2018年05月14日 (月)宇佐海軍航空隊の跡地を巡る
12日(土)は、宇佐市に行ってきました。
「宇佐航空隊平和ウォーク」
戦争の遺構を見て歩き、平和を考えるイベントです。
柳ヶ浦小学校周辺、麦畑の中を歩いていきます。
所々色づいていたり青々としていたり。
風になびくときれいでした。
のどかな風景が広がるこの場所ですが、
第二次世界大戦中は、宇佐海軍航空隊の基地でした。
◆飛行機の滑走路跡
昭和14年、空母に発着する飛行機の搭乗員を養成するための訓練所として作られました。
しかし戦況が悪化した昭和20年には特攻隊が編成されるようになり、154人もの若者が命を落とすことになりました。
◆特攻隊で犠牲になった人たち
基地の周辺も激しい空襲を受けました。
◆爆弾によってできた穴
水が溜まり、池になっています。
◆飛行機に積むパラシュートを整備していた建物
壁にはアメリカ軍による機銃掃射の痕。
空襲の激しさを物語っています。
◆軍用機のエンジンを点検、修理していた建物
外壁には機銃掃射の痕。中は、時代の流れとともに、コンクリートの劣化が進んでいました。
◆通信施設跡
こういった航空隊の施設を中心に、空襲があったそうです。
当時の日本の主力戦闘機は、零戦(零式艦上戦闘機)でした。
◆零戦の模型
映画「永遠の0」で主演の岡田准一さんが乗ったもの。
宇佐市平和資料館に展示されています。
そして、その零戦を守るための防空壕
◆掩体壕(えんたいごう)
全国で2番目に文化財指定された戦争遺跡です。
中には零戦のプロペラとエンジンが展示されています。
このイベントでは、地元の小学生100人が
コースの各ポイントで説明をしてくれます。
たすきには「子どもガイド」の文字。
たくさん調べて、発表の練習をしたそうです。
女の子は「家族と過ごせることが平和であるということに気づいた」という感想を話していました。
全体で10キロの道のりを、休憩も挟みながら3~4時間かけて歩きました。
終戦から70年以上経ちますが、
ここに来ると当時の生々しい痕跡が残っています。
平和の尊さを忘れないためにも、また参加したいと思います。
最後に、主催の「豊の国宇佐市塾」のみなさん。
地元の歴史を広く伝えていこうと、毎年アメリカから資料を取り寄せ、研究しています。
今年の平和ウォークも大成功でした。
投稿者:二株 麻依 | 投稿時間:14:55