2022年07月06日 (水)
虎番のつぶやき~阪神・湯浅 恩師の支えで才能開花~
オールスターゲームのファン投票で、セ・リーグの中継ぎ投手で選出された阪神4年目の湯浅京己投手。
けがに悩まされてきた苦労人は、「お父さんみたいな存在」と語る恩師の支えをもとにセットアッパーとして才能を開花させました。
(記録は7月5日現在)
【中継ぎとして急成長】
今シーズン、僅差でのリードや同点の厳しい場面で8回を任されている湯浅投手。
ここまでリーグトップの22ホールドをあげるなど、中継ぎ投手として急成長を果たしました。
150キロを超えるストレートが持ち味で、入団以来、将来性を高く評価されてきましたが、昨シーズンまで1軍での登板はわずか3試合。それでも、ことしは初めてキャンプから1軍入り。
プロのトップレベルで経験を積み重ねて自信をつかんだことが、今シーズンここまでの好投につながっているといいます。
(湯浅投手)
「去年は力んで全然納得いくボールを投げられていなかったが、ことしは開幕前から比べると少しずつ自分の中で自信が出てきた。バッターを見て、考えながら投げられるようにもなってきたし、1試合1試合成長できているかな。」
【独立L時代に出会った恩師】
その湯浅投手が「恩師」と慕うのが、現役時代は新人王に輝くなど活躍し、現在はライバル球団のヤクルトで投手コーチを務める伊藤智仁さんです。
湯浅投手は高校時代に腰の成長痛に悩まされて目立った実績を残せず、卒業後に独立リーグの「富山サンダーバーズ」に入団。
そこで当時監督を務めていたのが伊藤さんでした。
球団の永森茂社長は、伊藤さんが湯浅投手の将来性を一目で見抜き、丁寧に育てていたと振り返ります。
(富山GRNサンダーバーズ 永森茂 球団社長)
「伊藤さんは湯浅を見たときに『これは面白い』と思ったそうで、じっくり育てようと最初の2か月は試合で登板させなかった。その後、登板して1回で7、8点取られても交代させない。自分でまいた種を自分で刈り取ることをしっかりやらせたかったそうだ。」
夏場にはミニキャンプも行うなど、伊藤さんから付きっきりで食事面からフォームの改良まで指導を受けた湯浅投手。
球速は1年で10キロ上がり、阪神から指名を受け、プロの世界に飛び込むことになりました。
(湯浅投手)
「すべてにおいて付きっきりで何から何まで教えてもらって。本当に優しくて、時には厳しいお父さんみたいな存在だった。自分にとっては独立リーグの1年間は濃い時間で本当にいい1年だった。」
【“あおいくま”を励みに】
しかし、プロ入り後、湯浅投手を待ち構えていたのが、またも腰の痛み、「腰椎分離症」でした。
中学生などの成長期のスポーツ選手に出やすいと言われ、疲労骨折が原因と考えられる症状です。
1年目から3回発症し、2年目は2軍ですら登板できませんでした。
(湯浅投手)
「医者は普通だったらならないと言っていたし、なんで同じところばっかり痛めるのかとも思った。この時は本当に苦しかった。」
この時、支えとなったのは、自身も現役時代にたび重なるけがに苦しんだ伊藤さんからの励ましでした。
それは「“あおいくま”作戦で頑張れ」というメッセージ。
“あおいくま”とは『あ』せるな、『お』こるな、『い』ばるな、『く』さるな、『ま』けるな。
湯浅投手はみずからのグローブに“あおいくま”の刺しゅうを入れて、常に心に留めながらリハビリに励みました。
(湯浅投手)
「けがで何もできない自分に対してイライラすることもあったけど、自分のペースというか、焦ってまた同じことをやるのはよくないと思ったので、そういう気持ちで頑張ろうと思った。」
【“嫌がられる”存在に】
去年けがから復帰し、今シーズンは急成長を遂げた湯浅投手。
「小さいころから見ていたし、出たいと思っていた」と話すオールスターゲームにもファン投票で選ばれる活躍を見せています。
伊藤さんの支えを糧に、今後もリリーフ陣の要として成長を遂げていく覚悟です。
(湯浅投手)
「もっともっと成長していって、チームに貢献できるように頑張りたい。相手には出てきたら嫌だなと思わせる存在になりたいし、ファンには自分が出てきたら大丈夫と思ってもらえたり、安心させられたりできるピッチャーになりたい。」
(虎番記者:足立隆門)