歴史秘話ヒストリア

2019年09月25日 (水)

夫婦で起こした家電革命 松下幸之助と妻 むめの

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今年は、松下幸之助の没後30年。今なお、世界的な実業家として伝説的な人物に挙げられる松下幸之助。今回は、その妻・むめのとの創業秘話をお届けしました。それにしても、むめのさん、パワフルで愛情深い素敵なお方でした~。自身の嫁入り道具を質に入れてお金を工面していたにもかかわらず、それを夫には内緒に。生活に余裕がなく、銭湯に行くお金もなかったときは、夫の興味をそらして節約したり…夫や家計を支えるのはもちろん、同じような情熱や愛情を持って会社を育てた女性でもありました。

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エピローグでご紹介したパナソニック本社の構内にある、二人の銅像。幸之助の手に握られていたのは、開発した電気プラグです。それをそっと見つめるむめのさん。仲睦まじく寄り添う二人の姿からは、ともに歩んだ道のりに思いを馳せているようで、じーんときました。印象的なむめのさんの言葉です。「どんな小さなことでも一生懸命手伝っているうちに、今でいう生き甲斐というものを自分なりに見出していたのではなかったかと思います。」地道な日々の積み重ねが、二人の業績や大きな喜びにつながっていたのだと思うと、千里の道も一歩より、まずは目の前にあることを丁寧に生きることの大切さを学びました。

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ここで、ちょっと秘話。松下幸之助さん、実は、1965年の「第16回 NHK紅白歌合戦」に審査員として出演されていました。経営者らしいキリっとしたスーツに身を包み、「71歳。今年益々お元気な世界の実業家。松下幸之助さん!」とのご紹介が。ちなみに、同じく審査員には、大河ドラマ「太閤記」で豊臣秀吉を演じた緒形拳さんや、ねね役の藤村志保さんがいらっしゃいました。この1965年は、当時パナソニックの会長だった幸之助が、社内の働き方改革を行った年でもありました。今では一般的な働き方となった「週5日制」。休みとなった2日には、「1日教養、1日休養」というスローガンを掲げたそうです。ここに、「教養」が入っているところに、驚きました。経済的にも厳しい中で、いち早く、社員の持続可能な働き方を取り入れていたのですね。

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お互い足りないところを埋めながら、支えあって生きていく。幸之助とむめのの姿は、朝ドラ「まんぷく」の立花夫婦の奮闘記にも重なりました。思えば、私の祖母も、家事をこなしながら、夫の仕事を支えていた女性の一人でした。祖父が歯科医をしていたため、当時は手書きだった保険計上の書類を仕上げるために、腱鞘炎の指をこすりながら、毎夜遅くまで机に向かっていた背中が思い出されます。そんな夫婦の姿は、昭和には普通の光景だったのかもしれないなと思うと、みなさんの身近に、いやご自身の?!夫婦の成功奮闘記があるのではないでしょうか。

 

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■ コメント(1)
  • 匿名になっちゃった……

    2019年09月26日 17時56分

    こんにちは。ずっと楽しみにしていた、松下夫妻の秘話、楽しく拝見しました。ナゼかは分かりませんが、幸之助さんの生い立ちと、松下電器産業の歴史をまとめた電気……ならぬ伝記を、小学校の図書館で読み、家が貧しく10歳で大阪へ奉公に出たこと、二又ソケットで特許を取って、それが成功につながったこと、三洋電機の井植さんは親戚に当たること……などを知ったのです。
    創業当初の、むめのさんが主導して、商いの作法を厳しく教えたことや、従業員を家族のように重んじたこと、そこから、戦後に公職追放された幸之助さんを従業員たちの嘆願書で救ったこと……。幸之助さん現役の頃の、徹底した経営家族主義は、そこから生まれたのですね。もっとも、昭和の頃は、女性社員は、マニキュアやパーマネントヘアーは禁止……という厳しさもあったそうです。それもまた、『むめのイズム』だったのかも……。
    明治生まれの経営の神様が、社のイベントのスピーチで、大勢の客席の中にいるむめのさんに、『奥さん本当にありがとう』。思わず涙が出ちゃいました(^_^、)。令和の日本に是非語り継ぐべき夫婦、家族、そして経営の軌跡かも知れませんね。