2021年03月19日 (金)
被災地の球児が選手宣誓でつないだ思い
東日本大震災から10年。ことしのセンバツ高校野球の開会式で、選手宣誓を務めたのは、被災地・宮城県の仙台育英高校のキャプテンでした。その姿を特別な思いで見守る人が同じ宮城県の石巻市にいました。
9年前に選手宣誓
震災発生から1年後、平成24年のセンバツ大会。被災地・石巻市にある石巻工業は、「21世紀枠」で春夏通じて初めての甲子園切符を手にしました。この大会で、選手宣誓の大役を務めたのが、当時、キャプテンだった阿部翔人さんです。
「当時、発した言葉が、今も自分の中での支えになっていることもあります。今回の選手宣誓が、被災地がまた新たな一歩を踏み出すきっかけになってくれればと思います」
支えを力に 夢舞台へ
10年前のあの日。高校1年生だった阿部さんは、いつもと同じように、仲間と白球を追っていました。津波に襲われて、グラウンドは浸水。バットやボールなどの野球道具はほぼすべて流されました。部員の7割は、身内を亡くしたり自宅が壊れたりしました。
もう野球はできないかもしれない・・・
絶望的な状況の中で届いたのが、国内外からの支援でした。校舎の泥を取り除いてくれたのは、ボランティアやアメリカ軍の兵士たち。野球道具も全国各地から届きました。「諦めなければ希望は消えない」といったメッセージが書かれたボールもあり、選手たちは練習で消えてしまうことを惜しみながら使い続けました。
こうした後押しを力に、子どものころから夢だった甲子園出場を果たしたのです。
阿部さんが、選手宣誓で呼びかけたのは、“諦めない心”でした。
【阿部さんの選手宣誓】
「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています」
26歳になった阿部さん。地元・石巻市で、仙台育英のキャプテン、島貫丞選手の選手宣誓を見守りました。
印象に残ったのは、みずからが発したのと同じフレーズ。
答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいこと。
阿部さんは、新型コロナウイルスという新たな困難と向き合う全国の球児たちに、当時の自分を重ねました。
「答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことだというのは、今の球児の皆さんも心から感じたことだと思います。卒業した3年生の姿も見てきたと思いますので、そういった思いを精一杯、グラウンドで表現してほしいです」
阿部さんは、震災から10年のこの春、新たな一歩を踏み出します。
教員採用試験に5回目の挑戦で合格し、4月から県内の高校で体育教師として勤務することになったのです。決して諦めず目指し続けてきた
高校野球の指導者への道。これまで支えてくれた人たちへの恩返しを誓っています。
「踏ん張って努力することで報われることは、僕自身の経験の中でもあったので、今度は立場が変わって、子どもたちに頑張れるきっかけや環境を与えられる教員でいたい」
(取材:仙台局・並松康弘記者)