アナ・キャスの部屋

2022年08月25日 (木)

東京パラリンピックから1年、のこしたものは...(後藤佑季)

こんにちは!アナウンサーの後藤佑季です。

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(左:後藤 右:近藤選手)


8月24日放送の「ほっと関西」で、大学生パラアスリート近藤元(こんどうはじめ)選手についてお伝えしました。

近藤選手は、東京パラリンピックをきっかけにパラ陸上への道を歩み始めた選手のひとりです。

 

私も東京パラリンピックでは、リポーターとして国立競技場のスタジオからお伝えしました。

あの東京パラリンピックから1年。

この1年で、いったいなにが変わったのか、どんな影響があったのか・・・

 

 

近藤選手のこの1年をお伝えしたリポートを一部再編集して、

8月27日(土)の「おはよう日本」6時台でお伝えします!

朝早いですが、お時間の許す方はぜひ見て下さい。

そして、「ほっと関西」で放送した内容は、NHK+でもご覧いただけます

ぜひご覧ください

 

さらに・・・ブログをご覧を頂いた方に、今回取材した内容や私の思いを少し・・・。

 

近藤元(こんどう・はじめ)選手は、2020年の12月(大学2年生)にバイク事故に遭い、

右足の太ももから下を失いました。

事故後は3週間意識がなく、その間に心臓は3回止まったと言います。

 

近藤選手は、もともと陸上部に所属していて、100mで自己ベストを更新し

「さあこれから!」という時の事故でした。

 

意識が戻り「足がない」とわかった近藤選手。

それでもすぐに「陸上をもう一度やりたい!」と思ったといいます。

そう思えたのは、事故に遭う前、

日本のパラ陸上界のレジェンド山本篤(やまもと・あつし)選手を、参加した大会で見ていたから・・・。

 

東京パラリンピックに向けて、パラ陸上では

一般の大会にパラアスリートが出場する機会が増えていました。

選手が経験を積むため、そして、広く知ってもらうためです。

 また、東京パラリンピックに向けて、

メディアやコマーシャル・広告などでもパラアスリートの露出が増えていました。

 

近藤選手の頭の片隅にも「パラアスリート」という存在がありました。

そして、入院中のベッドで見たのが、東京パラリンピックだったのです。

 「足がなくてもほんまに速く走れるんや」。くぎ付けになって見ていたと言います。

 

さらに後押しをしたのが、やはり山本篤選手でした。

電話で励ましてもらい、義足の体験会に誘われました。 

体験会は山本選手が企画したもので、

東京パラリンピックの火を消さないために、

東京パラリンピックを見て走りたいと思った人のために、

そしてなにより「走ることができた」という経験をしてもらうために開催されました。

 

この体験会で初めて競技用義足で走った近藤選手は、

「足があった時のように走れる!」と、パラ陸上への道に本格的に進むことになったのです。

 

今シーズン、パラ陸上デビューを果たした近藤選手。 

競技用義足で初めて走ってから9か月で13秒台に突入し、大会新記録で優勝するなど

今、期待の若手選手です。

 

山本選手とは今も月に1回程度練習を重ねています。

競技用義足や車いすレーサーなどは高額な用具が多いため、

山本選手に競技用義足を借りています。

 

山本選手は

「(自分が競技を始めたころは)パラリンピックって言葉すらみんな知らなかった。

でも今はどこでも、足がなくなっても、車いすになっても

スポーツが好きだからすぐにやり始めたいという人たちが増えてきたので、

東京パラリンピックをきっかけにパラリンピックっていうものを知ってもらえた」

と話していました。

 

近藤選手には

「若手選手の筆頭になって、メダルを目指す選手になってほしい。

初めて電話した時、世界記録を出しますと言っていたので、まずは有言実行してほしい」

と期待を寄せていました。

 

近藤選手は、

「篤さんがいなかったら、パラ陸上はやっていないので、出会えてよかった。

有言実行で世界記録を出したい」と目標を教えてくれました。

 

・東京パラリンピック開催が決まり、日本の社会に起きた変化

・東京パラリンピックそのもの

・東京パラリンピックが終わり、その火を消さないために

 

それぞれの段階で影響を受けた近藤選手を、

東京パラリンピックから1年のこのタイミングでぜひお伝えしたい!と思い、

リポートしました。

 

次のパラリンピックまで、あと2年。

近藤選手のこれから、パラアスリートたちのこれからを引き続き取材していきたいと思います。