2021年08月27日 (金)
「絹の道の終着点」からアフガンを思い続けて
アフガニスタンの政権崩壊というニュースが、世界を駆け巡った8月半ば。
ある女性のもとに、現地から1通のメッセージが送られてきた。
「誰か助けてくれる人を紹介してくれないか」
新たな国を築く礎になるような人を育てたいと、かつてのタリバン政権崩壊後から、現地の教育支援に取り組んで来た女性は、再び激動の渦に巻き込まれた現状に何を思うのか。
(NHK奈良放送局 記者 及川佑子)
■“in a very bad situation”
そのメッセージが届いたのは、8月21日(日本時間)。
受け取ったのは、奈良女子大学の客員センター員、中道貞子さん(74)だ。
「私と妻は、いま、とても最悪な状況にあります」
「自宅を離れ、山で身を隠しています」
ただならぬ様子を伝える英語の文面が並ぶ。
送り主は、アフガニスタンに住む男性。
中道さんが現地を訪れるたびに、通訳を担当してくれていた人だ。
政権を崩壊に至らしめた武装勢力タリバンは、外国政府への協力者を摘発しようとしているのではないか。
そうした見方が広まる中、これまで、さまざまな外国人と関わりをもってきたこの男性は、我が身にも危険が及ぶのではないかと、恐れていた。
1か月あまり前には、「結婚することになった」と、うれしそうに報告してきたのに・・・。
あまりに落差のある連絡に、中道さんは肩を落とした。
奈良女子大学 客員センター員 中道貞子さん
中道さん
「新婚なのに、山の中に隠れている。『助ける手だてを探してくれないか』とも言われたが、自分の力では何もできない。切ないですね」
「家族が平和に暮らし、みんな仲よく学校に行って勉強して、友だちと遊んで。みんなが望んでいるのはささやかなことなのに、それが壊されてしまう。一生懸命生きている人たちが、報われない。悔しい」
■副校長 なぜアフガンに?
大学の附属学校で副校長を務めていた中道さんが、アフガニスタンと関わりを持つようになったのは、2002年。
奈良女子大学が、お茶の水女子大学など全国4つの女子大学とともに、現地の女性教員の支援に取り組み始めたことがきっかけだ。
当時、アフガニスタンは旧タリバン政権が崩壊し、新しい国づくりが進められていた。
各国がさまざまな支援に乗り出すなかで、日本の5つの女子大学は、「特に、タリバン支配下で禁止されていた女子教育の再建と発展に取り組もう」と考えたのだった。
このプロジェクトのもと、奈良女子大学は、母国で教員として活躍できる人材を育成支援しようと、2011年までの間に、アフガニスタンから5人の女性を留学生として受け入れている。
2002年8月 アフガニスタン教育省訪問時 左から3人目が中道さん
中道さんの、調査団メンバーとしてのアフガニスタン初訪問は、およそ10日間。
期間中は、政府関係者と面会して教育の現状や課題を聞き取ったり、学校を視察したりと、忙しい日々を過ごした。
そのなかで、訪問先の学校で模擬授業を行う機会があった。科目は自身の専門の生物。
この授業での子どもたちの反応が、『やる気』に火をつけ、その後の運命を変えた。
アフガニスタンで行った生物の授業
中道さん
「せっかくアフガニスタンに行くんだから『実験しましょう』ということで、古い1台の顕微鏡を持って行った。子どもたちは顕微鏡を初めてのぞいて、目をキラキラさせて、『先生、細胞ってきれいですね!』と言った。そのひとことで、アフガンにはまりました」
■絹の道の“縁”
実は、アフガニスタンと奈良は、古くから“縁”がある土地だ。
「絹の道(シルクロード)の終着点」そう呼ばれる奈良の地には、「東西文明の十字路」と称されるアフガニスタンから、シルクロードを通じて、さまざまな文物がもたらされた。
アフガニスタン産とみられるラピスラズリに彩られた「紺玉帯」というベルト。
正倉院に保管され今も輝きを放つ宝物は、両者の交易を象徴するものだ。
平城遷都1300年の節目となった2010年には、当時のカルザイ大統領が、奈良県を訪問。東大寺などを視察したこともあった。
2010年 東大寺訪問時のカルザイ大統領
中道さんも、アフガニスタンに“縁”を感じてきたひとりだ。こちらの写真。
バーミヤンの村の学校前で遊ぶ子どもたち
子どもたちの奥に見える学校は、バーミヤンのある村に建てられたもの。
建設には中道さんも寄付などを行い、深く関わった。
アフガニスタン、なかでも、なぜバーミヤンに?
尋ねると、少しうれしそうに、理由を話してくれた。
中道さん
「だって、バーミヤンと言えば、『大仏』。かつて破壊されてしまったけど、やっぱり『大仏』が有名で、『大仏』と言えば奈良じゃない。私って結構単純だから、シルクロードでつながっているというのも、縁を感じて」
■「まちはよくなっていくけれど 人々の気持ちに不満が」
ただ、この20年、現地の情勢は、決して楽観できるものではなかった。
改善と悪化を繰り返し、各国の支援を受けて樹立した政権も汚職などがたびたび問題となった。
テロも相次ぎ、国の自立と安定に向けた道のりは、とても順風満帆とはいえないものだったのだ。
中道さん
「2002年は、『戦争は終わった、国をなんとかしたい』という気持ちはあるけれども、まだ何をしていいかわからない、という落ち着いていない感じを受けた。その後、議会選挙も行われ、『さあ、自分たちが国をよくするんだ』という、ものすごい希望があったと思う。ところが、当選するのは軍閥や腐敗政治を作る人たち。一方で、インフラはだんだんよくなっていく。まちはよくなっていくけれども人々の気持ちには不満がどんどんたまっていく。それが、なにかの弾みにパッと出てきて暴動などが起こっていた」
■信念で続けた支援も…
情勢が不安定ななかでも、中道さんは現地で支援を続けた。
2005年以降は、私的な活動としても訪問を重ね、現地での子どもたちへの授業だけでなく、教員への指導にいたるまで、熱心に取り組んだ。
彼女をそこまで突き動かしたのはなんなのか。
それは、教育が国の礎を築く力となる、という信念によるものだった。
中道さん
「インフラが整っても、ひとつロケット弾が落ちたら壊れる。でも、身につけた教育は壊れない。国を、これから誰がよくするのかと言ったら、やっぱり若い人じゃないですか。自分で考える力をつけて、自分たちの力で国をつくっていける。そういう人たちをつくりたい」
ところが、思いとは裏腹に治安はさらに悪化。
中道さんがほぼ毎年続けてきたアフガニスタン訪問は、2017年を最後に途絶えてしまった。
■関心さえあれば、無力ではない
そうしたなかで飛び込んできた、今回の事態急変の報。
現地に暮らす元教え子や、お世話になった人々は、元気にしているだろうか。
急ぎ、安否を尋ねるメッセージを送ると、元教え子の女性からは「大丈夫」との返信。
しかし、冒頭で紹介した男性からは切迫した状況を訴えるメッセージが届いた。
遠い日本から見守ることしかできない現状に、「本当ならば、現地を訪れて一緒にできることを考えたい」と、もどかしさも感じている。
中道さん
「何をいちばん望むのかといったら、それは平和。平和にならないと、なんにもできないじゃないですか。本当に国の未来のことを考えて政治のできる人が、上に立って政治をしてくれるような世の中になればいいなと思う。むずかしいですけどね」
しかし、現地に行き続けたからこそ、いま強く思うのは、アフガニスタンに関心を寄せ続けることの大切さだ。
関心を抱くことがなければ、現地の人々の暮らしに思いをはせ、必要な支援について考えることもできない。
苦しい状況下に追い込まれている市民がいても、見過ごされることにつながりかねないからだ。
中道さん
「自分のやれていることは本当に微力である。だけど、微力って言うのは無力じゃないと思う。たとえ、0.001であってもゼロではない。でも、関心を持たないでいると、ゼロですよね。関心を持って行動したら、類は友を呼ぶじゃないけど、つながりって広がっていく。そのつながりを広げていくことが大事かなと思う」
中道さん
「私にできることは、今までやってきたことを皆さんに知っていただく。アフガニスタンを紹介することで、アフガンへの目を広げたり、『そんな国なのか』と関心を持ってもらえるようなきっかけを作る。できるだけいろいろな人に、こんなアフガンもあると知ってもらって、忘れないようにしてほしい」
アメリカ同時多発テロ事件の発生から20年となる9月11日。
中道さんは、アフガニスタンに思いを寄せるため、これまで一緒に活動を続けてきた仲間たちと、オンライン会合を開くことにしている。
できることはわずか、微力だ。でも無力ではない。関心さえ寄せ続ければ。
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