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ハンセン病 隔離を生き抜いた人々の声を伝える「療養所の歌」

  • 2023年10月25日

かつて盛んに歌われた「ハンセン病療養所の歌」

ハンセン病の国立療養所・大島青松園は瀬戸内海に浮かぶ大島(香川県高松市)にあります。多いときには700人以上が強制的に隔離されていました。いまも36人(2023年10月1日時点)の入所者が暮らしています。

8月、大島青松園で島外の人も招いたコンサートが開かれました。主催したのは岡山市在住のシンガーソングライターで、療養所の歌を研究している沢知恵さんです。入所者や来場者に音楽を楽しんでもらいたいと、童謡「ふるさと」や沢さんのオリジナル曲などを歌いました。コンサートのなかで沢さんが選んだ1曲がハンセン病療養所の歌でした。

沢知恵さん

その曲が「大島療養所歌」です。各地の施設でつくられた「療養所の歌」の中でも「園歌」と呼ばれるもののひとつです。

大島療養所歌
静けき瀬戸の みどりの大島(しま)は
天津みめぐみ 潮とみつる
楽しき愛の 我等がすまい
歌詞:尾崎暁星(武雄) 作曲:小比賀虎雄

美しいメロディーとともに、自然あふれる大島の情景がつづられた歌詞。療養所では式典などの際に歌われていました。入所者同士の連帯感と施設への帰属意識を高めるために作られたとされています。

大島療養所歌は戦後しばらくまで入所者たちによって歌われていたとされます。入所者のひとり、松本常二さん(92)です。愛媛県の農家に生まれ、戦時中に入所しました。いまでも歌詞とメロディーを覚えているといいます。

松本常二さん
懐かしいです。70年前くらいに歌ってから歌ってないですし。昔は会合がよくあったんですよ。4月1日の大島青松園の創立記念日や正月とか祝日に必ず園歌を歌っていました。最近はもの忘れが多くて、級友の名前は半分しか言えないようになって忘れてしまった。でも歌は覚えている。 やっぱり懐かしいね。少年時代に歌った歌ですから

野村宏さん(87)も歌詞が頭に刻み込まれていると語っていました。16歳で高知県から入所して以来、数えきれないほど歌ってきたといいます。

野村宏さん
昔は大勢集めて、式典をやるたびに園歌を歌っていたから自然に覚えるんですね。 私が入所した当時、昭和27年には大島青松園に700人がいました。みんなが集まって、園長の話を聞いて、それから園歌を歌う。懐かしいというか、昔は式典もたびたびあったと思うし、 よくしょっちゅう歌わされたんです

国が推し進めた強制隔離

ハンセン病は「らい菌」という菌によって皮膚や末梢神経が侵される感染症です。治療薬がない時代には不治の病と恐れられていました。感染力が弱いにも関わらず、国は各地に療養所を作り、患者を強制的に隔離する政策を進めました。施設の外に出ることや子どもをもうけることが許されないなど、入所者は人間としての尊厳を奪われていったのです。戦後、特効薬が使われるようになり、治る病気となったあとも隔離政策は続けられました。

入所者の存在を否定する歌詞も…

沢さんとハンセン病療養所とのかかわりは牧師だった父親に連れられ、幼少期に大島青松園を訪ねたことから始まりました。5年前、岡山大学大学院に入学した沢さんは青森から沖縄まで各地の療養所で聞き取りや調査などを行い、その内容を修士論文にまとめました。13か所ある国立ハンセン病療養所で独自の歌がつくられ、その数は合わせて70あまりになることがわかっています。

療養所の歌が記された楽譜

歌のなかには入所者の存在を否定する差別的な歌詞があるものも見つかりました。「民族浄化」や「祖国浄化」という歌詞です。沢さんによると、少なくとも4か所の療養所で入所者たちに歌わせていたということです。

 

沢知恵さん
「あなたたちがいなくなることで日本の民族が浄化される」という思想を歌詞にして歌わせていた。 職員と入所者が一緒になって大講堂で何百人もが「民族浄化」という言葉を言霊にして発した。その恐ろしさに身震いがした。ただ言葉を発するのと違って歌うことで感情に作用するんですよね。 だから「民族浄化」「祖国浄化」という歌詞をメロディーとリズムに合わせて歌わせることで、より思想を強く刻みつける効果があったんです。そのことを承知で歌にあえてそういう歌詞を盛り込んだっていうのは、本当に戦略的だし、権力が音楽を利用したときに恐ろしいと思いました

“隔離の身でいることが国のためなら”

入所者の人権を否定するような歌も戦後しばらくは療養所の中で歌われていたといいます。その後、歌詞に問題があるのではと入所者が指摘したり、式典自体が少なくなったりして歌われる機会が無くなったとされています。取材では当時を知る入所者に話を聞くことができました。

(左)中尾伸治さん (右)石田雅男さん

岡山県瀬戸内市にある長島愛生園の入所者、中尾伸治さん(89)と石田雅男さん(87)です。共に10代前半の少年の時に収容され、すぐに療養所の歌を歌わされたといいます。

2人が記憶しているのが「愛生園少年団歌」という歌です。療養所の子どもたちが集会の際に歌わされていたといいます。この歌に関しては資料が残されていません。しかし「祖国浄化」という一節があったと証言しています。入所者の記憶にしか残っていない歌について、沢さんは粘り強く聞き取り調査を続けています。今回、さらに詳細な歌詞が判明しました。

中尾伸治さん
祖国浄化の後に気負え愛生少年団と続く
勢いつけぇという意味じゃないかな

「祖国浄化のためならば 気負え愛生少年団」という歌詞だったんですね

当時18歳以下だった長島愛生園の入所者たちは集会のたびにこの歌を歌わされていたと言います。70年以上前に抱いていた気持ちを2人は証言してくれました。

中尾伸治さん
祖国浄化なんて1人でできるわけないし、なんでそんなことをしないといけないのかと嫌やったけれども、だんだん歌っているうちに、この国を守るためと思って歌っていた。「俺はなんかの代表」と思って、その歌詞に従っていたところもある

石田雅男さん
正直にいうと意味がわからんままに歌っていた。観念していたと思うんよ。「自分はこの病気にかかって、外にでていくことはまずゼロだ」と。 そう観念したときに祖国浄化という意味が、自分たちがじっとしていることが国のお役に立つなら、 祖国を清めることができるなら、おとなしくここにいようと。「日本の何かの役に立っている、自分たちは」と違う解釈を子どもながらにしたと思うんよ。職員からは「国の役にも立たないのに畳の上で生活して三食を与えられて」という言葉を聞かされた。 隔離の身でいることがお国の役に立っているからと、観念した上にダメ押しのように歌を歌わされたら完全に力が抜けた。もう好きに扱ったらいいと

“仲間と歌うことで生き抜く力になった面も”

証言してくれた歌はもうひとつあります。長島愛生園の園歌である「愛生園々歌」です。入所者は毎月、歌わされていたといいます。

愛生園々歌
なやみよろこび ともにわかちつ
我らが営む 一大家族
作詞:山田甚三 作曲:光岡米造 

「一大家族」という歌詞にあるのは、患者を管理する職員と患者は家族であるという思想です。実際、幼い患者が職員や世話役の年長の患者たちを呼ぶときには「おとうさん・おかあさん」と言わせるなど「疑似家族」が形成されていたのです。

中尾伸治さん
園長がお父さん、看護婦長がお母さんだと。そういうことをよく聞かされていたし、そういう生活がこの中にあったということ

この歌を歌わせることで、ハンセン病療養所が新しい家だとすり込み、入所者を社会から切り離そうとしていたと沢さんは指摘します。

「愛生園々歌」の歌詞を囲む人々

一方で、隔離された入所者たちにとって療養所の歌が力になった面もあることがわかってきました。

石田さんは「一大家族」の歌詞に違和感を抱きつつも、仲間と声を合わせることで救われた面があったと語ってくれました。

石田雅男さん
一大家族というのはひとつの励みで、周りにいるひとは仲間だと思った。みんなの身の上から考えると大家族のように仲良くしようと。そういう気持ちで人間関係をやっていくと。良い意味の解釈でいくと一大家族というのは素晴らしい言葉やと思うし、もっとお互いに助け合い、家族以上の絆をつくっていこうというと。ことばには出てこないけれど、みんなの気持ちがそうなっていた

いま全国13か所の国立療養所で暮らす入所者は777人となり、平均年齢は88.0歳と高齢化が進んでいます(2023年9月末時点・邑久光明園入所者自治会まとめ)。療養所の歌には隔離の歴史や差別の実態がわかるものがある一方で、入所者の日々の生活が感じられる歌もあります。

ハンセン病療養所の歌は隔離生活を生き抜いた人たちの声を伝え続けます。

沢知恵さん
療養所の歌はただ押しつけられたのでしょうか。入所者の中には楽しそうに療養所の歌を歌う人もいるんです。みんなで声を合わせて歌うことはうれしいことだった。もちろん上から押しつけられるっていうこともあるけれども、仲間意識をつくって療養所生活を乗り切っていこうという力になる。私は療養所の歌は無いほうが良かったって、なにか言い切れないんですよ。ひどい歌だと恐怖を感じますが、この歌があったおかげで、生きていくことができた入所者たちがいる。 療養所の歌を通して、音楽の持つさまざまな側面を知ることができるのです。歌をひとつでも多く聞き取って残していくことが急務の課題です

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