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2020年、戦後75年

これからも沖縄戦の記憶を記録し続けます。

 

特集

追跡 幻の12歳の学徒
その足跡から見えたものとは・・・

終戦から75年。
激しい地上戦が行われた沖縄では、本土より若い14歳以上の子どもたちが、戦いの最前線に送られたとされてきました。彼らは「学徒隊」と呼ばれ、少なくとも2000人近くが動員され、その半数が犠牲になったとされてきました。
(2020年1月29日)

移住者の9割が沖縄出身!
ひ孫たちが訪ねたサイパンの戦場

太平洋戦争の激戦地・サイパンでは、戦時中、現地で暮らす日本人およそ1万5,000人が戦闘に巻き込まれて犠牲となりました。遺族らでつくる慰霊祭。
そこに、今回初めて参加した2人のひ孫とともに現地に赴いた1人の女性がいました。
(2019年9月12日)

偶然知った父の死の真相
時を超え感じた父のぬくもりとは?

太平洋戦争中の昭和19年、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた「対馬丸」が、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没。800人近い子どもを含む多くの犠牲者が出ました。
国は当時、この事実を明らかにせず、対馬丸の悲劇から75年がたつ今も、遺族は真実を追い求めています。
(2019年8月22日)

「おじいちゃんだって幸せだった」
74年ぶりに届けられた家族写真

太平洋戦争末期の沖縄戦に従軍したアメリカ軍兵士が、戦闘中に1冊のアルバムを拾い、保管していました。
今回、その元兵士から、持ち主に返したいという依頼がNHKによせられました。 沖縄戦から74年。数奇な運命をたどった、家族写真の物語です。
(2019年8月5日)

「大事なものを受け取っちゃった」
元学徒たちの活動を受け継ぐ

県立第二高等女学校の慰霊碑、白梅之塔。白梅学徒隊をはじめ沖縄戦で犠牲になった149人の名前が刻まれています。 慰霊祭を前に清掃するグループ「若梅会」。元学徒たちの活動を受け継ぐためことし、結成されました。
(2019年6月23日)

ニュース

戦時中に恋愛小説?
元学徒の青春とは?

沖縄戦で失われた青春時代の記憶を継承しようと那覇市にあった県立第二高等女学校の元生徒たちから当時の学校生活の様子を聞き取る催しが開かれました。
県立第二高等女学校は戦前、那覇市にあった学校で一部の生徒は沖縄戦で「白梅学徒隊」として動員され、兵士の看護などにあたりました。
(2019年11月30日)

男子学徒の新資料見つかる!
八重山にも学徒犠牲者がいた・・・

沖縄戦で動員された学徒隊のうち、戦死者の数などがわかっていなかった八重山地域の学校について記された資料が新たに見つかりました。見つけた那覇市の中学校の教諭は、これまで詳しく知られていなかった離島の学徒隊の状況を知る上で貴重な資料だとしています。
(2019年11月25日)

「父の生きた証に」
平和の礎 韓国人遺族の祈り

糸満市にある「平和の礎」におととし名前が刻まれた韓国人男性の遺族が、10月23日刻銘後初めて沖縄を訪れ、刻まれた名前の前で追悼の祈りをささげました。
(2019年10月24日)

「家族の名前を呼びながら北へ北へ」
10・10空襲を語る集い

沖縄県内各地がアメリカ軍の空襲を受け 1400人以上が死傷した「10・10空襲」から 75年となった10月10日、記憶を風化させまいと体験者を招いて当時について語ってもらう集いが那覇市で開かれました。
(2019年10月11日)

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