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2021年02月24日 (水)

地元に愛された びわ湖毎日マラソン

 

びわ湖湖畔のコースを舞台に半世紀にわたって行われてきた「びわ湖毎日マラソン」。地元の人たちも、ボランティアなどとして開催を支えてきました。節目を迎える大会への思いを寄せてくれました。

 

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大津市の元職員、河村菊次さん(85)は、長年にわたって、大会の運営を担い、地元では「びわ湖毎日マラソン」の生き字引として知られた存在です。東京オリンピックの翌年、昭和40年の大会では、知人に頼まれて、マラソンの42点195キロを正確に測定する作業を手伝いました。その大会で2回目の優勝を果たしたのは「裸足のアベベ」としても注目を集めたエチオピアのアベベ・ビキラ選手。当時、アベベ選手と声を交わしたことを今も鮮明に覚えています。

「レース前に競技場でウォーミングアップをしていたアベベ選手の足があまりにも細かったから私の腕とどっちが細いのか声をかけたらニコニコしながら快く足を出して測らせてくれました。私の腕と同じぐらいの細さで驚いたんだけど、やっぱりしなやかというかカモシカみたいな感じでした。これがマラソンのトップ選手かと驚きましたね」

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 昭和40年の大会で2回目の優勝を果たしたアベベ選手


選手を苦しめた“びわ湖の風”との闘い



河村さんは、アベベ選手と出会ってマラソンに魅了され、本格的に大会運営に携わることになりました。取り組んだのは、コースの改定です。アップダウンのきつい場所を外し、なるべく平坦な湖畔沿いの道をコースに採用するなど、選手が走りやすい環境づくりに努めました。さらに、この大会は、びわ湖に向かって西側の山から吹き下ろす「比良おろし」という強い風も選手を苦しめてきました。

 

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レース終盤に向かい風となる「比良おろし」の影響を少しでも和らげようと、河村さんは風の吹きやすい時間帯や場所を独自に調査しました。午後2時頃に風が強まる傾向をつかむとレースのスタート時間を正午から午前中に変更するよう進言したり、なるべく風を受けにくいコースを選んだりと、改善を重ねたと振り返ります。

「選手が少しでも速く走れる環境を整えたくていろいろ試してみた。よい記録が出ると本当にうれしかったし、それで大会の名前が広がっていくことが誇らしかった」

 

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滋賀で最後の大会にやるせなさも…



河村さんたちの努力の結果、びわ湖毎日マラソンは好タイムが期待できる大会として国内外で広く知られるようになり、実力のあるランナーが名勝負を繰り広げてきました。それだけに滋賀でのレースが今大会で最後になることにやりきれなさも感じています。

「国内ではオリンピックの選考レースにもなっていたし、本当に選手の悲喜こもごもをこの滋賀の地で見てきたから、それが見られなくなるということは寂しい限りだね」

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 市民ボランティアとしてレースを見守る


 

 

大津市の原田隆介さん(77)も滋賀での大会終了を惜しむ1人です。市民ボランティアとして、沿道の警備員を50年以上務めてきました。原田さんは、レース序盤の13キロと、折り返しの28キロ地点で迎える「平津峠」と呼ばれるコース最大の“難所”で警備を担当しています。

「7メートルほどの高低差のある道路ですが、選手はよくしんどい顔をしていますね」

 

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「平津峠」は、レース後半で選手がスパートを仕掛けるポイントになっていて、中継などで紹介されるたびに、近くに住む原田さんは誇らしい気持ちになったといいます。

 

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ことしは、新型コロナウイルスの影響で、沿道の声援は自粛されるものの、今回も選手が安全に走れるよう沿道で警備にあたります。滋賀での最後の大会を心に刻みたいと考えています。

「びわ湖毎日マラソンというのは、びわ湖を知ってもらう最大のイベントだと思っていたので残念な気持ちがいっぱいですが、まずは事故がないように感謝の気持ちをもって有終の美を飾りたいですね」

 

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「びわ湖毎日マラソン」は、地元の人たちに長年愛されてきた大会であることを改めて感じさながら、大きな節目を迎えようとしています。

(取材/大津放送局 松本裕樹記者) 

↓ ↓ びわ湖毎日マラソンNHK特設サイト ↓ ↓ 

   https://www.nhk.or.jp/rr/biwako/

 

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