2019年07月04日 (木)
大阪樟蔭女子大学 田辺聖子文学館学芸員 住友元美さん
6月6日、作家の田辺聖子さんが亡くなりました。田辺さんは関西を拠点に、働く女性の恋模様や中年の男女の心の機微など、ユーモアたっぷりの文章で描き、幅広い世代に支持されました。大阪樟蔭女子大学田辺聖子文学館学芸員の住友元美さんに、お話を伺いました。
田辺聖子さんは、昭和19年から22年の4年間、前身の樟蔭女子専門学校国文科で学んでいます。平成19年、田辺さんの活躍をたたえ、学内に田辺聖子文学館が設立されました。文学館には、数々の直筆原稿や愛蔵品とともに書斎が再現され、窓辺の机には、書きかけの原稿と眼鏡、本棚と人形が並んだソファーや戸棚が置かれています。田辺さんは市松人形やフランス人形にも名前を付け、季節ごとに衣装を着せ替えるなど、大切にしていました。自分の大好きなものに囲まれた部屋で、名作が生まれていったのです。
15歳の時に書いた作文を「少女の友」に投稿し、入選作となります。テーマはお皿。日々使う皿の形や手触りを「日常の中の美しさと懐かしさ」と表現し、川端康成が「美しい心の文章、作文の精神の手本」と絶賛しました。田辺さんは後年、「憧れの文豪に褒められ、うれしかった」と書いています。
1964年、田辺さんは「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で芥川賞を受賞しました。自身と同年代のヒロイン、放送作家の有以子の恋模様を描いています。住友さんは、戦後復興と高度成長期の時代、女性も仕事を持ち、自由を手に入れ、自分の人生を自分で選んで生きていいのだという力強いメッセージを感じると言います。その後、「苺をつぶしながら」や「姥ざかり」等、田辺さんの小説には、どの作品にも生きることを謳歌しようという強い想いが込められています。
田辺さんは、若い人たちへのメッセージを寄せています。
「私は文学の限りなき力と魅惑を知っている。ことに若い世代への親和力を。」
自身が文学に助けられ、学んだこと、表現することの力を若い世代に伝えようとしました。
住友さんは、田辺さんの想いをこれからも伝えていきたいと話しています。
インターネットでも放送と同時に番組を聞けます。