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答えは…A『島ぐるみ闘争』

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1956年5月のプライス勧告をきっかけに沖縄全域に爆発的な勢いで広がった大衆運動です。県内一丸となって軍用地料の大幅値上げや、新たな土地の接収禁止などを訴えたため、米国は勧告を修正せざるを得なくなりました。

@伊江島土地闘争は1953年〜復帰後まで続いた米軍の爆撃演習用地接収に対する伊江村民の反対闘争です。55年には米軍が武力で住宅を壊して農作物とともに焼き払い、住民たちは座り込みやデモ行進などでこれに反対しました。

Bはコザ市(現在の沖縄市)の道路で米兵が起こした交通事故をきっかけに、それまでの米兵による事件・事故の無罪判決や一方的な事故処理に怒った群衆が、米軍車両を焼き討ちした事件です。

C4.28海上集会は米軍の沖縄統治が合法化された対日講和条約が発効した4月28日を「屈辱の日」として、1963年以降、毎日のように沖縄と日本本土を分断した北緯27度線の海上で行われるようになった集会です。

クイズ監修の新城和博さんの話

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重要な戦後史の流れです。

クイズ監修の野添文彬さんから一言

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島ぐるみ闘争は、沖縄戦後史において画期的な出来事です。 戦後、米軍による支配に虐げられてきた沖縄の民衆がついに立ち上がったのです。 当時米軍は、基地建設のために強制的に土地を接収するのみならず、 極めて低い土地代しか払わず、しかも毎年土地代を払うのではなく 16.6か年分をまとめて払うという「一括払い」方針をとっていました。これを追認したプライス勧告に対し、 沖縄住民の怒りが爆発したのです。 沖縄側の要求は、住民の代表機関である琉球立法院が1954年4月30日に決議した一括払い反対、 適正補償、損害賠償、新規接収反対という 後に土地をを守る四原則に示されています。 これらの要求のすべてが達成できたわけではありませんが、 米国政府は政策を見直すことになります。

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