スポーツ

2022年03月21日 (月)

センバツ高校野球 諦めない心を伝え続け

甲子園球場は球児だけでなく、高校野球の指導者にとっても憧れの舞台です。その甲子園を春夏合わせて6回経験したベテラン監督がことしの大会を最後にユニフォームを脱ぎます。伝え続けたのは“諦めない心”でした。

東洋大姫路とともに



東洋大姫路高校の藤田明彦監督は、高校生のとき、東洋大姫路の外野手として甲子園に2回出場しました。その後、社会人野球などを経験したあと、1997年に母校の監督に就任しました。監督を離れた時期もありましたが、通算20年近く、チームを指揮してきました。藤田監督が大切にしてきたのが、野球を通じた人間形成です。指導してきた選手たちには“諦めない心”を持つように日頃から声をかけてきました。

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それが形となったのが、2003年のセンバツ大会でした。準々決勝で延長15回表にいったんリードを奪われながら、そのウラに追いついて引き分け再試合に持ち込むと、翌日も延長戦にもつれ込んだ試合をサヨナラ勝ちで制してベストフォーに進みました。

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藤田明彦監督
「高校はあくまでも人間形成の場なので、野球を通してフォローしてやれないかなということをずっと思ってきました。結局、今言っているのはあきらめたらあかんということなんです」

集大成のようなチームに



東洋大姫路は、藤田監督が65歳の定年を迎えるこの春、久しぶりに甲子園の切符をつかみました。
去年秋の公式戦は、勝った7試合のうち6試合が2点差以内の接戦。終盤7回以降の得点が決勝点となった試合も4試合ありました。まさに監督がこだわってきた“諦めない心”を表す、集大成のようなチームとして、甲子園に戻ってきました。

森健人投手
「集中力が欠けてしまうとやっぱりミスも出てしまうし諦めることが絶対一番だめなので差が開いていても接戦でも最後まで諦めずに戦い抜きたいと思います」

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最後まで諦めなかった



迎えた高知高校との1回戦。中盤に失点を重ね、4点を追いかける苦しい展開となりました。それでも8回、諦めない姿勢を見せます。相手のエラーとヒットでチャンスをつくり、4番の山根昂介選手のタイムリーツーベースヒットで2点差に追い上げたのです。

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山根昂介選手
「諦めないという姿を体現できたのではないかと思います」
藤田明彦監督
「流れが悪い中でも前向きに最後まで諦めず粘り強く戦ってくれた」

反撃は届かず、東洋大姫路は2対4で敗れ、藤田監督の最後の甲子園での戦いが終わりました。スタンドから大きな拍手が送られると藤田監督は何度も帽子を取って頭を深々と下げながらグラウンドをあとにしました。

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藤田明彦監督
「17歳のときに選手としてはじめて甲子園に来て、野球人生の最後を甲子園でそれも母校のユニフォームを着て終わることができるなんて思いもしなかった。最後にこの舞台に連れてきてくれた選手たちに感謝を伝えるとともに、野球はいつまでも続くものではないが人生は続くので社会に出てからも諦めない心を持ち続けてほしいと伝えたい」

(取材 神戸放送局 鶴本宏、甲子園取材班 福島康児)