沖縄代表として戦後はじめて甲子園に参加した首里高校。球児たちが思い出にと持ち帰った甲子園の土は、 当時、「外国から持ち出した」とみなされて那覇港の検疫で捨てられてしまいました。 国が異なるために球児たちが思い出すら持ち帰れないというエピソードをきっかけに、 多くの沖縄県民が復帰への思いを強くしたと言われています。
球児たちの悲しみを知った日本の人々からは、 甲子園の石が寄せられたり、土を焼き物にして渡されるなど、さまざまな好意の輪が広がりました。 後に、負けたチームが甲子園の土を持ち帰るようになったのは、この出来事がきっかけだったとする説もあります。