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さぁたぁちゃんの取材日誌

さぁたぁちゃんの取材日誌

 

初心を忘れず(H25年12月号)

國仲真一郎:Photo

入局して数日。初めて向かったのは交通事故の取材でした。小学6年生の女の子が道路を横断中にはねられて亡くなった事故。目撃者への聞き込み取材を続ける中で、ふと、現場近くの塾の入り口に、呆然とした表情で立ちすくむ子どもたちを見かけました。話を聞くと、この子たちは亡くなった女の子の同級生。ついさっきまで一緒に授業を受けていた女の子は、塾の休み時間に外に出て、事故に遭ったのでした。
入局して1年半。事件・事故の担当という性質上、どうしても人の死に接するケースが多くなり、やるせなさを感じてしまうこともあります。そんな時には、初めて向かった現場で見た子どもたちを思い出すようにしています。理不尽に失われる命と、周りで悲しむ人をこれ以上出さないために、記者として何ができるのだろう。模索しながら取材にあたる毎日です。

【記者 國仲真一郎】

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離島の台風取材(H25年11月号)

中村雄一郎:Photo

先月、私は台風27号が近づく南大東島へ行き、取材にあたりました。直前には、伊豆大島が台風26号で甚大な被害を受けただけに、最前線の南大東島がどのような影響を受けるのか、関心が高まっていました。
南大東島では農家の対応や高齢者の避難など、台風の接近に備えた動きを取材しました。10月に入り4つ目の台風で速度も遅いため、住民は不安を募らせていました。特に、基幹産業のさとうきびへの影響を懸念する声は、多く聞かれました。暴風にさらされる時間が長いほど茎や葉が傷み、成長の遅れといった被害が出る からです。
一方で、住民からは、「NHKは台風取材にあまり来ない。もっと島に関心を持ってほしい」とお叱りも受けました。今回の取材でも、島の実情を踏まえ、住民の不安に寄り添った取材が十分に出来たとは言えません。那覇にいると、人口の多い本島に目を向けがちですが、他の離島の状況や問題についても常に意識することが、台風取材には欠かせないと感じています。

【記者 篁 慶一】

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日本が注目、仲井真知事(H25年10月号)

中村雄一郎:Photo

はじめまして。私は8月に、報道局政治部から沖縄放送局に赴任し、県政を担当しています。私の重要な取材対象の1人で県のトップ、仲井真知事と言いますと、沖縄ではもちろん本土でもその知名度は高く、47都道府県のうち、オリンピックの開催が決まった東京の知事と並ぶほどではないでしょうか。しかしながらその背景には、長年にわたるアメリカ軍基地の問題があることは言うまでもありません。政府は、普天間基地の移設先として名護市辺野古の埋め立て許可を申請し、仲井真知事に承認を求めています。
承認するのかしないのか、ボールは今、知事の側にあります。一方で、県民の間では埋め立ての可否をめぐり、様々な動きが活発化しています。沖縄に来て改めて問題の複雑さを実感しています。この問題の出発点である、普天間基地の危険性を除去するために、知事がどういう判断をするのか。その発言や動きを丁寧に取材し、伝えられるよう努力したいと思います。

【記者 島田 有希子】

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基地の壁を感じたヘリコプター墜落事故(H25年9月号)

中村雄一郎:Photo

宜野座村でアメリカ軍のヘリコプターが墜落したのは、沖縄に転勤して6日目のことでした。
「これは大変なことになる」。事故の重大性や影響の大きさを考え、頭の中で取材項目を整理しながら現場へ向かいました。目撃者のインタビューなどを行いましたが、核心に触れる取材ができたとは言えません。もっと取材すべきことがあったのではないか、もやもやとした気持ちが続いています。
通常の航空機事故の取材では、目撃者や搭乗者の証言を集め、現場の映像を分析することに加え、原因を調査する事故調査委員会などの取材が極めて重要です。ところが、基地の壁に阻まれ、こうした取材を試みることさえできません。9年前に、沖縄国際大学で墜落事故が起きた時と同じ状況が続いていると実感しました。
転勤前に、沖縄での勤務経験がある同僚記者から、「アメリカ軍の取材が重要だ」と言われました。その言葉の意味を知り、分厚い壁の向こう側の取材を、できる限り深めていかなければと痛感しています。

【記者 中村 雄一郎】

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参院選 現場の取材感覚の大切さ(H25年8月号)

鮎合真介:Photo

今回の参院選で、沖縄選挙区で議席を守った社大党の糸数慶子さんの取材を担当しました。自民党の全国的な優勢が伝えられるなか、糸数さんも厳しい選挙戦が予想されていました。
しかし、街頭で糸数さんに手を振り返す有権者の多さや、彼女を見つけて有権者自身が走り寄って握手を求める場面を何度も目の当たりにし、その知名度の高さや根強い人気ぶりを肌で感じました。また、自民党の動きや糸数さんを支援する各野党の取材を通して、徐々に、全県選挙で30万票以上を獲得してきた糸数さんの底力が、自民党の相手候補を上回るのではないかと感じ始めました。
結果、こうした事前の情勢取材や出口調査、それに開票所の取材から、NHKが最も早く糸数さんの「当選確実」を放送することができました。実際に自分が予想していた通りの結果となったことで、「現場の取材感覚」の大切さを改めて学ぶことができました。

【記者 鮎合 真介】

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声を聞き、伝える責任(H25年7月号)

山口健:Photo

5月15日の復帰の日にあたり、「本土復帰とは何か」を考える授業を初めて行った20代の教師を取材しました。
去年から、オスプレイ配備をめぐり多くの方々に話を聞いてきました。
9 年前、普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落。この事故で自宅が壊れる被害を受けた女性は、自分や子どもがけがをしなかったことを「悔いている」と話しました。けがを負い、あるいは死んでいれば、普天間基地は閉鎖され、オスプレイ配備もなかったのではないかと。
宜野座村の80 歳を超える男性は、自宅の真上を飛行するオスプレイを見ながら、「沖縄の歴史、県民の気持ちを、本土の方々に少しでも見つめて欲しい」と切々と話していました。
市井の人々にここまで言わせる現実とは何なのか。それを全国に発信していく。その責任を果たし続けなければならないと思っています。

【記者 山口 健】

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「復帰」をどう伝える(H25年6月号)

中村万里子:Photo

5月15日の復帰の日にあたり、「本土復帰とは何か」を考える授業を初めて行った20代の教師を取材しました。
県内の小中学校では、沖縄戦を伝える平和学習には力を入れているものの、戦後27年間アメリカの統治下に置かれた沖縄の歴史はほとんど教えられてきませんでした。しかし、4月28日の政府の主権回復式典への人々の憤りを目の当たりにし、若い教師は、「なぜ『屈辱』とまで表現されるのか。自分が何も知らないことに気づいた」と、沖縄の戦後を見つめ直す必要性を考えるようになったと言います。
昭和47年5月15日その日の政府の式典、沖縄での式典、そして与儀公園での集会の3つの写真を見せながら、当時の人々の思いを考える授業。「復帰はうれしかったけど、悔しい思いもあったのでは」など、子供たちからは様々な反応が寄せられました。
子供たちとともに、過去の歴史を見つめ直そうという若い教師の試み。「歴史を知ることは考えることにつながる、考えた上で次にどうするのか」という教師の言葉を胸に刻んで私自身も取材を続けていきたいと思います。

【記者 中村万里子】

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「映像と語りで紡ぐ平和への願い」(H25年5月号)

長野祥光:Photo

 沖縄戦で家族5人を亡くし孤児になった女性の語りに、会場は静まり返り、聞いている何人かの修学旅行生の目から涙があふれていました。
 沖縄戦当時、アメリカ軍が撮影した記録映像をアメリカの国立公文書館から取り寄せる活動を行ってきた「沖縄戦1フィート運動の会」が、30年の活動に幕を降ろしました。メンバーの高齢化が解散の理由でした。  メンバーの1人で、75歳の語り部の女性は、目の前で母と兄、妹2人を亡くしました。語り部の会場でまず、1フィートの会が収集した沖縄戦の映像を見てもらいます。戦争を経験していない人でも、まるでその戦場にいるかのような感覚になり、その上で自身の経験を語ると、学生の受け止め方がまるで違うそうです。女性の語りと映像の持つ力がかみあってこそ、そこに強いメッセージ性が宿るのだと感じました。
 取材の最後、女性は「足腰が立つ限り、映像を使って沖縄戦の悲惨さを伝えていきたい」という決意を語っていました。戦争を知らない世代に映像と語りで伝える平和への願い。「1フィートの会」のメッセージが未来へとつながっていって欲しいと強く感じました。

【記者  長野祥光】

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「東日本震災から2年〜沖縄の避難者の今〜」(H25年4月号)

黒川明紘:Photo

 東日本大震災から2年が経ちましたが、被災地から遠い沖縄では、震災の記憶は少しずつ薄れているのではないでしょうか。しかし今も、沖縄では1000 人を超える人が避難生活を送っています。
 震災から2 年にあわせて、那覇市で避難生活を送る70代の夫婦を取材しました。自宅が原発から17 キロのところにあり、震災の翌日に自宅を離れて以降、戻れていない夫婦。震災の翌月、息子のいる沖縄に避難をしてきましたが、避難当初から見ず知らずの自分たちに優しくしてくれた沖縄の人の温かさに「申し訳ない気持ちになる」と言います。
 それでも、沖縄に来てからも、故郷を1 日も思い出さなかった日はないと話す2 人。取材に対し、「故郷に戻りたい。でも本当に戻れるのか・・・」と揺れ動く心情を、涙ながらに話してくれました。
 故郷に戻れず、先行きが見通せない辛さは、経験した人でないとわからないと思います。しかし、こうした人たちが今も葛藤を抱えながら沖縄で暮らしている事実を、忘れてはいけないと改めて感じました。

【記者  黒川明紘】

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