関西ラジオワイド

2023年04月17日 (月)

「親と社会のあいだで生きる、CODA」についてお伝えしました!(後藤佑季)

こんにちは!早いもので、もう2年生になりました、アナウンサーの後藤佑季です。

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4月6日放送の「関西ラジオワイド」で、CODA(コーダ)についてお伝えしました。

CODAというのは、英語のChildren Of Deaf Adultsの頭文字をとった略称で、

聞こえない・聞こえにくい親の元に生まれた聞こえる子供のこと。

 彼らがどんな思いを抱えているのか、取材しました。

聞こえない・聞こえにくい親御さんにもお伝えできるよう、

ラジオの放送を、できる限り音声に即して文字にしました。

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 鹿島 親御さんが聞こえない、もしくは聞こえにくい、

それが、両方の親御さんなのか、片方の親御さんなのか、

そういう環境もいろいろ変わってきますが、

その親御さんのもとにうまれてきたお子さんで、

お子さんご自身は聞こえる、というと、聞こえない親御さんのために、

社会との懸け橋ということを、幼いころから務めてきているということなんです。

そのお子さんのことを、CODAというそうです。

「CODAあいのうた」という映画にもなったことで、

聞いたことあるかもという方もいらっしゃるかもしれません。

取材をしている、大阪放送局の後藤佑季アナウンサーです。

 

後藤 よろしくお願いします。

いま鹿島さんからご紹介ありましたように、CODAというのは、

英語のChildren Of Deaf Adultsの略です。

Children=子供のC、

OfのO、

Deaf=ろう(全く聞こえない)のD、

Adults=大人、親のAの頭文字をとった言葉です。

 

鹿島 C・O・D・A、ですね。

 

後藤 そうです、その頭文字をとって、「コーダ」と呼びます。

そのコーダというのは、聞こえない・聞こえにくい親のもとに生まれた

聞こえる子供たちのことです。

先ほどおっしゃった、「CODAあいのうた」だったり、

去年NHKBSプレミアムで放送した「しずかちゃんとパパ」というドラマにもなったので、

ちょっとずつ知っているという方も増えてきているのかなと思うのですが、

このCODAは、手話と音声言語の両方を使う家庭の中で育つことも多いんです。

 

鹿島 自分が聞こえるということは、例えば学校に行ったり外に行ったりすると、

音声言語を使いますし、おうちで聞こえない親御さんと

コミュニケーションとるときには、当然手話も。

勉強して身につけないといけないんですね。

 

後藤 そうですね、会話の中で覚えていく、というCODAの方もいらっしゃいますし、

ちゃんと勉強しないと覚えられないという方もいるんですね。

 

鹿島 バイリンガルになるのは難しいですからね。

 

後藤 なので、小さい頃から、

たとえば街中で買い物するときや病院に行ったりするとき、

聞こえない親と聞こえる外の人との会話の通訳をするのが当たり前だという人が多いそうです。

 

中倉 2つの言語を話せるって素敵だなと思いますし、

親御さんのサポートをしている姿、

周りの人が見て本当に偉いなと思うと思うのですが、

彼ら彼女たちにはいろんな思いがあるんですか?

 

後藤 そうなんです。そもそも、障害のあるなし関係なく、

一般的に考えても、親と子ども、

特に思春期のお子さんと親が分かりあうなんてとても難しいことですよね。

そういう反抗したいときでも、ぐっと我慢して通訳をしたり、

また母国語が日本語の場合には、日本語とは別の手話を身につけて、

親の言いたいことを理解し、それを伝えなければならない、

そういった難しさがあるCODAの方もいるんです。

そんなCODAの悩みを打ち明け合おうという会が先月、大阪市で開催されました。

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後藤 今回参加したのは学生11人を含む、あわせて18人。

大阪だけでなく、京都や兵庫からも集まりました。

いくつかのグループに分かれて、まずは、「自分の家庭環境」について話しました。

わたしが取材したグループでは、

高校生が3人、大学生が1人、そして社会人が1人でした。

このグループでは、親のどちらかが聞こえず、その親と話すときは手話と指文字、

聞こえる親とは音声言語である日本語、という家庭が多かったです。

親の通訳をすることについて、こんな風に話していました。

 

後藤 高校3年生の木村武哉(きむら・たけや)さんです。

 

木村さん今日も飯食べにいって、なんか支払いのときにカードがどうみたいな。

カード出しますか?みたいのあるんですけど、

父さんやっぱ言われてるの気づかへんから。

僕がやっぱ間に入ってっていうのやらなあかんていうの、ずっと。

子どものころからそれは」

 

後藤 もう一人、大学2年生の上野鼓生(うえの・こう)さんです。

 

上野さん:「僕のところは、僕がちっちゃいときから、

もう、なにか通訳するとかっていうふうになれば全部僕がやってたんで。

嫌になったときはないですね、僕は。

なんか、するもんやと思ってた」

 

鹿島  するもんや、と思ってやってたっていう(言葉がありました)。

そうすると、けんかしていても、そこ(通訳)はそこ(通訳)として

受け止めてやっていたということなんですかね。

 

後藤 そうですね、彼らにとっては(通訳することは)日常のごく一部、なんですよね。

反抗する、ということとは別の。

 

鹿島 そっか、そっか。それはそれ、これはこれ、なんだ。

 

後藤 一部なんですね。ただ、CODAと一口に言っても、

全員が手話を完璧にできるわけではないんです。

親がどれくらい聞こえるのか、もしくは聞こえないのか。

両親ともに聞こえないのか、どちらかだけなのか。

などによって、どれくらい手話が話せるか、人それぞれなんです。

それでも親とのコミュニケーション手段が、手話やジェスチャーがメインになることは

どの家庭でも変わりません。手話が十分にできないがために、

自分の気持ちを親にすべて伝えきることができなくて、

つらさを感じてきた人もいます。

 

後藤 この春から大学生になった川﨑結子(かわさき・ゆうこ)さんは、

母親がろう、父親がきこえる家庭に生まれました。

 

鹿島 そうすると、お母さんとは手話をメインにしたコミュニケーション、

お父さんとは音声言語で会話ができるという。

 

後藤 そうなんです、なので幼い頃は日本語よりも先に手話で話していたそうです。

お母さんといる時間が長かったので。

小学校低学年までは手話を使って話していたものの、

限られた手話の語彙力では、言いたいことがうまく伝えられず、

母親から聞き返されることが増え

「何回言っても伝わらない」と感じるようになったといいます。

「みんなは手話しなくてもいいのに、なんでせなあかんねん」と、

「なんでわたしだけやらないかんのやろう」と、

反抗期とともに、会話が減っていったそうです。

 

川﨑さん:「何回言っても伝わらないときとか。

私も手話を勉強してたわけじゃないんで、わからないし、バリエーションも少ないので、

手話だけで私の話を全て伝えることはできないっていうのもあって。

なんかあんまりコミュニケーションとれなかったです。つらかったなっていう風に思います」

 

中倉 子供の頃って、今日あった、「こんなことあって」っていうのを

すぐに家族に話したいと思うんですけども、

なかなかコミュニケーションとれないと、結構さみしい気持ちもありますよね。

 

後藤 まさにそういうことが話したかった、と言っていました。

川﨑さんは、中学から高校にかけてほとんど手話を使わなくなり、

お母さんとのコミュニケーションも最低限になったそうです。

 

鹿島 そっか、伝わらないから、そこで頑張るっていう気持ちにもなかなか、粘り切れない。

だったらもういいやってなっちゃったっていうのがあるんですね。

そういう時期ですよね、その年齢としてもね、きっとね。

お母さんも寂しかったと思う。

 

後藤 わたしも妹がいるんですけど、妹に何回聞いても「もういい」って言われたりもするので、

何回も同じことを言うっていうことはストレスだったのかなって思います。

 

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 後藤 その川﨑さんが改めて、手話が自分にとって大切なんだと思えるようになったきっかけは、

AO入試、自分の特性をアピールする大学入試を受けようと決めたことでした。

小さいころから音楽が大好きで、将来も音楽に関わる仕事をしたいと思ってきた川﨑さん。

通っていた音楽の学校の先生に「CODAだからこそ、人とは違う視点で表現したり、

音楽をつくることができるから、それは強みだね」と繰り返し言われていたそうです。

入試を前に、川﨑さんは、自分がCODAであることは避けられない、

自分のことをどう考えたらいいのかと、

何人かのCODAにインタビューを重ねました。そこで気づいたことが…

 

川﨑さん:「本当に自分は自分だみたいな感じの。

人と比べるとかじゃなくて、聴こえてたほうが良かったとか、

CODAが嫌だとかじゃなくて。

自分は自分みたいな感じで確立、自分を確立できたかなぁっていうふうに思いました。

CODAとしてなにができるんだろうって」

 

後藤 入試を経て、川﨑さん、いまはもう一度お母さんと手話で話し始めています。

 

中倉 いろんな経験されたからこそ、今の結子さんがあるんですもんね。

それは紛れもない事実ですよね。

 

鹿島 自分は自分だっていう言葉がありましたけど…

うまく表現できるかわからないけど、

人は1人1人全員違うから、だから、違っている。

それこそみんな違って当たり前ってよく言ったりしますけど、

そういうのをAO入試がきっかけになって

いろいろ発見することができたってことなんですね。

 

後藤 どうしても学生のときはみんなと一緒じゃないと、って思って、

自分は手話を使わないといけない、なんでだろうって思っていたんですけど、

それが、ちょっと社会に近づくにつれて、人と違うことが強みなんだと

思えるようになったと言っていました。

 

中倉 これからもっともっと感じること、多くなっていきそうですね。

 

後藤 そうですよね。最初にお伝えしたCODAの会に参加した川﨑さん、

参加した感想をこんなふうに話していました。

 

川﨑さん:「いろんな話を聞けて。自分とは違う考えも知れたので。

自分の今後にすごいいい経験になったなっていうふうに思います。

いろんな考え方のCODAがいて、こんなたくさん同じ状況の子たちがいて。

すごい今後もし自分が嫌だなって思ったときも、

こういうのを思い出すと力になる機会だなって思います」

 

中倉 自分1人が悩んでるんじゃないっていうのを知れただけでも、

ちょっと救われた気にもなりますよね。

 

 どんどん自分というものが、もっともっとこういう出会いを通って、

さらに発見されていくのではないかと思いました。

今回のCODAの会でファシリテーターを務めた、

自身もCODAである兵庫教育大学講師の中島武志(なかしま・たけし)さんは、

こうした会の大切さを次のように話しています。 

 

中島さん:「いちばん大事だと思ったのが、他では相談できない場所を常に確保している。

似たようなCODAという、似たような人がいるっていう、その存在をキープできる。

じゃあ困ったらそこに相談すればいい。

周りにCODAがいないと、自分個人の問題っていうふうに思ってしまうことが多いので。

悩んでいる内容は全員みんな、まったく一緒ではないけれど、

CODAと会うことで、あ、同じ。あるあるってなれば、

自分だけじゃないってことが、そのとき初めてわかる」

 

後藤 中島さんは、このほかにも、CODAという存在を、

周りの大人たちが、まずは知ることが、大切なことだと話していました。

 

後藤 今回取材して、CODAの人たちの悩みは、

親子のコミュニケーションそのものに深くかかわっていると感じました。

家族の中の出来事だからこそ、簡単に解決できるものではないと思うのですが、

それだけに、こういう会の存在はとても重要な、命綱のようなものだと感じました。

 

鹿島 いま取材実感で後藤さんが言いましたけど、

こういう聞こえる・聞こえないという差のない家族であれば、

何にも考えずに当たり前のように“普通に”コミュニケーションできているところに、

もう一回そこを築いていかないといけない、

築き上げていかないといけないという大変さがあるっていうことが、わかりました。

それだけに、うまくいったら、さらに強いきずなになってもおかしくないかなと思いました。

ここまで大阪放送局の後藤佑季アナウンサーでした。

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CODAというのは、聴覚障害と同様に「パッと見てはわかりにくい」ために、

なかなか仲間がいることを知ることができなかったと、

CODAの会に参加していた若い人たちが言っていたことが印象的でした。

 

まずは、こういう存在があるということを、

ぜひみなさんの頭の片隅に置いていただけると嬉しいです!