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東野絢香さん「悲しみが込み上げて、声が漏れるほど泣きました。」

インタビュー

義父母、菊と福松を空襲で亡くし、最愛の夫、福助の戦死の知らせを聞いて絶望のふちに追いやられたみつえ。そんなみつえを元気づけるため、焼け野原で天海天海家庭劇が、名作「マットン婆さん」を上演しました。つらい戦争シーンを演じきった東野絢香さんに、みつえの思いと東野さんご自身の思いをたずねてみました。

 

戦争のシーンは常に涙が出る状態でした

 

福助の出征を見送るシーン、菊さんと福松さんの死を遺体安置所で知るシーンと悲しい戦争時代の撮影は、今年の1月頃でした。撮影を控えていたので、お正月もなるべくひとりでいようと思って、あまり人と会わないようにしていたんです。10日間くらい、1人でこもっていました。そうやって挑んだあの撮影は、常に涙が出る状態というか、込み上がってくるものがあった時期でした。福助がえびす座でトランペットを演奏するシーンでも「なんでこの人が戦争に?」って悲しかったんですけど、途中、福助がこっちを見てくれて、明るい曲調に変えてくれたときに「あ、私も笑わなきゃ」って思ったし、「この人が明るく出発していきたいのなら、私も明るく見送ろう」と思えたんです。

 

だけど、A4くらいの紙に福助の名前と「富川みつえ様」って書いた戦死公報が届いたシーンでは、リハーサルのときにその紙を見ただけで声が漏れるくらい泣いちゃったんです。みつえもたぶん、千代たちが帰ってくる前にさんざん泣いたと思うんですけど、私自身がカメラテストもドライもリハーサルも全部泣いちゃって。あの日の撮影は本当にみつえの気持ちで、一番好きな、大好きな人が死んだっていうことを受け止めきれなくて、気持ち的に不安定な状態でした。あれは初めての感情でした。自分がちゃんと立てていない、耐えきれない感じで。紙1枚で死んだことが届くということがつらすぎました。

 

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“重い荷物を半分持ってあげる”
それが千代とみつえの友情の形

 

焼け野原でみつえのために、「マットン婆さん」を演じてくれた千代ですが、みつえにとっての千代は、最後まで離してくれない存在。駆け落ちもそうですが、みつえは失敗しているところをいっぱい千代に見せて、何回も千代に対して八つ当たりをして、強い言葉をかけているのに、それでもずっと向きあってくれる。自分がつらいとき一緒に戦ってくれたり、「頑張って!」だけじゃなくて、一緒に泣いてくれたり、ボロボロになって傷ついてくれたりする、一緒に困難を乗り越えてくれる友達だと思います。もっとわかりやすく言うと「その重い荷物、半分持ってあげるわ」みたいな関係なんじゃないかな。

 

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一福、シズ、千之助、そして千代
皆に支えられて、みつえが再起!

 

福助の戦死がショックで、みつえは寝込んでしまったんですけど、みつえも「ずっとこのままじゃダメだ」と思っていたと思うんです。でも今さらどう立ち直っていいのかわからなかったときに「あんたが救いに行くんやで」っていうお母ちゃんの言葉でなんか1個、きっかけをもらったというか。そう言ってもらうと千代たちの芝居を見に行きやすくなるというか。たぶん、お母ちゃんもわかっていて、言ったんだろうなって思いますね。芝居を見に行くと一福が出てきたことにびっくりしたと思うんです。あのシーンで千之助さんが「東京の音楽学校に通わせてた」って言ったのを聞いて、「あ、そういえば福助も東京の音楽学校へ行くつもりやったって言ってた」って、堀端のシーンがよぎったんです。そしたら、母としても奥さんとしてもうれしくて、千代もうれしさを出しちゃって、思わず笑っちゃうみたいなシーンになりました。

 

みつえはお嬢さんで、すごく甘やかされて育っているから、ちょっとわがままなところもあるんだけど、基本的にはすごく愛をたくさんもらって育っている子だと思います。だから天真らんまんで、自分も愛を与えてあげることができるし、芝居茶屋でいろんなお客さんとも接しているから、たぶん人のことが大好きだと思うんです。岡安の女将(おかみ)にはなれなかったけど、このあと商売をやっていくみつえは、違う形で夢をかなえていくのかなって思います。

 

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