2022年10月03日 (月)
パラアーチェリー上山選手を取材しました!(後藤佑季)
こんにちは!新人の後藤佑季です。
9月28日に「ほっと関西」で2回目のリポートを放送させていただきました!
パラアスリートの企画、第2弾です。
金メダルが期待されながら1回戦敗退となった東京パラリンピックから1年、
新たな挑戦をしているパラアーチェリー・上山友裕(うえやま・ともひろ)選手について取材しました。
▲(左から古川選手、上山選手、後藤、鬼山選手)
放送ではお伝えしきれなかった内容も含めてお伝えします!
東大阪市出身の上山友裕選手は、
「東京パラリンピックでは会場を満員にして金メダル」と宣言するなど、発信に力を入れてきました。
「かみやま」と間違われないよう「うえやまです」と胸当てに書いたり、
サインプレゼント企画をするなど、ユーモアを交えて発信してきたのは、
「もっとパラスポーツのことを知ってほしい」という思いからでした。
そんな上山選手が挑戦するのは、オリパラ合同チーム。
オリンピックメダリストの古川高晴(ふるかわ・たかはる)選手と、
地元大阪のトップ選手の鬼山直也(おにやま・なおや)選手とチームを組み、
ことし10月に行われる国体=国民体育大会の団体戦に、大阪代表として出場することになったのです。
国体では史上初のことですが、大阪のチームからしたら当たり前のことなんだとか。
▲国体に臨む大阪府代表チーム(左から古川選手、上山選手、鬼山選手)
というのも、上山選手はパラの大会だけでなく、一般の大会にも出場を重ねていて、
そのうちに「車いすの選手➡車いすの上山選手/パラの上山選手➡上山選手」
と変化していったというのです。
上山選手は、この変化が、一般社会でも起きてほしいと話していました。
そう思うようになったのは、自身のこれまでの経験がありました。
上山選手は、社会人1年目のときに病気で徐々に足がまひし、車いす生活になりました。
歩きにくくなった時、街を歩いていると、すれ違う人すれ違う人が自分の顔を見て、
足を見て、顔を見て、、、そして、顔をそらしたと言います。
障害が進行して車いすの生活になったときには、
できることまで助けようとする人たちもいて、
「障害のある人がひとくくりにされている」と感じたそうです。
芽生えたのは、もっと知ってもらわないといけない、という思いでした。
▲ご自宅の練習場でお話を伺いました!(左から後藤、上山選手)
そうした思いを伝えるのに、国体でのオリパラ合同チームは絶好のチャンスです!
というのも、これまでの2回のチャンスがうまくものにならなかったからです。
1回目は、東京パラリンピック。
金メダルを期待されて臨みましたが、決勝トーナメントの1回戦敗退。
自分が生きている間に、もう二度とないであろう自国開催のパラリンピック。
「ここで失敗できへん」という重圧が、上山選手にのしかかったといいます。
個人戦が終わった直後は
「申し訳なさが1番にきた。何年もかけてやってきて、こんな結果になるんやったら、やってられへん。100%やめよう」
と思っていた、という上山選手。
「口だけなんやな」など批判があった中、力になったのはファンの人たちの応援でした。
悔しい気持ちを晴らそうと「今までの自分をすべてつぶして」技術を一から見直すことを決めました。
そこでアドバイスをもらったのが、キム・チョンテコーチ。オリンピック金メダリストです。
キムコーチによると
「基本から、矢つがえから、スタンスの位置から、矢を持ち上げる場所から、全部直した」
といいます。上山選手も、「ここから言われるんや」と驚いたそう。
そして今年2月に出場した世界選手権。
日本人男子初の金メダルを獲得し、世界ランキングも日本人で初めて1位に輝いたのです。
それでも、「嬉しさ半分、悔しさ半分」だったという上山選手。
なぜこれを東京パラリンピックでできなかったのか、という悔しさに加え、
世界選手権で優勝しても、こんなに反応がないんやという悔しさもありました。
世界1位になるだけでは、発信できないことがあるのだと、上山選手は国体にかけているのです。
▲練習をする大阪府代表チーム(左から鬼山選手、古川選手、上山選手)
オリパラ合同チームになって、古川選手や鬼山選手、
そして上山選手自身にも発見があったというのですが、そちらは放送で!
NHKプラスでこちらから見ることができます。
そして、この内容を一部再編集して
10月4日(火)の「ニュースウオッチ9」でも全国にお伝えする予定です。
お時間の許す方はぜひ見てください!