なところにいて「乳がんだから」の言い訳に逃げています。タイトルにするくらい本当に女性用風俗を描きたいのであれば、きっかけとしての「乳がんだから」は違うのかもしれません。既婚女性が風俗を経験したいと魔がさす時を、フィクションだからこそ出来るもっと奥まで描く表現で、見たかったです。

『ひかりの続き』

事故で全身の自由を奪われ、まばたきだけで意思疎通をする男。病院で看病を続けるのは別れた妻。3年の空白を経て紡がれる元夫婦のまばたきによる会話。それは二人に新たな感情を呼び起こし…。と書くと、とてもいい話なのですが、元妻も医師も協力的でとてもいい人なので、結果、とてもいい話になりますよね。主人公がどうであれ、周りに助けられすぎていて、正直これでは都合よすぎるんじゃないかと感じました。

また、まばたきで音声ガイドが発動するという会話補助機。おそらく視線入力装置搭載のパソコンやモニターを使うものだと推測されますが、ディテールが描写されていないので想像しにくいです。同じシチュエーションの20世紀末のフランス映画では、文字表を人の手で「A、B、C…」と順に動かし、お目当ての字のところで主人公がまばたきで合図するという、恐ろしく時間のかかる手法が使われていました。現在はデジタル技術も発達し、音声ガイド付き会話補助機というものは、もっと使い勝手のよいものなのでしょう。ですが、形状も利用方法も、あまりに不明瞭。ト書きには「会話補助機設置音」と「会話補助機起動音」としかなく、これではどんな音で何の音かわかりません。このあたり、ラジオではとても重要で、映像がない分、なんとかして伝えるアイデアが必要です。主人公が言葉を発せられない設定なのでモノローグ大活躍なのは理解できますが、モノローグに頼りすぎて、キャラクター描写や情景描写が浅くなってしまったのが残念でした。