歴史秘話ヒストリア

2020年03月12日 (木)

歴史秘話ヒストリア「隠された震災 昭和東南海地震」

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現在最も警戒されている「南海トラフ巨大地震」とも重なるという、1944年の「昭和東南海地震」。甚大な被害を出しながらも、全く報道されなかったという事実に驚くと同時に、非常に落胆しました。こんなことが許された歴史があったことを、とても恐ろしく思います。

研究者による正確な調査報告書は捨て置かれ、調査の続行も許されないという状況。陸軍中将は、地震の被害について「さしたることはない」と述べるにとどまるという事態。被害が大きかったにも関わらず、国家にとって不都合な事実として、大震災は“隠され”ました。

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「このような事実があったということを、一人でも多くの方に知っていただきたい。」そう願いながら、お伝えしました。時に、天災と人災が最悪な形で融合してしまう状況は、東日本大震災を経験した今、想像に難くありません。地震だけではないかもしれません。国家に不都合なことが隠され、それによって、さらに被害が広がっていくという事態…それを防ぐためには、何が必要なのでしょうか。

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番組の中でご紹介した、1854年の「安政南海地震」を伝える石碑を見に行ってきました。大阪の中心部、プロ野球の試合も行われる大きなドームの近くで、潮の香りがする大正橋のたもとに「大地震両川口津浪記石碑」はありました。その事実を後世に伝えるために文字を塗りなおしてほしいという当時の教えの通り、毎年墨が入れられているため、はっきりと読むことができます。碑文には、津波による被害や、それより148年前の宝永地震の教訓を生かすことができなかったことが刻まれていました。幕末の人々の願いが、150年もの時を経て、今の命を守ることにつながっているように思いました。

今回のテーマである、昭和東南海地震の教訓を伝える石碑は、一つしかないといいます。それを補うべく次の世代に伝えていくのは、私たちなのかもしれません。教科書の年表を見ると、1940年代は、軍事的な事柄でばかり…なので、1944年12月7日の欄に、昭和東南海地震と書き込みました。隠された震災が存在していたという事実、今、改めて心に刻みたいと思います。

■ コメント(5)
  • 中島一男

    2020年03月12日 11時41分

    東南海地震の番組を見ました。丁度、東日本大震災の日にこのような大震災があった事を知りえてよかった。折しも私の誕生年でもあり、戦争の最中だとのことが興味を引いた。戦争遂行のため軍隊が報道を規制して国民が知りえない状況があったのだ。軍人、田中中将が放送することを国民が黙って聞かなければならない状況が作られていた。そんな政治体制がついこの間まであったと思うと恐怖を感じ次第です。今の時代でも忘れてはならない教訓です。

  • のりさん

    2020年03月12日 21時08分

    戦時中の隠された事実には多くのことがあると知ってましたが、地震の

    ことは全く未知でした。時間をかけた取材で史実がよく理解できました。

    和服姿の渡邉アナの語りもしっかり響いてくる番組でした。

    今後も隠された史実を明らかにした番組を作って欲しいと思います。

    戦時中に見捨てられた方々(例えば精神病院での沢山の患者の死など)を

    クローズアップしていただくことは、今を生きる私達のスタンスにも少なか

    らず考えていく材料となると思います。

  • 山口 淑子

    2020年03月13日 15時07分

    三重県津市で6歳、就学前の地震でした。阪神大震災の後で、思いだした時の文章です。

    今春の阪神大震災は想像を絶する大災害で、半年経った今でも避難生活を余儀なくされている被災地の方々が多数あり、まだ続く余震に怯え早く心安まる日がくるのを祈っている。京都でも震度5を記録し、恐ろしさは今でも朝六時前になると目覚めるほどである。
    昭和十九年十二月七日昼下り、津地方は大揺れに揺れた。東南海沖地震である。今回の地震で思い出し、記録を調べたが、あまり詳しく記載されていない。何分戦時中で、軍事秘密事項で発表されなかったらしい。丁度就学前で、弟と家の前で遊んでいた時地震に遭い、母は近くの田から心配して駆けては転び、這うようにして帰って来たとか。家の中は棚から物が落ち、お仏壇から仏具が八畳の奥の間を越えて、表の間まで転げてきたほどだった。五右衛門風呂の釜が外れて、風呂好きの父はセメントで修理していた。幸い火災は免れ、水も井戸水ですぐ使用出来たが、あの地震が今起きていたら大災害を被っていたに違いない。
    その後四年間余りで、三河地震、南海道地震、福井地震と矢継ぎ早に震度7以上の大地震が起きており、ここ暫くは充分注意し防災についての心構えが必要である。
    二十歳のころには超大型の伊勢湾台風が高潮と共に押し寄せ、田畑は流され、死者も五千人を超える大被害をもたらした。
    今故郷へ帰ると、人々や自然は苦難を乗り越え、大震災や戦災、伊勢湾台風も何もなかったように迎えてくれる。

  • HS

    2020年03月13日 23時08分

    一昨年他界した私の母は9歳の時、昭和東南海地震の津波で被災しました。私は子供の頃から、母が迫り来る津波を背に弟たちを連れて走って逃げた話を何度も聞かされていました。

    母の死後実家で、当時10歳だった母が書いたと思われる地震と津波の体験記を見つけました。
    それを読んでいたためか今回の放送を見た時、私の脳裏には9歳の母の姿がありありと浮かんでいました。子供の頃から聞かされていた話がはっきりと像を結んだような思いでした。

    東日本大震災の津波のニュースを見ながら母は「(自分が被災した時は)だーれも助けに来てくれんかったし援助物資も来なかった」と。
    年老いても、あの時被害を隠され見捨てられた惨めな思いを忘れることができなかったのかもしれません。

    昭和東南海地震を特集していただいたおかげで、亡母が抱えていた思いに触れることができた気がします。ありがとうございました。

  • 牧原真治

    2020年03月14日 12時33分

    父母は、当時愛知県宝飯郡形原町に住んでおり、震源域に住んでおり、被災しました。同級生も数人亡くなったとのことでした。父母も、昭和南海地震は大したことはなかったけれど、三河地震はすごかったと言っています。番組の中で、活断層で神社の東と西がずれてしまった映像が写っていましたが、この断層の東と西で揺れ方がかなり違ったようで、東側は全く被害を受けていなかったのに、西側は倒壊したというのが見られたということです。
    戦争末期であり、情報統制がひかれ、なかなか救援をもらえなかった様子が番組で描かれておりました。そのため、資料が少ないことから、自分が小学生の時、校長先生が三河地震のことを後世に語り継ぐために、地震のときの証言を集めて文集を作った覚えがあります。
    ちなみに、三河地震から50年と4日後に阪神淡路大震災が起こります。