かんさい熱視線

2023年07月31日 (月)

作家・髙村薫さんが語る 銃撃事件と日本社会のいま

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安倍元総理が銃撃された事件から7月8日で1年が経ちました。この間、関西では、岸田総理の近くに爆発物が投げ込まれる事件も起きました。事件を機に、この社会は何が変わり、何が変わっていないのか。そして、この社会をどう生きていけば良いのでしょうか。
私たちは、事件直後から新聞の時評などを通じて意見を発信してきた作家・髙村薫さんにインタビューをしました。髙村さんが語ったのは、「私たちは公正・公平な社会を求めなければならない」という言葉でした。

かんさい熱視線「安倍元総理銃撃事件1年」取材班
ディレクター白瀧愛芽
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“暴発”が続く恐ろしさ

近田 事件から1年がたちますが、この事件についてどういうふうに捉えていますか。

髙村 ああいう大きな事件ですね。しかも、手製の武器、手製の銃をつくって、それで生身の人間に向けて至近距離でそれを発射する、ぶっ放すというようなことを、おそらく日本人は、ほとんど見たことがなかったと思います。そういう暴発のしかたがあるということを、山上という人が1つ見せてしまった。これは実は大きなことで、私たちが知らなかったことを目の当たりにした。こんなことができるのだと。1つの直接体験ですが、こういう直接体験は、恐ろしい形で反復されることがあるなと思います。

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銃撃事件から9か月後には、岸田総理の演説会場が狙われました。
髙村さんは、暴発が連鎖していると感じています。

髙村 衆人環視の場で要人、有名な、大物の政治家を襲撃するという、暴発ですね。それを、まねたとは言わないが、一度こういうことができるんだと社会が知ってしまうと、二度三度と続くことはありえると思います。そのことは恐ろしいことだと思います。

近田 世の中が知ってしまったことに対するブレーキは、かからないものでしょうか。

髙村 なかなか難しいと思います。ブレーキをかけるのは、もちろん私たちであって、私たちの社会が、もう少し社会正義というんでしょうか、不正なことや公正でないことに対して、きちんと正していくような力がいろんなところで働く、そういう社会であれば、テロリズムのような暴発は、そうそう起こるものではないと思いますが、いま、日本では、そういう力が非常に弱いと思っています。 

 

“社会正義が働くように” 政治と宗教の関係を問う

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事件後、明らかになったのは、旧統一教会と政治とのつながりでした。髙村さんは、この問題に、一貫して強い危機感を持ち続けてきました。

髙村 この1年を眺めていて、宗教団体と政治の関係が、もう少し整理されて国民の目にさらされて、政治が変わることを期待しましたが、そうはならなかったですね。

旧統一教会と政治との関係は、この1年で変わったのか。
教団との接点がある議員が最も多かった自民党は、党運営の方針を改訂し、旧統一教会や関連団体とは一切関係を持たないことなどを徹底させているとしています。

しかし、NHKの取材によると、地方議会では、自民党議員が、旧統一教会の信者だと公表した議員と同じ会派を組むなど、方針が徹底されているのか疑問視されるケースも明らかになっています。
野党も含め、政治は旧統一教会との関係を本当に断っているのか、問われています。

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作家・髙村薫さん

髙村 旧統一教会との、主に自民党との関係が取り沙汰されはしたけれども、そのあと政治家たちは、それを清算もしない。私たちは、1つは山上容疑者の動機のなかに旧統一教会に対するいろんな思いがあることを知りながら、それを真剣にどうにかしようとしたことはなかった。結局、消費して終わり。何も変わっていない、この1年、何かが解決したか。何も解決していませんでしょう。
別に信仰の自由は否定しませんが、その信仰が社会正義に反するようなことであっては困るんです。それは信仰の自由と、社会正義を厳しく峻別しなければいけない。それが日本社会はできないんですね。
例えば、山上被告という人でも、もし、適切に社会正義が実現されていたり、あるいは小さな声が拾われていたり、いろんな相談ができたり、母親の問題で社会的に助けがあれば、彼の苦しみも、ここまでひどくならなかった。もし、その社会正義が実現されていたら、彼は、あんな暴力を暴発させることはなかったかもしれない。私たちが今でもなお、この社会に求めなければいけないのは、公正で公平であることだと思います。

 

山上被告の境遇に思いを重ねる人たち 社会の思わぬ動きも


銃撃事件後、社会では思わぬ動きが広がってきました。
親族によると、山上被告の元には、全国から洋服や菓子などの差し入れが届き、これまでに100万円以上の現金が送られていると言います。
さらに、6月12日。裁判の争点などを絞り込む「公判前整理手続き」を控えた裁判所が、騒然となりました。裁判所に届いた段ボール箱が危険物の可能性があるとして、手続きが中止になったのです。
箱の中身は、約1万3千におよぶ「山上被告の刑を軽くするよう求める署名」でした。

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ことし6月12日 奈良

 

“共同体の理性が弱い”日本社会

近田 あれだけの暴発をした山上被告に対して、被告の境遇に自分を重ね合わせる人などの声がSNS等に散見されます。このような状況を、どう感じますか。

髙村 個人的な感情や印象は、まったく自由だと思います。人はいろんなことを考えますし、いろんな感情がありますが、そのことと、公共の空間、ネットやメディアで個人の感情を発信することは別のことです。公共の空間、あるいは共同体に対しては、そこで守られるべき一線というのがあって、私たちは、なんでもかんでも個人の自由だからということで発信していいとは限らないんですね。そこのところで私は、日本の社会は、個人の感情と、共同体の一員としての理性が、ごちゃごちゃになっているような気がします。私は共同体の理性というものがあると思いますが、それが今、日本では非常に弱いですね、なんでも個人の自由でしょう、勝手でしょうということになる。それは違うんだと強く思います。

 

“わからなさや気持ち悪さに耐えていかなければならない”

近田 山上被告の裁判は来年以降に開かれる見通しです。彼の動機がなかなか言語化できない、そういう状況についてどう思いますか。

髙村 社会がむしろ言語化できなくて当たり前のような気がします。つまり、言語化できるということは、普遍化できるということだし、一般化できるということですが、おそらく彼の精神の一番深いところは、決して、言語化できないだろうし、普遍化もできない。一般化もできない。したがって、説明もできないようなものではないかと思います。
世の中で起きる、いろんなショッキングな出来事について、すべてをきちんと言語化して説明できるかというと、そんなことはないのであって、私たちは、その分からなさや言語化できない気持ち悪さと付き合って、その気持ち悪さに耐えていかなければいけない。それが今の時代を生きるということだと思います。なんでも説明がつけば気持ちがいいですが、説明のつかないことがいっぱいあって、おそらくこの事件も、説明のつかない気持ちの悪さが、最後まで残るのではないかという気がします。

近田 事件から1年がたった今だけではなくて今後も。

髙村 今後もですね。それは私たちの今の同時代が突きつけられている、1つの、非常にしんどい現実かなと、個人的には思っています。

nessisen230714_06.jpgことし7月8日 奈良・大和西大寺駅前

 

私たちは、事件後の日本社会をどう生きればよいのか

暴力の連鎖を防ぐために、私たちには、いま何が必要なのか、髙村さんに改めて聞きました。

髙村 私が思いますのは、いろんなところで社会的な公正さがきちんと発揮できるような仕組みを改めてつくることだと思います。小さな声を救いあげるとか、不正がおこなわれたとき、それは必ず罰せられる、罰する、そういう仕組みですね。ほうかむりを許さない、いわゆる小さな社会正義がきちんと働くような社会であれば、暴力の温床が、少しでも減るのかなと思います。

近田 1人1人は、どういう心がけや動きをすると、この動きは止められると思いますか。

髙村 私も非常に難しいと思うんですが、客観的になることだと思います。みんな生きづらさとか、息苦しさを感じているし、うまくいかないことや、イライラするとか自分の人生の先が見えないとか、いっぱい抱えているのが現代人だと思います。だから暴発することに対しても、できれば自分だってしたいよという、そういう感情が渦巻いていてもおかしくないと思います。だけど、それと、そういう感情が渦巻くことと、実際にそれをやることは、まったく違いますでしょう。
今はSNSがこれだけ発達していますから、あちこちで瞬時に感情が爆発する。それを、そうはさせない、ならないことですね。自分自身が、そのことで本当に起きている状況を客観視する、それだけの一歩引いた姿勢と精神的な余裕、冷静さを個々人が持つことで、事態は少し悪化を防げるのかなと思います。

そして、髙村さんは、インタビューの最後に、この時代を生きる自身の覚悟について語りました。

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髙村 私個人は無力だけれども正しくありたいんです。ばかみたいですけど、正しく生きたい。不正を許さない、小さなことですが、そういう小さな声をすくいあげる、耳を傾ける、見逃さない、自分にできることは力を惜しまずやる。どこまで届くかわかりませんが、諦めずに私の言葉で同時代に発信していきたいと思います。


 

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