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「上方喜劇」の歴史(後編)

おちょ簿

前編では喜劇の誕生から「曽我廼家(そがのや)五郎劇」「曽我廼家十郎一派」の活躍までをご紹介しましたが、その後、どのように発展していくのでしょうか。「おちょやん」上方芸能考証を担当した古川 綾子さんに聞く上方喜劇事情、後編です。

 

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松竹が作った喜劇団「楽天会」、そして「松竹家庭劇」の誕生へ

 

明治の終わり頃の「曽我廼家喜劇」の人気に目を付けたのが、京都を拠点に歌舞伎興行などを行っていた「松竹」です。当時の喜劇の勢いはすごいものがありましたから、自分のところでも喜劇団を作ろうと考えたのです。松竹は明治41年に「楽天会」という喜劇団を作りました。そこに呼ばれたのが、初代 渋谷天外でした。

 

初代天外は大正5年に亡くなります。長男(のちの二代目 渋谷天外)はその時10歳。大正11年に「楽天会」が解散した後は道頓堀の芝居茶屋に預けられていた時期もあったようです。その後、昭和3年に曽我廼家十吾(とうご)たちとともに「松竹家庭劇」を結成、翌昭和4年に二代目 渋谷天外を襲名します。

 

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ホームドラマ的な新鮮さをアピールした「松竹家庭劇」

 

「松竹家庭劇」は、基調は曽我廼家喜劇にありますが、そこに昭和初期の現代風俗を取り入れ、その名のとおり「ホームドラマ的な新鮮さ」をアピールしました。この後の喜劇の発展と後進育成に大きな功績を残すことになります。

二代目天外は役者として舞台にも立ちましたが、役者より脚本家としての仕事に力を注ぎました。役者3・脚本家7といった割合でしょうか。14歳で脚本を書き上げ、その後脚本家修業に励むなど、若い頃から脚本家志向だったようです。

 

浪花千栄子は昭和7年に松竹家庭劇に参加します。当時25歳、若い娘役を演じるポジションでした。
その後、千栄子は二代目天外を公私ともに支えていくことになります。

 

古川 綾子(ふるかわ あやこ)
1973年生まれ、大阪府出身。上方芸能研究者。元大阪府立上方演芸資料館学芸員、元国際日本文化研究センター助教。芸術選奨文部科学大臣賞選考審査員、文化庁芸術祭執行委員会審査委員など。著書に『上方芸人自分史秘録』(日本経済新聞出版社、2011年)。