歴史秘話ヒストリア

2020年11月20日 (金)

歴史秘話ヒストリア「戦国に生きた女性 細川ガラシャ 17通の手紙が伝える素顔」

 戦国時代に、自らの役割と向き合い、最後まで自分の意思を貫いて、人生を全うしたガラシャ。その想いに、手紙や遺品などから迫りました。
父・光秀の運命、キリスト教の弾圧、細川家の窮地。ガラシャは、自分の信じる大切なものが翻弄される中でも、最後は夫のために、家のために、過酷な決断をしました。彼女の背負っていたものの大きさ、信じたいものが崩されていく寂しさと悔しさを思うと、私も思わず目頭が熱くなります。番組放送時、みなさんがガラシャに思いを寄せるコメントをSNSでたくさん拝見し、私も一緒になって思いを巡らせていました。

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 番組でもご紹介した、ガラシャが住んでいた細川家の屋敷跡。NHK大阪の会館近く、難波宮跡から続く坂道は、大阪市の「歴史の散歩道」にも指定されていて、下っていくと「細川越中守忠興屋敷跡」の目印を発見!大阪城まで500メートルとも記されていました。

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 細川家の邸宅にあった台所には、「越中井」と呼ばれる井戸がありました。写真では、私の右にある四角い石物。越中井は、屋敷に火が放たれるも焼け残ったともいわれています。こちらは、昭和に復元されたもので、今も、屋敷の名残を物語るものとして大切にされています。その後ろにある石碑には、番組でもご紹介したガラシャの辞世の句『散りぬべき 時知りてこそ よのなかの 花も花なれ 人も人なれ』が刻まれています。この句の中に記されている「時」という表現を見て、一つの歌を思い出しました。父の明智光秀が、本能寺にいる信長を攻め入る前に詠んだ連歌『ときは今 あめが下なる 五月かな』です。この句の中にある「とき」とは、かつて美濃を治めていた武家「土岐氏」を指しているもので、『土岐氏の分家にあたる明智家は、土岐氏への想いが強かった。』と、以前、歴史学者の磯田道史さんに教わりました。ガラシャは、辞世の句に父の連歌を重ねていたのかと思うと、細川家だけではく、明智家への強い思いがにじみ出ているように感じます。

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お着物秘話♪
今回は、「ガラシャの優しいイメージからピンクの着物を選びました」と衣装さん。でも、特にご紹介するような話題はないんですよね~と眺めていた、その時!よーく見てみると、あるではありませんか!紫に咲くキキョウの花が!!そう、明智家の家紋にもなっている花です。私も思わず「おお~!!」と声を上げてしまいました。うれしい偶然に、ガラシャに背中を押してもらったような気持ちになり、一段と伝える気持ちが強くなりました。みなさんも、キキョウに気づいていただけたのなら幸いです^^

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