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更新日時:2022/12/14
大分県災害データアーカイブ
大分県災害データアーカイブ
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みなさんはお住いの地域で過去にどんな災害が起きたか知っていますか?
NHK大分放送局では大分大学減災・復興デザイン教育研究センター(CERD)、大分地方気象台、また研究者のみなさんと協力し、過去1300年間に渡る災害のデータを収集、分析を行っています。現在、その成果を「大分県災害データアーカイブ」として広くみなさんに公開しています。
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大分県災害データアーカイブ
これまで放送した『大分県災害データアーカイブ』関連の企画や過去の災害の映像を見ることができます。
大分県災害データアーカイブについて

1分間紹介VTR「大分県災害データアーカイブ」の紹介VTRです。ウェブページでできること、使い方などを知りたいときにはこちらをご覧ください。

「アーカイブ」をどう生かすか大分大学では「アーカイブ」の活用に関する検討会が行われました。一方、日田市に住む視聴者からは66年前の水害写真が見つかったと連絡を受け取材に急行しました。
(2019年8月8日放送)

防災情報

コロナ禍でどう避難するか避難所での新型コロナウイルス感染が不安視されるなかで、どう避難すればいいのか。模索する九州北部豪雨の被災地を取材しました。
(2020年6月15日放送)

"リスクを知り 命を守る" 防災フィールドワーク災害が多発する中で、地域のリスクを知り、命を守る行動につなげようと「防災フィールドワーク」を行う日田市天瀬町の中学校を取材しました。
(2020年9月30日放送)

減災シンポジウムin中津 フィールドツアー2019年11月16日に中津市内で中津北高等学校の生徒や大分大学の学生らが行った「減災シンポジウムin中津 フィールドツアー」の様子です。
(※NHKサイトを離れます/制作:大分大学 減災・復興デザイン教育研究センター)

令和元年~(2019-)

令和4年1月地震 大分市勢家午前1時08分頃に日向灘を震源とするM6.6の地震が発生。大分市では最大震度震度5強を観測した。大分市勢家の県道22号では、街灯が倒れ、警察官が交通整理に当たった。

令和4年1月地震 大分市寿町午前1時08分頃に日向灘を震源とするM6.6の地震が発生。大分市では最大震度震度5強を観測した。大分市寿町では、水道管が破裂したことにより、マンホールから水があふれ出し、道路が冠水した。

令和4年1月地震 大分市下郡午前1時08分頃に日向灘を震源とするM6.6の地震が発生。大分市では最大震度震度5強を観測した。大分市下郡北の住宅街では、民家のブロック塀がおよそ30メートルにわたって道路に倒れ、ブロックが周囲に散乱した。

令和4年1月地震 大分市神崎午前1時08分頃に日向灘を震源とするM6.6の地震が発生。大分市では最大震度震度5強を観測した。大分市の海沿いにある水族館「うみたまご」の駐車場付近では、複数の亀裂が発見された。

令和4年1月地震 竹田市岡城跡午前1時08分頃に日向灘を震源とするM6.6の地震が発生。竹田市では最大震度震度5強を観測した。竹田市の岡城跡では、石垣の一部が高さおよそ1.5メートル、幅およそ4メートルの範囲で崩れているのが見つかった。

令和4年1月地震 竹田市有氏午前1時08分頃に日向灘を震源とするM6.6の地震が発生。竹田市では最大震度震度5強を観測した。竹田市の七里田温泉館 下ん湯では、地震直後から湯量が通常時の1/10程度に減少。特徴であった炭酸泉の泡も消え、不純物が混ざるなど入浴できない状態となったため、24日から休業した。パイプの詰まりを解消し、およそ3ヶ月後の4月29日から営業を再開した。

令和2年7月豪雨 日田市天瀬町玖珠川が氾濫し、川沿いの天ヶ瀬温泉街に流れ込んだ。これにより新天瀬橋が流失し、自宅にいた女性が濁流にのまれて亡くなった。浸水の深さは最大でおよそ2.5mに達していたとみられる。

令和2年7月豪雨 日田市中津江村津江老人福祉センターの裏山で土砂崩れが発生。入所者は避難しており、けが人はいなかった。また、数か所で土砂崩れにより道路が寸断され、一時孤立状態となった。

令和2年7月豪雨 由布市湯布院町下湯平7月8日午前0時ごろ、避難途中とみられる一家4人が乗った車が花合野川に流されたと消防に通報があった。4人は後日下流で遺体となって発見された。

令和2年7月豪雨 由布市挾間町大分川の支流である黒川が増水し、住宅や橋が流された。また、車で外出していた男性が遺体となって発見された。

令和2年7月豪雨 九重町宝泉寺温泉温泉街を流れる川沿いの道路が陥没し、13軒ある旅館のうち10軒が浸水などの被害を受けた。

令和2年7月豪雨 九重町野上JR久大本線の豊後中村駅ー野矢駅間で、野上川の増水により第2野上川橋が流失した。

平成20年~31年(2008-2019年)

平成30年4月斜面崩壊 中津市耶馬溪町金𠮷住宅の裏山が幅約160メートル、長さ約220メートル、最大深度約35メートルにわたり崩壊し、4棟が巻き込まれ、6人が死亡。崩れた土砂の量は約13万立方メートルに及んだ。調査の結果、原因はしみ込んだ地下水によってもろくなった部分が、地下水の水圧などが加わり、地すべりを起こしたと考えられている。

平成29年9月台風18号 津久見市 9月17日、大分県では断続的に激しい雨となり、佐伯市や津久見市に記録的短時間大雨情報を計4回発表した。津久見市では、住宅1棟が全壊、308棟が半壊、床上浸水575棟、床下浸水646棟などの被害が発生した。また、津久見川は市の中心部で堤防が20メートルほどにわたって崩れた。

平成29年7月九州北部豪雨 日田市小野地区県道宝珠山日田線沿いで高さ300メートル、幅200メートルにわたり大規模な土砂崩れが発生。現地で活動をしていた40代の消防団員の男性と60代、70代の女性2人が巻き込まれた。男性は心肺停止の状態で病院に運ばれたが死亡が確認された。女性2人は全身や頭にけがをした。現場は崩れた土砂が地区を流れる小野川をせき止め、一時ダム湖を形成した。

平成29年7月九州北部豪雨 日田市大鶴地区7月5日昼頃から福岡県や大分県、佐賀県などで局地的に非常に激しい雨が降り、大分県日田市では18時44分までの1時間に87.5ミリの猛烈な雨を観測した。大鶴地区では大肥川が氾濫し、広い範囲で浸水被害が出た。

平成29年2月火災 別府市楠町長屋から出火。強風により燃え広がり住宅4棟が全焼し、ほかに住宅4棟が一部焼けるなどの被害があった。焼けた面積はあわせておよそ1250平方メートル。火元の長屋に住む1人暮らしの高齢の男性と、高齢の夫婦のあわせて3人が死亡した。

平成28年4月熊本地震 由布市湯布院町3人が災害による関連死と認められた。また40代の男性が避難所へ逃げる際に、足首の骨を折るなど重傷7人、軽傷5人、住宅の全壊1、半壊132棟などの被害があった。

平成28年4月熊本地震 由布市湯布院町山沿いの斜面がおよそ20メートルにわたって崩れて、大分自動車道の湯布院インターチェンジ〜日出ジャンクションの間の道路に大量の土砂が流れ込んだ。復旧は9月15日。

平成26年2月積雪 日田市天瀬町JR久大線の天ヶ瀬駅〜杉河内駅の間で、普通列車が線路の上に倒れていた木に乗り上げて脱線した。当時、列車には乗客の男性2人と運転士のあわせて3人が乗っていて、このうち乗客の55歳の男性が肩や顔にけがをして病院で手当てを受けた。現場の線路の上にはおよそ30メートルの長さの木が倒れていた。現場付近では雪が降り続いていたため、雪の重みで木が倒れた可能性があるとみている。この事故や雪の影響で、JR久大線は大分駅〜日田駅間で終日、運転を見合わせた。

平成24年7月九州北部豪雨 日田市7月3日は明け方から午前中にかけて雷を伴った激しい雨が断続的に降り、西部や北部を中心に記録的な大雨となった。3日8時00分には、日田市日田付近で1時間約110ミリの猛烈な雨が解析された。7月4日の午前中にも日田市を中心に1時間に30ミリを超える激しい雨が降った。花月川の越水により下流の上手町、丸山町、吹上町に広く浸水被害が出た。

平成24年7月九州北部豪雨 中津市耶馬溪町7月3日は明け方から午前中にかけて雷を伴った激しい雨が断続的に降り、西部や北部を中心に記録的な大雨となった。耶馬溪(中津市)では、3日6時45分までの1時間に91.0ミリの猛烈な雨を観測し、観測史上1位の記録(統計開始1976年)となった。中津市耶馬溪町では農協の加工場で作業していた男性が川に流され、行方不明になった。

平成24年7月九州北部豪雨 竹田市荻町南河内7月3日は明け方から午前中にかけて雷を伴った激しい雨が断続的に降り、西部や北部を中心に記録的な大雨となった。竹田市荻町南河内では、80代の男性が田んぼの様子を見に行って外出したあと行方がわからなくなっていたが、15日11時20分に大分市白滝橋付近で遺体で発見された。

平成21年3月林野火災 由布市湯布院町別荘地の南側斜面で、塚原財産管理委員会の約70人が9時30分より野焼きを行ったが延焼し、野焼きに参加した4人が死亡(男性3人、女性1人)、3人が負傷した。

平成20年6月大雨 臼杵市野津町増水した川(吉田川)に70代の女性が乗っていた軽トラックごと転落、行方不明になっていたが、16日8時50分頃、津久見市保戸島の北約4.5キロメートルの海上で遺体となり発見された。女性は地区に住む人に「田んぼの見回りに行く」と言って軽トラックを運転していた姿が見られたあと行方がわからなくなっていた。

平成20年6月大雨 玖珠郡九重町菅原裏山が崩れて木造平屋建ての住宅を押し流しこの家に住む70代の女性が遺体で見つかった。

平成10年~19年(1998-2007年)

平成17年9月台風14号 由布市湯布院町湯平地区花合野川で土石流が発生。崩れた土砂が川をせき止めたため、川の水があふれ出し、近くの民家に濁流が流れ込んだ。70代の女性1名の行方が分からなくなった。

平成17年9月台風14号 竹田市荻町南河内裏山の土砂が流出し、女性2人が滝水川に流された。その後、流された2人とも遺体で発見された。

平成17年7月大雨 日田市上津江町土砂崩れにより家屋が押し流され、中にいた50代の男性と母親の90代の女性2人が死亡した。※現地調査では、3時過ぎに隣家がこの災害に遭ったとの報告があった。

平成17年7月大雨 玖珠郡九重町湯坪地区宿泊施設の裏山が崩れて住宅の1階に土砂が流れ込み、経営者の80代の男性が土砂の中から遺体で見つかった。また同居人の男性2人がひざや肩などに軽傷を負った。

平成17年7月大雨 玖珠郡九重町県道飯田高原中村線の界橋付近で県道が損壊、車両1台が転落し、県道に沿う玖珠川に流された。女性1人が死亡、女性1人が行方不明となった。

平成元年~9年(1989-1997年)

平成9年9月台風19号 宇佐郡安心院町木裳宇佐郡安心院町木裳にある木裳橋では、二本の橋脚のうち1本の底部が水流で洗われ崩壊。一部を残して橋げた約45メートルが崩れ落ちた。橋下にはNTTの電話回線が通っていたため、電話回線が切れた。

平成8年5月突風 玖珠郡玖珠町21日夜から22日朝にかけて上空に寒気を伴った気圧の谷が通過したため、大気の状態が不安定となり積乱雲が発達。22日2時すぎ玖珠町と九重町で突風が吹いて、民家の瓦が飛んだり窓ガラスが割れるなど、玖珠町では住家の一部破損50棟の被害があった。

平成5年9月台風13号 大分市下白木土砂崩れが発生し一時通行止めになった。

平成5年9月台風13号 大分市森町住宅の裏山が崩れ、中学1年生の女子生徒が土砂に巻き込まれ死亡した。

平成5年9月台風13号 竹田市宮砥地区緒方川が氾濫し民家2棟が川に押し流されるなどして、60代の夫婦、50代の夫婦の4人が死亡した。

平成5年7月台風5号 下毛郡耶馬溪町山移民家の裏山が、幅約50メートル・長さ約150メートルにわたって崩れ落ち、大量の風倒木を含む土砂が民家を押しつぶし、家にいた80代の女性、50代の女性、小学5年生の女の子の3人が死亡した。

平成5年6月大雨 日田郡上津江村梅雨前線の停滞にともなう大雨により、村役場の職員が乗った災害パトロール車が県道で土砂崩れに巻き込まれ2人が死亡した。

平成3年9月台風19号 日田郡前津江村この台風は典型的な「風台風」だった。人的被害はすべて強風によるもので飛んできた屋根がわらやトタンが直撃したり、倒木の下敷になるなどして死傷者がでた。林業被害は県の西部・北部で杉やヒノキが根こそぎ倒れたり、折れたりして山林の被害は22529ヘクタールに及んだ。

平成2年6月大雨(豊肥水害) 竹田市7月2日9時には、低気圧が対馬海峡付近に達し、梅雨前線の活動が非常に活発となったため、竹田・直入地方を中心に日降水量が300ミリを超える大雨となり、竹田市では市内を流れる稲葉川、玉来川が氾濫し、濁流は民家に津波のように押し寄せ、床下・床上浸水が相次ぎ、流された大木、コンクリート片や車が道路に散乱した。女性1人が濁流に流され死亡したほか、荻町では土砂崩れで1人が死亡した。

平成2年6月大雨(豊肥水害) 竹田市大雨のため流失。平成2年7月2日以降、不通となっていたJR豊肥線の緒方~宮地駅間は、同年7月16日から代行バスによる運行を行っていたが、平成3年10月19日、1年3か月振りに全線が復旧開通した。

平成2年6月大雨(豊肥水害) 竹田市入田小高野長さ150メートル、幅50メートルにわたって土砂崩れが発生し、木造平屋建て住宅1棟が3000立方メートルの土砂に埋まり一家3人が死亡した。竹田市では29日から雨が降り続き、1日の災害発生時までの総雨量は160ミリに達し、地盤も緩んでいたと見られるが、災害現場には建設中の農道工事で出た土砂が捨てられ、斜面にたまっていた。

昭和50年~64年(1975-1989年)

昭和57年7月大雨 竹田市24日09時過ぎ、竹田市の中心部を流れる稲葉川が4.0mの危険水位を超え10時には6.0mとなり11時過ぎ堤防からあふれた濁流が市街地に流れ込んだ。国鉄豊後竹田駅前に架かっていた“たけだ橋”沿いにあるクリ一二ング店があっという間に濁流に流されたのをはじめ民家4戸が流失した。また、床上・床下浸水家屋は300戸にのぼり、商店街の一部も水につかったが、午後には水も引き始めた。市内駅前にある商店主は「水がたけだ橋を超えたのは60年ぶり」と話していた。

昭和57年7月大雨 竹田市城原地区の住民や消防団員など34人が水路を埋めた土砂の取り除き作業を行っている最中、山林が幅35メートル、奥行き20メートルにわたって流出。またたく間に住宅や畜舎3棟を壊し、16人を土砂に巻き込み、国道まで押し流した。重機などを使い救助作業が行われたが、50代の女性2人、60代の男性3人、40代の男性1人が遺体で発見された。

昭和56年7月大雨 下毛郡山国町17時ごろ草木地区大曲の通称”上の山”が長さ約300m、幅約50mにわたって崩れ、山津波となって大量の土砂が民家2戸(3棟)を押しつぶした。その際、4人が倒壊した家の下敷になり、間もなく救出されたが救出作業の人と計5人が重軽傷、また、1人が避難しようとして負傷した。草木地区大曲、槻木地区屋形、三郷地区奥谷などのがけ崩れで幹線・生活道路が寸断され、約250戸が孤立状態となった。山国町としては、昭和28年の水害を上回る、町始まって以来の大災害となった。4日、町内の5つの小中学校、4つの保育所は全て臨時休校・休園となった。

昭和55年7月大雨 日田市坂井町住宅の裏のがけが、高さ30メートル、幅15メートルにわたって崩れ落ちた。このため、山側の6畳居間で寝ていた2人が生き埋めとなった。午前8時過ぎにやっと堀り出したが2人は死亡していた。

昭和55年5月大雨 大分市新田国鉄豊肥線中判田〜竹中間の人道橋(長さ29メートル)が壊れ、土砂と共に線路上に崩れ落ちた。このため、同線は、中判田と犬飼で折り返し運転、博多発別府行き急行「火の山1号」など急行7本、ローカル16本の計23本が全面または部分運休した。復旧は同日いっぱいかかった。

昭和55年7月大雨 国東市上成仏県道赤根富来浦線で1日13時15分ごろ、高さ10メートル、幅20メートルにわたってがけが崩れ、通行中の乗用車が崩れた土砂に押しつぶされ、乗っていた3人が死亡した。

昭和54年10月台風20号 杵築市山間部で増水したため池が幅約30メートル決壊、約5万tの鉄砲水がみかん畑や稲田を押し流し、近くの人家は浸水。水は約1800メートル離れた八坂川に流れ込んだ。この事故で杵築市消防署では、池の下手にある住民に避難命令を出すなど警戒したが、人畜に被害はなかった。

昭和54年6月大雨 豊後高田市広瀬川梅雨前線の接近にともなう大雨のため、堤防が決壊した。

昭和53年9月土砂崩れ 耶馬溪町柿坂20日朝、耶馬溪町柿坂字木崎の耶馬溪ダム建設の取り付け道路工事現場で土砂崩れがあり、作業員8人のうち5人が生き埋めになった。近くにいた同僚らが助け出し、町内の病院に運んだが、3人が死亡、2人が重軽傷を負った。この付近では19日夜から20日朝にかけて25ミリの雨が降り、地盤がゆるんだらしい。

昭和51年9月台風17号 速見郡山香町南畑上河内住宅の裏山が高さ20メートル、幅10メートルにわたって崩れ一家6人が生き埋めになった。地元消防団などが救助にあたり、2人は助け出したものの、この家に住む40代の男性、30代の女性、中学1年生の男子生徒、小学4年生の男子生徒が死亡した。集落は浸水などで通行不能になっていたため、救急車が現場に行けず救急活動が思うようにできなかったという。

大分県中部地震県内で初めて震度6弱を観測し、記憶に新しい熊本地震。実は過去にも県内では大きな直下型地震が発生しています。1975年に起きた「大分県中部地震」です。当時大きな被害が出た集落を取材。過去の経験から得られた教訓を探りました。 (2018年4月16日放送)

昭和50年4月大分県中部地震 大分郡湯布院町ホテル(地下1階、地上4階の鉄筋建、昭和40年オープン)の1階玄関ロの柱が折れ、この玄関ロに2階以上が落ちこんだ形で北西に傾き、倒壊した。

昭和50年4月大分県中部地震 大分郡湯布院町付近は道路の亀裂が多く、料金徴収所は、西の方へ倒壊していた。また、ここから阿蘇寄りに1200メートル行ったところの道路が長さ100メートル、高さ50メートルにわたり大きく決壊し通行止めとなった。

昭和50年4月大分県中部地震 大分郡庄内町内山震源地に近いこの地区はもっとも被害が大きく、ほとんどの家が全半壊し、集落に通じる道路も数か所にわたって決壊したため交通が途絶えた。被害の状況からこの地区での震度は、6程度と推定された。

昭和40年~49年(1965-1974年)

昭和49年9月台風18号 大分市下判田市営住宅の裏山が高さ25メートル、幅約30メートルにわたり地すべりを起こし、空き家2棟を含む3棟を押しつぶした。このため一人暮らしの60代の女性が土砂の中から遺体で発見された。

昭和49年9月台風18号 日豊本線日豊線の大分駅以北6か所、以南43か所で、道床の流失や埋没、陥没などが発生した。また構内では線路や電気系統が冠水して、ポイントが動かなくなった。

昭和41年3月大雨 日田市夜明中町前線が停滞し、さらに低気圧が通過したため大雨となり、土砂崩れが発生。軽自動車1台が押し流され、2人が夜明ダムに転落。行方不明になった。崩壊した土砂は1000立方メートルと推定されている。

昭和30年~39年(1955-1964年)

昭和36年10月大雨 大分市仏崎大分発亀川行きの大分交通の電車が仏崎のカーブにさしかかったとき、高さ15メートルのコンクリート壁の上にある崖が100立方メートルにわたって崩れ落ちた。車両の前方の一部を残して電車は埋まったため、乗客70人中、死者31人、重軽傷者36人を出した。

昭和36年10月大雨 東国東郡安岐町300ミリ以上の集中豪雨のため、安岐川と荒木川が一度に決壊。死者10人、行方不明者15人、41戸が流出、500戸以上が床上浸水した。

昭和20年~29年(1945-1954年)

昭和29年9月台風12号(ジューン台風)台風12号は日田の西方を9月13日21時すぎ通過し、その後下関付近を通つて日本海へ進んだ。県下は台風の東側にあたり、13日の昼前から同夜半にわたりおよそ12時間、暴風雨となりかなりの被害を与えた。被害額93億円余の過半数をしめる50億円余が農作物の被害で、南西の強風で発生したフェーン現象の乾風のために生じた白穂の被害が含まれている。

昭和28年6月梅雨前線(西日本水害)大雨のため25日の夜半頃から急に河川が増水し、堤防の決壊や橋の流失、浸水などの被害が出た。大分川流域では26日の昼過ぎに多くの堤防が決壊し、久大線の向之原駅から大分川河口まで延々14キロにわたり細長く、湖のように浸水し、その面積は約21平方キロメートルに及んだ。また筑後川流域では玖珠郡野上町付近から日田をへて、福岡県境にいたるまで延長約40キロにわたり激流に洗われた。

昭和25年9月台風29号(キジア台風)大分県下は全県にわたり近年にない大被害を被ったが、特に海岸地帯では、満潮時刻と台風襲来時刻が一致したため全沿岸にわたって高潮が起りさらに災害を倍加する結果となった。被害総額は、53億9056万余円にのぼった。

昭和10年~19年(1935-1944年)

市街地を襲った大水害県内で過去最大の被害を出した昭和18年の台風26号。データをひもとくと現在の大分市鶴崎でも多くの犠牲者が出ていました。なぜ市街地で大きな被害が出たのか。現場を取材しました。
(2019年4月19日放送「フカイロ!キロクとキオクを生かして」より)

予期せぬ山崩れ昭和18年の台風26号では、宇佐市で大規模な土砂崩れが発生。27人が死亡しました。現場はふだん災害が起きると思われていない場所。地域のリスクをどう把握すればよいのか考えました。
(2019年4月19日放送「フカイロ!キロクとキオクを生かして」より)

写真は何を語るか視聴者の方からある写真が送られてきました。数少ない手がかりをたどっていくと、地元の人でも忘れていたある災害を物語るものでした。
(2019年3月11日放送)

昭和元年~9年(1926-1934年)
【三光村のため池決壊】
連日の大雨により、下毛郡山口村(現中津市)八面山にある溜池の堤防が決壊。このため下流の金色集落や木崎集落が激流に襲われ、死者7名を出すなど大きな被害が出た。当時を知る人が減る中で、災害の様子を貴重な証言をもとに調査した7回シリーズ。
(2003年10月~2004年2月放送「思い出の20世紀」より)

1.落ちてきた岩石

2.ため池の堤防決壊

3.ため池決壊の瞬間

4.押し寄せてきた濁流

5.救護所と避難先

6.慰霊祭とため池復旧工事

7.目突き歌・胴突き歌