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沖縄で13年ぶりに発表された津波警報 見えてきた避難の課題は

  • 2024年04月14日

今月3日に起きた台湾付近を震源とする大地震。沖縄県内に津波警報が発表され、多くの人たちが避難行動をとる中、避難のあり方についてのさまざまな課題が浮き彫りになっています。県内4か所で取材しました。

“15分で津波到達”与那国町では

震源から最も近かった与那国町。人口はおよそ1700人で多くの人が海沿いで暮らしています。地震発生から津波到達まではおよそ15分で、短時間での避難が求められました。

海の近くに住む古見美智子さんは、家を離れて車で移動している最中に津波警報を知りました。すぐに近くの高台に逃げようと考えましたが、頭をよぎったのは、一緒に住む高齢の母です。急いで自宅に戻りました。

(古見美智子さん)
母はあんまり長く歩けないので、とりあえず2人で逃げるというかたちで簡単に考えていましたが、改めて驚きました。ちゃんとしなきゃだめだなと。

母を迎えに行くなどしたため、避難するまでにおよそ30分かかりました。古見さんは、災害時にどう行動すればいいか、改めて考え直していると言います。

みなさんは、近くにいる1人暮らしのおばあさんを、ぱっと行って連れてきたりしていたので、そういう意味では、母も1人の時は、隣近所にお願いしていますが、私がいない時に津波が来たら、どうなるのか。そのへんを、全然話をしていない。ちょこっと石垣に行くときもあるので。

与那国町役場は、当日の行動を振り返り、課題の洗い出しを始めています。高齢者をどう避難させるかも、その1つです。支援が必要な人たちのうち、誰が浸水想定区域に住んでいるのかまでは把握できておらず、整理する必要があると考えています。

(与那国町 洲鎌浩二 課長補佐)
要配慮者は500人位いるが、寝たきりや車椅子となると、ぐっと減る。浸水想定区域の要配慮者は“ここにいるよ”と、消防団とか公民館とかで援助する方を指名したい。

もう1つの課題が、道路の混雑です。これまで、原則、徒歩での避難を呼びかけていましたが、高い場所に抜ける道に車が集中したのです。

「15分という短い時間の中では、徒歩に限定せず、車も検討する必要もあるのではないか」という意見が出た。避難経路も、今後はルートまで指定する必要があるのかなと。

津波警報を機に、さまざまな教訓が見えてきました。逃げ遅れがないよう、改善のとりまとめを急ぐとしています。

“避難できる高台少ない”竹富町の課題

避難できる高台が少ない竹富島

一方、八重山諸島の中には、避難できる高台が少ない島もあります。その1つが、最も高いところで海抜14メートルほどの竹富島です。景観を守る条例で高さの規制があり、津波避難タワーのような高い建物はほとんどありません。

(竹富公民館長 新田長男さん)
非常に怖いです。逃げるところが学校の屋上くらいしかない。

公民館長を務める新田長男さんは、津波警報が出ると、すぐに車で避難場所となっている学校に向かいました。学校の屋上には、およそ350人が避難。多くの島民と観光客が身を寄せていました。学校には、東日本大震災を受けて、屋上と階段が設置されました。

今回は本当に助かった。それまでは2階までしかのぼれなかった。後付けで付けたんですけど、屋上まで行けるようになった。

しかし、課題も残りました。先月、学校の入り口のうち1か所で外壁が崩れ落ちたため閉鎖されていて、高齢者は遠回りを余儀なくされたのです。学校は老朽化が進み、建て替えの計画も出ていますが、財政事情が厳しい中、具体的なめどは立っていません。

標識がほとんどない竹富島の町並み

さらに、観光客をどう避難させるかという課題も浮き彫りになりました。コロナ禍前には、年間およそ50万人、1日あたり1000人あまりが訪れていた竹富島では、景観を守るために標識は必要最小限しかなく、避難経路を示す看板はありません。新田さんは、津波警報が観光客が増える日中に出ていたら、避難にかなり苦労したのではないかと指摘します。

観光客は海に行く。確実に海に行く。まず海岸から観光客を上げることが大変でしょう。今回のように人命に関わるようなことが出てくると、津波の避難場所を示す看板とかが必要になってくる。

海抜の低い島で観光客をどう避難させるべきなのか。

(竹富町 防災危機管理課 佐加伊勲 課長)
今回は朝方で、人々が活動する前だったが、夜中や祝祭日とかだったら、どうだったのかという懸念や課題はある。観光協会とかバス会社とか観光従事者とも話し合って、避難誘導のあり方を検討していく必要がある。

“高台での受け入れ態勢整備を”西原町では

県内各地で高台に避難する車で渋滞した

津波警報が出た日。県内各地で交通渋滞が発生し、速やかな避難の妨げになっていました。

西原町に住む元警察官の新城格さんは防災士の資格を持ち、自治会の防災アドバイザーを務めています。津波警報が出たときは、海抜60メートルほどの自宅でテレビを見ていました。高台なので安心していたと言いますが、騒がしい音を聞いて外に出ると、普段とは異なる光景を目にしました。

(新城格さん)
こちらからずっとむこうのほう家族連れだとか、1人の方もいたんですけれども、車がずーっと、渋滞して駐車しておりました。

平日は空きスペースのある結婚式場の駐車場も車でいっぱいになり、その前の道路も渋滞しました。付近の様子を見に行った新城さんが遭遇したのは、道路を逆走して上ってきた車でした。乗っていたのは体に障害のある人で、速やかに車を住宅街の安全な場所に誘導したと言います。

どうしても車を使わなければならない人たちの避難に影響が出ていたのではないかと指摘します。

災害弱者の皆さんも逃げ遅れるというような典型的な事例になるだろうなと。大きな交通渋滞、それから、われさきにと駐車場に入り込む、その影響で大きな課題があると感じました。

津波警報が出た日のあと、新城さんは、結婚式場に対して、緊急時には支援が必要な人たちのために駐車スペースの確保を検討してほしいとお願いしました。

高台の地域では避難者の受け入れ態勢を整備する必要があると感じた新城さん。今後、自治会での検討課題にするということです。

高台にある地域が津波には無縁だということではないんですね。やはり大きく影響を与えます。ですから、低地帯から避難してきた人たちの誘導だとか、支援だとか、こういうのも、大変大事なことなのかなと思いました。

“普天間基地が…”宜野湾市では垂直避難も

海沿いの地域では、高台ではなく近くの津波一時避難ビルに駆け込んだ人もいました。

4000人が暮らす宜野湾市伊佐地区の自治会長、安良城かつみさんです。この地区の海抜は2メートルほどしかなく、避難訓練では周辺の建物など3か所を一時避難場所にしています。安良城さんはこのうちの1つ、公営住宅の11階に避難。周辺の道路は激しく混み合い、車はほとんど動かない状態になっていました。津波の到達予想は午前10時。わずか10分前まで渋滞の最後尾は海の目の前にありました。

実際に津波が来ていれば、甚大な被害が出ていたのではないか。安良城さんは、避難場所や避難のしかたについて、多くの住民に改めて知らせなければいけないと考えています。

(安良城かつみさん)
本当に津波が来なかったのはいいんですけど、実際に来たときは本当に危険だなと思いました。命が大事という意識付けを自治会のほうでもやっていきたい。

避難する人たちの車によって発生した大渋滞。琉球大学の神谷准教授は、市の中心に横たわる普天間基地の存在に着目しています。

(琉球大学 神谷大介准教授)
宜野湾市の場合は特に北側と南側にしか道がないですから、高台に避難しようと思うとふだんから混んでいるところがさらにひどくなる。そういった意味合いで基地があることは避難の障害になっているのは事実だと思います。

東日本大震災のあと宜野湾市はアメリカ軍と協定を結び、津波警報が出された際には普天間基地の中を通り抜けられるようになっています。しかし今回、国道やバイパスに加え、基地周辺の市道にまで渋滞は広がり、開放された基地のゲートや高台に車両で向かうのが難しい状況になりました。

神谷准教授はこうした地域や都市部では渋滞の発生を防ぐため原則として徒歩で避難すること、そして場合によっては「垂直避難」するなど、まずは身の安全を守ることを徹底すべきだと指摘しています。

こういった地域の方が避難するのは徒歩で高台に避難するというのがまず原則で、それが難しい方に関してはこのあたりは高い建物がありますのでそちらのほうに避難する。そのほうが個人としても早く避難できますし社会全体としても避難遅れになる方が少なくなる。

※この取材は喜多祐介(与那国島) 後藤匡(竹富島)河合遼(西原町)石川拳太朗(宜野湾市)の4人の記者が担当しました。

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